ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』
ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう レフト3.0の政治経済学』(亜紀書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=852
日本のリベラル・左派の躓きの石は、「経済」という下部構造の忘却にあった!
アイデンティティ政治を超えて、「経済にデモクラシーを」求めよう。
すごくざっくりいうと、「リベサヨ」批判の本です。
言うまでもなくネット上で用いられるこの言葉の99.9%で意図されている意味(リベラル=サヨク=バカ)ではなく、左翼のくせにリベラルに近寄る変な奴らというほとんど用いられることのない、しかしこの言葉を発明した本人はそういう意味でこしらえたはずなのに、とぶつぶつつぶやき続けている意味でですが。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-6bcb.html(リベサヨって、リベラル左派の略だったの?)
その辺を北田さんがこう語っていて、
・・・でも、日本では「リベラル左派」とか「リベサヨ」なんていう意味不明の言葉もあって、なんかバカみたいな状況なんですね。普通に考えたら、「リベラル」なんて左翼の敵に決まっているんだから、共産党とかは「リベラル」とか言われるのをちょっとは怒った方がいいと思うんですけど(笑)。
いやいや、まさに「意味不明の言葉」を意図したのに、全く逆に素直に意味の通る言葉として流通してしまうんです。
・・・日本では「リベサヨ」という言葉に象徴されるような妙な形で運用される言葉があるけれど、それも一理ある気がします。どうも日本の「リベラル左派」というのはアメリカ的な意味での「リベラル(ソーシャル)」ですらなくて、経済的な志向性はむしろヨーロッパ的な意味での「リベラル(自由主義)」、アメリカでいえば共和党保守に近いのではないか。確かに、日本の「レフト」というのは、いまやソーシャルな要素が限りなく希薄化された「リベラル」に飲み込まれつつあるような気がします。・・・
というはなしはもう繰り返し語られてきた話ですが、いやそれは今やヨーロッパでもじわじわとそうなりつつあるのかもしれないというのが、ここ数年来ソーシャル・ヨーロッパ・ジャーナルの記事なんかを引用しながら本ブログで指摘してきたことでもあるんで、そういう意味では日本は先進的(!?)だったのかもしれません。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1cba.html(労働者階級と知的文化的左翼の永すぎた春の終焉)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-c871.html(反動的労働者階級?)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-cc0c.html(左翼の文化闘争?)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-c0e2.html(右翼ポピュリズムと社会問題)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-61c3.html(ポピュリズムの労働市場的基礎)
こう言うの読んでくると、左翼が知的文化左翼、バラモン左翼になっちゃって、経済を語らなくなり、そこを右翼ポピュリストにさらわれているというのは、洋の東西を問わない現象のようにも思えてきます。
というわけで、今年の流行語大賞には是非「バラモン左翼」をエントリーしましょう。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-83eb.html(バラモン左翼@トマ・ピケティ)
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