日本サッカーの強化プランに合致していた理由
W杯予選突破を決めたにもかかわらず、本大会を目前にして解任されたヴァイッド・ハリルホジッチ監督。日本サッカー協会からの不信の根本にあったのは、「やりたいことが見えない」からではないだろうか。そこで、彼のサッカーを徹底研究した『砕かれたハリルホジッチ・プラン 日本サッカーにビジョンはあるか?』(星海社新書)を上梓する五百蔵容氏に、謎に包まれたボスニア人指揮官の正体に迫ってもらったフットボリスタ第56号掲載の分析記事を特別公開する。
文 五百蔵 容
事の性格上、世界中あらゆる国のサッカー代表チームと同じく、日本代表の強化過程にも様々な見方があります。本稿では、そういった見方の1つを提供します。
ポゼッション(グループによるパスワーク)重視、ショートカウンター重視、など試合を決する仕留めの「手段」にどんなコンセプトを採用するか、そういった面での違いはありますが、特に南アフリカ大会に臨んだ第二次岡田武史体制以降、戦略レベルではそう大きな違いはなく、その面にフォーカスする限りでは、むしろ近年の日本代表には一貫性と連続性があるのではないか――それが、その「見方」です。
そして、その一貫性と連続性が現在の代表監督の人選に結びついているのではないか?
それゆえ、その見方から検討を加えてみることで、ハリルホジッチという監督の戦略家・戦術家としての実態が垣間見られるのではないか? そう考えています。
そういった期待を足場に、2010年南アフリカW杯を目指した岡田武史監督の日本代表から振り返ってみます。
岡田前期=ミドルゾーン~敵陣、岡田後期=自陣
1998年フランス大会で日本代表を率いた岡田監督が再び指揮を執ったこの代表は、よく知られているように2つのコンセプトを持っていました。1つは南アフリカ大会本戦直前までのもの、もう1つは本戦でのものです。ここでは便宜上前者を「前期」、後者を「後期」とします。
まずは南アフリカ岡田体制前期の戦略と戦術を概観してみます。
予選から本戦直前までのこの代表は、ミドルゾーン敵陣側~敵陣を戦略的に占有することを目指していました。最初のタックルライン(プレッシングを開始するライン)を敵陣に設定し、ボールロスト後は素早い切り替え(ネガティブトランジション)を実行。高い位置で即座に積極的かつ前向きにプレッシングを仕掛け、即時の奪回を狙います。
ボールを奪取したら、そのレーンを中心にしたショートパスによるパスワークで、相手のカウンタープレッシングを突破。素早くゴール前に迫り、人数をかけたグループワークによる仕留めが目論まれていました。
ビルドアップ、ネガティブトランジション、プレッシング、ポジティブトランジション、ラストプレー、それら各局面で数的優位を保って、日本人選手の敏捷性やグループワークの能力を生かそうとしていたのも特徴です。
ところが、この前期のコンセプトはW杯出場レベルの相手には思うように通用しないということが、最終予選後の親善試合や大会直前の練習試合などから判明します。
そのため本戦では、エリア戦略を大幅に変更。タックルラインを自陣に下げ、ミドルゾーン自陣側~自陣深い位置にわたるエリアに相手を引き込む戦略を採りました。
敵陣での激しいプレッシングから攻撃をスタートさせることを前提にしていた前期とは異なり、ボールを回復する位置が低いため、相手ゴールまでの距離が長くなります。そのため、中央でボールを奪われて危険度の高いカウンターを受けるリスクを避け、可能な限りサイドでボールを持ち上がり、できるだけ最低限の人数――主に、1トップに抜擢された本田圭佑、両サイドの大久保嘉人、松井大輔の3人――でクロスまで持ち込み仕留める、ロングカウンター攻撃が志向されていました。
岡田監督の志向するサッカーは、この前期と後期で真逆に様変わりした、という見方が、一般的には定着しているようです。見た目上のプレー面では確かにそうで、妥当性のある評価と思われます。その一方で、仕留めの手段はロングカウンターになったものの、エリアの占有をどんな意図で行うかというエリア戦略、そこで何をなすべきか(とりわけトランジション、インテンシティ)という戦術面では見た目ほどの相違はなく、岡田監督の中では「ゲームを決めるための手段」が変わっただけで、そのため真逆とも言える転換を短期間で行えたと見ることもできます。
相手の長所と短所もよく分析していて、前期においても後期においても、そのエリア戦略で採ることが可能な作戦、攻撃手段で相手の弱いところをどう突くかが考えられていました。
問題は、占有を目指すエリアが高いか低いか、戦略レベルで「どちらか」に偏ってしまっていたこと。それゆえ戦術や攻撃手段も「パスワークによる崩しとショートカウンター」と「ロングカウンター」の、「どちらか」に限られるというサッカーになってしまい、そのことが戦い方の幅に大きく影響してしまっていたのです。
ザッケローニ=ミドルゾーン特化
南アフリカ大会後に就任したアルベルト・ザッケローニ監督もまた、ミドルゾーンにエリア占有の優先順位を置き、そこに最初のタックルラインを引いてボール奪取のため積極的なプレッシングを行う「攻撃的サッカー」を目指していました。
できるだけ高い位置で、できるだけ長い時間ゲームを進めることを戦略目標とし、日本人の特徴を生かしたグループによるパスワークを決め手として得点を狙う――。通訳の矢野大輔氏による著書『通訳日記』内で確認できるザッケローニの指導からは、「ポゼッション」というより「素早いパスワーク、グループワーク」を意識していたことが読み取れます。
その意図は、カウンター志向におけるものと本質的には変わりません。対応が難しくなるエリア(ミドルゾーン~ミドルゾーン敵陣側)で奪ったボールを、やはり相手が対応しづらくなるよう素早く展開しゴールに迫る。素早く「展開」するために依拠する手段が、グループによるパスワーク、日本人の俊敏さ、本田圭佑・香川真司らの技術だった、ということだったのでしょう。
ミドルゾーンで試合を進める意図は、岡田前期より強く意識されていました。それが「インテンシティ」の強調に繋がってもいたと思います。
チームの中核となる選手たちをある程度固定しスムーズな連係を磨くことで、特に良好なフィジカルコンディションが得られる状況下では、ザッケローニの日本代表の「インテンシティ」はかなりのレベルに達しており、岡田前監督が南アフリカ本戦で諦めた、ミドルゾーンを戦略的に占有するサッカー、素早いパスワークで仕留めるサッカーを実現していました。
ですが、そのコンセプトを先鋭的に追求するあまり、結果として「ミドルゾーンでインテンシティが高くボール奪取可能なサッカー」しかできないチームになってしまっていました。ミドルゾーンを戦略的に占有できればヨーロッパの強豪国とも互角に渡り合えるが、その優位性を得られない場合は、途端に脆弱となるチームだったのです。
ザッケローニ自身、試合ごとに対策をしっかりと打つ戦術家でもあったのですが、戦略面では「ただ1つのエリア、特定の戦略的な条件下」でしかチームに選択肢を与えられないという状態でブラジル本戦に臨むことになり、その戦略的可塑性の低さが仇となってグループステージ敗退の憂き目に遭ったと言えます。
日本代表強化の隠れた「一貫性」
■どこのエリアで戦うか、なぜそこで戦うか? 戦略的にエリア選択を行う。
■コンパクトな布陣の形成により戦略的エリア占有を行う。
■以下の手段によって戦略的エリア維持を行う――激しいプレッシング、迅速なトランジションの実装、高い走力、緊密なグループワーク、それらを続ける高いインテンシティ。
南アフリカW杯からブラジルW杯に至る日本代表には、こういった戦略面、戦略を実施するための戦術コンセプトにおいて一貫した方向性があり、その連続性は意識して維持されていたと言えます。この方向性は世界のサッカーの全体的なすう勢とも連動しており、間違ってはいません。期待通りの結果が得られずとも、維持されるべき戦略面での連続性でした。
次なる課題は、この連続性を維持しつつ「多様なエリアを占有可能な戦略」を持ち「状況に応じエリア戦略を変更できる柔軟性」を獲得すること。ハリルホジッチはまさにそれをもたらせる指揮官だと言えます。
ハリルホジッチの多彩なエリア戦略
「オーストラリアとのアウェイゲームと昨日の試合では、まったく違ったチョイスをしました。これは、戦術好きには面白い分析ができるでしょう。アウェイゲームではすごく深いブロックを形成しましたが、昨日はほぼ90分間を通じて高い位置でプレーしました。(中略)できるだけ高い位置でボールを奪い、フィジカル的に素晴らしい戦いを見せたと思います」(17年9月1日、オーストラリア戦翌日の記者会見)
ハリルホジッチは、日本代表を率いた数々の試合でも、アルジェリア代表を率いて戦ったブラジルW杯の4試合――ベルギー戦、韓国戦、ロシア戦、ドイツ戦――でも、相手との力関係、相手の長所とそれを生かすために冒しているリスク、短所、対戦時の彼我の勝ち点獲得状況など様々な条件を考慮し、それぞれ別個に最適化したエリア戦略を採用しています。このコメントに見られるように、同じチーム(オーストラリア代表)相手でも、状況に応じて異なるエリア占有を選択しています。
最終予選のオーストラリア戦2試合の内容をそれぞれ分析すると、確かに面白い現象が確認できます。アウェイとなった第1戦では自陣に主要なプレーエリアを置くエリア戦略で臨み、相手を引き込んで狙い通りのカウンターで先制。アウェイでの勝ち点1という最低限の結果を得ました。W杯出場を決定づける試合となったホームの第2戦で採用したのは、ミドルゾーン敵陣側でプレッシングを開始、可能な限りオーストラリア代表を不利な状態でミドルゾーンに押し込めるというエリア戦略でした。ポステコグルー(現横浜F・マリノス監督)が根づかせたポジショナルプレーを機能不全にするメカニズムも、この戦略には秘められていました。
これら2つのエリア戦略は、単にホームであるかアウェイであるかという条件以上に、おそらくW杯出場が決定するタイミングになるであろう2度目の対戦で確実にオーストラリア代表を叩き、勝ち点3を奪う。そのために彼らの戦略・戦術の骨格(ポジショナルプレー)に直接打撃を与える戦い方を温存しておく――といった、最終予選全体の流れを見据えたものでもあったのではないかと思えます。
本当にそうかどうかはハリルホジッチのみぞ知る、というところではありますが、もしそういった深謀遠慮の上での「異なったエリア戦略の駆使」であるならば、まさしく岡田~ザッケローニ以後に望んだ、「多様なエリアを占有可能な戦略」と「状況に応じエリア戦略を変更できる柔軟性」を日本代表は獲得しつつあると言えるでしょう。
純粋に可視的な事象としては、ハリルホジッチはこれまで彼が指揮してきた試合で、上の図に示すように大きく分けて4つのエリアを状況に応じ用いているのがわかります。
ハリルホジッチは適切なエリア戦略の選択、相手のやり方に応じた戦術の構想と実装、自チームの戦力を生かす「戦術的デュエル」の準備、それらを緊密に結びつける能力を備えた監督です。その能力は日本代表の強化戦略にも適合しており、前2大会で露となった課題を解決するに十分な期待を持てるものであると思います。
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