惨死した連行中国人の霊を慰める 新華社ルポ

8月 9, 2009

(中国通信=東京)東京8日発新華社電は、「強制連行され惨死した中国人の霊を慰める」と題するルポを配信した。内容次の通り。

本久寺は東京の台東区にある静かなたたずまいのお寺だが、8日朝はいつもの静けさとうって変わり、僧侶たちが早く起床し、祭壇を設え、中国から来た僧侶と一緒に読経して、60年余り前に日本に強制連行され、むごたらしく死んだ中国人の霊を慰めた。

お寺の外では、「世界平和を祈る・中国人俘虜殉難者慰霊法要」の横断幕が厳粛な雰囲気を漂わせていた。法要が始まる前から、お寺の周りの小道は、取材の記者や参拝の市民で身動きできないほどだった。

日本で殉難した中国人労働者のために中日両国が共同で法要を行ったのは初めて。立ち上る線香の煙と悠遠な鐘の音は人々を半世紀余り前に連れ戻した。

第2次大戦中、日本軍国主義は中国に対し大規模な侵略戦争を起こした。侵略者は抗日の軍民と罪のない庶民を強制連行して、日本で労役をさせた。そして無償の労働を強い、非人間的扱いをし、多くの死者と障害者をだした。

第2次大戦中、日本に強制連行された中国人の話になると、「花岡事件」に触れざるをえない。1945年6月30日夜、秋田県北部の花岡で、怒りを抑えきれない700人余りの中国人労働者が蜂起した。日本の当局は2万人の軍人・警察を出動させて鎮圧にあたった。酷暑の7月、中国人労働者は両手を縛られ、石畳の広場に跪かされ、3日3晩飲み物食べ物を与えられなかった。そのうえ罵られ、殴られた。数日後、広場一面に死体が横たわり、目を覆うほどの光景となった。

当時の惨状について、慰霊祭に参加した「花岡事件」の生存者、87歳の李鉄錘老人は目に一杯涙を浮かべ、何度も頭を振った。そして体を震わせながら言った。「実にむごかった、いまでもあの出来事は思い出したくない……」

中国人は死者の埋葬を重んじる。日本の華僑と日中友好人士はつねに中国人労働者の遺骨のことが気がかりだった。事件で犠牲になった中国人労働者の遺骨が60年前に花岡で発見されてから、日本の友人、朝鮮の友人と在日華僑は共同で、全国的範囲の、困難な遺骨探しの活動を始めた。その努力により、1953年から64年までに、中日国交正常化に先立って、連行中国人の遺骨が9回に分けて祖国に持ち帰られた。これらの遺骨は現在、天津市烈士陵園の「在日殉難烈士・労働者記念館」に安置されている。遺骨探しのために大きな努力を払った友好人士と在日華僑らは、周恩来首相の接見を受け、たたえられた。

この日、日中友好宗教者懇話会と中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会の入念な組織と手配の下で、強制連行された中国人殉難者の遺族70人余り、台湾の名士高金素梅氏の率いる少数民族の人々50人余りおよび中日両国各界の友好的人々100人余りが本久寺で行われた追悼慰霊行事に参列した。両国僧侶の読経の声が流れると、人々は感極まり、会場は嗚咽に包まれた。崔天凱駐日中国大使、江田五月参議院議長、中国仏教協会副会長の学誠・法師、斉暁飛中国国家宗教事務局副局長、郭長江中国紅十字会副会長らが慰霊祭に出席し、焼香した。

異郷で客死した中国人の魂が故郷に戻るようにと、主催者は中国の市民を組織して数千足の黒い布靴をこしらえた。そして8月9日、中国人遺族、友好人士、日本の熱心な市民と一緒に、これらの布靴を芝公園の芝生に並べて、死者の魂をなぐさめた。

崔天凱大使が慰霊祭で述べたように、人々は中国人殉難者の悲惨な境遇を振り返り、哀悼の気持ちを表すと同時に、侵略戦争の残酷さ、平和・友好の貴さを一層深く感じた。中日両国は共に、歴史を鑑とし、未来に目を向ける精神で、過去の不幸な歴史を正しく認識し、歴史が残した教訓を深く汲み取り、決して痛ましい歴史を繰り返させないようにすべきである。

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