2017年04月01日
創価伝説? そして戦争の気配……。
小説『人間革命』にある、戸田城聖の獄中の悟達は学会員なら、多くの人が知るところだろう。
しかし、今やネット社会。
それまで事実ともてはやされていたことが嘘であったと崩れ去ったことは山ほどある。
ともあれ、説明は割愛したいので、ここのページでも見てもらえればいいだろう。
ちなみに、後世になって展示された「牛乳瓶の蓋でつくった念珠」だが、牛乳瓶の蓋には「昭和52年製造」という印が刻まれていたそうだ。
レプリカならレプリカだと表示して展示すれば、ある部分では問題はないだろうが、そうした表記がなかったなら、これはもう詐欺といっていいだろう。
昨今の美術展などではそういう常識が一般化している。
問題の核心は、戸田が投獄されていた昭和18年~20年というのは、牛乳は統制下にあり、配給制になっていたということだろう。
この配給制は昭和23年まで続いていたとのこと。
つまり、差し入れするにしても、このような許可証がないと牛乳を入手することすら困難だったということになろう。
戦後はヤミなども横行したのだから、昭和18~20年であっても、牛乳を入手して差し入れはできたと考察することもできる。
だが仮に、差し入れできたとしても、当局の検閲があったことはまず間違いないのだから、それが戸田の手元に届いたかどうかはわからない。
ちなみに、私の調べた範囲になるが、当時の牛乳は現代人の抱くそれへのイメージとは相当違っていたようだ。
いわば薬品。極度の栄養失調などに対処する滋養薬、今でえば、医師からの処方箋があって、薬局で購入できるという感じになろうか。当時はそれが医師からの処方ではなく、政府・地方自治体からの許可・認可があって買えたと考えればいいだろう。
ちなみに、今では有名な戦艦「大和」「武蔵」の存在を国民が知ったのは戦後になってからというくらい、極秘が当たり前だった時代ですからね。つまりそれほど検閲が厳しかったということだ。
でも、現代も特定機密保護法があるので、極秘にしようと思えばいくらでもできるわけだ。
戦艦大和が、戦艦ではなく、架空の駆逐艦3隻と架空の潜水艦1/2隻を作るという予算要求をして、極秘のうちにも極秘に作られたというようなことは、特定機密保護法を利用すれば、今はあっさりそれが出来てしまうわけだ。
だから、駄目なんだと云ってきたんですよ。
その予算は国民の血税ですぜ。
そしてその大和が国民の生命財産を保護することに貢献したか考えてみればいい。
「日本はどうやらYAMATOとかいう戦艦つくってるらしいぜ。じゃあ対抗できる戦艦作るべよ」
そうして作られた米国の新型戦艦が沖縄をはじめ日本各地を艦砲射撃してまわったんですがね。
だから防備強化や安保法制などは、結果的にかえって害悪をもたらすから駄目だと云ってきたんですよ。
大和なんか作らなければ、そういうことにはならなかったわけだ。
話が脱線しまくりました――。
ともあれ、わたしが実際に経験した拘置所への差し入れからすると、「お金を差し入れておくのが一番いい」である。
なぜなら、拘置所にあっては、収監者が差し入れで手に出来るもの、あるいは買えるものが限られているからだ。
たとえどんなにこちらの善意で差し入れしても、当局が「これは不許可」とすれば、本人の手元には渡らないからというのが私の判断だったわけだ。
現代ですらこのようであるのに、かの悪名高き治安維持法の時代に、拷問死さえさせてきた特攻警察に牧口、戸田は逮捕されたわけだ。
普通に考えたら、『人間革命』での獄中の描写はねつ造だといえるだろう。
思想(宗教)犯として逮捕されたのに、その思想の根本であるような、法華経の差し入れを許されるものだろうか? 特攻警察とは、そんな甘いものだったのだろうか? そんなはずがない。
牧口のように、宗教色のないカントは別としても……。
ガンジーの場合、政治犯として収監されたことを鑑み、獄中からの手紙には政治に関する記述がされていないとのこと。
もっともこれだって、『獄中からの手紙』を編纂する段階で、そう編集されたものかもしれない。
しかし、そうであったとしても、ガンジーが書いたとされる手紙を書物という形であっても、公表している意味は大きいだろう。
さて、牧口、戸田の収監の件で、これまで創価はいかほどの事実を公表してきたのだろうか?
もちろんそれらはプライバシーに関わることなので、公開が必ずしも妥当だとはいえないが、ここまで大きくなった創価学会であれば、社会的公共性や公益性などを鑑み、公表できるものは公表していったほうが、創価学会としても社会から信頼を得られると思うのは、わたしだけだろうか。
もっとも宗教法人というのは、そういった部分すら自分達を良く見せられる、不透明な壁に囲われているわけで。
創価・公明が宗教法人法の改悪に断固反対したのには、そういう理由があったのだろう。
まあこの件、私自身の判断は当然のごとく黒。
池田氏のねつ造でしょうね。
もちろん、どう判断しようが、それはみなさんの自由ですがね。
言論・表現の自由のない世界を、小林多喜二などの数千の人々は、その身命をもって我々に警告してくれているのではないだろうか。
――共謀罪。
それ以外にも道徳の教科書検定で「パン屋」は日本的でないということで「和菓子屋」にされたり(日本全国の真面目に働いているパン屋さんを国家が侮辱したんですよ!)。
直近では、新学習要領が政治的恣意でもって改悪されたり、中学の武術に「銃剣道」――旧日本軍が三八式歩兵銃の先に銃剣をつけて白兵戦をしたあれ――を入れたりと、凄まじいまでの右傾化が進んでいるわけで……。
ん、まあ日本銃剣道連盟は、「銃剣道は近代的なスポーツ」だとかいってますけど、少なくとも私にはそう見えないんですがね。
そりゃ、フェンシングとかいうものだって昔は殺人の技術だったといえばそうですがね、あまりにもに行き過ぎた歪曲でしかないでしょ。そもそも銃剣道をやっているのがほぼ自衛隊だとか、教えるとしたら自衛隊などが教員を育成するしかないとかなのだから。それってもう中学に軍事教練を盛り込んだのと同じというレベルでしょうに。
もう呆れと笑いしかでてこないくらいの右傾化。
ともあれ、特定機密保護法、安保法案、そして共謀罪という流れは、結局のところ、米国に支配されている日本の実情を痛感するといったところだ。
2017年4月以降、米国政府とその軍隊は北朝鮮に先制攻撃をするかもしれないと騒がれている。
その場合の日本の立ち位置を考えると、国防強化、極右政権のあまりにもごりおしな法改正の流れに納得できる。
南スーダンからの自衛隊の急きょ撤退も、北朝鮮への先制攻撃と南スーダンで自衛隊員に死傷者が出ることが重なったなら、政権が瓦解しかねないという理由だろう。
北朝鮮による金正男の暗殺も、北側が米国に金正男を利用した傀儡政権を樹立させないための作戦行動だったのだろう。
米国、南北朝鮮、中国、ロシア、そして日本……。
複雑な様相をていしているのだが、万が一、北朝鮮が米国より早く先制攻撃をするとしたら(実際そういうこともありうると北は宣言している)、その標的に日本(在日米軍)が入っていることなど今さらいうまでもない。
昨今では、自民党をはじめとする極右勢力が「自衛隊にも先制攻撃権」が必要だなどと云いだした陰にはこうした一連の流れがあるのだろう。
だから安保法制は正しかったというんでしょ、創価・公明信者さんたちは。
いいや、それは違うと思いますけどね。
いつまでも自立できない日本の米国依存思想を払拭しない限り、何をやっても日本は奴隷状態なままだけということじゃあないんですか?
ようは、日本が米国の核の傘に守ってもらうようなことをしてこなければ、北朝鮮だって核を持とうとしなかったということですよ。悲しいかな、自己批判ができないんだな、この国の多くの人々は。そして嫌なことは周囲のせいにするという。
そこを見落としておいて、中国が朝鮮が軍事拡張していると他国のせいにしても、何もはじまらないのですよ。
そういうことを直視して、対米ケツ嘗め路線から脱却すべきなのです。
ああもう、書いていて絶望感が募るつのる……。
何にしても、日本人はあの戦争についての自己批判がなさすぎる。
すべてはそこに還元されるとさえいえると思う昨今だ。
あ、そうそう愚痴を少しばかり。
さようなら創価学会をここで宣言したとおり、聖教新聞と大白蓮華を三月末で解約しました。
エイプリル・フールだからって、これは嘘じゃないですからね。
(15年は知りあいだった)幹部に電話を入れたら、理由も聞かずに「はい、わかりました」でしたよ。
人間味・人情ってなんだろう? おもしれーって通話を終えたあと、爆笑しましたけどね。
まだ今後の身の振りをどうしたいかは伝えてませんが、ちゃんと伝えるつもりですよ。
私のほうは、除名でも何でも勝手にどうぞというスタンスですがね。
けど、御本尊は絶対に渡しませんけどね。
憲法にある信教の自由すら楯にしてそこだけは譲るつもりはないです。
俺が何を本尊にしようが、俺の勝手。あんまりひどい事云われたら、そう訴えるつもりですけどね。
この記事、なかなかいいですよ。
しかし、今やネット社会。
それまで事実ともてはやされていたことが嘘であったと崩れ去ったことは山ほどある。
ともあれ、説明は割愛したいので、ここのページでも見てもらえればいいだろう。
ちなみに、後世になって展示された「牛乳瓶の蓋でつくった念珠」だが、牛乳瓶の蓋には「昭和52年製造」という印が刻まれていたそうだ。
レプリカならレプリカだと表示して展示すれば、ある部分では問題はないだろうが、そうした表記がなかったなら、これはもう詐欺といっていいだろう。
昨今の美術展などではそういう常識が一般化している。
問題の核心は、戸田が投獄されていた昭和18年~20年というのは、牛乳は統制下にあり、配給制になっていたということだろう。
この配給制は昭和23年まで続いていたとのこと。
つまり、差し入れするにしても、このような許可証がないと牛乳を入手することすら困難だったということになろう。
戦後はヤミなども横行したのだから、昭和18~20年であっても、牛乳を入手して差し入れはできたと考察することもできる。
だが仮に、差し入れできたとしても、当局の検閲があったことはまず間違いないのだから、それが戸田の手元に届いたかどうかはわからない。
ちなみに、私の調べた範囲になるが、当時の牛乳は現代人の抱くそれへのイメージとは相当違っていたようだ。
いわば薬品。極度の栄養失調などに対処する滋養薬、今でえば、医師からの処方箋があって、薬局で購入できるという感じになろうか。当時はそれが医師からの処方ではなく、政府・地方自治体からの許可・認可があって買えたと考えればいいだろう。
ちなみに、今では有名な戦艦「大和」「武蔵」の存在を国民が知ったのは戦後になってからというくらい、極秘が当たり前だった時代ですからね。つまりそれほど検閲が厳しかったということだ。
でも、現代も特定機密保護法があるので、極秘にしようと思えばいくらでもできるわけだ。
戦艦大和が、戦艦ではなく、架空の駆逐艦3隻と架空の潜水艦1/2隻を作るという予算要求をして、極秘のうちにも極秘に作られたというようなことは、特定機密保護法を利用すれば、今はあっさりそれが出来てしまうわけだ。
だから、駄目なんだと云ってきたんですよ。
その予算は国民の血税ですぜ。
そしてその大和が国民の生命財産を保護することに貢献したか考えてみればいい。
「日本はどうやらYAMATOとかいう戦艦つくってるらしいぜ。じゃあ対抗できる戦艦作るべよ」
そうして作られた米国の新型戦艦が沖縄をはじめ日本各地を艦砲射撃してまわったんですがね。
だから防備強化や安保法制などは、結果的にかえって害悪をもたらすから駄目だと云ってきたんですよ。
大和なんか作らなければ、そういうことにはならなかったわけだ。
話が脱線しまくりました――。
ともあれ、わたしが実際に経験した拘置所への差し入れからすると、「お金を差し入れておくのが一番いい」である。
なぜなら、拘置所にあっては、収監者が差し入れで手に出来るもの、あるいは買えるものが限られているからだ。
たとえどんなにこちらの善意で差し入れしても、当局が「これは不許可」とすれば、本人の手元には渡らないからというのが私の判断だったわけだ。
現代ですらこのようであるのに、かの悪名高き治安維持法の時代に、拷問死さえさせてきた特攻警察に牧口、戸田は逮捕されたわけだ。
普通に考えたら、『人間革命』での獄中の描写はねつ造だといえるだろう。
思想(宗教)犯として逮捕されたのに、その思想の根本であるような、法華経の差し入れを許されるものだろうか? 特攻警察とは、そんな甘いものだったのだろうか? そんなはずがない。
牧口のように、宗教色のないカントは別としても……。
ガンジーの場合、政治犯として収監されたことを鑑み、獄中からの手紙には政治に関する記述がされていないとのこと。
もっともこれだって、『獄中からの手紙』を編纂する段階で、そう編集されたものかもしれない。
しかし、そうであったとしても、ガンジーが書いたとされる手紙を書物という形であっても、公表している意味は大きいだろう。
さて、牧口、戸田の収監の件で、これまで創価はいかほどの事実を公表してきたのだろうか?
もちろんそれらはプライバシーに関わることなので、公開が必ずしも妥当だとはいえないが、ここまで大きくなった創価学会であれば、社会的公共性や公益性などを鑑み、公表できるものは公表していったほうが、創価学会としても社会から信頼を得られると思うのは、わたしだけだろうか。
もっとも宗教法人というのは、そういった部分すら自分達を良く見せられる、不透明な壁に囲われているわけで。
創価・公明が宗教法人法の改悪に断固反対したのには、そういう理由があったのだろう。
まあこの件、私自身の判断は当然のごとく黒。
池田氏のねつ造でしょうね。
もちろん、どう判断しようが、それはみなさんの自由ですがね。
言論・表現の自由のない世界を、小林多喜二などの数千の人々は、その身命をもって我々に警告してくれているのではないだろうか。
――共謀罪。
それ以外にも道徳の教科書検定で「パン屋」は日本的でないということで「和菓子屋」にされたり(日本全国の真面目に働いているパン屋さんを国家が侮辱したんですよ!)。
直近では、新学習要領が政治的恣意でもって改悪されたり、中学の武術に「銃剣道」――旧日本軍が三八式歩兵銃の先に銃剣をつけて白兵戦をしたあれ――を入れたりと、凄まじいまでの右傾化が進んでいるわけで……。
ん、まあ日本銃剣道連盟は、「銃剣道は近代的なスポーツ」だとかいってますけど、少なくとも私にはそう見えないんですがね。
そりゃ、フェンシングとかいうものだって昔は殺人の技術だったといえばそうですがね、あまりにもに行き過ぎた歪曲でしかないでしょ。そもそも銃剣道をやっているのがほぼ自衛隊だとか、教えるとしたら自衛隊などが教員を育成するしかないとかなのだから。それってもう中学に軍事教練を盛り込んだのと同じというレベルでしょうに。
もう呆れと笑いしかでてこないくらいの右傾化。
ともあれ、特定機密保護法、安保法案、そして共謀罪という流れは、結局のところ、米国に支配されている日本の実情を痛感するといったところだ。
2017年4月以降、米国政府とその軍隊は北朝鮮に先制攻撃をするかもしれないと騒がれている。
その場合の日本の立ち位置を考えると、国防強化、極右政権のあまりにもごりおしな法改正の流れに納得できる。
南スーダンからの自衛隊の急きょ撤退も、北朝鮮への先制攻撃と南スーダンで自衛隊員に死傷者が出ることが重なったなら、政権が瓦解しかねないという理由だろう。
北朝鮮による金正男の暗殺も、北側が米国に金正男を利用した傀儡政権を樹立させないための作戦行動だったのだろう。
米国、南北朝鮮、中国、ロシア、そして日本……。
複雑な様相をていしているのだが、万が一、北朝鮮が米国より早く先制攻撃をするとしたら(実際そういうこともありうると北は宣言している)、その標的に日本(在日米軍)が入っていることなど今さらいうまでもない。
昨今では、自民党をはじめとする極右勢力が「自衛隊にも先制攻撃権」が必要だなどと云いだした陰にはこうした一連の流れがあるのだろう。
だから安保法制は正しかったというんでしょ、創価・公明信者さんたちは。
いいや、それは違うと思いますけどね。
いつまでも自立できない日本の米国依存思想を払拭しない限り、何をやっても日本は奴隷状態なままだけということじゃあないんですか?
ようは、日本が米国の核の傘に守ってもらうようなことをしてこなければ、北朝鮮だって核を持とうとしなかったということですよ。悲しいかな、自己批判ができないんだな、この国の多くの人々は。そして嫌なことは周囲のせいにするという。
そこを見落としておいて、中国が朝鮮が軍事拡張していると他国のせいにしても、何もはじまらないのですよ。
そういうことを直視して、対米ケツ嘗め路線から脱却すべきなのです。
ああもう、書いていて絶望感が募るつのる……。
何にしても、日本人はあの戦争についての自己批判がなさすぎる。
すべてはそこに還元されるとさえいえると思う昨今だ。
あ、そうそう愚痴を少しばかり。
さようなら創価学会をここで宣言したとおり、聖教新聞と大白蓮華を三月末で解約しました。
エイプリル・フールだからって、これは嘘じゃないですからね。
(15年は知りあいだった)幹部に電話を入れたら、理由も聞かずに「はい、わかりました」でしたよ。
人間味・人情ってなんだろう? おもしれーって通話を終えたあと、爆笑しましたけどね。
まだ今後の身の振りをどうしたいかは伝えてませんが、ちゃんと伝えるつもりですよ。
私のほうは、除名でも何でも勝手にどうぞというスタンスですがね。
けど、御本尊は絶対に渡しませんけどね。
憲法にある信教の自由すら楯にしてそこだけは譲るつもりはないです。
俺が何を本尊にしようが、俺の勝手。あんまりひどい事云われたら、そう訴えるつもりですけどね。
この記事、なかなかいいですよ。
コメント一覧
1. Posted by 大丈夫? 2017年04月10日 09:44
牛乳瓶の蓋が 昭和52年なんて 確証掴んでるの?
デマの50転伝 やめなよ
あぶないなあ
デマの50転伝 やめなよ
あぶないなあ
2. Posted by イプシロン 2017年04月11日 12:36
大丈夫?さん、いや、ちよさんとお呼びしたほうがいいんでしょうね。
タイピングの癖から、見る人がみれば簡単に見分けられるんでしょうね。
もう遥か昔のことに思えますが、多重ハンドルはもうやらないと、あなたは私に断言しましたよね。
今さら説明も求めませんが、要するにこういうとにろにあなたの本質が顕れてしまうんでしょうね。
裏表があり、平気で嘘をつくということ。
それ以前に、すでに幾人かが数度にわたって、あなたの文章読解力に問題があると指摘されていましたが、それも露呈しましたね。
私は「確証」などこれっぽちも示していませんよ。
そのような話、噂があるらしいと書いたまで。
それぞれがその事を自分の眼と頭で検証したほうがいいのでは? というのが記事の趣旨。
それをデマだと決めつけのがあなた。
だから、文章読解力に問題があると言われるんですよ。
タイピングの癖から、見る人がみれば簡単に見分けられるんでしょうね。
もう遥か昔のことに思えますが、多重ハンドルはもうやらないと、あなたは私に断言しましたよね。
今さら説明も求めませんが、要するにこういうとにろにあなたの本質が顕れてしまうんでしょうね。
裏表があり、平気で嘘をつくということ。
それ以前に、すでに幾人かが数度にわたって、あなたの文章読解力に問題があると指摘されていましたが、それも露呈しましたね。
私は「確証」などこれっぽちも示していませんよ。
そのような話、噂があるらしいと書いたまで。
それぞれがその事を自分の眼と頭で検証したほうがいいのでは? というのが記事の趣旨。
それをデマだと決めつけのがあなた。
だから、文章読解力に問題があると言われるんですよ。
3. Posted by イプシロン 2017年04月11日 12:36
創価学会が、昭和52年に打ち出した路線をきちんと知ったほうがいいですよ。
宗門に先に喧嘩を売ったのは池田氏であることがはっきりしてますから。
当時、俗(創価)が主、僧侶(宗門)が従と受け取られかねない発言を池田氏がしたことは事実ですよ。
「仏教史観を語る」がその証拠です。
また当時の聖教・大白では、池田氏の発言に不信感を抱いた宗門側からの質問等に対して、創価は行きすぎた発言があった、俗が主、僧が従と受け取られかねない発言には独善性があったと認めて、創価は謝罪してもいますよ。
創価のいうことだけが正しいという創価脳の方々に何を言っても無駄なのは知ってますがね。
でも、真実を語ることが私の正義ですから、そんなことはどうでもいいのです。
因果の法則ですよ。
先に喧嘩を売った結果の会長退陣だっただけです。
それをさも破門されたんだ! と絶叫して被害者ぶって宗門を今でもネチネチと貶しているのが創価なだけです。
かといって宗門も擁護できませんがね。
売られた喧嘩にムキになった大人げなさを見れば、どっちもどっち、どっちも中学生レベルだということです。
なぜかなら、どちらも相手に対して敬い(不軽菩薩の振舞い)が出来ていないからです。
また、他人のブログにきて、人のことをデマを拡散する人と決めつけてコメントする。まさに創価思想の独善性に洗脳された姿としかいいようがありません。
自分の発言に自信があるなら、きちんと「ちよ」と名乗ればいい。
それさえ出来ないあなたが、人を敬っているといえるか考えてみるといいですよ。
宗門に先に喧嘩を売ったのは池田氏であることがはっきりしてますから。
当時、俗(創価)が主、僧侶(宗門)が従と受け取られかねない発言を池田氏がしたことは事実ですよ。
「仏教史観を語る」がその証拠です。
また当時の聖教・大白では、池田氏の発言に不信感を抱いた宗門側からの質問等に対して、創価は行きすぎた発言があった、俗が主、僧が従と受け取られかねない発言には独善性があったと認めて、創価は謝罪してもいますよ。
創価のいうことだけが正しいという創価脳の方々に何を言っても無駄なのは知ってますがね。
でも、真実を語ることが私の正義ですから、そんなことはどうでもいいのです。
因果の法則ですよ。
先に喧嘩を売った結果の会長退陣だっただけです。
それをさも破門されたんだ! と絶叫して被害者ぶって宗門を今でもネチネチと貶しているのが創価なだけです。
かといって宗門も擁護できませんがね。
売られた喧嘩にムキになった大人げなさを見れば、どっちもどっち、どっちも中学生レベルだということです。
なぜかなら、どちらも相手に対して敬い(不軽菩薩の振舞い)が出来ていないからです。
また、他人のブログにきて、人のことをデマを拡散する人と決めつけてコメントする。まさに創価思想の独善性に洗脳された姿としかいいようがありません。
自分の発言に自信があるなら、きちんと「ちよ」と名乗ればいい。
それさえ出来ないあなたが、人を敬っているといえるか考えてみるといいですよ。
4. Posted by イプシロン 2017年04月11日 12:46
ついでにお話しておきますが、創価学会という宗教団体には教義というものがそもそもなかったのですよ。
教義は日蓮正宗のものを用いるという信徒団体であったので、実は宗教法人資格をとれたこと自体、ある部分では宗門あっての学会であったのです。
その恩を忘れ、俗が主、僧は従であり、お前らは俺らの供養で食っていけてるだけだろ。偉ぶってるとお仕置きするからなと慢心して走りだしたのが昭和52年なんですよ。
その先駆を切ったのが池田氏。
教義なんてありもしなかった学会が宗門と離れた。
本来独自の教義がない団体は宗教法人として認められない存在です。
で、必死になって会則変更しているわけだ。
まあ、創価思想の源流を辿れば、「価値論」になるのだが、それはあくまでも日蓮仏法を根幹としているのであって、執行部が決めた教義や会則ではない。妄信狂信会員はそういうことも考えないんでしょうがね。
そういうことすら知らないで創価は絶対といいはり、思い込んでいるのがあなたがたです。
見たくないもの何があっても見ない。可哀想です。
教義は日蓮正宗のものを用いるという信徒団体であったので、実は宗教法人資格をとれたこと自体、ある部分では宗門あっての学会であったのです。
その恩を忘れ、俗が主、僧は従であり、お前らは俺らの供養で食っていけてるだけだろ。偉ぶってるとお仕置きするからなと慢心して走りだしたのが昭和52年なんですよ。
その先駆を切ったのが池田氏。
教義なんてありもしなかった学会が宗門と離れた。
本来独自の教義がない団体は宗教法人として認められない存在です。
で、必死になって会則変更しているわけだ。
まあ、創価思想の源流を辿れば、「価値論」になるのだが、それはあくまでも日蓮仏法を根幹としているのであって、執行部が決めた教義や会則ではない。妄信狂信会員はそういうことも考えないんでしょうがね。
そういうことすら知らないで創価は絶対といいはり、思い込んでいるのがあなたがたです。
見たくないもの何があっても見ない。可哀想です。
5. Posted by 大丈夫? 2017年04月13日 16:09
わたくしは ちよさんではないです
あしからず
あしからず