2014年06月26日
青春対話(3)「優しさって何?」を読んだ。
【本日の実践】
・勤行・唱題90分。
・学2点の実践(『女性に贈ることば365日』『御書をひもとく』を音読)。
・『一生成仏抄』を音読拝読(13回目)。
・『立正安国論』を2ページ分、音読拝読。
傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや、円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。
・青春対話(3)「優しさって何?」を音読。
・筆写、夏目漱石『坊っちゃん』4ページ分)。
・一般書、A・C・クラーク『2061年宇宙の旅』を読む。
以下、青春対話(3)「優しさって何?」より抜粋。
「優しさ」というのは、「人間を人間として見る」「人間を人間として大切にする」ということではないだろうか。
着ている服でもない。太っている痩せているでもない。好みであるとかないとかではない。
ましてや肌の色や瞳の色の違いでもない。
経済力の差でもない。肩書でもない。役職でもない。その人の信じている宗派・宗教の違いでもない。
障害があるかないかでもない。心の病を患っているかどうかでもない。
子供が何人いるかとか、結婚しているとかいないとか、そんなことは関係ない。
ただ、素っ裸になったその人を見れるかどうか。
そういうことができる人が、優しい人なのではないだろうか。
『走れメロス』のラストシーンはどうなってますか?
素っ裸な男同士が、ぶん殴りあうんですよ。
「すまん! 俺は一度だけお前を疑った、殴ってくれ! でないと抱擁などできない」
「いや、おれもだ、おれもお前を一度疑った、おれのことも殴ってくれ!」
ボコっ! ガスっ!
抱擁シーン……。
(おいこら、はたで見てるほうの迷惑も考えろ! キモイんじゃー)
と、赤いローブが投げ入れられる。――終劇――
つまり、人前でやんな。一対一でやれ。なにげに太宰はそういうことも、最後の数行で言っている。
なかなか難しいことですけどね。
ありとあらゆる余計なものをとっぱらって、自分と相手を見るということは。
優しさとは、損・得を度外視した友情です。人が苦しんでいるほど、その人に愛情を持つ。「立ち上らせてあげよう」という勇気の心を与える。
人の不幸を、不幸として見つめつつ、苦しみをわかろうとする。わかち合おうとする。その中で、自分も成長していく。相手も強くなっていく。優しさとは、良い意味で“励ましの道場”です。
勘違いすべきではないこととしては、利他行為をしているから偉いということではないということ。
大事なことは、利他行為を「させて頂く」ことで、自分も幸せに「させて頂いている」という、
「感謝の心があるかどうか」だ。
こうした感謝を忘れたとき、人は慢心し、傲慢になるのだ。
そして、その傲りは、やがて退転へと自分自身を陥れるのだということ。
ついでなので書いておきます。
退転の三大要因は、「傲り」「焦り」「支配欲」、この3つだ。
それから、時と場合によるんですが、先生は――
苦しみを「わかろうとする」と仰せですよ。
わかるんじゃないんです。何度もここに書いてきたとおりです。
わかりはしませんからね。わかろうとするんです。
そしてそういう思いを与えてもらったら、感謝すること(これは私自身に言い聞かせているのだ)。
わかったと思うこと、わかったつもりになること、これが傲りなんですよ。
問い:自分が傷つくのがこわい、どうしたら?
相手の反応はわからない。自分の気持を素直に受けとめてもらえないこともあるでしょう。それどころか、ばかにしたみたいに笑われることもあるかもしれない。それでも、相手を責めてもしかたがない。恐れても、しかたがない。大切なのは、自分がどうしたいかです。自分の優しさに忠実に行動する勇気が大事なんです。
そして、相手の態度がどうであれ、思いきって行動したら、その分、自分が開けるんです。自分の中の「強さ」イコール「優しさ」が、ぐんと育つんです。
私などが言うべきことはひとつもない。
「大切なのは、自分がどうしたいかです」、これに尽きる。
あえて、もう一点追加するなら、「しかたがない」。
(仕方がない:どうすることもできない。ほかによい方法がない。やむを得ない。)
相手の顔色をうかがったり、ああいったらこう言われるかもしれない。
そうしたことはすべて妄想である。自分が自分の中で自分勝手に想像でつくりあげる産物だ。
言ってみなければわからない、それが真実だ。
ゆえに、対話こそが大切なのだ、第一声が、こちらから話しかけていく勇気こそが大切なのだ。
しかし、なんでもかんでも話しかければよいというのでもない。
相手が悩み苦しみ、誰かに声をかけて欲しい、もう進むことが出来ないかもしれない、
そういう空気を発しているなら、声をかけてあげることだ。
自分で考え、悩み苦しみ、悶絶しながらでも、自分の力で前に進んでいるなら、
余計なことを言うべきではない、惑わせるから――私はそう確信している。
そんなときは、黙って、ただそっと背中を押してあげればいいんだ。
ただ黙って、抱きしめてあげればいいんだ。
ただ黙って、頭をなでなでしてあればいいんだ。
牧口先生は言われている。
「友情にも三段階ある。一万円に困る友がいるとする。一万円やって救うことは小善、就職の世話をしてやることが中善、その友人に怠け心があって、それがわざわいするなら、金をやることや会社を世話することは、かえって悪心を増長させる。根本の悪である怠惰根性をとってやること、すなわち正しい信仰を教えることこそ真の友情である」と。
(中略)
諸君も大善――「大きな優しさ」の場合には、優しくした相手から、反対に憎まれたりするかもしれない。しかし、それでも相手の幸福を祈って、尽くしていくのが本当の優しさではないだろうか。
そして、その時はわからなくても、大誠実を尽くしておけば、きちんと信用が残るものです。
いつか、「あの人は、自分のことをこんなにも思ってくれたのか」とわかるものです。
私の目指しているのは、あくまでも大善である。
気迫を込めて話していくときは、常に大善であろうと心がけている。
だからといって、おいこらてめー! 的な言葉を言うかといえば、そうでもない。
TPO! TPO! TPO! はい、もいっかい! TPO!
すべてはTPOなんです。
いま・ここで・なにを・どういっていくべきか。
その時その時に、「真剣(まじめ・本気)」であるかどうか、自分に問いかけるだけです。
相手じゃないんだなぁ(笑)
もう何度も埋め込んでるけど、「なんどでも!」。
むかしの記事の【おまけ】
よいことを抜き書いているじゃないか、自分。
「孤独とは、他者と隔絶した独善ではない。魂の内奥の真実に近づき、それを伝えるため――
つまり、より深く誰かとつながるために要する孤独なのだ」だってさ。
そう、最近はこれが命でわかってきたから、孤独なんてちっとも恐くないんだなぁ。
こっから先はおセンチモードのおひとり様のつぶやきなので、
読まなくてもいいです。
うほ、懐かしい懐かしい。
ふるーいふるーいお友達に、花の名前を教えてもらった思い出。
その友だちがどうとかね、そういうことじゃないんだな。
その人と共有した時間は、今でも僕の中で生きている。
それを感じるのが嬉しいってこと。
教えてもらえたの嬉しかったなぁ。そういう気持ちを忘れないだけですよーだ。
佐藤さんとか田中さんとか……アハハ、ちょー懐かしい!
これ、わかる人はわかるんだよねー(笑)
田中さんかー、本物の田中さんに会いたいなぁ。
おっと! おセンチになってる場合じゃないぞー!
・勤行・唱題90分。
・学2点の実践(『女性に贈ることば365日』『御書をひもとく』を音読)。
・『一生成仏抄』を音読拝読(13回目)。
・『立正安国論』を2ページ分、音読拝読。
傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや、円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。
・青春対話(3)「優しさって何?」を音読。
・筆写、夏目漱石『坊っちゃん』4ページ分)。
・一般書、A・C・クラーク『2061年宇宙の旅』を読む。
以下、青春対話(3)「優しさって何?」より抜粋。
「優しさ」というのは、「人間を人間として見る」「人間を人間として大切にする」ということではないだろうか。
着ている服でもない。太っている痩せているでもない。好みであるとかないとかではない。
ましてや肌の色や瞳の色の違いでもない。
経済力の差でもない。肩書でもない。役職でもない。その人の信じている宗派・宗教の違いでもない。
障害があるかないかでもない。心の病を患っているかどうかでもない。
子供が何人いるかとか、結婚しているとかいないとか、そんなことは関係ない。
ただ、素っ裸になったその人を見れるかどうか。
そういうことができる人が、優しい人なのではないだろうか。
『走れメロス』のラストシーンはどうなってますか?
素っ裸な男同士が、ぶん殴りあうんですよ。
「すまん! 俺は一度だけお前を疑った、殴ってくれ! でないと抱擁などできない」
「いや、おれもだ、おれもお前を一度疑った、おれのことも殴ってくれ!」
ボコっ! ガスっ!
抱擁シーン……。
(おいこら、はたで見てるほうの迷惑も考えろ! キモイんじゃー)
と、赤いローブが投げ入れられる。――終劇――
つまり、人前でやんな。一対一でやれ。なにげに太宰はそういうことも、最後の数行で言っている。
なかなか難しいことですけどね。
ありとあらゆる余計なものをとっぱらって、自分と相手を見るということは。
優しさとは、損・得を度外視した友情です。人が苦しんでいるほど、その人に愛情を持つ。「立ち上らせてあげよう」という勇気の心を与える。
人の不幸を、不幸として見つめつつ、苦しみをわかろうとする。わかち合おうとする。その中で、自分も成長していく。相手も強くなっていく。優しさとは、良い意味で“励ましの道場”です。
勘違いすべきではないこととしては、利他行為をしているから偉いということではないということ。
大事なことは、利他行為を「させて頂く」ことで、自分も幸せに「させて頂いている」という、
「感謝の心があるかどうか」だ。
こうした感謝を忘れたとき、人は慢心し、傲慢になるのだ。
そして、その傲りは、やがて退転へと自分自身を陥れるのだということ。
ついでなので書いておきます。
退転の三大要因は、「傲り」「焦り」「支配欲」、この3つだ。
それから、時と場合によるんですが、先生は――
苦しみを「わかろうとする」と仰せですよ。
わかるんじゃないんです。何度もここに書いてきたとおりです。
わかりはしませんからね。わかろうとするんです。
そしてそういう思いを与えてもらったら、感謝すること(これは私自身に言い聞かせているのだ)。
わかったと思うこと、わかったつもりになること、これが傲りなんですよ。
問い:自分が傷つくのがこわい、どうしたら?
相手の反応はわからない。自分の気持を素直に受けとめてもらえないこともあるでしょう。それどころか、ばかにしたみたいに笑われることもあるかもしれない。それでも、相手を責めてもしかたがない。恐れても、しかたがない。大切なのは、自分がどうしたいかです。自分の優しさに忠実に行動する勇気が大事なんです。
そして、相手の態度がどうであれ、思いきって行動したら、その分、自分が開けるんです。自分の中の「強さ」イコール「優しさ」が、ぐんと育つんです。
私などが言うべきことはひとつもない。
「大切なのは、自分がどうしたいかです」、これに尽きる。
あえて、もう一点追加するなら、「しかたがない」。
(仕方がない:どうすることもできない。ほかによい方法がない。やむを得ない。)
相手の顔色をうかがったり、ああいったらこう言われるかもしれない。
そうしたことはすべて妄想である。自分が自分の中で自分勝手に想像でつくりあげる産物だ。
言ってみなければわからない、それが真実だ。
ゆえに、対話こそが大切なのだ、第一声が、こちらから話しかけていく勇気こそが大切なのだ。
しかし、なんでもかんでも話しかければよいというのでもない。
相手が悩み苦しみ、誰かに声をかけて欲しい、もう進むことが出来ないかもしれない、
そういう空気を発しているなら、声をかけてあげることだ。
自分で考え、悩み苦しみ、悶絶しながらでも、自分の力で前に進んでいるなら、
余計なことを言うべきではない、惑わせるから――私はそう確信している。
そんなときは、黙って、ただそっと背中を押してあげればいいんだ。
ただ黙って、抱きしめてあげればいいんだ。
ただ黙って、頭をなでなでしてあればいいんだ。
牧口先生は言われている。
「友情にも三段階ある。一万円に困る友がいるとする。一万円やって救うことは小善、就職の世話をしてやることが中善、その友人に怠け心があって、それがわざわいするなら、金をやることや会社を世話することは、かえって悪心を増長させる。根本の悪である怠惰根性をとってやること、すなわち正しい信仰を教えることこそ真の友情である」と。
(中略)
諸君も大善――「大きな優しさ」の場合には、優しくした相手から、反対に憎まれたりするかもしれない。しかし、それでも相手の幸福を祈って、尽くしていくのが本当の優しさではないだろうか。
そして、その時はわからなくても、大誠実を尽くしておけば、きちんと信用が残るものです。
いつか、「あの人は、自分のことをこんなにも思ってくれたのか」とわかるものです。
私の目指しているのは、あくまでも大善である。
気迫を込めて話していくときは、常に大善であろうと心がけている。
だからといって、おいこらてめー! 的な言葉を言うかといえば、そうでもない。
TPO! TPO! TPO! はい、もいっかい! TPO!
すべてはTPOなんです。
いま・ここで・なにを・どういっていくべきか。
その時その時に、「真剣(まじめ・本気)」であるかどうか、自分に問いかけるだけです。
相手じゃないんだなぁ(笑)
もう何度も埋め込んでるけど、「なんどでも!」。
むかしの記事の【おまけ】
よいことを抜き書いているじゃないか、自分。
「孤独とは、他者と隔絶した独善ではない。魂の内奥の真実に近づき、それを伝えるため――
つまり、より深く誰かとつながるために要する孤独なのだ」だってさ。
そう、最近はこれが命でわかってきたから、孤独なんてちっとも恐くないんだなぁ。
こっから先はおセンチモードのおひとり様のつぶやきなので、
読まなくてもいいです。
うほ、懐かしい懐かしい。
ふるーいふるーいお友達に、花の名前を教えてもらった思い出。
その友だちがどうとかね、そういうことじゃないんだな。
その人と共有した時間は、今でも僕の中で生きている。
それを感じるのが嬉しいってこと。
教えてもらえたの嬉しかったなぁ。そういう気持ちを忘れないだけですよーだ。
佐藤さんとか田中さんとか……アハハ、ちょー懐かしい!
これ、わかる人はわかるんだよねー(笑)
田中さんかー、本物の田中さんに会いたいなぁ。
おっと! おセンチになってる場合じゃないぞー!
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コメント一覧
1. Posted by ちよ 2014年06月26日 17:46
こんちわ
佐藤さん
本名が気になる(笑)
9月でしょ
クロッカスに似てるけど 違うだろうなー
自分の心で祈って
自分の心で 行動
間違えたら ごめんなさい
これでいいんじゃない?
佐藤さん
本名が気になる(笑)
9月でしょ
クロッカスに似てるけど 違うだろうなー
自分の心で祈って
自分の心で 行動
間違えたら ごめんなさい
これでいいんじゃない?
2. Posted by ポチ 2014年06月26日 19:22
イプシロンさん、ちよさん、皆様、こんばんは^^
昔は「優しさ」についてよく考えこみました。
自分を助けてくれるのも優しさ。
自分を突き放してくれるのも優しさ。
アレも優しさ、コレも優しさと…。
それでも自分の出した答えと
人の出した答えは同じではないしと考えながら。
優しさについて明快なものが
響いてくるような記事でした。
皆様、今夜も充実させてください♪
昔は「優しさ」についてよく考えこみました。
自分を助けてくれるのも優しさ。
自分を突き放してくれるのも優しさ。
アレも優しさ、コレも優しさと…。
それでも自分の出した答えと
人の出した答えは同じではないしと考えながら。
優しさについて明快なものが
響いてくるような記事でした。
皆様、今夜も充実させてください♪
3. Posted by イプシロン 2014年06月26日 22:18
ちよさん、こんばんわ。
師弟とは、師匠の言われるとおりに実践する。
それが弟子じゃないんですか?
私に聞かないでください。
答えはちよさん、あなたの中にしかありませんよ。
ポチさん、こんばんわ。
そうですね、自分を思って言ってくれることは、
ベクトルの向きが違っても優しさだと受け取るべきなんでしょうね。
なかなか難しいことでしょうが。
最後は自分。
その一点だけわかっていれば、
大丈夫なのではないでしょうか^^
ありがとうございます(^ー^)
師弟とは、師匠の言われるとおりに実践する。
それが弟子じゃないんですか?
私に聞かないでください。
答えはちよさん、あなたの中にしかありませんよ。
ポチさん、こんばんわ。
そうですね、自分を思って言ってくれることは、
ベクトルの向きが違っても優しさだと受け取るべきなんでしょうね。
なかなか難しいことでしょうが。
最後は自分。
その一点だけわかっていれば、
大丈夫なのではないでしょうか^^
ありがとうございます(^ー^)