神としてここで発信することはもう無いでしょう。
私は人として生きるために、この地球に生まれてきましたから。
人間の作り上げてきた決まりやあり方は、今後の変化の中で変えることを余儀なくされることで、人間自身が修正していくことになります。
ありのままで生きていくために必要な形が、時間をかけて作られていくでしょう。
人間一人一人が作っていくのです。
しかし、ツインレイのことは別です。
これは人間が語るべきことでも、作っていくものでもありません。
人として生きるために、本来は必要なものではないのです。
私と洋平が人間として生き始めた一回目の過去世から、多くの魂達の憧れが形になり、インターネットという環境を通して発信されるようになりました。
もうそれは必要ありません。
私と洋平も、今後は徐々にツインレイという言葉から離れていきます。神というものからも。
そして、人として生きる道を進んでいきます。
マルスやアポロンの魂を持つ者達も、私達と同じように神の魂を持ちながら、人として生きる道へ進むための進化を遂げている最中です。
ツインレイやツインソウル、ツインフレーム等の言葉は、人を惑わせる原因を作っているのですよ。
洋平はもう語る必要性を感じていません。
けれど私自身は、責任の持てない、根拠を説明出来ない不確かな情報を発信することが、いかに罪深いことかを知ってもらいたく、これを書いています。
私も洋平は、個として立った上で全てのことに責任を持ち、根拠を知り、行っていることです。
ただ、神としてのものはこれが最後です。警告は最後になります。
ツインレイという言葉は、不必要な逃げ場を作ってしまいます。
こういった存在を信じる方の多くは困難を経験し、心の救いを求めたり、共感してもらう場を求めたり、似た境遇の人からの認めを求めています。本人が気付いていなくても、潜在的にそういった欲求を持っています。
困難というものが、似た経験をしている多くの人を繋ぐのです。
恋愛、運命の存在というものを絡ませることで、救われてこなかった自分を満たしたいという欲求は膨れ上がり、人間ではあまり経験することの無い人体の不思議を経験することで、真実かもしれないと錯覚を起こしていきます。
ツインレイという言葉に、いつの間にか人は洗脳されていくのです。
宇宙の采配や配慮というものは存在しません。
人として人体を持って生まれた時から、人は人であり、人として様々なものを選びとり、自分を変化させながら、周りとも関わって生きていきます。自分の生き方は自分で決め、人の世界は人によって創られるのです。
私と洋平も人として生きる中で様々なことを学び、漸く共に生きられる形を見つけました。
私達が離れていたことで、表と裏の世界…人間と神の世界は分かれてしまい、人間は神に救いを求めるようになりました。
けれど人間は人間だけで、よりよい世界を創ることが出来るのです。神の助けなどなくても。
一人一人が持つ個性には、その力が眠っているのですよ。
常識にも概念にも、世の中の決めごとにも縛られない個性の中に、この星を豊かにする力が眠っているのです。
本来ならば家族で、友達同士で、恋人同士で、会社で、学校で、地域で本音をぶつけ合うことで本当の自分の姿を知り、望みを知り、誰が何を言おうと、常識から外れていようと、素直な気持ちのままで生きていく強さを身に付けたなら、誰の教えも認めもいらなくなるのです。
この世の中にある哲学や宗教等で語られているものすらも、そのような生き方を出来る人には必要なくなります。
ツインレイを語る者は、語った先の現実がどんなものかを見れていますか?
どのようなことが起こっているかを知っていますか?
自分にそのつもりはなくても、歪みを作っているのです。
夫や妻、恋人がいながらも、ツインレイ、ツインソウル等の相手に目を向けて、魂の繋がりだということを言い訳にし、現状を納得している者は多くいます。
本当に愛する人と出逢ったなら、その人と向き合っていくなかで、自分がどう進むかは自分が一番分かってくるのです。
愛する人に誠意ある自分を示したいなら、妻や夫、恋人に本心を語ることになるでしょう。子供がいたなら子供にも。
少なからず夫や妻、恋人に感謝する気持ちがあったなら、他に想う人がいる自分を偽れなくなるでしょう。
不思議な現状を経験したなら、それすらも伝えずにいられなくなるでしょう。
たとえ理解されることはなくても、そんな現実に恐れを感じても。
そして、自分の望むこと、愛する人の望むことに素直になり、心を近づけ、他の人や常識、概念等々の認めや称賛から離れて、私達はこれでいい、こうやって生きていくと思える日が来るでしょう。
裏の世界(神の世界)は魂ととても近い世界です。
ですから、それを人体で経験すると不思議な現象として現れたりします。魂の世界には距離も規制もないため、人体や人の思考では考えられないことは当たり前に起こります。
起こるからツインレイ、起こるから神、起こるから知っているのでは無いのですよ。
魂では当たり前のことなのです。
その魂の当たり前の世界に向かうということは、言い方を変えたなら人体を手放す方に向かっているということです。
宇宙はこうだから、ツインレイはこうだからと、そっちへ向かうということは、魂だけの世界に戻るということです。
魂の声を聞くというのは、魂に戻るのとは全く違います。
自分の本音を聞き、それに素直になるということです。
自分の中の一番見たくない、知りたくない恐れや怖さに気付き、弱い自分を知り、自分の程度がどれ程なのかを理解するということです。
それをした時に、人はむやみに他人に求めなくなります。強制しなくなります。教えなくなります。
自分が求めていい程度、教えられる程度が分かるようになるのです。
そんな自分になっていくことで、必要のない争いは減っていくのです。
人体を持って生きるためには、人として生きるためには、自らに問うべきことは沢山あります。
自分は何故こうするのか?
こうする必要は本当にあるのか?
自分を偽っていないか?
何かに縛られた思想や考えではないか?
誰かや何かの認めや賛同があることに安心していないか?
誰かに認められたり許されたことで、自分の行為を許していないか?
誰の賛同、称賛を得られなくても、これが自分なのだと行動に移していけているか?
自分自身に問いかけ、自分自身が偽らずに答えることで、本当の自分を知っていくことは出来るのです。
その先に、そんな自分を心から理解しようと、一緒にいたいと思い行動してくれる人がいたなら、それが心の寄り添い合える相手です。
ツインレイのことを中心にして物事を理解しようとすると、ゆくゆくは人体など必要のない所に行き着きます。
それは死を意味したり、精神の崩壊を意味するものでもあります。人ではなく神として生きたいという、神として愛し合いたいという欲求や憧れが起こす誤作動です。
人間である自分と魂である自分のバランスが取れた状態が理想の状態です。
けれど、どちらかに傾きすぎると精神に異常をきたし、結果的に肉体も破壊されていきます。
人は人として生きられるように、生まれた時から全てを持っています。
神の世界を受信した人もそうでない人も、等身大の生き方を手に入れたなら、人として幸せに生きることが出来、他人を非難することも、他人に求めすぎることも、他人の認めを必要とすることも無いのです。
ツインレイの発信によって収入を得ている人もいるでしょう。
自分の行いに責任を持ち、この先どんな変化が起ころうとも受け止め、他人からの批判を恐れることなく生きていけるなら好きにすればいいでしょう。
でもそうなった時、私も洋平も、神の魂を持つ他の者達も、あなた方を助けることはありません。
神は助けるのではなく現実を見せ、生き方を選ばせるだけです。人としてどう生きるか?を。
それが神から人間へのギフトなのですよ。