2014年06月20日
6月19日(木)晴時々曇
【本日の実践】
・勤行・唱題80分。
・学2点の実践(『女性に贈ることば365日』『御書をひもとく』を音読)。
・一生成仏抄を音読拝読(10回目)。
・公園ウォーキング3周。
・阿仏房尼御前御返事(1307ページ~)を音読拝読。
・筆写(『杜子春』芥川龍之介)#4。
・青春対話(2)「性格って何?」を音読。(2)は以上で読了。
昨夜は、朝またぎになるくらい、為すべきことをしていたので、寝たのは朝の7時を過ぎていました。
とある方からよせられた6つの質問。
それに丁寧に答えるために2時間以上もかけてメールを書いていましたからね。
で今日、起きてから、あらたに疑問が湧いたというメールを受信したので、
それに対しても、丁寧に質問に答えるメールを返信したわけです。
決して間違わないようにと、メールを返信する前に、40分の唱題をしました。
けど、それに対する相手の方の反応が、
「お前なんて死ね」というものだったということ。
それ以前にも、全魂を込めた激励のメール(これも2時間以上かかって書いたものです)
を送信しましたが、相手の方の手違いもあって、受信拒否され、届かなかったこともありました。
もちろん、今現在その方は、送信拒否してますので、メールは送れません。
何にしても、私に出来ることは、もう何ひとつありません。
どうせまた誤解されて、
イプシロンはクソ、人間のクズ。どうしようもない奴。
そう思われるんでしょうが、構いませんよ。
私がどういう心根で関わったかは、私自身と御本尊しか知りえないことですからね。
どんなに誤解されようが、憎まれようが、恐れられようが、全く気にもしません。
前にも書いた通り、私が泥をかぶればいいだけの話ですし、
私が悪者になればよかったということですからね。
ともあれ――
謗法は恐ろしい。
すでにそういうことを伝えておいたつもりだったのですが、残念です。
まあ、私はこれっぽちも腹は立ってません。もう慣れました。
「死ね」というコメントは、謗法をしている姿を多くの人の目に晒すことになるので、即削除しました。
ネット上で「死ね」、あるいは「死ねばいんじゃね」的なことを言われたのは、
これで3度目。
一度目は嫉妬から、二度目三度目は、まあ相手の中にある怒りだったんでしょうね。
なぜ、何度も死ね言われるかといえば、私は謗法を見逃さないで、突っつくからでしょう。
謗法にも軽重浅薄があるので、放っておいてもいいものもあります。
しかし、重いものは話が別です。
きちんと『阿仏房尼御前御返事』にもそうありました。
再度、そういうことを学び直そうと、
今夜は『阿仏房尼御前御返事』を拝したということです。
いふと・いはざるとの重罪免れ難し、云って罪のまぬがるべきを見ながら聞きながら置いていましめざる事・眼耳の二徳忽に破れて大無慈悲なり
弥(いよいよ)信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ず憎むべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是なり
此の度大願を立て後生を願はせ給へ・少しも謗法不信のとが候はば無間大城疑いなかるべし
聞いて聞かぬふり、見て見ぬふりをすると、
たちまち眼と耳が破れるとありますしね。
たしかに、気づいていてしばらくの期間、放置していたんですよ。
そのせいですかね、いま私の耳は、酷い耳だれを起しています。
まあこれは、私自身が過去世や現世で謗法を働いているせいもあるのでしょう。
(そういう意識はあるので、朝夕に、謗法罪障消滅を深く御記念しています)
それにしても、ちゃんと現証(耳だれ)が出てますので、大変に助かります。ありがたい限りです。
けれども、心は非常に安定しています。
物理的に時間を工面できなくて、今日の実践は不甲斐ない結果になりましたがね。
ともあれ、御書の通りに実践するしかありません。
弥(いよいよ)信心をはげみ給うべし
如説修行の人とは是なり
この御金言に従うだけのことです。
謗法罪障消滅。それへの御記念。
実はこれ、非常に重要なのですが、やってない方が多いようですね。
「若し人信ぜずして斯の経を毀謗(きぼう)せば即ち一切世間の仏種を断ぜん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」とは是なり(中略)
法華経を持ち信ずれども誠の色心相応の信者・能持此経の行者はまれなり
私は「まれ」であろうとしているだけのことです。
まれ 【稀】
実現・存在することが非常に少ないさま。また、数少なくて珍しいさま。「ここでは、雪は―だ」「たぐい―な才能」
この御本尊に力があるとは思えない=不信です。
学会員への悪口もありました。
あえて言えば、こういうことも言ってましたね。
実名を公表して、その人の内臓を抉り出して、踏みつけてやる。
まだ死んでないのか、早く死ね的なね。
おいおい、生命への冒涜じゃないんですか。
それが学会員に対してであっても、外部の人に対してであってもね。
生命尊厳の仏法じゃないんですか。
私が、病気持ちだから、精神的におかしくなったら、自殺するかもしれない。
そういうことも、ありえるかもしれない。
そう発言した時、鬼の首をとったみたいに大騒ぎして、
お前は生命を蔑ろにしてると、ぶっ叩かれまくりましたが、
心の病ファシズムだとか、言論テロだとか言われたわけですよ。
だが、とある人が上記したような発言をしても誰も注意しなかったんでしょうね。
見て見ぬふりだったんでしょうね。
そうした発言が謗法でないと言うなら、なにを謗法というんですか。
けどね、
恐ろしいのは、本人にその自覚がない点なんです。
だから、私はあえて厳しいことも言ったんですよ。
そして憎まれた。本望ですよ。
まあいいんです。私がどういう心根で関わったかを知れるのは、
私と御本尊だけなので。
ともあれ、残念であり、可哀そうなことです。
雲は陽光を遮るかもしれない。
太陽が輝こうとすれば、必ずそれを阻むものがある。
走る速度をあげれば、風の抵抗も増える。
前進とはそういうものである。
だが、見方によれば、雲は陽光によって光り輝いているように見える。
風は流れる汗を蒸発させ、清々しい気持にさせてくれるのだ。
ものごとは、すべて見方、受け取り方でなんとでも変わるのだ。
全てを感謝に!
全てを善知識に!
いざや前進!
・勤行・唱題80分。
・学2点の実践(『女性に贈ることば365日』『御書をひもとく』を音読)。
・一生成仏抄を音読拝読(10回目)。
・公園ウォーキング3周。
・阿仏房尼御前御返事(1307ページ~)を音読拝読。
・筆写(『杜子春』芥川龍之介)#4。
・青春対話(2)「性格って何?」を音読。(2)は以上で読了。
昨夜は、朝またぎになるくらい、為すべきことをしていたので、寝たのは朝の7時を過ぎていました。
とある方からよせられた6つの質問。
それに丁寧に答えるために2時間以上もかけてメールを書いていましたからね。
で今日、起きてから、あらたに疑問が湧いたというメールを受信したので、
それに対しても、丁寧に質問に答えるメールを返信したわけです。
決して間違わないようにと、メールを返信する前に、40分の唱題をしました。
けど、それに対する相手の方の反応が、
「お前なんて死ね」というものだったということ。
それ以前にも、全魂を込めた激励のメール(これも2時間以上かかって書いたものです)
を送信しましたが、相手の方の手違いもあって、受信拒否され、届かなかったこともありました。
もちろん、今現在その方は、送信拒否してますので、メールは送れません。
何にしても、私に出来ることは、もう何ひとつありません。
どうせまた誤解されて、
イプシロンはクソ、人間のクズ。どうしようもない奴。
そう思われるんでしょうが、構いませんよ。
私がどういう心根で関わったかは、私自身と御本尊しか知りえないことですからね。
どんなに誤解されようが、憎まれようが、恐れられようが、全く気にもしません。
前にも書いた通り、私が泥をかぶればいいだけの話ですし、
私が悪者になればよかったということですからね。
ともあれ――
謗法は恐ろしい。
すでにそういうことを伝えておいたつもりだったのですが、残念です。
まあ、私はこれっぽちも腹は立ってません。もう慣れました。
「死ね」というコメントは、謗法をしている姿を多くの人の目に晒すことになるので、即削除しました。
ネット上で「死ね」、あるいは「死ねばいんじゃね」的なことを言われたのは、
これで3度目。
一度目は嫉妬から、二度目三度目は、まあ相手の中にある怒りだったんでしょうね。
なぜ、何度も死ね言われるかといえば、私は謗法を見逃さないで、突っつくからでしょう。
謗法にも軽重浅薄があるので、放っておいてもいいものもあります。
しかし、重いものは話が別です。
きちんと『阿仏房尼御前御返事』にもそうありました。
再度、そういうことを学び直そうと、
今夜は『阿仏房尼御前御返事』を拝したということです。
いふと・いはざるとの重罪免れ難し、云って罪のまぬがるべきを見ながら聞きながら置いていましめざる事・眼耳の二徳忽に破れて大無慈悲なり
弥(いよいよ)信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ず憎むべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是なり
此の度大願を立て後生を願はせ給へ・少しも謗法不信のとが候はば無間大城疑いなかるべし
聞いて聞かぬふり、見て見ぬふりをすると、
たちまち眼と耳が破れるとありますしね。
たしかに、気づいていてしばらくの期間、放置していたんですよ。
そのせいですかね、いま私の耳は、酷い耳だれを起しています。
まあこれは、私自身が過去世や現世で謗法を働いているせいもあるのでしょう。
(そういう意識はあるので、朝夕に、謗法罪障消滅を深く御記念しています)
それにしても、ちゃんと現証(耳だれ)が出てますので、大変に助かります。ありがたい限りです。
けれども、心は非常に安定しています。
物理的に時間を工面できなくて、今日の実践は不甲斐ない結果になりましたがね。
ともあれ、御書の通りに実践するしかありません。
弥(いよいよ)信心をはげみ給うべし
如説修行の人とは是なり
この御金言に従うだけのことです。
謗法罪障消滅。それへの御記念。
実はこれ、非常に重要なのですが、やってない方が多いようですね。
「若し人信ぜずして斯の経を毀謗(きぼう)せば即ち一切世間の仏種を断ぜん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」とは是なり(中略)
法華経を持ち信ずれども誠の色心相応の信者・能持此経の行者はまれなり
私は「まれ」であろうとしているだけのことです。
まれ 【稀】
実現・存在することが非常に少ないさま。また、数少なくて珍しいさま。「ここでは、雪は―だ」「たぐい―な才能」
この御本尊に力があるとは思えない=不信です。
学会員への悪口もありました。
あえて言えば、こういうことも言ってましたね。
実名を公表して、その人の内臓を抉り出して、踏みつけてやる。
まだ死んでないのか、早く死ね的なね。
おいおい、生命への冒涜じゃないんですか。
それが学会員に対してであっても、外部の人に対してであってもね。
生命尊厳の仏法じゃないんですか。
私が、病気持ちだから、精神的におかしくなったら、自殺するかもしれない。
そういうことも、ありえるかもしれない。
そう発言した時、鬼の首をとったみたいに大騒ぎして、
お前は生命を蔑ろにしてると、ぶっ叩かれまくりましたが、
心の病ファシズムだとか、言論テロだとか言われたわけですよ。
だが、とある人が上記したような発言をしても誰も注意しなかったんでしょうね。
見て見ぬふりだったんでしょうね。
そうした発言が謗法でないと言うなら、なにを謗法というんですか。
けどね、
恐ろしいのは、本人にその自覚がない点なんです。
だから、私はあえて厳しいことも言ったんですよ。
そして憎まれた。本望ですよ。
まあいいんです。私がどういう心根で関わったかを知れるのは、
私と御本尊だけなので。
ともあれ、残念であり、可哀そうなことです。
雲は陽光を遮るかもしれない。
太陽が輝こうとすれば、必ずそれを阻むものがある。
走る速度をあげれば、風の抵抗も増える。
前進とはそういうものである。
だが、見方によれば、雲は陽光によって光り輝いているように見える。
風は流れる汗を蒸発させ、清々しい気持にさせてくれるのだ。
ものごとは、すべて見方、受け取り方でなんとでも変わるのだ。
全てを感謝に!
全てを善知識に!
いざや前進!