2014年07月29日
『青春対話�』良書との語らい
私は本を読まない人はあんまり信用しない。
んー、聖教とか大白とか学会書籍しか読まない人もあんまり信じたくない。
なぜかなら、思想・思索には、幅と奥行きが必要だと思うからだ。
別に本なんて読まなくても、学会活動で人に会ったりして人間交流してるから、必要ない。
浅い考え方だと思いますね。
果して、あらゆる人と本音で魂と魂の触発ができているとでも思っているのでしょうか。
そんなはずはないでしょう。ほとんどが表面だけのやりとりなんじゃないでしょうか。
ネットの交流も、まさにその表面上であることが多いと思います。
もちろん、そうじゃない関係も築けますが、極稀れなことでしょう。
だが、本は違います。
真剣に一切の妥協を排した良書の筆者は、それこを魂の叫びを文字にしているからです。
であれば、読むこちら側も真剣になれば、本音と本音のぶつかりあいができるのです。
それが読書です。
Q、本を読む時間がない
戸田先生は、言われた、「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」と。
「心に」です。“暇がない”という人は大ていに“心の暇がない”のです。読む気があれば十分、二十分の時間が作れないわけがない。
(中略)
苦労して作った読書の時間は、集中して読むのです。そのほうが漫然と読んでいるよりも、ずっと深く頭脳に刻まれることが多いのです。
Q、やっぱり長編や古典を読まなければ
ようするに、出版されて何年、何百年たっても読み継がれている本は名作、良書と思っていいでしょう。
Q、読書するために気をつけるべきこと
「書を読め、書に読まれるな」ということでしょう。(中略)
消化するには、自分で思索することが必要です。
一行でも二行でもいい。感想を「書いて」、思索しなければ残らないとも、先生は仰っている。
この感覚はとてもよくわかる。なにしろ私はここでずっとそういうことをしてきましたからね。
ただ丸写しだけと、自分なにり感じ入ったところを抜き書いて、それについて思索することでは、
天地雲泥の差があるということ。
読書メーターへの感想・レビューの投稿もやっと111件になった。
その本を読んでどこに感動したとか、つまらなかったとか、考えるわけですが、
基本私はある時期から、どんな作品であれ、良い部分を探すようになりました。
で、どこが良かったんだということを、きちんと言葉にして表現することで、
言ってみれば、褒め上手にもなれ、人の長所を見ぬく力もついてきていると、実感しています。
もちろん、その逆の力も養われていますから、
そりゃもうあなた、批判や皮肉を言うのも上手いですよ(笑)
ともあれ、感想を書くということで、どこに感動したかもそうであるが、
一冊の本を全体観で眺め、全ての内容を300字程度に納めるという力もついてきた。
本当にうれしいことに、読書メーターでは、私の感想が楽しみだというコメントも頂いたこともあるし、
感想をアップしたあと、読メフレが「読みたい本」に追加などしてくれると、感動する。
言葉は直接交わさないが、本を読む人というのは、
書き手の文章で何かを感じ取ってくれていると思えるのです。
んま、ブログなどでは、引用したり丸写しして終わり。
そういう人が多いみたいですけどね。
ま、私の知ったことではありません(笑)
私は私の道をゆくまでです。
他にも「三種の読み方」という大事なことを語ってくださっているので、
興味にあるかたは、青春対話を「ご自分で」読んでください。
ネット=インスタント、そうしたものでは力はつかない。
先生ははっきりそう仰っています。
あらゆることを随自意で行うことで、人格が陶冶されるということでしょう。
何度も言ってきたが、
しょせん、自分の頭で考えることが人間を「人間」たらしめるということだ。
そして読書とは、まさにそういう縁であるということ。
んー、聖教とか大白とか学会書籍しか読まない人もあんまり信じたくない。
なぜかなら、思想・思索には、幅と奥行きが必要だと思うからだ。
別に本なんて読まなくても、学会活動で人に会ったりして人間交流してるから、必要ない。
浅い考え方だと思いますね。
果して、あらゆる人と本音で魂と魂の触発ができているとでも思っているのでしょうか。
そんなはずはないでしょう。ほとんどが表面だけのやりとりなんじゃないでしょうか。
ネットの交流も、まさにその表面上であることが多いと思います。
もちろん、そうじゃない関係も築けますが、極稀れなことでしょう。
だが、本は違います。
真剣に一切の妥協を排した良書の筆者は、それこを魂の叫びを文字にしているからです。
であれば、読むこちら側も真剣になれば、本音と本音のぶつかりあいができるのです。
それが読書です。
Q、本を読む時間がない
戸田先生は、言われた、「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」と。
「心に」です。“暇がない”という人は大ていに“心の暇がない”のです。読む気があれば十分、二十分の時間が作れないわけがない。
(中略)
苦労して作った読書の時間は、集中して読むのです。そのほうが漫然と読んでいるよりも、ずっと深く頭脳に刻まれることが多いのです。
Q、やっぱり長編や古典を読まなければ
ようするに、出版されて何年、何百年たっても読み継がれている本は名作、良書と思っていいでしょう。
Q、読書するために気をつけるべきこと
「書を読め、書に読まれるな」ということでしょう。(中略)
消化するには、自分で思索することが必要です。
一行でも二行でもいい。感想を「書いて」、思索しなければ残らないとも、先生は仰っている。
この感覚はとてもよくわかる。なにしろ私はここでずっとそういうことをしてきましたからね。
ただ丸写しだけと、自分なにり感じ入ったところを抜き書いて、それについて思索することでは、
天地雲泥の差があるということ。
読書メーターへの感想・レビューの投稿もやっと111件になった。
その本を読んでどこに感動したとか、つまらなかったとか、考えるわけですが、
基本私はある時期から、どんな作品であれ、良い部分を探すようになりました。
で、どこが良かったんだということを、きちんと言葉にして表現することで、
言ってみれば、褒め上手にもなれ、人の長所を見ぬく力もついてきていると、実感しています。
もちろん、その逆の力も養われていますから、
そりゃもうあなた、批判や皮肉を言うのも上手いですよ(笑)
ともあれ、感想を書くということで、どこに感動したかもそうであるが、
一冊の本を全体観で眺め、全ての内容を300字程度に納めるという力もついてきた。
本当にうれしいことに、読書メーターでは、私の感想が楽しみだというコメントも頂いたこともあるし、
感想をアップしたあと、読メフレが「読みたい本」に追加などしてくれると、感動する。
言葉は直接交わさないが、本を読む人というのは、
書き手の文章で何かを感じ取ってくれていると思えるのです。
んま、ブログなどでは、引用したり丸写しして終わり。
そういう人が多いみたいですけどね。
ま、私の知ったことではありません(笑)
私は私の道をゆくまでです。
他にも「三種の読み方」という大事なことを語ってくださっているので、
興味にあるかたは、青春対話を「ご自分で」読んでください。
ネット=インスタント、そうしたものでは力はつかない。
先生ははっきりそう仰っています。
あらゆることを随自意で行うことで、人格が陶冶されるということでしょう。
何度も言ってきたが、
しょせん、自分の頭で考えることが人間を「人間」たらしめるということだ。
そして読書とは、まさにそういう縁であるということ。