俳優の斎藤工が「齊藤工」名義でメガホンを取った長編映画『blank13』です。長編監督デビュー作で、高橋一生さんを主演に迎え、監督自身も出演しています。

 

 

 

 

これまでショートムービーや、ドキュメンタリー作品を発表してきた齊藤監督。満を持しての長編監督デビュー作は、実話を基にした父と子の物語です。タイトルは父子が離れ離れだったブランク期間”13年”を意味しています。

 

 

 

上海国際映画祭で最優秀監督賞を受賞するなど、世界の映画祭で6冠! という快挙。それも納得の素晴らしい作品です。

 

 

 

 

〜あらすじ〜

(C)2017「blank13」製作委員会

 13年前に家を出て行った父の松田雅人(リリー・フランキー)が余命3ケ月で見つかり、その後、訃報が入る。喪主は長男のヨシユキ(斎藤工)。次男のコウジ(高橋一生)とコウジの彼女、サオリ(松岡茉優)も参列しましたが、母の洋子(神野三鈴)は欠席です。

家族にとって、一緒に暮らしていた頃の雅人は困った父でした。博打に明け暮れ、借金を繰り返し、アパートにやってきた借金の取り立て屋の怒鳴り声は幼い子供たちには恐怖でしかなく、母は朝から晩までいくつもの仕事をこなして常に疲れていました。

でもお葬式の参列者の言葉から、ヨシユキとコウジは父の別の顔を知る事になるのです。

 

 

 

(C)2017「blank13」製作委員会

 

 

みどころ①【家族に見せないもうひとつの顔、、】

 

 

映画の前半は借金を繰り返すいい加減な父と、振り回される妻と2人の子供たちという、困窮する家庭の状況が綴られます。長男のヨシユキも母も、当時は辛い思い出しかありません。

しかし、次男のコウジだけは違いました。余命わずかな父と対面し、子供の頃にキャッチボールした思い出が甦ります。その一方、学校でほめられた作文を雀荘にいる父に見せに行ったとき、後回しにされた苦い思い出も胸に突き刺さるのです。

ところが後半、父のお葬式にやってきた数少ない参列者から、父のもうひとつの顔が明らかになります。参列者は父に助けられて感謝している、いい人だった、やさしかったと語り、人助けのための借金があったこともわかります。

家でダラダラしていても、仕事に行ったら別人のようにシャキッとしていること、ありますよね。犯罪のニュースで近所の人が「あんな真面目でいい人が」というのも、同じこと。人は幾通りもの顔を持っているということなのです。。

 

みどころ②斎藤工を含めた、配役の妙

また、キャストも盤石だ。主演は、現在ブレイク中、破竹の勢いで突っ走っている高橋一生。いまが旬の同世代(高橋は1980年生まれ。斎藤は1981年生まれ)をメインに据え、自分は主人公の兄に扮するというバランス感覚も見事だ。

俳優が監督を務める場合、自身が出演するか否かという問題が常につきまとう。監督なんだから、とあえて出演しないという選択肢もある一方で、それでは商品価値が生まれないからと、開き直って出演する者もいる。

監督・齊藤工は、俳優・斎藤工を「物語の傍観者」として登場させることを選んだ。なぜなら、その立ち位置は、映画作品における監督のポジションに近いからである。

本作は、13年前に失踪した父親と主人公との「ふたつの再会」を描くが、この父親に扮しているのがリリー・フランキー。何もしていないように見えるのに、なぜか観る者の深層に確かな印象を残す名手だ。高橋とリリーの二人芝居を映画の見どころに設定し、俳優としての自身は目立ちすぎない位置に徹しているといった印象である。

 

③タッチの異なる”二部構成”が与える感慨

『blank13』の最大の野心は、なんとも大胆な”二部構成”という見せ方を採用している点にあるΣ(・□・;) いや、二分割という言い方のほうが正しいだろうか。。

 

 

と、いうのは、前半のタッチと、後半のタッチが大きく違う点にある。いや、描かれていることも違うし、視点も違う。ネタバレに抵触するので、詳しく書くことは慎むが、後半こそ齊藤監督が「本当にやりたかったこと」なのではないかと思わせられる。

前半は、父と息子の距離感を、綯い交ぜになった愛憎もろとも丁寧に描いている。高橋のピュアさも、リリーのナイーヴさもうまくハマっており、これは正統派の感動作だとほとんどの人は考えるに違いない。だが、この作品が目指していたのは、ありきたりの感動ではなかった。

少年時代と現在とを行ったり来たりしていた前半から一転、後半はほぼワンシチュエーション・ドラマと化す。画面の中心に居座るのは、前半では登場してこなかった人物たちばかりであり、高橋一生も、斎藤工も、そしてリリー・フランキーも傍観者になる。

物語の中心にいたはずの存在が、傍観者になること。おそらく、これこそが齊藤監督の目論みであろう。傍観者には傍観者だからこそ表現できる感動があるということ。後半は実にコミカルなタッチで(ときに、脱力するほどに)その真実を伝える。

前半と後半は、酒の席で例えるなら、1軒目、2軒目ほどに異なる(笑)

酒も、料理も、店の人格もまるで違うのだ。だが、2次会は、1次会がなければ成立しない。1軒目の酔いがあるからこそ、2軒目には味わいが生まれる。人生も、家族も、記憶も、きっとそのようなものかもしれない。「拍子抜け」する構成に直面しながら、気がつけばわたしたちは、そんな感慨にひたっているのである。

 

 

 

 

〜まとめ〜

 

(C)2017「blank13」製作委員会

 

『blank13』の上映時間は70分。長編というより中編に近い上映時間だが、この分数選択がまず鮮やかだ。多くの劇場公開映画は90分から120分程度であり、それが映画の基準とされている。150分を超えれば大長編の枠組みに入り、3時間にも達するともうそれだけで力作のお墨付きが得られるだろう。

 

 

70分というのは「習作」めいた印象がある。自主映画では珍しくない尺ではあるが、一般的な観客が「新人監督の長編デビュー作」を観に行った場合、やや拍子抜けする分数なのではないだろうか。身構えて劇場に向かったら、「あれれ?」と思うような短さである。だが、この「拍子抜け」こそが、監督、齊藤工の狙いなのだとすると相当面白い。。 俳優としての出演作も多く、忙しいとは思いますが、ぜひまた齊藤工監督として映画を作ってほしい。齊藤監督の映画がもっと見たくなる、そう思わせる力が本作には宿っているのです映画監督・齊藤工の今後が楽しみで仕方がない✨