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おかしな転生 作者:古流 望

第20章 片思いにはラズベリーを

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182話 聖国の思惑

 一人の聖職者が、羊皮紙を見つつ言葉をもらす。

 「ほう」

 短くも、感情の込められた言葉だった。

 先日、神王国の外務貴族であるコウェンバール伯爵が、聖国を訪れた。手紙はその時の手土産。ついこの間までドンパチしていた国からの使者だ。何をしに来たのだと警戒する者は多かったが、使者の用向きは中々面白いものだった。

 グリモワース枢機領を治めるアドビヨン枢機卿の手には、そのコウェンバール伯爵から預かった手紙があった。
 巻いた羊皮紙に押されていた封蝋の家紋は、神王国ボンビーノ家。面白い、とニヤついたのも、理由あってのことだ。

 「猊下、手紙ですか?」
 「ああ」

 枢機卿の傍にいた男が、何気なく尋ねる。男の名は、ビターテイスト=エスト=ハイエンシャン。アドビヨン枢機卿の懐刀とも言われる実力者であり、傍に居たのは偶々だ。
 すらりと伸びた背に、がっしりとしつつも引き締まった筋肉の鎧。燃えるような赤毛の髪に、精悍な顔立ち。一見すれば騎士のように見えなくも無いが、彼は聖国屈指の魔法使いである。

 「何処からのものです?」
 「神王国からだ」
 「神王国?」

 聖国と神王国は、ついこの間まで戦争していた。幸いなことにアドビヨン枢機卿率いる聖国海軍が侵略者を追い返すことに成功し、国を守ったのだ。
 その、戦争の相手国が神王国。レーテシュ家を始めとする諸家連合軍が、大軍をもって攻めてきた。ビターもその時参戦しており、聖国の要として戦い、聖国の防衛成功に大きく貢献している。

 「神王国のコウェンバール伯爵が届けに来たそうだ。手紙の差出人は、ボンビーノ家だ」
 「ボンビーノ……ああ、あの」

 ビターは、どこかで聞いたことのある家名だと記憶の中を検索した。幸いにしてそれはさほど難しいことではなく、思い当たる家があった。

 「先の戦いでは、唯一まともに海軍を動かしていたところだな。全く、奴らがいなければ敵国の海軍を壊滅させてやれたものを」
 「よく訓練された連中でしたね。操船は、神王国軍の中でも一番だった」
 「ふん」

 敵の状況を客観的に分析することと、敵を評価することとは違う。分析は単なる事実の積み重ねだが、評価とは主観的なものだからだ。
 枢機卿も、聖職者とはいえ人の子。劣勢の戦いを強いられたことに不快感があり、また身内だけしかいないこの場では、不満を隠す必要もない。鼻息一つで、自分の心境を表す。

 自分の上司が、機嫌を悪化させるような話題を続けるべきではない。
 ビターはそう判断し、話の本題を聞くことにした。

 「その連中、一体何を言って来たのですか?」
 「笑えるぞ」

 そう言って、枢機卿はビターに手紙を渡して見せた。
 羊皮紙が、巻き癖をつけられてくるんとなっている。丁寧に伸ばしながら見てみると、確かに面白いと表現するに足るだけの内容が書いてあった。

 「……モルテールンとの婚約披露?」

 手紙の中身は、ボンビーノ子爵ウランタと、モルテールン家令嬢ジョゼフィーネが婚約するにあたり、お披露目をするという内容だった。そして、出来れば聖国の方々にも出席して頂きたいと書いてある。よくもまあ抜け抜けと書いて寄越したものだと、笑いたくなる。
 だが、内容そのもの。いや、正しくは書いてある名前は、笑い飛ばすわけにはいかない重みがあった。

 モルテールン男爵家。
 二十数年前の戦争では神王国の奇跡的勝利に貢献。聖国では首狩りの名で知られる、忌々しい名だ。先の海戦でも勝利を決定づける働きをしたのがモルテールン。ある意味、神王国で最も警戒するべき名。

 「ああ。手ごわい連中が手を結んだ。実に忌々しい話だな」
 「しかも、披露の宴に、我々を招待、ですか」
 「あの連中の政略結婚を、我々に祝えだと。どうだ、笑えるだろう」
 「そうですね」

 はははと笑った枢機卿とビターであったが、枢機卿の方の笑いには、自嘲めいた部分があった。向こうは色々と手を打ってきているが、自分たちは国内の意思統一すら怪しい状況。自嘲の一つもでるだろう。

 救いがあるとするなら、政略結婚というにはまだ気が早く、婚約を内外に発表するという段階であることだろうか。婚約を発表するということは、お互いに最後の結婚まで進める意思を強く持っているということだが、さりとて婚約は婚約であって、結婚ではない。覆えそうと考える者が居たなら、決して不可能ではない。つまり、この両家の結婚が成立しない可能性もまだまだあるということだ。モルテールン家にしろボンビーノ家にしろ、忌々しいと感じている枢機卿にしてみれば、まだ婚約の段階であるというのは、ある種の救いであり、一縷の望み。

 しかし、モルテールンとボンビーノの両家が結びつきを強めることは間違いなく、何もせずにただ黙ってみておくには影響が大きすぎる内容。どちらか片方だけでも厄介な敵が、強く結び付くというのは、不快を通り越して危険。聖国の国政の一翼を担う立場としても、一つの管区を預かる責任者としても、また一人の聖国人としても、目障り極まりない情報。

 「で、どうします?」

 どうするのかと問うたビターの質問には、幾つかの選択肢が含まれている。
 当然、枢機卿はその選択肢の内容を全て分かっているわけだが、これもまた悩ましい。
 敵国の有力な家が、権勢を増そうとしているのだ。聖国の重鎮としては、邪魔をすることも選択肢の一つ。検討して当り前の手段。

 最も強硬で乱暴な選択肢ならば、当事者の誰かの暗殺を謀る、というものがある。両家の結びつきが、聖国として絶対に認められない、国の存亡に関わるほどの危機的状況だ、となれば、この手段を選ぶ可能性もあった。
 政略結婚には駒となる男女のペアが必要。結婚適齢期の人間の数には限りがあるわけで、ましてや直系となると尚更。どちらか片方だけでも“不慮の事故”があれば、それだけで政略結婚を潰す、或いは有名無実化出来る。
 或いは殺さないまでも毒を盛るという方法もある。単なる体調不良の誘発ならば治療の手段もあるが、この世界には、人間の生殖機能を不可逆な形で壊す毒も存在している。つまり、女の方を子供の産めない体にすることも出来る。子供が生まれなければ、仮に当代では強力に結びついていたとしても、世代交代の時期には結びつきが弱まる。また、政略結婚が有用であるほど、つまりはお家の勢いが強まるほど、跡を継ぎたいという有象無象の欲望を刺激するだろう。
 お家の存続を危ぶませ、将来のお家騒動の種を撒くという意味では、有用な謀略である。
 問題があるとすれば、この手の陰険な行為を、ビターという男がかなり強く嫌っており、また聖職者という立場上、絶対に秘密裏に行わねばならない事だろうか。また今回のように、外国で活動できる人員は皆無に近い希少な人材。捕縛されるか、撃退されると、損失の額は膨大なものになる。
 要は、ハイリスク、ハイリターン。

 また、そこまで乱暴でないにしても、風聞を流したり、神王国内の対聖国穏健派に働きかけて反対運動をさせたり、ということも手段の一つだ。聖国と神王国は戦争したとはいえ、平時には多少の交流もある。貿易で利益を得ている領主であったり、賄賂を受け取っている貴族であったりと、聖国の利益を神王国内で代弁してくれる貴族は数人存在する。彼らが積極的に動けば、例の二家の婚約を妨害することが出来る可能性もある。
 問題があるなら、間接的なアプローチはどうしたって成功率も下がるし、此方の思惑通りには動きにくいという点。やらないよりは遥かに良いが、期待しすぎるのも良くない。

 はたまた、直接的に当事者の元に出向き、適当な手土産でこの話を白紙にするよう交渉する、というのも可能性として有り得る。これが一番穏健かつ成功率の高い方法だが、問題があるとするのなら、直接、面と向かって対峙する分、交渉における敵意や損失を、枢機卿が直接被ることになるだろうということ。つまり、失敗した時に知らぬ存ぜぬが通用しないということだ。また、交渉材料も自分たちが持ち出しになる。労多くて功少なし、という割に合わない結果となる可能性は高い。

 有力な敵同士の結びつき。座視する手はない。だが、どういった手段で対抗するかが問題だ。

 「……ビター、お前が先方に出向いてくれるか?」
 「それは、交渉の為ですか?」
 「いや。純然たる祝いの使者としてだ」
 「ほう、左様ですか」

 だが、枢機卿は、それら婚約反対に動く手段の全てを棚上げし、婚約賛成の立場に立つという。それも、かなり強烈に支持するという立場を表明していた。
 枢機卿の切り札であるビターを派遣するというのは、それほどのことなのだ。

 「理由をお聞きしても?」
 「この手紙が本当であれば、ボンビーノ家の相手はモルテールン家だ。あそこの家の牙が、うちに向くことだけは避けたい」
 「なるほど」

 ビターは、枢機卿の言葉で一人の少年を思い出した。銀髪で生意気な少年。自分と同じく、神から魔法という才能を与えられた神童。武腕も確かであり、その上頭も良い。敵にすれば、かなり手ごわい相手である。ましてモルテールンには、息子だけでなく父親も居る。どこへなりと飛び回れる首狩りの異端者は、敵にしたが最後、安眠することが出来なくなる。理不尽を煮詰めて煎じると、モルテールン親子になるのだ。
 勿論、聖国に対モルテールンの対抗策が無いわけでは無い。元より聖国には魔法戦力が充実しており、モルテールン家と相性の良い魔法を持つ者も居る。他ならぬビターテイストがその筆頭だ。
 手ごわい相手を敵にしたくないという点には同感だが、対抗策があるのに下手(したて)に出る必要はない。その点が、ビターにとっては不自然に思える点だった。

 「それに、この婚約が成婚まで結びつくとするなら、我々が介入する隙が生まれる」
 「と言いますと? ……いえ、想像がつきました」
 「相変わらず察しが良いな」

 ビターが思い至った隙とは、神王国南部で一番の難敵たるレーテシュ家に対抗できる、神王国の隙のこと。レーテシュ領はグリモワース枢機領とは海を挟んでお向かいさんであり、要は主敵だ。
 この伯爵家が発展すればするほど、鏡合わせのようにして存在するグリモワース枢機領は、圧迫と閉塞の度合いを強めることになる。特に、最近では海戦で苦汁をなめたこともあり、軍事的にも劣勢は明らか。
 しかし、神王国南部に、もしもモルテールンとボンビーノの連合という対抗軸が生まれたなら、上手く煽ればレーテシュ家の力を削げるのではないだろうか。連合の両家と、レーテシュ伯家は、多くの権益で反目する間柄なのだから、一方が伸びればもう一方は割を食うはず。
 或いは、モルテールン・ボンビーノ連合とレーテシュ家を反目させ、両陣営を同時に弱体化させることも可能かもしれない。敵を敵にぶつけて相争わせる。敵の敵は味方。こうなれば最良。枢機卿という地位は伊達ではなく、酔狂で最前線を任されているわけでは無い。発想を柔軟に持てる点で、頼もしい人材である。

 この策を成功させるカギは、ボンビーノ家にある。防諜体制の整ったレーテシュ家や、智謀の精鋭部隊たるモルテールン家では、こちらの思い通りに動いてくれる可能性は低い。だが、ボンビーノ家であれば当主はまだ若輩。飛び抜けた豪傑も、ずば抜けた賢人も居らず、質が悪いとまでは言わないが、粒ぞろいとも言い難い人材が多い家。付け入る隙は、十分にある。
 ボンビーノ家を上手く動かそうとするならば、やはり面と向かって知己を得て、伝手を作っておくにこしたことは無い。今回の婚約が妨害し辛いと見て、将来の布石を打つために利用しようという思惑だろう。
 ここまでは、ビターが即座に看破した内容だ。

 「私が動かせる者の中で、多少の道理が見えて居る者は、殆どが重要な仕事に就いている」
 「そうですね。思い当たる方々も皆、容易に交代し辛い仕事をされてます」

 聖国の、対神王国最前線の管区。国でも屈指の武闘派であり、海軍を指揮させれば右に出る者はいないというのが、アドビヨン枢機卿の為人(ひととなり)
 部下にも優秀な者は多く、ビターも一目置く賢人、豪傑が幾人も居る。だが、そういう優秀な人物を、遊ばせておくはずもない。今も難しい仕事をこなしている者でもあるのだ。
 仮に誰か一人でも動かすのならば、調整作業に相当の手間がかかることは明らか。

 「今、唯一自由に動かせるのは、お前だけだ。頼めるか?」

 優秀であり、枢機卿の思惑を遺漏なく読み取り、察して動ける人物。そんな人間を余らせるほど、最前線は暇ではない。ただ一人の例外は、枢機卿の護衛を兼ねているビター。
 護衛力を数で補い、枢機卿自身が安全な場所から動かないという条件ならば、ビターは自由に動けるようになる。

 「それは構いません。が、私一人で行きますか?」
 「いや。どうせならもう一人、補佐を付けたい。お前の魔法は特殊だからな。帰ってこられなくなると困る」
 「そうですね。では誰を?」

 誰を選ぶか、という質問に、枢機卿は少し渋い顔をした。国内のゴタゴタが続いている現状、動かせる手駒は恐ろしく少ない。

 「あまり他所に借りを作りたくない。となれば、選択肢が限られる。不本意だろうが、リジィを補佐につけようと思う」
 「あのじゃじゃ馬ですか? 外国での特殊な任務には、向いていないのでは?」

 リジィ=ロレンティ。まだ年若く、また生来の気質からはねっ返りと評される女性の魔法使い。能力の相性的な問題でビターとセットにされることが多く、本人もビターのことは憎からず思っているという間柄。ビターにその気は一切ないのだが、リジィの側からはちょくちょくアプローチがある。
 気分屋であるが、魔法の腕自体は確か。というより、魔法の腕のみで聖国に立場を築いたという人物。
 ビターなどは大抵のことは何でもそつなくこなせる万能屋だが、リジィは魔法特化の一芸職人。彼女に、敵地での外交工作など出来るはずもない、というビターの指摘は正しい。
 だが、そんなことは枢機卿とて百も承知。

 「分かっている。だが、婚約披露への祝いの使者、つまりは友好親善が目的の使者である以上、少人数で行かざるを得ない。少数でも不安なくお前を送り出そうと思えば、あの娘の魔法は役に立つ」
 「争い事にはめっぽう強い魔法ですから、おっしゃりたい意味は分かります」
 「大変だろうと思うが、上手く手綱をとってやってくれ」
 「承知しました。謹んで拝命いたします」

 聖国の使者団がボンビーノ子爵領に旅立ったのは、それから三日後のことだった。
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