「危機の美術批評をめぐって」   藤枝晃雄 インタビュー


美術批評に何が起こったか

──最近、美術の世界では、アニメ風ポップ・アート作品に異常な人気が集まるかと思うと、他方で6,70年代の現代美術、たとえばモノ派などが再評価されたりと、なんだか混沌としてますね。そんな中でいま、美術批評の方はどうなっていますか。

 美術批評が世界的に危機的状況にあるということで、近年、「オクトーバー」という雑誌でのシンポジウムとかラファエル・ルビンスタイン編の『批評の混乱』、ジェームズ・エルキンズ『美術批評に何が起こったか』や、この人とマイケル・ニューマンが共著した『批評の状況』という本が出版されています。
 でも「世界的な危機だ」というのは欧米人が勝手に言っていることで、彼らは日本の事情を知っているわけではないんです。そもそもわが国のように危機の意識がないところでは危機はありえません。それ以前に僕は美術の批評そのものがあったとは思えないのです。
 わが国の批評史を検討したことはありえませんが、少なくとも現代美術の場合に限って言いますと、僕の世代に先立つ批評は、いまでも盛んな団体展と結びつく在野の批評、それにもまして美術史と美術館の体制の中にあって実態なぞ何もないのに権力を有する批評勢力と言いましょうか、それに対抗したのです。
 この批評の新しい動きは、旧勢力から美術史的な背景がないからということで非難されたようですが、背景があるから芸術が理解されていたとはとても考えられません。新しい動きは、この旧勢力の趣味的な美術態度を拒みました。このあたりから彼らの関心は、作品よりも作家の考えや姿勢や態度を重視し、視覚的なものから観念的なものへと向かったのです。そのため芸術への理解の有無はうやむやになりました。と言うよりは、理解できないことでは旧勢力と同じだったんです。ここにダダやデュシャンが欧米における再見を通して紹介されました。その表現が目に訴えるという視覚が衰弱したのだという見方からこれまで芸術と見なされてきたもの、ルネッサンス、もっと詳しく言うとクールベ以降の芸術に背を向ける反芸術であったのは今日では周知です。
戦前、わが国では反芸術という語が滝口修三さんによって言及されていて、それは先駆的でしたが、これはともかくその戦後の導入は、制作の、そして批評の観念的あるいは概念的な傾向を促進しました。僕も大いに感化されデュシャンのアパートを二度ほど訪ねたことがありますが、マティスやシュルレアリストの作品とともに、フェミニストの先人ケイト・ミレットの彼氏で名前を失念して申し訳ないが吉村某さんの凧が天井近くに飾ってあったのが印象的でしたね。
 しかし、反芸術は芸術がもっとも成熟したところに生まれるもので、そうでない場合、これに取り込まれると袋小路に入ってしまいます。それは作りやすく、語りやすいものです。デュシャンは感性のよい人で、それは提示の仕方に現れていますが、だからといって感性を全的に働かせるというものではありません。芸術の理解と言っても、これは知識、観念、概念の理解とは異なります。
 感性は時代と社会に拘束されるとはいえ、その曖昧で不確定なものをこそ行使して何とかして理論化してゆくのが批評の始まりですが、これがすっぽりと抜け落ちている点で、どの批評も同じです。

──危機だと言い出した理由は。

 1960年代の中頃からモダニズムと言われるまっとうな美術の理論の中からそれを展開、修正しようとした人たちが、在野ではなくアカデミックな領域で、作家を発見したわけではなく与えられた芸術によって精緻な論理を作り上げたということがあります。また、一昔前ならポストモダンと呼んだでしょうが、新左翼やフェミニズムの理論に依拠する反モダニズムの批評と研究も現れました。危機と言う人々には、これらの盛況が念頭にあります。現在それらが頭打ちになり、問題意識も希薄になって惰性化しているのを危機と言うのは当たってますが、そういう人たちはすべてではないにしても、芸術を理解しているのでも、立場を作ろうとしているのでもない。ある芸術家が嘆いたように、いまの誰彼かまわず取り上げ称えるだけなのです。
 「ニューヨークタイムズ」に村上隆がよく面白おかしく登場したことがありますが、彼の作品も神道の儀式とか達磨禅画とか茶道の実演とかと連動させ、つまるところ安易なジャポニカとしての話題を提供したに過ぎないのです。
──最近は新聞を読まないそうですね。
購読するのを止めました。美術欄はつまらない芸能欄の一種になっていて、恣意的に有名な作家──日本人は有名人が大好きですが──の紹介と不的確な賛美だけで、批評なぞあろうはずもなく、ジャーナリズムとして機能していませんから。いま悪口を言いましたが、それに比べ「ニューヨークタイムズ」の美術欄は数多くの個展等に関しての情報は役に立ちますし、美術全体の動きを示そうとしています。また、たまたま知り合った批評家が執筆しているので読むことがあるのですが、「ウォール・ストリート・ジャーナル」も量的には少ないものの、美術・文化欄は充実していますね。

──そもそも美術批評は必要なものですか。

 よい質問ですね(笑)。いまは芸術がつかの間のものとなっているので、批評は不要です。そして、そもそも必要なのかどうかを考えることが求められていると思います。作家と批評家、その両者が何よりも共有するのは目ですね。作家はそれとともにものを作り、批評家はそれとともに理論を作る。それが作家に寄与するとともにそれをはみ出て自立したものになります。
 先ほど言った、ある時期どっと出現した美術批評家というのは、美術史出の人たちなんです。いわゆる現代芸術がアカデミズム化したと言えばそれまでですが、彼らには知識はあっても目がないのでかってのように優れた作家を発見することはないという点で、今の批評は無力なんです。

権威化する美術界

──美術史と批評が結びつくというのは。

在野の批評家たちが活躍していたとき、批評は美術史とは関係がなかった。前者は美術史を無視し、後者は学問という名を持ちだし批評を軽蔑さえしていましたから。しかし分野は異なれ同じ地平にあって、その目と見方に決定的な違いがあるどころか大変に通っているように思います。例外はどこにもありますが、作品が作られる前にイデオロギーの有る無しを問わず作品に現れている、他に適切な言葉がないのであえて用いますが、表現されたものにまず集中し、それを前提として質的判断を行い、意味を探り、解釈を施すというものはなかったのです。顧みてとんでもない作品が立派な言葉で語られていることがしばしばあります。所詮は美術を語っているはずなのに美術は存在しないというわけで、このことは現在に至るまで続いています。まあ、これは俗流カルチュラル・スタディーズの一種と言えるでしょう。
 美術史の人たちが語ってきたことは、実証とそして図像学なんですね。画面には何が描いてあって、それはどういう意味があるかということを「絵を読む」と称してきたわけで、美術は図解として扱われていて、それへの判断力はないんです。
 美術のフェミニズムはこの流れにあります。性差、ジェンダーを主題とする美術史をわが国に最初にもたらした美術史家がこれはすでに批判したことですが、カトリーヌ・ドヌーブに扮した森村泰昌の手が称えるのには笑わざるを得ませんでしたね。手という図像とそのアカデミックな美の概念に性差の理論が組み合わさっているのですが、それがどうした、というものです。「なぜ偉大な女性芸術家は存在してこなかったか」とフェミニズムの美術史の先達であるリンダ・ノックリンの提言です。しかし、このノックリンが現代に目を向けるとき、まったく取るに足らないリアリズムの変形を評価するように、フェミニズムの美術史家は「なぜ質の低い芸術家を好むのか」と言わねばなりません。そのフェミニズムを利用した瑣末主義は、社会主義リアリズムより劣る場合が少なくありませんね。
 最近の日本美術史を見ていると、すべてが等価に取り上げられ、現代美術と同じように宗達や光琳を評価するかと思えば蕭白や若沖を評価するという不思議な現象があるんです。奇をてらったものが喜ばれるのは、悪しきシュルレアリスムとポップ・アートにつかってきた日本の美術と批評の再来ですね。まあ、そういうものの方が言葉にしやすいし、現代美術の流れにすり寄っていますね。それに装飾ということが表現の内実を究めることなく形式的にことさら言われるのは、ポストモダンのせいでしょう。美術史界は支配の構図がはっきりしていますから、批判する者もめったにいないんです。

──最近の美術批評は難解すぎませんか。

 ここ十数年間というもの、芸術はレヴィー=ストロースやベンヤミンドゥルーズを持ち出して説明される衒学趣味のダシになってきました。いや、そうしなければ何も語れないと言うことでしょう。それと同時に制作の面では、作品が作れないがゆえに文章を書く作家が高く評価されるという傾向が依然として続いています。芸術の否定が深化して、それが1970年代にわっと広がり、とにかく作品なんて作らなくていいと言う美術批評家が出てきた。要するに芸術について考えるような、何かを出せばいいと。
──要するにコンセプチュアリズムですね。
 そうです。その結果、その内容はどうであれ、コンセプチュアルであれば、色や形ではなく文字、言葉を使えばよいということになって、手はむろん頭によって、つまりコンセプチュアルに作ることさえもまったく疎かにされえました。反モダニズムでやってきて、反芸術的なものをいささか芸術化する。いささかのところでかすかな個性が出ますが、ただそれだけのことなんですね。だから僕は70年代は不毛だと言っているんですが。

芸術は不滅、か

──では80年代、90年代は。

70年代以降は不毛ですらない。美術なき日々の時代です(笑)。でも、あちこちの美術館に展示されているわが国の近現代の諸作品を見るとそうとも言えず、大同小異ですね。ほとんどは単なる歴史資料です。戦後になると日本で盛んに行われていたのは、反モダニズムの瀧口さんを批評的な出発とする幻想芸術、シュルレアリスム、それとつながるポップ・アートですね。それが先述したように作りやすく語りやすい。しかも衝撃を与えると錯覚されるものが日本の現代芸術のもとになりました。僕が大学で教えていたころ、学生にレポートを書かせると、70年代は圧倒的にアンディ・ウォーホルをはじめとするポップ・アートが多かった。案の定、それらが以降の視覚芸術のもとになって、美術だけではなくさまざまな分野に広がり、そして現在にまで至っています。キム・レヴィーンという批評家は少しだけコンセプチュアリズムが入っている作品をマイクロ・コンセプチュアルと言いましたが、それによるのかどうかは知りませんがマイクロ・ポップと称されるものもそうだし村上もそうですね。

──ポップ・アートは、もともと商業主義と関係があるのでは?

 ポップ・アート自体は、表面的なイメージはどうあれ、商業主義とは無関係です。その前にあった抽象表現主義が芸術の一終局であり、一終焉だという認識があって、ポップ・アーティストたちは馬鹿馬鹿しいものを作ったのですが、その意識とは別に通俗的な成り上がりのコレクターや遅れて前衛にかぶれた学芸員が飛びついたんです。
 ロラン・バルトが「芸術は否定しても否定しきれずに残る」という意味のことを言い、これを宮川淳さんが「芸術の消滅の不可能性」という言葉に言い換え、流布しました。しかしその芸術がどのようなものを指すかによって、展開は随分変わりますね。反芸術というものが出てきて旧来の芸術を否定しようと思ったけれどできなくて、そのうちに反芸術が芸術化し、これが芸術だと思うようになる。そうなると芸術は先が細くなって変化だけを追い求めることになります。

──いま藤枝さんたちが現代芸術研究会でやろうとしているのは、そういう流れに対抗して、もう少しましなことをしようと。

 対抗はしません。現在、美術学校にも博士号のコースができ、体制的、制度的なものが強まっています。芸術は博士号とは関係ないし、むしろ恥ずかしいことですね。また、かってもそうだと言えばそうですが、芸術は教えられないと言えば教えられないものの、学生以下の人が教師になっている現状があります。それで学校じみた形で何かできないかということで始めたんです。もともとは作家二人が言い出したことで、月一回の開催で今年は二期目になりました。中心は抽象的な傾向ですがもちろんインスタレーションを手がけている者もいて、間口は広げています。

──今後、日本の美術はどの方向に行くと。

 皆がやりたいことをやればいいんですが。海外で顕著な動きが出現すれば平気で方向変換するでしょうが、芸術の実質は簡単には変わりませんからね。ただ、ポップ・アートじみた美術や、マンガよりもはるかに劣る類の美術に満足できない人たちは少なくありません。その人たちに美術を手がけ、続けさせる条件こそ必要ですね。大きな空間のある美術館は数多くできたものの、画廊の空間はやはり四畳半程度の広さから抜け出していないし、批評家を含め真摯な観衆も少ない。芸術がポピュラーになったからと言ってよい芸術が生まれるわけではないんです。ともあれ、反芸術の芸術家の時代ではなく、悪条件がよい意味で逆反作用を起こしつつある時期にきているのは確かだと思いますね。

posted : Monday, February 16th, 2009

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