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世界はぐんぐん良くなっている──『進歩: 人類の未来が明るい10の理由』

進歩: 人類の未来が明るい10の理由

進歩: 人類の未来が明るい10の理由

「10の理由」とか、やけにアッパーな書名が全体的に怪しいものの、訳者が山形浩生さんだったので読んだらこれがちゃんと当たりであった(いちおう弁護しておくと、人類の部分は邦題オリジナルだがそれ以外はおおむね原題通りである)。

内容としては至極単純で、「世界はどんどん前よりも良くなっている」というだけの話ではある。実際、それはその通りだ。『暴力の人類史』など、近年のノンフィクションを読んでいる人間なら「知ってる知ってる。暴力も減って栄養状態もよくなって差別も減って、現代サイコーだよね」と頷くかもしれないが、実は多くの人は世界は悪化しつつあると思っている。たとえば著者によると、イギリス、オーストラリア、カナダ、アメリカの回答者の54%は今後百年で今の生活様式が崩れる危険性は、50%以上だと答え、4分の1近くは人類が絶滅する危険性が50%以上だと述べる。

スウェーデン人1000人への調査では、73%は飢餓が増えていると考え、76%は極貧者が増加していると思っている。ところが、世界の貧困は過去20年で半減したし、飢餓も劇的に減っている。何しろ200、300年前ぐらいまで、世界中で飢餓が起こっていたのだ。世界で最も豊かな国だったフランスですら、18世紀には全国的な飢餓が16回も起こっている。何も無いときですら、食べ物の余裕はあまりなかった。

しかし昔は労働時間が短かったというが、彼らは必要なカロリーを手に入れることができずに”働けなかったのだ”と、経済学者アンガス・ディートンはいう。

18世紀から19世紀にかけて「栄養の罠」がイギリスにあったと指摘する。カロリー不足のために人々はあまり働けず、だから頑張って働けるだけの食べ物を生産できなかったのだ。推計によると、200年前には英仏の住民の2割ほどは、まったく働けなかったという。最大でも、一日数時間ほどゆっくり歩くのが精一杯のエネルギーしかなく、おかげで乞食しかできなかった。適切な滋養の欠如は、人々の知的発達にも深刻な影響を与えた。子供たちの脳は、適切に成長するには脂肪が必要だからだ。

今はずっとよくなった。21世紀最初の10年では、栄養失調で死んだ子供は170万人。これは1950年代からは6割減で、しかもその間に世界人口は倍増以上になっている。栄養状態も改善し、東アジアでは1930年代では166センチだった平均身長が80年代には172センチになった。とてもじゃないが21世紀以前には戻りたくない。

全部で10章

と、こんな感じで本書は、「食料」「衛生」「期待寿命」「貧困」「暴力」「環境」「識字能力」「自由」「平等」「次世代」と10章を通して、データを元に、過去と現在を比較して、ホラホラちゃんとその全ての面で世界がよくなっているよね、と確認していく一冊になる。割かれているのは一章あたり10〜30ページぐらいのもので、コンパクトにその分野のデータ、研究がまとめられていくのが素晴らしい。

過去と現在の比較で出される、「過去はこんなにひどかった」エピソードの数々もおもしろく、ついつい笑ってしまうようなものが多い。たとえば衛生の章では、中世イギリスの村落では家屋に便所がなかったので、排泄したくなったら家から矢が届くほどの距離まで歩いて行ったとか。金持ちや権力者の家では、汚物溜めはしばしば食堂の下に設けられていて(これは謎な話だ)、時に客たちが食事をする間に床が陥没し、高貴な客たちが下の肥だめに落ちて多くがその汚物の中で溺死したりしたという。汚物の中で溺死するのは、数ある死に方の中でも最悪なものの一つだろうなあ……。

他にも、環境の章では六大大気汚染物質の総排出量が1980年から2014年にかけて3分の2以上も減ったこと、オゾン層が回復しつつある実態、川や森林の回復を取り上げ、識字率の章では世界の識字率が1900年の21%から、2015年には86%に急上昇した状況をみていく──などなど、他の章に関しても概ねこんな感じの内容である。

おわりに

そもそもなぜ多くの人が未来を悲観的に考えるのかと言えば、要因の一つはメディアが悲惨な事件ばかりを取り上げる、そして普通、人は幸福な事件よりも悲惨な事件や事故の方に注意をひきつけられるという人間の生物的な機能に由来するものだが──といった話も本書の「おわりに」で展開されていくので、色々とそつのない本だ。

実際、今の連日のセクハラ報道などをみていると、「日本は女性差別がいまだに根強く残っている国だ……」とついつい思いたくなってしまうところだが、そもそも数十年前の日本は今セクハラとして”問題”になっていることがそもそも問題として取り上げられなかった時代なのである。問題が問題として正しく認識され、取り上げられる時点で“進歩”しているのだ。本書はそうした日常にまぎれて特に意識することもなくなってしまっている”進歩”を、きちんと認識させてくれる一冊である。