アニメーションには動く快楽という側面があるように思う。
本来は動くはずのない「絵」が動くという驚き、そこからくる喜びもまたアニメーションの良さであり、他のジャンルにはない快楽であるように思う。
アニメには、声、音、光、動き、キャラ、物語、ストーリー、演出などなど、数々の要素がある。それぞれは普段は別々ではなく、一体にまとめて受け止め楽しむものではあるが、ふと、そのそれぞれ1つ1つの要素に見入ってしまう瞬間がアニメにはある。
その魅入られる瞬間そのものは意図された「演出」の場合もあるし、そうではないものもある。
宮崎駿作品には大きなアクションに入る前に、「ため」の動きだけを魅せるシーンがよくある。流れていくストーリーを力任せに変える力のあるアクションシーンには、その直前の「ため」を魅せることで、説得力を持たせることができる。「絵が動く」アニメーションならではの魅力が、物語を大きく変えていくのは、純粋に快楽である。
「この世界の片隅に」は、反対に意図せぬ「動き」に魅入られることがよくある。冒頭の幼いすずが買い物に出掛けるシーン、僕は船の下から逃げるようにすっと泳ぎ去る二匹の魚の「動き」を見ただけで、2度も泣きそうになってしまった。あれは自分でもわからない感情ではあったが、アニメとしての画面の隅々まで行き届いた動きへの配慮に思わず心が動いてしまったのだと思う。それもまた純粋に快楽なのだと思う。
アニメには絵が動くという快楽がある。それは技術が進みやり方が変わったとしても、画面に映る全てのその動きを人の意志によってコントロールしているということによるのだろう。
「リズと青い鳥」を見てきた。
「リズと青い鳥」という童話作品とそれに沿って書かれた楽曲、そしてそれを演奏するソリスト2人の物語である。
冒頭の「リズと青い鳥」の童話シーンは、少し残念に思えた。動きが、そこまでコントロールされたものではないように思えたからだ。とても世界観のある綺麗で繊細な線と色だっただけに、余計に残念に思えた。
しかし、物語が進むにつれて、どんどん「動き」に引き込まれていってしまった。「リズと青い鳥」は饒舌な話ではない。会話は少なく、アクションらしいアクションシーンもなく、ストーリーもとてもシンプルで些細だ。それでも、この作品は「動き」に魅入られてしまうシーンが、引き込まれてしまうシーンがとても多い。
ただの「絵」が息をして、囁き、おしゃべりをし、歩き、立ち止まる。そんな動きがとても魅力的で、その全てがコントロールされた表現として「感情」の「動き」を詳細に伝えてくる。
優れた俳優が身に纏う空気さえも演技しているかのように見せることがあるが、アニメーションはそれを意図的に行うことができる。「リズと青い鳥」は、それを実証して見せたかのような作品だった。
そして、この作品には「音」がある。この「音」もとても「感情」の「動き」を詳細に伝えてくれた。
アニメでしか表現できない、しかも映画でないと、劇場でないと味わえない作品だと思う。
「校舎になったような気持ち」
というのは、よくわかる。息をひそめてそっと見守る、そんな作品だった。
オタクが一時的に消費して終わりの作品にはしたくないなぁと思う。