「8.6秒バズーカー」は反日芸人?
「8.6秒バズーカー」という2人組お笑いコンビが放つ「ラッスンゴレライ」という珍妙なかけ声がブレイク中だということだが、ネットの一部右派的なユーザーから、この「ラッスンゴレライ」は広島の原爆投下を揶揄したものである、という都市伝説が駆け巡っており、私としてはむしろこちらの現象の方に興味を持った。
なんでも、「8.6秒」は広島原爆の日付8月6日の揶揄、「ラッスンゴレライ」というのは、原爆投下時の号令「落寸号令雷」の事を指し、これは「Lusting God laid light(ラッスンゴーレーライ・神の裁定の光)」である、ということのようだ。
4月22日発売の週刊新潮では、「反日芸人と急接近?」と題して、安倍総理自身が主催する「桜を見る会(新宿御苑)」にこの「8.6秒」の二人が参加したことを写真記事で伝えている。識者らのコメントによると「原爆投下の隠語や暗喩とは到底思えない」(岡部いさく氏)、「陰謀論の文脈にからめとられている印象」(井上トシユキ氏)など全否定の論調である。
事実、「8.6秒」は50メートル走の記録としてあまりにも遅く失笑のネタになったので、そこからの命名であることが本人談としてある。「ラッスン~」は当然のことだが、広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ号の機長、ポール・W・ティベッツ・jrが、そのように叫んだという記録は残されていない。
原爆投下時の実際の「号令」とは?
「信号音声停止用意―旋回用意」。これがティベッツ機長が原爆投下の際に放った言葉である。原爆本体を搭載している爆弾庫の解放と、原爆炸裂の衝撃波を回避するため、機体の急速旋回を準備したものだ。
「ラッスンゴレライ」なんて、どこにも存在していない。この準備指示を受け、原爆は爆撃手の目視により「完璧な目標」たるT字型の相生橋めがけて投下された。
「ラッスンゴレライ」が破綻してくると、今度はこのコンビによる「ちょっと待って~」の言い回しが、B-29の機体に「CHOTTO MATTE」と描いてある(ノーズアート)ことからの引用、このコンビの二人が「韓国式」のピースをしているとか、かつてブログなどで反日的発言を行っていたとか、吉本興業の関連イベントのウェブサイトのメタタグに「8月6日」と書いてあった、吉本興業のページから二人の箇所が消えている(恐らくネットユーザからの抗議を心配してのことだろう)などの、「証拠」としては何の根拠もないデマが百花繚乱状態で飛び回るばかりか、「8.6秒」の二人は実は在日朝鮮人である、というまたぞろ「在日認定」まで出る始末である。
デマを取り上げる「プロ」がデマを補強する
このデマに触発されたのか、ある保守系評論家はツイッター上で、「8.6秒」を”この嘘つき在日芸人”と罵り、それをフォロワーがまたも同ツイートを拡散する状況に至っている。また別の保守系評論家も、一般の右派ユーザーによる「8.6秒」への批判ツイートを、肯定的な文脈の中でリツイートしている。このような事例は枚挙にいとまがない。
こうなってくると、論壇誌に投稿したり著作を有するレベルの評論家が、ネット上のデマ・都市伝説をそのまま組み上げ、そこに自説を展開させ、さらに一般の右派系ユーザーがそれを逆根拠として拡散する、という悪循環が生まれる始末である。
むしろ、問題なのはネットのデマを組み上げるこういった「プロ」の批評家や作家たちだ。私はネット上の一部右派ユーザー(ネット保守ともネット右翼とも)の主張の根拠は、保守系言論人の言説への寄生である、と理解している。これを「ヘッドライン寄生(見出し寄生)」と呼ぶ。
例えば沖縄の在沖米軍を養護する傾向の強い右派系ネットユーザーの根拠となっているのは、沖縄問題の専門家と称する保守系言論人から発せられる動画情報である。そこで展開されるのは「沖縄が中国に軍事占領される・中国の工作員が沖縄に入り込んでいる」とする「中国脅威論」である。
こういったネット動画のなかでは、時としてヘッドライン(見出し)で扇情的な表現が多用される。数分の動画の中では、その主張もどうしても過激になる。
右派系ネットユーザーはその過激なヘッドライン「占領」「工作員」といった単語に飛びつき、そのイメージに寄生して在日米軍擁護の声を、時として罵詈雑言として展開している(詳細:「ネット右翼」はなぜ沖縄の米軍を擁護するのか? 津田大介氏・ポリタス)場合が多い。
「8.6秒」騒動の場合は、当初、ネット空間に自閉したデマを、保守系言論人がさも自明のごとく引用するものだから、右派系ネットユーザーはたちまち「◯◯先生もそういっている」と権威づけして、それを逆根拠として拡散する、という従来の「ヘッドライン寄生」には無かったタイプの現象(デマ補強型)が生み出されている。
ネットのデマを引用して「プロ」が自説を展開し、そのことで周囲の右派系ユーザーがますます「専門家から認知された信用できる情報」としてデマを補強する。これこそがネットでデマが増え続ける理由の一つだ。
保守系論客がデマの発生源だった
一方、保守系言論人の言説に寄生して展開される従来型の「ヘッドライン寄生(見出し寄生)」も十分に健在だ。
4月19日、元航空幕僚長の田母神俊雄氏は、自身のツイッター上で、
と発信。このツイートは、現在に至るまで1000件以上のリツイートに晒されている。この根拠として元海上自衛官のある保守系言論人の動画が添付されている。その動画に登場する人物がしゃべっている内容を、ツイッターで紹介した体になっている。
ところがこの内容は、真っ赤な嘘だった。これに先立つこと4月13日付の週刊ポストでは、翁長氏の娘は「結婚も留学もしていない」と否定されている。
同紙では、「自民党議員や番記者などらが(このデマを)拡散し…」となっているが、実際にはこのデマの発信源は、やはり上記動画に登場する元海上自衛官の保守系言論人であった。当然この人物も、著作を何冊も持っている「文章プロ」のはずだ。
ここで展開されるのは、右派系ネットユーザーが保守系言論人の言説、とくに彼らが登場する短いセンテンスの動画やツイッターに依拠し、そこに寄生している、という事実である。右派系ネットユーザーの寄生先の元々の「発信源」自体が、デマの原発部位であったのだ。
この人物は、前述の「在沖米軍を養護する傾向の強い右派系ネットユーザーの根拠」となっている動画にも、またも登場しているコメンテーターと同一人物である。この時の動画は、ある新興宗教団体の外郭出版社が出版した本の特典付録映像として製作されたものだった。そして上記の田母神氏によるデマに基づいたツイートは、2015年4月24日夜現在もいまだ削除されず、公開されたままだ。
今こそ問われる「言論人」の資質
「8.6秒」の場合は、ネット上で自然発生したデマのケースを、保守系言論人が引用し、「逆輸入」される形でデマがネット空間に補強されていったケース(下からのデマ拡大)。「翁長知事の娘」の場合は、「ヘッドライン寄生」にもとづいて、保守系言論人が動画の中で語った間違った情報に、右派系ネットユーザーが寄生するという「古典的」な寄生のタイプ(上からのデマ拡大)。どちらも、言論や物書きの「プロ」が関与した失態だ。
こうなってくると、もはやこういったタイプの人々は、果たして「言論人」と呼べるのか否かという問題にまで発展してくる。大多数の、真っ当な保守系言論人全体の悪影響・悪イメージをも、惹起させるのではないかと心配でならない。
私は憲法九条の改正や自衛隊の増強(防衛力強化)にはほぼ手放しで賛同しているし、安倍政権に対する評価も、少なくとも安全保障分野では、高く評価している保守派である。なかんずく、日本の核武装も「議論の俎上」にあげるだけの余地があるし、ニュークリア・シェアリングに至っては、十分に検討するべきと思っているタカ派でもある。
それがだけに、このようなすぐに見抜ける嘘やデマを堂々と引用したり発信したりする「プロ」の存在を危惧する。保守系言論人はみな嘘ばかり言うのではないか―、彼らの言っていることは妄想・陰謀論・デマのたぐいなのではないか―。こんなイメージが定着してはかなわない。
明らかに彼ら「プロ」が、ネットにおけるデマの拡散と増強の原因になっている。もちろん、ネットのデマは保守系言論人発ばかりのものではない。ただし、ネット空間では「右優勢」の状況が支配する現在、保守系言論人の存在感は相対的にみて大きい。
SNSやブログや動画、ネット記事で瞬時に自分の主張を拡散できるようになったネット時代。紙媒体でも活躍する「言論人」の資質が、いま厳しく問われている。