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小林よしのり&荻上チキ&富岡幸一郎の三氏と鼎談しました。テーマは「デマ合戦」。

投稿者:miyadai
投稿日時:2007-12-24 - 16:26:14
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(1)
【メディアに中立はあり得ない?】

……中略……
宮台 僕はテレビを一週間に一分も見ないんです。僕ら以降の世代には少なくない。僕はニュース解説の動画配信番組やっているので、仕事上、テレビを観ることが有害であることもあります。信頼できるプライベートなネットワークを通じて獲得した情報のほうが信頼できます。畠山鈴香がどうの、香川の父親がこうのというのは、僕には異世界の話。周りの親しい友人らも同じで、テレビには何の関心もありません。
……中略……
宮台 社会学者の役割を演じますと、マスコミが疑似現実を構成するという議論は、1920年代に米国のウォルター・リップマンが言い出しました。当時はラジオと新聞の全盛期。それらがとりわけ戦争報道と大統領選挙のキャンペーンにおいてウソの現実をつくるから騙されちゃいけないと、警告したのです。20世紀半ばまでそうした議論が主流でした。
 それが70年前後に議論の質が変わります。ジャン・ボードリヤールの議論が典型ですが、従来「真の現実・対・疑似現実」ないし「オリジナル・対・劣化コピー」という図式だったのが、「真の現実はない」という話になります。当時のドキュメンタリー論の流れも同じです。疑似現実の向こう側に真の現実があるんじゃない、あるのは単にカメラの視座だけだと。たとえば機動隊の側にカメラを据えれば襲いかかってくる農民や学生が映り、逆に学生や農民の側にカメラを据えれば襲いかかってくる機動隊の顔が映る。カメラに中立はあり得ない。横から撮れば中立かというと、それも違う。傍観者として見るという別の当事者性があるだけ。要は、恣意的なカメラの視座に応じた「多元的な現実」があるだけで、「真の現実」なるものはないんだという議論が主流になります。
……中略……
宮台 何のために現実を取り合うかを見抜く能力がメディアリテラシーです。文脈を参照して中身を割引く能力です。たとえばマスコミは大資本ですから、どうすれば儲かるかという経済のロジックが文脈になります。他方、生活世界が空洞化した昨今では、過剰流動性ゆえに人々が不安を煽られやすい、という受け手の文脈があります。不安を煽られた人は、情報がほしくてメディアに接触しますから、テレビや新聞が不安を煽って視聴率を上げ、広告収入を上昇させるという行動が予想できるのです。
……中略……
宮台 もともと経済の論理に負けちゃいけないよというのが、20年前にカナダで始まったメディアリテラシー運動でした。隣国アメリカ発のハリウッド的な情報、ディズニー的な情報、3大ネットワーク的な情報は、大資本の経済的論理による煽りと、米国独特の二元論的な単純さに満ちているから、真に受けるなよ、ということですね。

【メディアが持っていた「時代の臭い」はなぜ失われたか】
……中略……
宮台 [二段の流れ説とは]マスコミが人に直接影響を与えるのでなく、まずその人が属する小集団(共同体)のボスに影響を与え、ボスによる解釈を小集団のメンパーが受け容れるという仮説です。ボスをオピニオンリーダーと言います。昨今は小集団の空洞化・流動化で、仮説が通用する文脈が希薄化しています。
……中略……
宮台 キャス・サンスティンの言うサイバーカスケード(怒濤現象)は、二段の流れ仮説が通用しにくくい現実を反映します。二段の流れ仮説が依拠するのが、限定効果説の一種たる対人ネットワーク仮説です。メディアに一人で接するより、人と一緒に接することで影響が間接化されると。ここでの間接化とは影響の緩和ですが、そこがポイントです。ネット化による間接化は緩和ではなく、話題選別とインパクト増幅の両方を意味するからです。
 先の「その話題に乗るかどうか」を決める力を、地域権力構造論で「アジェンダ・セッティング・パワー(議題設定力)」と言います。地方議会などでの法案審議の際、法案の賛否に影響力を行使するより、どの議題から審議するかを決める力が重要だという話です。話題設定力の重要さを知る人間は一般に、仕掛け人側に回ろうとします。ネタをふったり煽ったりして人々をハンドリングしたくなるんです。ネットの黎明期から活動している僕も最初の頃はそうした誘惑に駆られました。でもそうした誘惑に駆られることで、戦略的知恵が増しているにもかかわらず、あるいはそれゆえに、気がつくと戦略ゲームの怒濤に受動的に巻き込まれている。梯子外しゲームへの没入が典型です。受動的な能動性という逆説がありうるわけです。
……中略……
宮台 要は物差しの相対化です。テレビはかつて国民的メディアでした。誰もが同じ番組を見ていたから、国民の大半が同じ物差しを持つと期待できました。自分が「これは大ニュース」と思ったら、他の人々もそう思ってくれると期待できました。今では国民的メディアはなく、メディアに関わる共通前提が消えています。だから同じニュースに大きく反応する人と、まったく反応しない人がいます。重要なのは、反応することが妥当か否かを決める普遍的物差しがないことです。ニュースは大きいと思えば大きいし、小さいと思えば小さい。
 共通前提とは何でしょう。歌謡曲は記憶と結びつきやすいことが知られています。歌と個人的記憶が結びつくからじゃない。時代の空気と結びついていたからです。時代の共通前提と結合していたのです。だから歌謡曲を聴くとまず時代の空気を思い出し、それによって個人的記憶が芋づる式に引き出されます。今は曲がどんなにヒットしても時代の匂いと結びつかないから、後にノスタルジーの対象にはなりません。実は歌謡曲だけでなくニュースやアニメなども時代の空気と結びついていました。50年前の昭和30年代がノスタルジーの対象になっても、50年後に平成の世がノスタルジーの対象になることはない。理由はただ一つ。時代の共通前提がないからです。共通前提の不在は何によって埋め合わせられているか。携帯情報ツールを使ったコミュニケーションの島宇宙的な共同性です。

【ネットの相対現象とケータイ小説ブーム】
……中略……
宮台 その通りですが、そこでは「大きな物語」の意味が変質します。共通前提が希薄になるほど「大きな物語」も人によって選択的になります。すると「大きな物語」に、物語「が」言及する社会システムの問題を見出すべきか、物語「に」言及する自己システムの問題を見出すべきかが、自明でなくなります。たとえば小林さんがなぜ数ある問題の中から沖縄問題にアクセスするのかと考えたとき、小林さんがアクセスできる人間関係がこれぐらいで、そこで話題にできる物語がたまたまそれだったんではないか、と割り引けるようになるということです。共通前提が空洞化した社会での「大きな物語」の宿命だと言えましょう。
……中略……
宮台 西村賢太はそうですが、話題作のケータイ小説『恋空』を出すとそれは関係なくなります(笑)。主人公が輪姦されても彼氏が「守ってあげられなくて御免」と言えば一瞬で立ち直る。セックスをしたら直ちに妊娠する。それをライバルに妬まれて蹴られれば直ちに流産する。好きな彼氏に別れを告げられて消沈しているときに別の男が「俺でどう?」と言い寄ると「優しい人だからOK」とつきあう。元カレは実はガンで、悲しませたくないから別れたと分かると「やっぱり元カレの方が好き」と戻る。死んで泣いていた主人公が、最後のシーンで電車を降りると、お姉さんとお父さんとお母さんが出迎えて「お帰りなさい」「ただいまー」って。
……中略……
宮台 そうなんです(笑)。しかも驚きなのは映画館でみんな号泣してるんですよ。どうしてこれで泣けるのか分かりません。
……中略……
宮台 あるいは脊髄反射化。関係性を忖度するかわりに唯物性に反応するのだから。年長世代が、空洞化する関係性と、脊髄反射化する唯物性を、衰弱として否定的に評価することをどう思いますか、荻上さん。
……中略……
宮台 累積する関係性は、唯一性=取替不能を指示します。記号は、汎用性=取替可能を指示します。ケータイ小説は後者ですね。加えてケータイ小説や映画には「遠い者が勝つ」という共通の意味論があります。昔は「近い者が勝つ」。たとえば正妻が妾に勝ちました。石原裕次郎の奥様北原三枝じゃないが、本人の癖も弱点も全部知ってるからです。ところがある時期から「遠い奴が勝つ」ようになる。浮気相手の方が圧倒的な情報量な情報量を持つわけです。正妻との性生活などについてね。
……中略……

【「今は、ナンパすれば容易に落せる」】
宮台 荻上さんと僕には、東大卒ということ以外に、ナンパ師だったという共通点もあるんですよ(笑)。20歳前後の女の子をナンパする場合、90年代半ば頃から急にナンパが簡単になってきました。僕たちのテクニックの問題じゃなく、女の子の側が変わったんですね。たとえば、相手に彼氏や亭主がいる場合ほど成功率が上がります。
……中略……
宮台 まさに「遠い者が勝つ」。「俺に打ち明けた秘密を彼氏にも打ち明けたのか」あたりを入口に、「そんなのは本当の愛じゃない、君は本当の愛を知らない」あたりを出口にする。もうコロッコロ(笑)。
……中略……
宮台 彼女たちは数週間で相手を変える生活ですが、すれっからしじゃない。逆で、関係性への免疫がない。第一に、相手に求め得るものを低く見積もりすぎで、願望水準が低い。第二に、そうやっていつも引き気味なので傷つく経験がなく、傷つくのが怖いので引き気味、という悪循環があり、トラブルがあるとすぐ別れます。第三に、深入りしないので親しくなると間が持たなくなるので、「遠い者」も近くなると負けます。こうした悪循環を脱する道を教え、関係性に基づく唯一性こそ真の愛だと教えると、いきなり目に星が輝きはじめます。
……中略……
宮台 最近ある女子高生が「経験人数が多いんで経験値は低いです」と言ってました。性交した人数が多い分、深い関係になれないという自覚があるんです。「経験」が深い関係性に関わるという自覚ですね。
……中略……
宮台 ケータイ小説を読む子は、関係性や文脈性に敏感な小説を読むと、自分たちがアクセスできないものを提示されたと感じるのでしょう。むしろ文脈にいっさい言及せず、唯物的な脊髄反射による波瀾万丈のほうが、自分に近しく思えるんですね。
……中略……
宮台 [小林よしのり氏の挙げる一連の作品は]入替可能な記号のオンパレードですね。そうやって享受される記号群にニュースやゴシップも等価に含まれます。年長世代は、タメのない唯物的小説を想像力の衰退だと批判するのと同じく、ニュースを記号的なコミュニケーションツールとして使う営みを、ニュースを内容ならざる記号性で享受したら社会が亡びると批判します。
……中略……
宮台 時事情報がコミュニケーションツールに過ぎない社会なら、民衆の意見をあまねく取り入れることは公共性でも何でもなくなる。そうすると、世論は適当にコントロールするもので、その方向性はエリート層が決めるしかないという話になります。荻上さん、これはイヤじゃないですか?
……中略……
宮台 荻上さんは学問人だもの。学問的には「民主政は不可能」だからね。でもそうした認識を万人が共有すれば民主主義の正統性が崩壊します。正統学問は近代社会を「不可能なものを可能であるかのように見做す」ことで回るとみますが、この学問認識は、そうした認識を万人は共有しない事実に寄生したものです。そんな寄生メカニズムに無頓着なまま下手に学問すると「ならば何でもありだ、やったもん勝ちだ」となりがちです。でも、皆の意見を尊重することが必ずしも公共的じゃないという認識を、サイバーカスケードのお粗末な顛末が広めてしまうのは危険だと思いませんか、荻上さん。
……中略……

【プロパガンダとデマの違い】
……中略……
宮台 その一方、米国でも中国でもITを使った政治動員が正統性を調達する最も有効なツールになっています。たとえば福音派と呼ばれる米国の宗教的過激派は南部・高卒・白人が多く、昔は投票率が低かった層だけど、IT化を背景に投票率が上がって政治動員の対象になりはじめ、福音派の世論を背景にユダヤ系ルーツのネオコンによる軍事展開がなされました。同じことは中国もやっていて、反日暴動の仕掛け人はむろん中国政府ですが、IT化を背景に途中から収拾がつかなくなったわけですね。
 政治動員の戦場は今やインターネットです。2005年総選挙の小泉マジックもネット動員に支えられていました。今日ではプロパガンダに対するカウンタープロバガンダをネットを舞台に戦略的に展開するしかないんです。カウンタープロバガンダ側もプロパガンダ側が使うのと同じ手法を使うしかありません。ネットはくだらんと距離をとると、プロパガンダ側が勝利してしまうのです。小林さんもそれじゃマズイでしょ。
……中略……
宮台 そこが日本と米国の違うところ。日本政府には馬鹿が多いからデマに騙されますが、米国政府はデマを利用します。日本政府も米国政府並みにデマを利用する力をつけないと、利用されない力を養えない。ちなみにデマとプロパガンダは別物です。プロパガンダは善悪二元論に基づく勧善懲悪的動員で、デマゴギーは嘘による憤激の惹起です。プロパガンダがデマを用いることがあります。ハンチントン流の文明の衝突論がプロパガンダで、イラクの大量破壊兵器がデマにあたる。デマの感情的フックに抗う免疫をつけるのは教育の責務です。
 難しいのは二元論的なプロパガンダに対する構え方。大川周明も言うように「鬼の目にも涙」の日本には二元論的プロパガンダに抗う伝統があった。ところが近代化が進むと蓑田胸喜=安倍晋三的な二元論者が右翼を自称しはじめる。これは堕落です。
……中略……
宮台 生活世界が空洞化すると、不安ゆえに日本人も善悪二元論化し、プロパガンダにやられやすくなります。カウンタープロパガンダを展開するには狡猾に二元論を使えなければいけない。でも大衆全体がそうなればもはや日本人じゃなくなってしまう。江藤淳的な主題ですね。上質な戦略性を問われるのはエリートです。上質とは何のための戦略かという最終目標に関わります。対米追従を前提にしたポジション争いでなく、いずれは対米追従を脱することを目指すというようなことです。
 その意味で二元論的な米国にも特有な成熟があることを忘れちゃいけない。米国大衆は福音派的二元論ですが、エリート層に多いユダヤ人は脱二元論的です。だからこそ善悪二元論に基づく大衆操縦がある。衆生が救われるなら嘘もOKという法華経の教説に似ます。でも同じ嘘をつき続ける弊害が大きくなりがち。それをどう緩和するかです。ネオコンが嘘(デマ)によるプロバガンダ(善悪二元論の大衆動員)をするのは構わないが、結果はこのザマ。もっとうまくやれるような知恵を考えろというのがヒラリー・クリントン。そこに反操縦も反二元論もないことを忘れちゃいけない。

【正しいことをなすべきか、政治戦略を貫くべきか】
……中略……
宮台 僕もこだわりますよ。そこは米国を見習うべきです。たとえば米国がなぜ情報公開にあれだけ積極的なのか。「政治的な嘘は仕方ない」という観念と「妥当性検証のために嘘はいずれ公開せよ」という観念のバランスを取るためです。法華経に、家が火事のときに嘘で煽って皆を家の外に連れ出すのがいいか悪いかという話がある。ブッダはいいと言うんですが、そう言う前に難解で退屈な説教をして修行者の大半を退散させた後、残った連中に「ここに残った者だから話すことで、一般の者には話してはいけない」と釘を刺す。法華経に由来する「嘘も方便」ですが、嘘で衆生が助かるのだとしても無条件では肯定できないとします。
 米国の場合、嘘によって大衆が救われたとしても、その嘘が適切だったか否かを判断する手掛かりを残すのが、ディスクロージャ(情報公開)です。事後的牽制のための手掛かりと言ってもいい。そこには二元論と可謬性論が同居します。近代化に伴う共同体崩壊で二元論化した日本人はには可謬性論が欠落します。小林さん流にいえば素朴に純粋まっすぐを求めがち。分かって悪いことをやることが難しいのが日本人です。人がいいとも言えるけど人の悪い奴に寝首かかれる。だから小林さんの志を貫徹するためにも、米国エリートの狡猾な戦略をシミュレートできたほうがいい。
 たとえば僕は昔から非武装中立ならざる重武装中立論者。対米中立化のために重武装化が必要と主張してきた。重武装とは対地攻撃能力による反撃能力で、現行憲法を越えます。重武装化には周辺国の感情的回復が不可欠ですが、安倍晋三のような自称右翼が「謝罪はいかん」とか言う。ドイツがNATO復帰を果たし、多国籍軍への参加を承認されたのはなぜか。ドイツは東西分裂で国家間賠償ができなかった。そこで企業や自治体や国が個人補償する形で信頼醸成し、感情的回復に成功したからです。
……中略……
宮台 地位も年齢も様々だったドイツ人にはそれぞれの罪の多寡があり、ドイツ人を代表して謝罪できないというのが[謝罪を拒否するヴァイツゼッカーの]理屈でした。
……中略……
宮台 僕は国家として謝罪しろなどと言わない。そんなことは問題じゃありません。ヴァイツゼッカーが罪と責任を分け、ドイツ国民たる恩恵を受けるなら責任を負えと言うのは、国益に資する感情的回復のために未来に向けた行動をせよとの意味です。彼は過失がなくても賠償責任を負う民事訴訟の例を出します。僕も、重武装化に向けた感情的回復の手段として有効なら、多少副作用があろうが採用せよと主張します。対米ケツ舐め路線の副作用よりマシです。
……中略……
宮台 カナダや米国が馬鹿なのはこっちからは変えられません。馬鹿相手に国益を失わないように行動するしかない。だから慰安婦決議をさせた段階で日本の負け。国益が失われた後で、決議が間違ってると憤激しても仕方ない。国益喪失を回避できなかった外務官僚や安倍晋三が愚昧です。
……中略……
宮台 そう。本当ならエリートの中に「重武装化できるなら土下座してもいい」という奴がいてもいい。細かい事情をほじくる奴もいますが、日本もドイツと同じやり方ができます。確かに政府間決着している。日本人が共通の罪を背負うこともあり得ない。でも感情的回復のために当時活動していた政治家や企業人が個人として謝罪することはできる。ワイツゼッカーのように、過去の罪はともかく、重武装化のための感情的回復を目指して未来構築する責任を果たすと言えばいい。彼の議論には哲学的深みがあるが、哲学的真理を喋ることが目的じゃなく、ドイツの政治的地位を回復する戦略に哲学的正当性を与えたものです。
……中略……
宮台 素朴さは倫理的に大切です。それが動機付けを与えもします。でも少なくともエリートは実際の行動において戦略的であり得る知恵を習得すべきです。小林さんがおっしゃることに矛盾しません。僕は単に政治的戦略に長ければいいと思わない。最終目標が大切です。その意味で正しいことを追求する奴が好きです。でも正しいことをしろと言うだけじゃ難しいのも事実です。
……中略……
宮台 是非、「良いゲッペルス」になってください(笑)。