2016年09月01日

『今日より明日へ〔20〕』からの抜き書き(2)

・昭和63年(1988年) 11月3日
・練馬・町田・葛飾合同総会(東京)
・創価大学中央体育館


ちょっとまともとはいいがたい精神状態だが、やると決めたことはやる。
それがイプシロンスタイルだからね。
寝ていても「やらなきゃ!」とか「あれは言い過ぎたかも……」とかいっていきなり心臓が痛むような感覚のなか目が覚める。それぐらい自分で自分を追い詰め、無意識層に強迫観念があるけど、それでもやる。

だから、内容は以前の記事のように、わたしなりに丁寧にというわけにもいかない。が、そこはご理解たまわりたいと思う。
少しでもなにがしかの真実を一緒に学んでいける縁にでもなれれば、本望です。


今回のスピーチは、恐らく国土世間とその地域に住む人の使命のことをお話されたいのではと感じた。
練馬・町田・葛飾が東京のどこそこであるとすぐにわかる人ばかりではないだろうが、先生はそうした地域のもつ特徴、ひいては国土世間の意味を鑑みてお話されているのでは? と思った。

その理由を詳しくは申し上げないが、わたしもわたしの住む地域が、東京を人体に例えるなら心臓であるとか云々、そうした指導を耳にしてきたことがあるからだ。


さてではそうした使命を自覚して、宇宙の一部である自分が、宇宙全体を支えるパーツとして、そのパーツにかなった使命を果たすとはどういうことか? 先生はそうしたことを今回のスピーチで語ろうとしたのではないだろうか?

スピーチでは、その実例として、アメリカ広布に半生を捧げたテッド・オオサキさんのことを紹介されている。
細々と、こんなことまで指導してくださるのか、という話の中で、一点、わたしが付箋を貼った部分を抜きがいておく。

何ごとであれ、所詮「人」である。指導者に人を得るかで、一切の消長が決まってしまう。
また真剣でなく、力がない人間に限って、何かあると文句を言ったり、立場を利用して、うまく立ち回り、結局、多くの人々に迷惑をかける結果となることが多い。真摯な人は、どこに行っても真摯である。中途半端な人は、何をしても中途半端となる。


「とにかく真剣であればいいんですよ」
友人との会話の中で、わたし自身、何度もそういってきたことをよく憶えている。
半分は自省しながら、半分は相手を思いやり、そういう言葉を口に乗せてきたつもりだ。

「一切の消長」という言葉遣いにも注目した。
なぜこうした言い回しをするのか? その先生の心は? と。

究極的にいえば、地球の今後は人類の手に、ひいては一人の手にかかっている。滅亡かあるいは繁栄かということを、あまり手厳しく感じない言葉でいわれているのだろう。

スピーチでは「更賜寿命」ということも話されている。
したがって「消長」には、自分のいのちを無駄に消すことに生きてしまうのか、はたまた寿命を無量まで長くしていくのかという意味あいも込められているのだろう。


テッドさんの話のあとは、千日尼についてである。
男性の話をしたなら、女性の話もしなければ不公平になる。そうした先生の配慮といっていいだろう。

テッドさんと比較してみることで、女性のもつ使命というものが見えてくるのではないだろうか。
以前、フロムの書を読んだときに触れたように、母性愛は全てを受け入れる愛であり、父性愛は規律を作っていくことであったり、冒険心を育てることとあったと、紹介したことがある。

このことをあてはめて指導を追っていくと、なるほど先生もやはりある部分ではそうした見方をされていることに気づくはずだ。
すなわち、千日尼のくだりでは謗法をおかしてしまっている人にも心を砕いた姿を語られているからだ。

しかし、こうした性別差はあくまでも一般論である。男性の中にも女性ホルモンはあるわけだし、女性の中にも男性ホルモンはあるからだ。
現代にあってはLGBTの方もいることも、それなりに認識されているからだ。

つまり、先生が語られているのは、性差による一般的傾向であって、実際には自分自身が自分自身をよく知り、自分の得手不得手を知り、それを生かしていけるかどうかが問題といっていいだろう。

例えばネットでの昨今を見てもそうしたことは明らかだ。
女性だから寛容でいられるかといえば決してそうでもない。喧嘩っぱやい人もいる。男性だから冒険心に富んでいるかといえばそうともいえない。わたしのように臆病な男だっている。
結局のところ、自分で自分を見つめ、あるいは他者が見ていってくれた助言などから、自分はどういうことをしていけば人の役に立てるかということを知り、それに基づいた信念をもって、何事かを為していくのが理想といえるのだろう。

指導や激励をするにしても同じである。
先生は最後にそうしたことを結論として、しっかり述べておられる。

人の心はまことに微妙である。絶えず変化しており、わずかなことをきっかけに、良い方へも、悪い方へも行ってしまう。ゆえに、信心の世界にあっても、立場が上になればなるほど、後輩のかかえている問題や悩みを、正しく敏感に察知して、こまやかなうえにもこまやかに、励ましのうえに励ましをお願いしたい。
――と。
つまり時(そのときどきのその人の心理)を知ることが最も重要だと仰っているのだろう。

そして、その人が立派に成長して、「信心」と「幸福」の大道を歩み抜いていけるように尽くしていく。それが先輩としての慈愛であり、使命と責任である。
――とも。

いうまでもなく、意見は意見である。それはそれで大事であろう。しかし本当に大事なのは、その人がどうしたいのか? を良く知り、その人自身が自らの力で伸びよう、成長しようという「内発的・自発的」な気持ちを砕いてしまったり、潰してしまわないことだとわたしは確信している。


不思議なものです。
わたしが激怒の記事を書けば、そうした内容の指導に出会う。

なぜ激怒したかを、わたしの口から言いわけがましく愚痴っぽく語ることと併せて指導を学ぶことで、その理由を信心の面からも説明できる状況になる。
わたしは、こういうものこそ功徳であると信じている。

わたしが何をどうしたいのか? それすら理解しようと努力せず、「だから、あんたはこうすればいいんだ!」と。
そういう無慈悲が一番人を駄目にする。
もう口がすっぱくなるくらいここに書いてきたことだ。

『人間革命』にもある。
活動ができないのには原因がある。その原因を取り除いてあげれば、自然と活動は出来るようになるんだよ(趣旨)、と。
これも何度書いてきたかわからない。

だが誰もかれもがそういう点は無視。
先生がこんなにも丁寧に指導してくれてても無視して、
「だからこうやればいい! とにかく活動すればいい!」
下手をしたら「活動してない奴は糞」
そういう感覚で人を見下してきた輩ばかりだったじゃないか。
しまいには「そんなことしてるなら退会しろ!」だもんね。
それが今の執行部派創価クオリティでしょ。


だから怒ってるんだよ。
当たり前の正当な怒りだ。

少なくとも、わたしはこれまで悩みを打ち明けてくれた人に対して、
「とにかく活動しよう!」
なんて言ったことはない。
「それで、なにがどうなって、どうしたの?」
そういう風に、ひたぶるに相手が何に悩んでいるかを察知するために、長い時間を割いてでも話を聞こうとしてきた。
「活動ができてなくて申し訳なくてね」
そういった人が、自分で自分を追い詰めることを望まず、
「いやいや、今は自分がしなければということを頑張ればいいじゃないですか? そのうえで活動できる余裕ができたら、すればいいんですよ」
と声をかけてきた。
だってそれが道理だし、そう先生の指導にあるんですから、当たりまえのことでしょ。

そして、その中で「おそらくここが苦悩のポイントかな」というものをわたしなりに見つけだし、そこを癒してあげられるような配慮ある言葉を述べてきたつもりだ。それだってわたしの私的見解だから、相手がどういう風に言葉にしているかに、それこそ神経を研ぎ澄まして耳を傾けてきたつもりだ。
実際、そうしてきたことで自ら進んで「わたしもそろそろ頑張ります!」といってもらえたこともある。

その人には一度だって「学会活動しなさい!」なんていったことはない。
いったとして「やりたくなったらたやればいいいんじゃない」程度のはずだ。
ただ話を聞いて、わたしはわたしのしていることを、自分の頑張っている姿を見せてきただけだ。

もちろん、ネットで見せるというのには限界がある。
なにも個人情報をばらまいてまでもそうしろとかいっているのではない。
ネットといったって、公開の場所だけではない。ようは自分がどう智恵を絞るかであろう。
ネットはあくまでも道具であり、縁ですからね。
リアルも同じです。縁です。そこに差はありません。
あるんだったら、御書で大聖人は「会ってみたところで何になりますか」などと綴られたりしない。
大事なのは、お互いがお互いの「心」を見つめあえているかどうかですからね。

しかし、表面だけ見ている人が多いのが現実だ。


怒ったら怒ったまま。
わたしはそういう人間でもない。
なぜそこまで相手がいってきたか? そういうことだって考えられる。
そこには少なくとも「わたしへの思いやり」があったのだろう。そう考えられる。

だけどね、そういう思考が出来るまでには、一度怒らないと無理なんですよ。
わたしだって感情のある人間ですからね。
まして、長いことうつで悩んできて、感情を抑制することが症状を悪化させることも知り抜いていますからね。

だから何度もいってきた。
うつとか統合失調とか、病名はいろいろあるが、そういう人と関わるつもりがあるなら、その人が激怒して
「お前なにもわかってないな! ぶっ殺すぞ!」
といわれてもたじろがないくらいの覚悟がないなら、中途半端に関わるべからず、とね。

この
「お前なにもわかってないな! ぶっ殺すぞ!」
は、ある意味では変化の兆しなんですよ。それも相当に大きな変化のね。
だからわたしはこうして怒っても絶望はしない。それで相手との縁が切れるならそれまでのこと。

それまでしがみついていた過去の自分から変わろうとしている。その自分自身の変化に対する戸惑いが他人に対して現れただけに過ぎない。

そういう変化が起こっているから、それまで良好な関係にあった人にもいきなり牙を剥くんですよ。
そうした心の病の人に起る、心の本質の変化を正確に見極められない人は、
「お前なにもわかってないな! ぶっ殺すぞ!」
といわれると、ひるんで逃げ出すんですよ。

ていうか、なんでそんなことを病をわずらっているわたしは知ってて説明しなきゃならない?
こういうところに社会や医療だのの阿呆くささがあるんです。

所詮、自分で自分を知ることでしか、自分の身は守れないのが現実といったところなのでしょうね。
こういうことを知っていれば、親しくしている人に対して、殺意のような怒りが燃え滾っても、ああこれは良くも悪くも、何らかの変化が自分に起っているのだと自覚でき、出来る限り自制もできるということです。




心理学者、河合隼雄さんの『こころの処方箋』を少し読んだ。

イライラするのは、先の見通しが立っていないからだ、と。
最もなんだけどさ、長いこと病んでいると先の見通しなんて立たないんだな。
立たないけど希望はある。そういう強い意志は捨ててませんけどね。

とにかく極端はだめ。
そういう人とは関わりたくないと人は思う。
これも最もなんだけど、時には人に異常と見られても必死にならないと何一つ為せないこともあるんだな。
『シュリーマン自伝』を読めば、そういうこともそれなりに理解できると思いますけどね。

中庸こそ理想なのはわかってる。
でもそんな簡単じゃあないんです。

先生の言葉にもそれは明確だ。

所詮、良くなるか、悪くなるかしかない。
――とね。

やるか、やらないか? いってみればそれだけ。
でもね、そういう白黒思考ほど、自分で自分に強迫観念を埋め込む思考もないわけだ。
したがって中庸の思考が大事なのだが、そうやって中庸にしがみついていると、変われない。
この脅迫観念に勝てる自分かどうか? これが最大の葛藤なわけだ。

もっとも急激に変わろうとすれば必ず歪みがでる。
ようは最後に勝てばいいんです。
それが今回のスピーチの結論でもあるわけですから。

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