「オタク差別」は主語がでかいという話であって、「キモい人差別」はしていいとかいう話じゃない。
「キモい人差別」があるので、「オタク差別」などといって問題をごまかしてないで「キモい人差別」をやめろと言っていくべき。きみたちが「オタク差別」という言葉にこだわるのは、オタクの中にはイケメンも美女もいるし、しっかり働いていて妻子を持ち年収1000万以上の人も普通にいるからだろう? でもそれは主語が大きいんだよ。彼らは差別などされてないんだから。きみらが「オタク差別」にこだわるのは印象操作なんだよ。オタク層のいい部分まで差別されているように見せかけようとしている。これは卑怯な戦略だ。
実態は「オタク差別」ではなくて「キモい人差別」だ。「キモい人差別」はあってはいけないし、そして実際にあるということ。それこそが問題なのに、「オタク差別」なんて主語を大きくするからだめなんだ。「そんなものない」と反論されるに決まっている。
差別されているオタクがいることはたしかだが、「オタク差別」というは表現は妥当ではない。これは表現の問題だ。差別されているのはオタクの中でもキモい人たち。彼らが差別されているのはオタクだからではなくキモいから。そして彼らが差別されているのは不当なことであり、抗議していかなければならない。それは「キモい人差別」だからだ。
なぜ「オタク差別」という表現にこだわるんだろうか。この言葉は実態を正確に表した言葉ではないのに。「オタク差別」は存在するなどと言い続けるなら、そんなものはないと否定されつづけるだろう。「キモい人差別」は存在するという主張に変えれば、世間は共感するだろう。
かたくなに「オタク差別」という表現を使い続けるのは彼らのプライドのせいなのかもしれない。キモくないオタクまで巻き込んで、あたかも自分もキモくないと主張したいかのようだ。「キモい人差別」という表現を使うことを恐れている。
たしかにきみたちはキモくて差別されてきた。それは許せないことだ。どんどん抗議するべきだ。しかしそれはオタク差別ではない。問題の本質を見失ってはいけない。きみたちはキモいから差別されているのであって、オタクだから差別されているというわけではない。そしてきみたちがキモいからという理由で差別されているのは不当なことであり、こんなことは絶対に許されないことだ。
「キモい人差別」をなくそう。「オタク差別」などといって問題をごまかしてはいけない。いまこそ「キモい人差別」問題を正面から受け止めて、真摯に向き合っていくべきなんじゃないだろうか。
しかし、オタクお得意の「主語がでかい」がなぜオタク自身から出てこないのかよくわからない。アニメ批判やラノベ批判をすればすぐに「主語がでかい」と怒り狂うあのめんどくさいオタクが。今回は「オタク差別」だなんていう主語のでかい表現を使って自分たちを守ろうとしている。これは滑稽である。オタクのいつものノリで言えば、「オタク差別」を語るなら本当にすべてのオタクが差別されているかまず調査しなければならない。調査していないなら、本当にすべてのオタクが差別されているかなどというのはわからないのだし、「オタク差別」なんてのは主語がでかいということになる。そして、差別されていないオタクの例を出すのはとてつもなく容易である。
しかし「キモい人とは関わりたくない」と言うのはそもそも差別なんだろうか…
主語がでかいっていうのは都合のいい時しか使わない、別にリベポリさんだって同じだよ
そんなこと言われても30年くらい前にはあったんだって、オタク差別が 今あるかは争点じゃないんだよ