『ファミリーヒストリー』は、NHK総合テレビジョンで不定期に放送されているドキュメンタリー番組。
| 放送日 | 2015年4月24日(金) 14:05~14:55 |
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| 放送局 | NHK総合 |
勝也の中学からの親友猿渡さんは勝也から届いた手紙を保存していた。無責任なところはあるが人と関係を結ぶのが上手く、良い奴で悪いやつな重要な友達と話した。今回見つかった遺品の中に1通の手紙があった。決別後に忍さんから届いた手紙だった。手紙と大切に保管されていたのはサイン会の日の写真アルバムだった。
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忍さんは父に対し、悪いことをしたら普通は謝るものだとし、独特のニヒリズムで逃げるのがよくないとした。自分の環境とかルーツのせいにするのは楽だがそれでは何も始まらなく、父が事業で失敗しなければこの仕事を続けていなく、バネとして生きていかなきゃいけないと話した。
決裂の後、忍に宛てて手紙を書こうとしていた。取材で下書きが見つかった。2010年勝也は72歳で亡くなった。
忍さんの母の淳子さんは新宿で飲食店を営んでいる。山形の農村で生まれ、6人兄妹の末っ子だった。13歳の時、父が他界し高校卒業後上京した。勝也と出会った2年後に結婚した。昭和42年に次男として忍が誕生した。勝也は母のスソエを呼び寄せた。しかし昭和44年スソエが亡くなった。その時幼い忍は口を聞かなくなったという。環境を変えようと地元の児童劇団に通わせることにした。すると忍は次々ドラマに出演した。その中でも勝也は忍を海釣りに誘いだしたという。勝也は副業で不動産投資を始め、成功により暮らしぶりは派手になった。
大金を手に入れた勝也は小説家の夢が蘇り出版社を設立し釣り談義を刊行した。しかし売り上げは伸びず借金が膨れ倒産した。自宅には借金取りが来て「週刊誌に忍の父が借金まみれと売り込む」と脅された。勝也は離婚し1億円の借金を残したまま姿を消した。
忍は父の裏切りが許せなかった。借金返済のため高校中退し休みなく働き26歳で借金の返済を終えた。まもなくして勝也から「小説を出すから出版記念のサイン会を手伝ってくれない」ということだった。悩んだが父の夢に協力すれば溝が埋まるかもと引き受けた。勝也の同級生の広田さんもサイン会に来て良い親子にしか見えなかったと話した。しかし勝也から謝罪の言葉はなかった。
忍さんも小学校のころから小説を読み漁っていて太宰を読んでいるときに、親父がいいもん読んでるなって言われたのを思い出したと話した。
勝也は家計を支えるため新聞配達をしながら中学校へ通った。悩みを紛らわそうと没頭したのが読書だった。同級生の広田は文学青年だったと話した。学力テストの結果を見せてもらうと国語が得意だった。その後三池高校に入学する。文芸部に所属し友人から太宰治の人間失格を渡されその出会いについて文集に書いていた。太宰治が自殺し、生き様に共鳴する若者の中。勝也もその1人だった。そして高校2年の夏休みに事件を起こした。
勝也は山の中で知人女性と心中を図った。同級生の垂水さんは見舞いに行ったという。これがきっかけで勝也は高校を退学しプロの小説家になると決心する。だが応募する小説は次々落選した。勝也は映画専門の新聞で記事を書くバイトを始めた。
昭和35年三池争議が起き、街から活気は消えた。勝也が携わった映画専門新聞の発行部数も落ち込んで行った。勝也は状況を決意し、銀座にあった交通新報社に就職した。交通新報は運輸業界の動向を報じていた。勝也は経歴が認められ記者として働いた。しばらくして新人の事務員の女性に心を奪われた。後に忍さんの母となる。
坂上忍は全然知らなかったと話した。奥さんにつらい思いをさせて離婚する同じことを繰り返したのは学習能力がないと話した。
気に入らない時は妻スソエに暴力を振るった。立ちはだかったのは13歳の勝也だった。昭和26年、勝とスソエは離婚し勝也は母と暮らすことになった。勝也は勝について「馬鹿な父親」「母に心労を与えた忌わしい人物」と海藻している。中学から親友の猿渡さんは離婚や生活上の困難で精神的に参ってた面もあったと話した。
大正7年大牟田市へ向かった。三池炭鉱があり全国から仕事を求め労働者が集まっていた。末彦は43歳だったため運搬・加工の仕事に携わったと考えられる。その中、長男の勝は小さな新聞社を立ち上げた。昭和6年、勝は紹介で熊本出身の女性スソエと結婚する。スソエは再婚で1人娘がいた。その娘ソエ子さんにはなしを聞くと波乱の歳月があったという。スソエは結婚に失敗し、南米への移民を決意するが母親が心臓発作で倒れ、大牟田にやってきたという。
日中戦争が始まると三池炭鉱は活況を呈した。労働者が増え住宅の供給が追いつかなくなったため勝は下宿の商売を始めた。ソエ子さんはその賑わいを覚えている。昭和13年4人目に忍さんの父勝也が誕生した。昭和22年には市議会選に立候補し落選していた。船津中学校では歴代PTA会長の写真の中に勝の写真がある。その後も新たに新聞社を2つ立ち上げた。一方家庭では別の顔があった。
忍さんが父について知っているのは大牟田生まれ、三池高校出身だけと話した。小天村を訪ねた。坂上家について知っている山迫に話を聞くと、祖母のサミさんが忍さんの曽祖父の末彦さんの姉だった。末彦は明治初めに生まれ干拓地の田畑を耕していた。妻と4人の子どもがいた。大正3年台風による高潮が干拓地を襲い被害にあった末彦は居住を決意した。
ファミリーヒストリーの次回予告。
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