【リズと青い鳥】「ハッピーエンド」にすがり、嘘をつけない音楽と向きあう
山田尚子監督の劇場アニメ『リズと青い鳥』は、画像・音響・演出すべてにおいて繊細な、日本アニメ史上空前の完成度に到達した傑作である。しかし、山田作品が素晴らしいのは、その技巧が目的化せず、あくまで作品世界にふさわしい表現を実現するため傾けられている点だ。アニメはデフォルメ(誇張と類型化)の文化だが、『リズと青い鳥』をそれを最小限に抑えて、しかし実写に寄せるでもなく、だからこそ描きうる、少女たちの心の揺れ、青春の陰影にふれていく。
[『リズと青い鳥』公式サイトよりhttp://liz-bluebird.com/news/?id=18]
登場人物に自分を託すのではなく、息をひそめて記録する
劇場アニメ『リズと青い鳥』は、TV放映からはじまった『響け! ユーフォニアム』シリーズのスピンオフ作品だ。本篇シリーズにシリーズ演出(実写映画でいえば助監督)で参加した山田尚子さんが監督を務めている。物語にかかわる設定は本篇シリーズを踏襲しているが、作品世界の質感がまったく違う。
本篇シリーズは、個性的なキャラクター同士がさまざまなドラマを繰り広げる群像劇だった。主人公の黄前久美子の主観を織りこみつつ、作品全体としての視野は大きく吹奏楽部全体をとらえていた。
対照的に『リズと青い鳥』の視野は、きわめて限定的だ。中心となる鎧塚みぞれと傘木希美にフォーカスしている。
公式サイトに掲載された「山田尚子監督インタビューのなかでは、つぎのように語られている。
今回は集団ではなく個を描くお話なので、小さな変化を積み重ねることを大事にしたいと思いました。
また、こんな発言もある。
「少女たちの溜め息」のようなそっとした、ほんのささやかなものを逃すことなく描きたいと思っていました。ですので、例えば目線をずらす様さえも彼女たちの思いから生まれてくるものとして大切に、取りこぼさないように。息をひそめてじっと記録していく、というようなイメージです。
これまで手がけてきた『けいおん!』シリーズ、『たまこまーけっと』『たまこラブストーリー』、『映画 聲の形』、そのすべてにあてはまることだが、山田監督はキャラクターを操り人形にしない。それはたんに作劇的な調整ではなく、もっと深く作品づくりの根本に関わるところで、キャラクターの個性(トータルな人格)を重視するのだ。山田作品の登場人物は、山田監督の自己投影ではないし、監督の思想の代弁者でもない。
[『リズと青い鳥』パンフレット]
山田監督のインタビューやコメントを読むと、登場人物を実在するように扱っていることがわかる。たとえば、『リズと青い鳥』のパンフレットに掲載されている、脚本担当の吉田玲子さんとの対談で、こんなことをおっしゃっている。
ふたり(みぞれと希美)の思いとかこれから歩んでいく道を私が勝手に決めるわけにはいかないので……。なので希美のいう「ハッピーエンド」という言葉になんとかすがろうと思いました。
引用中の「ハッピーエンド」とは、吹奏楽部が演奏する曲「リズと青い鳥」のもとになる童話を読み、その感想についてみぞれと話すなかで、希美が口にした「物語はハッピーエンドがいいよ」のひとことだ。その場面は、この本予告60秒ver.で確認できる
https://youtu.be/MBDaON4IPnc
[本予告60秒ver.]
説明的ではない、作品世界のリアリティを引きたたせる音
『リズと青い鳥』の原作小説、武田綾乃さんの『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章』については前回のコラムでふれた(「【リズと青い鳥】別々の翼で、途方もなく大きな空へ」)。
アニメは原作の魅力を最大限に引きだしているが、文章作品の表現と映像作品の表現はおのずと違いはあり、大胆な組み替えやエピソードの省略、視点の変更などをおこなっている。それは、山田尚子監督の前作品『聲の形』(こちらは漫画原作だが)と同様だ(「『映画 聲の形』を観て[1]】涙が映しだす世界」参照)。
いちばん大きな違いは、原作がそれまでのシリーズ長篇とおなじく群像劇だったのに対し、アニメ『リズと青い鳥』がみぞれと希美に焦点を絞ったところだ。それに伴って、シリーズを通しての主人公である久美子の出番が大きく減っている。原作ではみぞれと希美の関係に久美子が絡む場面が多々あった(久美子が意識的におこなう場合もあれば、なりゆきで居合わせてしまう場合もある)が、アニメではまったくない。
しかし、ここが山田尚子監督の山田尚子たるところなのだが、みぞれと希美の関係が大きく動くところに、ちゃんと久美子が関わっているのである。
コンクール課題曲「リズと青い鳥」の第三楽章では、オーボエとフルートのソロが大きな役割を担うのだが、それぞれを担当するみぞれと希美の演奏がしっくりあわない。その原因は、互いの気持ちのすれ違いにあるのだが、当事者である彼女たちはそれをどう解消していいかわからない。もろい砂糖菓子のようなバランスが、ふれれば一挙に崩れてしまうかもしれないからだ。
コンクールが近づき、また卒業後の進路も決めなければならない時期で、みぞれと希美のすれ違いはいよいよ抜き差しならぬ状態だった。そんなとき、久美子と彼女の親友の麗奈が、校舎の影で第三楽章のソロパートを演奏する。下記リンクのロングPVでいうと2:00あたりが、演奏後のシーンだ。
https://youtu.be/lQxwNaoFdQQ
[『リズと青い鳥』ロングPV]
彼女たちがなんのつもりで自分の担当でもないところを演奏したか、作中では具体的な経緯はあかされないが(練習のあいまの余興だったかもしれないし、別な考えがあったのかもしれない)、みぞれと希美はそれぞれ別な場所でその演奏を耳にする。
そして、彼女たちが一歩踏みだすきっかけになる。ただし、この演奏がどう作用したかという説明はない。山田尚子監督は場面ごとに意味を固定せず、言葉ですくいきれない含みを残したまま、登場人物に、そして観る側へと委ねていく。
ただひとつ重要なのは、ここでみぞれと希美の心に響いたのが、久美子と麗奈の音楽ということだ。アニメ『響け! ユーフォニアム』シリーズは、言葉や演技でわかりやすく説明せず、音楽によって表現する作品だ。良い例が、アニメ1期におけるトランペットのソロ担当を決める再オーディションでの、麗奈と香織の演奏である。香織は演奏技能にすぐれた奏者だが、麗奈はそれを超えて圧倒的に巧い。その違いを実際の演奏で、観ている者に伝える。この非常にチャレンジングな試みを、この作品の制作陣はみごとに成功させた。
再オーディションのきっかけとなったのが、吹奏楽部副顧問の松本美知恵が、顧問の滝昇にかけたこの言葉だった。
「音楽というのはいいですね。嘘をつけない」
この考えかたが、『リズと青い鳥』でも踏襲されている。
作品の冒頭、課題曲の「リズと青い鳥」をみぞれと希美で練習するとき、希美のフルートのピッチが少し合っていない。この時点で、ふたりのすれ違いがさりげなく前景化される。
また、オーボエの新入部員、剣崎梨々花が徐々にみぞれの内懐へはいっていき、ふたり一緒でオーボエの練習をする場面。希美とは窮屈な演奏しかできなかった(譜面には正確だが気持ちが乗りきらない)みぞれが、のびのびとして音を奏でる。
そして、童話「リズと青い鳥」に自分なりの解釈を見出し、希美との関係にそれまでと違ったかたちで向きあうことを決意したみぞれが、奏者として本当の実力を示す場面。第三楽章を通しての演奏が描かれ、この作品のひとつのクライマックスをなす。過度が演出はなく、ひたすら奏でられた音で観る者を納得させる。
久美子と麗奈の演奏も、またしかり。演奏技量だけでいえば、このふたりと比べ、みぞれ・希美は遜色がないのだが、合わせたときの感じがまったくことなる。みぞれも希美も自分たちの不調和をただ先送りしていたのだが、久美子と麗奈の音を聴いて、もう直視せずにいられなくなるのだ。
演奏ばかりではなく、『リズと青い鳥』は効果音や劇伴もひじょうにキメ細やかに整えられている。記号的に用いられる効果音ではなく、観る者の感情を安易に誘導する音楽でもない。作品世界の色彩を引きたたせる、さりげない波のような調べだ。音響の良い劇場で鑑賞されることをお勧めする。
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