2016年08月12日

『今日より明日へ〔19〕』からの抜き書き(1)

・昭和63年(1988年) 10月12日
・墨田・荒川区記念支部長会
・東京上野池田講堂


今回のスピーチは、
「10月12日は大御本尊御図顕の日である」
という紹介からはじまっている。

内容は非常に濃く、当然、ここでわたしごときが語りきれるようなものではない。
簡単に全体の内容をいえば、「政治家のあるべき姿」とその立場にある者には「権力の魔性」との壮絶な戦いを覚悟のうえにも覚悟すべし、という内容になっている。

もちろん、読みながら付箋を貼っていったのだが、大事な部分が多く、また個々人によって感じかたも異なるので、政治と宗教に興味のある方、あるいは再度そうした部分の点検をされたい方は、是非お読みになるといいでしょう。
わたしなどからすれば、「志」ある議員であろうとするならば、必ず拝しておくべきスピーチであると見ましたがね。

スピーチ自体は、小説家・小母沢寛しもざわかんの作品『大道』をとおして、江戸時代の希代の名政治家・野中兼山のなかけんざんの生きざまを語り、「正義」とはいかなるものかを教えてくださっている。

以下、感じ入った部分を抜き書いておきます。


かのナポレオンは「歴史とは合意の上の『つくり話』以外の何ものだろうか」と語った。(中略)
「正義」であるがゆえにこそ、断じて最後には勝たねばならない。負ければその「正義」もゆがめられてしまう。
とともに、“文字でつづられた虚偽”を見破る「史観」「心眼」というものをもたなければならない。


わたしの個人的経験でいえば、こうした力を養っていくための早道は歴史小説や歴史書を読むことだと思っている。
小説はもちろん、その作品性や物語性ゆえ、必ず嘘や脚色があるといっていい。
だから、どこが嘘でどこが脚色なのかという観察眼を育てるにはうってつけだと思うのだ。

またスピーチの中で先生は、「勝つ」ということに主眼をおいているのであって、「勝った姿を誇る」ということに主眼をおいているのではないことも心に留めおいておくべきかと思う。
例えその時には光があたらなくとも、陰で真実に生き切った人は必ず後世に光り輝くのだから、と。


兼山は藩の政治をあずかる者として誰よりも真剣であった。何事も率先し、全責任をもってことに当たった。ささいな小事も、絶対にゆるがせにはしなかった。
「大きい提も蟻に崩されることがある」と知っていたのである。


いわゆる「蟻の一穴」である。
例えば、自公与党が中心になって進めた、PKO任務における武器使用の緩和、駆けつけ警護任務の導入などなど。これらが平和の要塞に対する「蟻の一穴」であることは明確だ。というよりも今の状況は「蟻の多穴」でしょ。穴だらけ。しかしそうであってさえ、いまだに目覚めない人がいることも現実だ。
こういうことがわからないということは、愚かだということなのだろうが……。

私欲なき人は強い。「私心」や「エゴ」や「我欲」を捨てた分だけ、その空いた部分に「小我」を超えた天=宇宙の力がみなぎってくる、と彼(兼山)は言いたかったのだろう。これは宇宙そのものが「無私」の大我の世界であり、慈悲の当体ととらえる仏法に一分に通じる。


「いまだ此の事にあはざりし時より・かかる事あるべしと知りしかば、今更いかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずと・をもい候へば、此の心のいのりとなりて候やらん・そこばくのなんをのがれて候」と。(御書1146ページ)
すなわち日本中から大聖人は迫害をうけた。しかし、いまだ、難にあう前から、こういうことは必ずあると知っていたので、今さら何があろうとも、他人をうらみに思う心をもつべきでないと思ってきた。
その覚悟の心が自然のうちに祈りとなったのであろうか。これまでの難を生きのびてこられた、との仰せである。


非常に重要な意味のある御書だと確信する部分だ。
信心の世界であれ、社会的なことであれ、なにがしかに精を出せば、他人にとやかくいわれることなど当たりまえの事、、、、、、、なのだ。
そうしたことを知っていれば、言われたからといっていい返す気にもならないし、むしろ言ってきた相手の幸福を祈れるものでしょう。そしてそうした祈りがあったからこそ、難を小さく受けてこれたのだ、と。

非常に道理にみあった考え方でしょう。
言われたことに言い返していれば、騒動は大きくなり、下手をすれば他の人を巻き込み、いよいよ悪を増長させ、自らの難を大きくさせるだけですからね。そんなことをしているくらいなら、自他の幸福を祈ればいいし、相手の幸福を祈って口を閉じていれば、自身が受ける難が小さくなるのも道理ですよね。

しかし――
これを実践するとなると、難事中の難事なんですね。
もちろん、法を下げ、法を踏みにじる輩に対しては断固声をあげていくべきだが、これとても単なる批判や世間法に基づいて批判するなら、意味は無い。法に照らしてこうあるべきだ! と「正義」を提示する言論があってこそなのだ。
なんでもかんでも批判すればいいとか、悪いことをしているその悪事だけを糾弾しても意味など全くないのだ。
なにが正しいのか!? これを提示してこそという部分を見落としている人が多いのは残念である。


だれでも、“絶頂”の時が最も危ない。登り切れば、あとは下るしかないからだ。“登り切った時”とはいかなる時か。それは決して立場や周囲が決めるものではない。自分が決めることである。すなわち「慢心」が絶頂の時こそ、危険の“絶頂”にある時であり、それは「心」の問題なのである。

この一文からして、他人ばかりを見てあれこれいっている人は、自分が慢心していることに気づけないのだと結論できよう。大事なのは、今ここにいる自分をひたぶるに謙虚に見つめ抜く眼だとわたしは確信している。
いわずもがなだが、絶頂の時に己心にさす魔こそ、「第六天の魔」ですよね。
勝って兜の緒をしめよ――と。

かつてこんな経験をしたことがある。
折伏が決まり有頂天の喜びにあったわたしは、牙城会の任務につくために自転車を飛ばしていた。飛ばしていていいことなどあるわけがない。ご想像のとおり、バイクと接触事故を起こしてしまったのだ。
幸いなるかな。守られたとしか言えない状況となり、バイク乗りの方に
「てめぇ死にてえのか! 馬鹿野郎!!」
と罵声を浴びせられただけで、警察沙汰になることもなく、着任に遅刻するこもなかったのだが、今でも転倒して破損したバイクから油を垂らしたまま、去っていったバイク乗りの方の後姿が脳裏に焼き付いている。

このときほど、慢心の恐ろしさを体験したことはない。
それからというもの、嬉しいことがあった時こそ冷静であろうとしつづけている。


「指導者」は民衆のために自らを犠牲にして、人を育てる。「独裁者」「権力者」は自らの保身のために人を使い犠牲にする。人を育てたか否かの一点でこそ両者は厳然と分かれるのである。

こうした稀な人材がいるのかと、例えば周囲を見渡してみれば、なかなかいない。
ブログひとつにしてもそうであろう。自分の悩みや不平不満、あるいは己心に抱える憂うつを吐き出して、それを立派な文章にしている人はいるが、それが人を育てる何がしかに役だっているのだろうか?
そうした姿をみせていて、それが「善き見本」になるのだろうか? 人を惑わせてしまわないのだろうか?
偉そうないい草だが、わたしはそう見ている。

公明党にしても同じですよね。いつだかの山口代表の言葉。
「政治家はどんどん法律を作るのが仕事。それをやればいい」と。
先生のお心がわかっていれば、こんな言葉は出てこないはずだ。ましてや共産党攻撃などするはずがない。
先生のご指導を学び、ものを見ていけば、なにが「正義」かははっきりわかるものではないでしょうか。



さて、私事をば少しばかり。

7月11日から、一体何度目の再建設かもわからない自己建設の戦いをはじめて1か月が経った。
もちろん、満足ゆく結果でないことは誰よりもわたし自身が知っている。しかしまた負けなかったひと月であったことも認識している。なぜかなら、わたしは「6割勝利でいい(それ以上勝つと必ず慢心するからだ)」という指導を心に刻んでいるからだ。

1年以上もほぼひきこもり状態で陥った体力精神力のなさがそう簡単に回復するわけはない。日中起きていつづけることすら不可能。夜は異常に目がさえて不眠症。少し歩けば酷い疲れを覚える。そんな状態からのスタートだ。ウォーキングもまずは公園1周からはじめ、今は行ける日は3周(3.6km)してもさほど疲れを覚えなくなりつつある。

しかしひきこもり中だって、わたしはわたしなりの戦いをしてきたつもりだ。7月10日までは何を犠牲にしても政治における「正義」とはなにか? を徹して訴えていくということを決めていたし、それを実践してきたことも知っている。

結果、反対意見のコメントや凄まじい暴言すら吐き掛けられました。名誉なことと思ってます。いつか必ず悪口いわれるだろうと思ってましたからね。そして今も、数年前のことをもちだされて、悪口をいわれています。名誉なことです。
だからこそ、悪口をいってきた人の幸福をわたしは真剣に祈っています。
もちろん、そんな悪口に反応していい返そうなどとは、これっぽっちも思っていません。どうぞ、心ゆくまでいい尽くしてくださいませ。

日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし(開目抄)

どんなに弁舌にたけていようが、どんなに立派にディベートできようが、他人を評価分析できようが、そんなものにはほとんど価値はありません。悪意の罵詈雑言や難を忍び、相手の幸福を祈れる「慈悲」ある自分かどうか? 見るべきはこの一点でしょう。そして、そうした振る舞いに徹してこそ日蓮仏法者であるとわたしは確信している。

もちろん、わたしだって人間であり凡夫ですから、一時は納まらない感情もあって、書かなくてもいい記事を書いてしまい。後々、「あれは書いてはいけないものだった」と猛反省したりしています。
まだまだ自分は忍耐力(慈悲)が弱い。そう痛感もしました。

当然、さきにあった御書のように、暴言をいってきた人の幸福を今でも祈っています。もちろん、これまでも祈ってきました。そんなことをいちいち公言する必要もないので、一切触れてきませんでしたがね。

ともあれまだたったの1か月です。
油断も甘えも排して一歩一歩、地道に前進していこうと決意しています。



石田三成という人は、けなげなまでの理想家であり、理想を標榜しすぎたゆえ、人情の機微がわからず、へいくわい(横柄)者といわれたが、「正義」への思いは誰よりも強かったのだろう。
処刑されるその瞬間まで、決して可能性を捨てずに「正義」を貫ける者は自分しかいないと思い切っていた人だ。あっぱれといえる。

そして三成の侍大将・島左近は、例え討死しようと「正義」のために我が身をはって死んでいった男だ。
わたしは左近のようでありたいと思っている。三成の「正義」への理想を決して捨てない心に共感しながらも現実に生き、そして死んでいったのが島左近といえるのだはないだろうか。

人それぞれ舞うべき舞いはちがう。それでいいと思っている。桜梅桃李なのだから。
「心」さえ同じであれば――。

最後に勝てばいいのである!


伊方原発が今日、再稼働されたようだ。
非常に残念な結果だが、わたしは祈る。原発ゼロの世界を実現するのだ! と。
民意を無視する権力との闘争に終りはない。

コメント一覧

1. Posted by みかん。   2016年08月20日 21:47
こんばんは。
私は歴史にも疎いので、実は石田三成もよく知りません(^^;)でも記事の文章を読んでちょっと興味が出てきたので、また時間がある時に動画を見てみようと思ってます(^^)

ところでイプシロンさんの「自己建設の戦い」、凄い凄い!素晴らしいっすね!
この記事で「1ヶ月経った」とありますが、まずは1ヶ月継続出来たら2ヶ月も大丈夫、そして3ヶ月継続も必ずと思います。
私も新しい事にチャレンジして長期的に継続させようとスタートさせた事がこれまでいくつかあるんすけど、経験上、最初の1ヶ月~2ヶ月はがむしゃらで、一番キツイ汗
それを3ヶ月継続出来れば、習慣・日課としてかなーり身に付きます(・∀・)
前にコメントで書かせて頂いた『新・人間革命』の読書が新たに日課として加わりましたが、スタートして昨日でちょうど1ヶ月経ちました。
バイト先のお盆商戦や人が辞めた事による負担急増の余波でしばらくテンテコマイのキリキリマイでしたが、全ての事を欠かさず継続させていまっすん!
(「1日1イラスト」は昨日今日で7枚の溜め描きしましたー笑)
イプシロンさんも日々様々な事に挑戦&それらを継続させていらっしゃると思うと、自分もますます「よっしゃー!」てなりますYO!
これからもお互い無理は禁物でチャレンジしていきませう(*^o^*)継続は力なり!すよね☆
2. Posted by みかん。   2016年08月20日 22:12
追記みたいな追伸です。
別記事に「他人の不幸の上に自分の幸福を築く事をしない」とありました。
他国への武器輸出の事に触れられていらっしゃいました、私も同感でした。
去年市議とお話させて頂いた時も、武器輸出3原則を実質反故にした事を、至極残念であり、放棄しないでほしかった事を言いました。
代わりに閣議決定された防衛装備移転3原則ですが、当時も学会員さんの反対署名運動が盛んで、公明党本部に署名用紙を持って行くも頑なに受け取り拒否だったらしいっすね。
安保法制の反対署名も丸3日間は受け取り拒否でしたよね。武器輸出の時も同じだったんだなぁと、後々知りました。
ちなみにこの武器輸出の事、知り合いの年配のご夫婦と先月お話した時に、「仕方がない」と言われました。
「それで人命が奪われるかもしれないのに?一部の大企業が儲かるから可能にさせたようなものですよ。戦争はお金儲けと言われるけど、日本もそれに十分加担する事になるんすよ?」と聞いたら、それでも「仕方ない」って。
なんか、ムッカーときて、「仕方がないって何事っすか?どこかの国の沢山の人の命が奪われても、それでも仕方ないなんてありえない。他国の犠牲の上に成り立つ日本の経済の潤いなんてうんこみたいな…うんこ以下。信じられないっす…」とか生意気な事を言い返しちゃいました汗
みかん。ってば(゜ロ゜)
でも、ミジンコも反省も後悔もしてないっすー。
これからも、こういう事、しっかり見ていかなくちゃと思ってます。
長々と失礼しました。
それではm(_ _)m
3. Posted by みかん。   2016年08月22日 21:01
こんばんは(・∀・)
石田三成の動画を観ようと思ってお邪魔させて頂いたんすけど、削除されていますね(著作権の問題で)。
ま、仕方ないっすよね。
また機会があれば自分でも探して(調べて)みよっかなーと思ってます(^^)

関係ないのですが、今日の聖教新聞の「声」の欄のひまわりの写真が凄くいいなーって思いました☆
昔大fanだった(今もたまに聴く)19がひまわりの歌を元気一杯(?)歌ってましたが、ひまわり関連で言えば近年では、よく聴いている秦基博さんの「ひまわりの約束」という歌が大好きです♪
(映画版ドラえもんの主題歌でした)
この歌の歌詞は、ドラえもんとのび太の関係を基博さんが改めて考えて綴った内容なんすけど、聴いていると友情の奥深さや壮大さも感じられてホロリときます!
誰かを想っている時、この歌を聴くと余計に相手の事を大切にしたいと改めて思うみかん。でございます。

前のコメントで、ムカーっときて相手に生意気な事を言い返した事を書きましたが、その時はそんなんでも、その話が終わればお互いケロッとしたもので、自分にとって大切な人達には変わりなく、いつも通り。
価値観や意見の差異は、いつでも誰とでも尊重しあいたいと単純・純粋に思っているので、こういうのも問題なしっす(・∀・)だから、安心して下さい☆

まだまだ暑い日が続きますが、お互い暑さに負けず&無理せず&おいしいもの一杯食べて(?)ゴーゴゴー(^o^)
お返事はお構いなくですm(_ _)m
4. Posted by イプシロン   2016年08月24日 14:58
みかん。さん、こんにちは。
リコメ、遅くなりました。

いやはや、褒めて頂いてますが、行き詰ってますよ。
仰るとおり、スタートを切った1か月~2か月がポイント。これはその通りだと思いますよ。
最後の最後は自分に負けないという精神力以外になにもないのですが、ある時期からその精神力が持続できなくなったんですね。

その原因は自分なりに把握はしているんですが、これを解決するのが一番困難かと思っています。
あれこれ言いだすと愚痴になるので書きませんが、一言でいえば、自分の中から「縁を引きだす」という自分の一念ということなのですが。

ともあれ、世の中を見わたすと批判しかない。とにかくそれが今のわたしの一番の苦痛です。良くしたい良くなりたいと思っているのなら、なぜ他人を批判したりせず、「自分はこんなことをこうやってるよ!」と例え小さなものであっても、そういう姿・言動をしていけば、それを見た人は励まされるのに、とにかく批判しかいえないのはどういうことなのかと……。
5. Posted by イプシロン   2016年08月24日 15:10
ともあれ、みかん。さんのことは、こういういいかたはあれですが、心配していませんよ。
これまでわたし自身、みかん。さんと関わってきたなかで、今を大事にされて物事を判断されてると感じているからなんでしょうね。

人間ですから、少なからず過去にあった出来事に左右される部分は誰にでもあるのでしょうが、みかん。さんはその辺りがしっかりしてると思うのですね。

ですから今回のコメントからも、例え言いあいになっても、そこにはそれが言いあえる信頼関係があったからということは言外に伝わってきましたよ。

で、石田三成ですが。動画削除はある意味しかたないですかね。でも、大河ドラマのわずか5分くらいに煩いことをいっていたら、その5分から興味をもてるという縁すら抹殺するような風潮、わたしは好きになれません。
だったら映画の予告編にだって著作権あるだろうに、という話ですね。

やたらに音楽やYou Tubeの著作権には煩いわりに、ネットでは常識でもある、ソース元を提示してリンクを貼るという常識され踏襲せずに、他人が撮影した画像や他人の文章の転載には疎いという著作権感覚もどうかと思いますね。
ちなみにわたしなど、これまで様々な画像を貼ってきましたが、どれも自分が撮影したものだったりするわけで、それ以外を表示する場合、あくまでもソースを提示してリンクでソース元に飛べるようにしていましたけどね。
6. Posted by イプシロン   2016年08月24日 15:23
ずっと前に動画著作権に関しては、あべひ氏などとも議論したことがあるのですが、わたしはそれ以降、考え方は変わってないのですね。

結局のところ、著作権など、それを作った人が生きてるあいだでいいんですよ。なぜ他人が制作者に寄生してまでうまい汁を吸おうとするのか。わたしなどはそんな考え方なんですけどね。
映画などのように多くの人が携わるものであれば、50年~100年もすれば、関わった人はみな死に絶えるんですから、せいぜいあっても100年でいいと思うんですけどね。
20歳で映画製作に関わったなら、70年経てばその人は90歳。だから本当は70年くらいが妥当だと思うんですがね。

しかしどんな方法論を取るにせよ、他人の著作を侵害し利用して自分を飾る(ときに金儲けする)人はいるんですよね。

本当に大事なのは、そういう人間悪をなんとかすべきところなのに、それが出来ないから、アップする奴がいるから悪用される。だからアップする奴を取り締まれという本末転倒の方法論しかとれない社会性の低さに問題の根本があると見ています。

この点は、世の中のほとんどすべての物事に当てはまると思うんですけどね。
悪いことする奴がいる。だからそれを防ぐためには、みんなで自由を奪い合う結果になっても、予防のためにこれこれこうする……みたいなね。
あくまでも理想論にすぎることをいってるのも、わかってはいるんですがね。

ともあれ、コメントありがとうございます。
7. Posted by イプシロン   2016年08月24日 15:29
そうそう、時間を作られて一般書も少しずつでも読まれるといいと思いますよ。

万般の知識をつけていきなさい。
それが先生の思いですからね。

とくに歴史ものは「史観」、つまりは繰り返されてきた人間の歴史的事実を見抜く眼、もっとはっきりいえば、心の世界がいかに現症となって顕れてきているかを見抜く力を養えるので、恐らく最も重要だと思うからです。
別の記事に書いた、アイトマートフ氏の「哲学的にして現実主義の深い洞察に基づいたものであり、歴史観の上から行きついた結論」というのが史観であり現症のことをいっているのでしょうから。
8. Posted by みかん。   2016年08月26日 21:32
こんばんは。
わざわざご丁寧にお返事ありがとうございますm(_ _)m

著作権の事は正直私はよくわからない上に無頓着で、イプシロンさんのお返事を読んで「ふーん、そういうものなのか」という程度の認識でした(^^;)すみません!
私はわりと何でも「そこまで神経とがらせなくてもよくね」と思うタイプでもあるんすけど、観たかった動画の削除は「あちゃー」とひたすら残念に思いました。

あと、色々とお気遣いありがとうございます(・∀・)
そうっす、信頼関係が基盤で、どういう人なのかを知っているのはやはり大きいっすよね。
よっぽど不誠実で普通の会話も成り立たない(例えば、人にはめっちゃ質問して答えさせるのに回答を無視とか、自分は相手の質問に殆ど答えないとかですね。実際そういう事が少し前にありました汗)とかでない限り、意見や考えの相違は当たり前の事として、言い合いもその場限りになりますね基本。

あー、一般書を読む事!ほんとにそうっすね。
好きな作家や気に入った本は繰り返し読む傾向がある(よしもとばななや沢木耕太郎の小説、銀色夏生や西原理恵子エッセイとか…)し、本屋でよく色んな本を立ち読みもしてるけど、おっしゃるように歴史の分野はてんで本を読まないんすよ(゜ロ゜;)
以前「とにかく読みなさい」と言われてトルストイの『光あるうちに光の中を歩め』を古本で買って頑張って読みましたが、当時は読んでもぽけらー…となりました汗
今読んだら多少違うのかな(^^;)
また少しずつでも読書にもチャレンジしていけたらいいなと!
ありがとうございます!
9. Posted by イプシロン   2016年08月27日 00:00
みかん。さん、こんばんは。

著作権は、実際に自分がつくったものを他人に利用(悪用)されたりした経験がないと実感がわかないのが実際かと思いますよ。
わたしはもちろん、デザインの仕事をしてきたとき、そういう酷いことをする人にあいましたけどね。

しかし、そのわたしが考えたものだって、もとはといえば誰かのアイデアと誰かのアイデアを組み合わせたもの。そう気づいたときに、「ああ、自分なんてないんだ」と思えたんですよ。
色々な事象・存在がただ自分の中に流れこんできて(取り入れて)、それを少し自分の中で形を変えて世の中にまた戻しただけなんですね。その際、善き形にして戻そうとしているのが仏法者だと今は確信しています。

そういうことに気づいたとき、「ああ生命というのもそういう“縁の流れ”であり、自我に拘れば拘るほどおかしくなる」ということにも同時に気づいたんですけどね。
仏法でいう「依正不二」ですね。ゆえに人間は生きているのではなく縁に「生かされている」とわかったんですね。それがブログのタイトルでもあるわけですが。

ゆえに大袈裟ないいかたですが、著作権も生命も、本来は共有財産である、というのが私のものの見方だったりしますよ。

一般書。いきなりトルストイの『光あるうちに光の中を歩め』はちょっと大変だったかもですね。確かに薄い本ではありますが、あれはとても哲学性がある小説ですからね。

まずは興味をもったものから。自分を引き合いに出すのはあれですが、例えば今回、石田三成に興味を持たれたなら、まずそういう小説からといったように、興味を持った部分からはじめるといいと思いますよ。大河ドラマを見て興味をもったとかでもいいですよね。
みかん。さんなら出来ます。大丈夫ですよ!
政治のことも、とても勉強されてこられたんですからね。

ありがとうございます。
10. Posted by イプシロン   2016年08月27日 03:07
そうそう、トルストイの『光あるうちに光の中を歩め』にある哲学を簡単にいえばこうなるはずです。

信仰といってもそれは単なる観念論や思想ではない。行動とそれにともなう経験・体験こそが全てである、と。

トルストイはこの作品で、信仰者として思想に生きた人と、信仰のしの字も知らない庶民が、自分のなすべき仕事(例えば農業とか)に徹して生きたなら、それ自体が実は崇高な信仰であって、信仰者として思想に生きた人よりも尊いのではないか? という問いかけをしているようです。

作品としては、信仰者と俗世間に生きる俗物という、大袈裟な対比になっていますが、真実を語っている素晴らしい一冊ではあると思いますよ。

信心をする者としては、読んでおいて損はない一冊といっていいかと。
11. Posted by みかん。   2016年08月31日 12:42
こちらでもこんにちは。
トルストイの読書のちょっとした感想は、せっかくなのでこちらに書かせて頂きたいっす。

こちらで頂いたお返事のイプシロンさんの言葉の通りだと。今こうして改めてお返事を拝見すると、まさしく!!と思いました。
さすがっす。

この『光あるうち光の中を歩め』は、冒頭(プロローグ)から客人達が生き方についてあーでもないこーでもないと論じ合ってますよね。
本編でも、ユリウスとパンフィリウスの議論めいた台詞の掛け合いが繰り返されて、ユリウスがキリスト教徒の世界に向かう決意をすると別の人が講釈を垂れ始めて、ユリウスの決意がそのたびに揺らぎ、結局晩年に近づく年齢になるまで入り込む(実行する)事が出来なかった…。

私にこの本を読むようにすすめて下さった人は、なんでだったのかなと当初(2009年頃)から謎でした。
再読したら、当時の自分は、恐らくそのまま行くとユリウスみたいになっていたかもしれないな…とふと思いました。
当時の自分は、信心を真剣に受け止める事すら出来ず、従って何1つ真剣に実践しないまま、あーでもないこーでもないと借り物・偽物の理想論や批判を重ねていたように記憶しています。
組織や同志(幹部)への不満を目一杯抱いて、そのくせ何もしなくて、でも信心に対する興味や純粋な思いだけはあって…。あーだこーだと口にするけど、疑心や迷いが拭えなくて、何も出来なかった。
その方には、ユリウスとみかん。が重なって見えていたのかな??と、今になって思いました。

何事もそうですが、信心も、やってみないと当然なんにもわからない。疑惑や不信に支配されて行動出来なければ結局損をする。
だからその方は、私に、観念の遊戯はやめてとにかく行動(実践)してみなさい、という事を、この本を通して言いたかったのかなと。

続きます
12. Posted by みかん。   2016年08月31日 12:53
なので、
「信仰とは、単なる観念や思想ではなく、行動とそれに伴う経験体験こそが全て」
というイプシロンさんの言葉は、ほんとにその通りだなと改めて、この本を読んで痛感した次第っす。

更に、「信仰のしの字も知らなくても、自分のなすべき仕事に徹して生きたなら、それこそが崇高な信仰」という内容の言葉。
これは、私なんかからすると、めっちゃ深いと感じましたm(_ _)m全くその通りだと思いました!

改めて、思想のみにとらわれて言葉ばかり立派な人間にはなりたくないというか、言葉は置いといてもまずはどんどん行動していく自分でありたいと、思いました!
それは、この本もそうだし、絶大な信頼と巨大な尊敬を抱く大好きな中村哲医師の、真の国際貢献と人道支援、そして平和創造のアフガンでの地道でありながらこの上ない偉業の行動もそうっす。
繋がっているんすね。

とにかくやっぱり、どうとでも言える言葉は二の次にして、「行動とそれに伴う経験・体験」すね!!

今日も何やら色々長々コメントを書かせて頂きました。いつも長くて申し訳ありません&ありがとうございますm(_ _)m

ではーm(_ _)m
13. Posted by イプシロン   2016年08月31日 17:08
みかん。さん、こちらでもこんにちは。

仰るとおり、観念の遊戯になっては意味はないのですが、しかし思索することも大事だとトルストイは言っているのではないでしょうか?

究極的には、「行動することが生きること」というのはその通りなんですね。けれどもそこでしてきた体験・経験を自分で見つめたからこそ、最後にパンフィリウスは信仰の高みに、体現者として立てたわけですよね。

体験だけでもだめ。かといって思想だけでもだめ。その双方をいい塩梅で調和させてこそ。つまり極端にならず中道(中庸)で生きていきなさいというのが、トルストイがいわんとしていることなのだと思うのです。
もちろん、見つめるべき体験がなければ思索のしようもないので、娑婆世界では行動こそ最優先課題だということにはなりますが。

しかしこれまさに仏法の思想と行動なんですね。
こういうところにトルストイの凄さ(キリスト教をベースにしながら、妙法を語っている部分)があるのだと思うのです。

わたしがトルストイショックを受けた作品は、中学時代だったかに読んだ『人にはどれだけの土地がいるか』なんですけどね。

あらすじは、ある男が日の出から日没までに歩いて囲った土地をもらえると言われ、やっきになって歩くんです。でも欲張った男は歩きに歩き、日没時に疲れきって倒れ、死ぬのです。
結果、彼に必要だったのは、彼を埋葬する土地だけだったという寓話です。

簡単にいえば、自分自身に生きろ! とトルストイはいっているのですね。
中学時代、この話を読んでわたしは衝撃をうけたんです。

こんな小噺的なところからでも、またトルストイに興味を持ってもらえたら嬉しいです。

それにしてもお嬢さんの読書量は凄いですね!
今から楽しみじゃないですか!!
わたしがいっても説得力ないかもですが、若い時期に本を読んでいるって本当に素晴らしいことですよ。

コメント、感想、ありがとうございます。
14. Posted by みかん。   2016年09月03日 10:44
おはようございます。

おー、トルストイの本について、更に噛み砕いてわかりやすく説明して頂き感謝っすm(_ _)m(*^o^*)
はい、勿論、「思索」は大事です。
そもそも、考える事は生きていく上で必要不可欠な事。
ただ、考えてばっかりで行動しないとか、たいした思索もせずに行動もせずにいて言葉だけ一方的でやたらと立派とか…それではなんも意味がないという事が言いたかったわけであります!
(ケロロ風・笑)
なので、イプシロンさんがおっしゃる「体験と思想の調和」というのもその通りだと思っています。

先日Facebookで、「深い議論。各人の良識を呼び覚ますので、悪党は議論を好まない」と語っている人がいました。

議論というとどーしてもあまり良くないイメージあるんすけど、議論というより本当の対話の事を言ってるのかな?と勝手に想像しました。
本当の対話って、意見や考え、価値観の違う人との語り合いだと思っているので、自分の聞きたくない話(自分への指摘や苦言も含めて)や興味のない話も、相手が発信してくれるなら受け止める度量は自分自身いつでも持っていたいなぁとと……て、あれ、いつの間にか「思索」からこのような到着点になってました(゜◇゜;)

なんか、自分に都合の良い部分だけに反応したり、相手の話も質問も無視(すっ飛ば)して自分の言いたい事だけをなんだかんだ終始一方的に話す人もいますよね…
逆にこういうのは対話はおろか普通の会話もきっと成り立たないのでせうが。

とにかく、深く考えたり思索している人の言葉や行動は比例して重みを無意識のうちに感じ取ります。
中村医師も当然思索を重ねてこられながらの行動だと思っています☆
中村医師の話し方はぼくとつ&淡々としているなと思うんすけど、行動も思索もバッチリの中村医師だからかもですが、こういう話し方もいいなぁーってYouTube観ながら思いました。
(ただのbig fanすかね)
15. Posted by イプシロン   2016年09月04日 14:25
みかん。さん、こんにちは。

以前にもリコメに書きましたが、わたしはわたしの感じたことを語る。みかん。さんはみかん。さんが感じたことを大切にしていく。わたしはそれが一番いいと思っています。

大親友だったゲ-テとシラーもそんな風だったそうです。
時に二人は意見が正反対になることもあったそうです。でも二人は互いに「どうせいっても聞かないだろう」と知っていつつ、自分の意見を伝えあったのだそうです。

しかしその奥底には、「いつか僕のいったことが役に立つときもあるかもしれない」という自分の中の希望を、相手への思いやりに変えて言葉にしあったのでしょうね。

ネットでの議論を見ていると、何か互いがある程度共通の認識になれないなら議論しない。そういう風潮ばかりが目につく気がします。
しかし議論というのは、「答え」を出すことではなく、互いに「良くしていきたい」という意思表示なのだと捉えていければ、喧嘩腰にもならず、答えを求めてのせめぎ合いにもならないのだと思うのです。

仰るとおり、思索している人の話し方はやはり違うと思います。
中村医師もそうですが、どこかゆったりとした朴訥さがあるように思います。

考え考え話している、考えながら行動してきた結果そう思うようになった。そういうものが言葉選びから見えると思うのです。だからきちんと思索している人同士の会話を見ていると、必ずといっていいくらい「今考えてます」という「間」があるように思うんですね。
16. Posted by イプシロン   2016年09月04日 14:26
ともあれ、わたしが一番に嬉しかったことは、わたしにたまたま言われて、みかん。さんが、すぐ本を手に取って読んでくださったことです。
自分でやってみることでしか感じられない思いを、みかん。さん自身の力で創っていかれる姿を、こうして見せてもらえたことです。

多少の感想や意見の違いなど、それほど問題ではないと思っていますよ。言葉だけで100%正確に物事を伝えあうのは不可能ですしね。

しかし「読んでみるといいですよ」という気持ちが伝わり、「読んでみましたぁ!」という気持ちが形になった。こんなふうに「心」を伝えあえれば、満足してしかるべきだと思うのです。

ありがとうございます。
17. Posted by みかん。   2016年09月06日 11:23
はい、そうっすね!
もう全て、共感と賛同の気持ちいっぱいでお返事を拝見致しましたm(_ _)m☆
何も言う事ないくらい、ひたすら頷いて読ませて頂きましたm(_ _)m☆彡
ありがとうございました。
18. Posted by イプシロン   2016年09月06日 14:12
みかん。さん、こちらでもこんにちは!

リアルであっても、ネットであっても、一緒に何かをする。同じ対象に対して考えてみる。
やはり、そういうことが大事なんだと思うのです。

そこで感じることが違うのは当たりまえ。だって桜梅桃李ですからね。ならば認め合えばいい。けれども、生命尊厳を脅かすことを言いだしたら、それはちょっと違うと思うと、自分の思いを投げかければいい。問いかければいい。だからといって押しつける必要はない。

口でいうと簡単なことに見えるんですが、行うは難しなんですよね、これ。

ありがとうございます。

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