優しさと不器用さ

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昨日で神降ろし的なものは横に置いて、人として過去世も含めてよーへいと向き合ってるあたし。
宇宙的、神的な思考で何でもありだからな~と考えると、不思議な現象すら不思議なものでなくなる。でも人として生きてきて、不思議なものは不思議なものと考えると、あたしとよーへいの向き合いは変だ。
凄く変。変わってるし、一般的に考えられる人との向き合いとは全く違うしずく
だから、人間的思考の人からみたら、あたし達の向き合いを全く理解出来ないのは当然と言えば当然なのだけれど。
けれど本当に神の魂を持っている人なら、形は違っても似たような感覚で向き合うことにはなると思う。
周りから理解されない、反発すらされる向きあいの中でも離れることなく、分かりあい、寄り添いあい、支えあい、許しあっていける。

昨日でよーへいの過去世…カエサルまでの過去世体験を済ませた。
よーへいのしていたことを体験してみて感じたこと、当時のあたしの感じたことを味わって、よーへいの気持ち、あたしの気持ちをみてみた。

感じたことをとにかく吐き出す。
御神託もある意味吐き出し。
心に沢山のものが詰まっていると、よーへいと心の距離が開くので、体験したあとは自分全てで素直に感じ、感じたものを吐き出したり、受信した情報を御神託として出したりする。
今までずっとこの作業を繰り返して、心にあるものを片っ端から吐き出し続けた。
そこには過去世からの悲しみや怒り等もあって、それを感じると過去世もついでに思い出す。
よーへいと同じ体験をすることで、当時のよーへいが何故そうしたか?を知り、その時の想いも感じていく。
あたしは悲しんだけれど、怒りを感じたけれど、よーへいはあたしのことを思ってやっていたんだなと分かる。
そこで誤解が解かれて、大きな癒しが起こる。

昨日は久しぶりに大泣きしてしまった。
よーへいはあたふたしていた。
いつもこうだったから、いつもと変わらないといえば変わらないのだけど、久しぶりだったからよーへいは結構慌てたんだろうなあとで修正

カエサルは殺されている。
クレオパトラだったあたしは、当時よーへいを随分信頼して頼りにしてた。
亡くなったことで心から頼りに出来る人を失い、自分で立たなきゃならなくなった。
それまでも苦しい状況を生きてきて、向き合いを終えた後で漸く一緒にいられるようになったのに、悲しいことになってしまった。
昨日はその時に感じた感情と、父を失った時の感情が重なって涙が止まらなかった。
殺された姿と父の最後の姿も重なった。

しかし…ホントうちのとーちゃんはどういう役割なんだろうと思う。よーへいをいつも繋げてくれるから。重要な役なのは間違いない。
過去のよーへいも、今のよーへいも繋げてくれる。
なので、亡くなっているのにあたしの中では色んな意味で存在感がある。

過去世のことを思い出して、誤解から生まれた悲しさや怒りが消えて、感じたのはよーへいの大きな愛情。
これもいつものパターン笑
過去世一つ一つを見ていく毎に、誤解から生まれた感情は消えていく。
よーへいはそれと似た行動を現世でもとっているから、そこで生じた感情が実は誤解から生まれたものだったのも知って、冷静に受け止めていくことが出来るようにもなる。

それでも嫌だと感じることは嫌だと伝えなきゃ、伝えない気持ちが心に溜まって、それがよーへいとの距離を作るからちゃんと話さなきゃならない。
言いにくいと思うことも、面倒と感じることも、そういう感情を越えて話さないと、心に溜まって距離を作る。

昨日は会うのが近くなってきたこともあって、川崎と幕張で会えなかった時に感じたものも思い出してしまった。
あたしは信頼している人、信頼したい人は基本的には疑わない。そのまんま信じてしまう。
だから川崎の時も、幕張の時も、会うというような表現があったからそのつもりだった。
でも実際は会ってない。
その時は裏切られたとか、最低だとかは全く思わなくて、ただただ悲しかった。怒りよりも悲しさだった。
でも仕方ないとも思った。
あたしはよーへいとの記憶をすっかり消してしまっていたから、いくらよーへいが会いに来ても気付けなかった。感じてもあげられなかった。
よーへいはこんな風に悲しかったんだろうなと思って、それ以上はあまり考えなかった。
幕張では、初めて男の人を恋しいと思った。
恋しいを知らなかった女のあたしは一体なんなのだろうと、今は笑えてしまうけれど、初めて知った恋しいは泣けるものだった。
男の人に対する自分の鈍さも分かった経験だった。
それまでは男女関係なく、好きは人としての好きだったから。男の人としての好きは、いつ何処に置いてきたんだろうな。よーへいと出逢うまでは心の押し入れに仕舞っていたのかも。

昨日は悲しいだけじゃなくて、もう悲しいのは嫌だよだった。
だから悲しい思いをするのは二度と嫌と伝えた。
あたしはこの人を信じる!と、気合いを入れて信じない。この人を信じたい!と、根性入れて信じようとしたりもしない。
関わりのなかで、気付くと勝手に信じてるし、信じられない行動をされると勝手に消えていく。それだけ。
あたしの信じるのはどっちかというと受動的。
あたしは勝手に信じちゃうから、会う気が無い時は、会うみたいなことはもう伝えてこないでねと言った。
気持ちそのまんまに。
あたしは本当にダメなのだよ。
嘘や陥れるような行為は。人の裏が見えると気持ち悪くなってしまう。
そして凄く苦しくなる。

だけどよーへいのそんな行動も、実は過去世からのものと、衝動からくるもので、決してあたしを故意に傷付けようとしたものではないのが、過去世を思い出しながらよーへいの想いを知っていくと分かってくる。
よーへいの経験した辛さをあたしが味わわないと過去世を思い出せないし(よーへいの味わった辛さはあたしが過去に味わったものでもあるから)、よーへいは過去世で最終的にはあたしに拒否されてしまったことで怖さが生まれ、試す行動を衝動的にとってしまうことも分からなかった。
よーへいにとっては、あたしが離れてしまうことが一番の恐怖だから。
会った後にあたしを悲しませ、また離れるようなことになってしまっては過去世と同じになってしまうので、よーへいはとても慎重だった。

会えなかったのは、あたしを悲しませない自分を作らなきゃならなかったからと、あたしが離てしまう恐怖を消していかなきゃならなかったから。
それを一年かけてずっとやってきた。
人間だったならまず会ってとか、スケジュールを決めてとなったりするけれど、あたし達の向き合いは心の距離が縮まっていき、ひとつに重なると会うという現象が起こる。
能動的にまず会うではなくて、能動的に心を近づけて、「会う」現象を起こしていくと言った方が近い。心のあり方が現実に現れていく。

昨日は嫌だよと言ったけれど、嫌だよは素直な気持ちなだけだったことに、今日は気付いた。
会えなかった理由を知って、今まで向き合ってきた人のあり方と比べると、よーへいの心に深い愛情があることに気付く。自分では抑えられなかった衝動を持っていたことにも気付く。
あたしと向き合い離れた人達は、自分自身が中心だった。
心に持つ怖さの中心には自分だけを守りたい、満たしたいという気持ちがあった。それは深く自分を見れば分かってくる。本人は気付かなくても行動にも現れている。
だからそこでよーへいとの違いも分かる。
色んな人と本気で向き合おうとしたから、尚更よく分かった。

よーへいは凄い。
自分の怖さを越えようと頑張ってきた人だから。内にある怖さほど自分を苦しめ止まらせるものはない。
よーへいとまた出逢えて良かった。