可能性

テーマ:
あたしはあることを凄く客観的に見ていた。
それは、二人の息子達とそれを取り巻く人達。
基本的には友達とか。

二歳の年の差があるから、関わりあいの中で生まれる問題は違っていたりする。
やはり長男の方が深い内容の問題が多かった。
次男の通う学校はそもそも平和すぎて、先生方には最後の楽園と言われるくらいの場所らしいから、問題自体少ないのかもしれないけれど。
でもどちらもとても興味深い行動を取ってくれた。

あたしはここ二年半の色んな人との向き合いの中で、分かり合える人と分かり合えない人の差は何なのか?も見てきた。
そんな疑問に対してのヒントを、二人の息子達とその周りの子達がくれた。
ああ、なるほどねと納得した。

思春期の子供達は、大人の常識や概念、決めごと等に縛られない子も割りといる。
二人の息子もそうだけれど、その仲間達もかなり自由人。独創的な発想をしたり、一般的ではない行動を取ったり、希な考えを持っていたりととても面白い子が多い。
息子達から聞いたりして笑ったり、感動したりする。

個性が強いし、考えも全く違っていたりするので、本当なら反発してもおかしくない。
けれど、酷い喧嘩には絶対ならないし、次男と仲間達は喧嘩すらない。いつものほほーんと楽しそう。

何故そうなのか?は、長男がとても分かりやすく見せてくれた。
この年齢になると、当たり前にスマホでのやり取りがある。離れている時の連絡手段はいつもそれ。
そこで問題が起こることも世間では当たり前になっている。
使い始めの頃は、スマホでのやり取りでは相手の真意が見えず、???になってたようだった。
何度スマホでやり取りしても伝えきれない、受け取りきれないものがあったようで、以降は直接顔を合わせて大切なことを話すようになった。
それからだった、長男が向き合うことの大切さに気付き始めたのは。

中学時代は幼稚園からの気の知れた友達が多かったから、一言二言でも相手の言いたいとこを察して対応したり、腹が立ったらキツイ言葉を一言言って終わり。それで何の問題もなかったけれど、高校ではそうはいかない。初めて出会った人の方がはるかに多かったから。

スマホから離れて直接やり取りすることで、表情を見ながら言葉を聞くことが出来る。疑問があったらすぐに聞ける。その時の反応も言葉と表情で分かる。
腹の探りあいをしなきゃならないような関係ではないから、お互いが本音で話す。
そんなやり取りの中で信頼関係が作られていったようだった。
信頼関係ができ始めると、深い話もするようになる。それが更に信頼関係を深める元になる。
気を使わなくなっていくことで、逆に遠慮が無くなりすぎて必要以上に突っ込むようにもなり、衝突してしまうこともある。
そんな時も隠さず感情を出し、本音を言い合うことで、やっていいラインをお互いが見せあう。
本当にして欲しくないことは、お互いしなくなる。

大人はそういうわけにはいかなかった。
嫌だ、必要ないということでも、常識的に考えてとか、一般的にはとか、倫理的にはとか、そんな理由でまた同じ事を繰り返し言う人が多い。
それは相手を思っていっているようでいて、そういった既成の決まりごとをそのまま相手に押し付けているだけでもある。
たとえそれらに反することであっても、大人である以上当人がその行動等に責任を持てばいいだけの話。日常的に関わり合う人ならそうもいかない場合はあるけれど、そうでないならばそれ以上の介入は必要ないことも多い。

子供達はその区切りが上手いのだなと思った。
長男は向き合いの中でそういうものを身につけていったけれど、次男とその仲間はすでに出来上がっていた。
かなり個性の強い子の揃った学年だけれど、共通のものでは繋がり、共通でないものや好まないものでは、それは相手を尊重して突っ込まない。
そういうあり方が自然に出来ていた。
だから余計に個性が育つ。
否定されない個性はどこまでも伸びていく。

次男の学年は本当に面白い。
勉強も部活も、自分の気持ちに合わせてやる子が多い。勉強だから、部活だからしなきゃではなく、今日の自分の調子や気持ちを見てどうするか決めたりもする。
心に、体にとても素直。
そんな子供達を先生は温かく見守っている。
色んなことを強要しすぎたりしない。
こんなだから更に個性が育つ。
学年も性別も関係なく、尊重しあえる相手とはいい関係を築いていく。
大人が見習うべきものが、彼らの生き方にはあるように思えた。素敵だった。
個性が育つと自分に自信を持てる。
だからなのか、彼らの笑顔はいつもいい感じ。話していても面白い。

スマホから飛び出して直に向き合い信頼関係を築いている長男達と、穏やかにお互いを尊重していい関係を築いている次男達を見ると、いつも心が癒された。
こんなにも輝くものがこの子達の姿にあるのに、大人は時に考えやあり方を押し付けてそれに染めてしまう。
子の子達の間にあるお互いを認めあうとことで生まれた自由が、いつまでもいつまでも続いて欲しいと思った。

世間の厳しさは勝手に大人が作ったもの。
本当は大人だって、何かに縛られなければこの子達のように認めあっていける。
勉強よりも、運動よりも、本当に大切にするべきものはある。
知っていることよりも、知らないもののなかに大切なものが隠されていることもある。
大人よりも子どもが知っていることだってある。

何かに囚われすぎずにいい関係を作るにはどうしたらいいかな?を、一緒に考えられる人達とこれからはいい関係を築いていきたい。
子供達を見ていてもそう思った。