クー・マーケティング・カンパニー代表 音部大輔氏 「モノが売れない」「顧客が見えない」。価値観の多様化、デジタル化などでマーケティングを取り巻く環境は急速に変化し、複雑さを増している。マーケティングで結果を出してきたプロは、どんな新しい発想で市場を切り開いてきたのか。経験に基づく知恵やノウハウをもとに、マーケティングの本質に迫る。連載1回目はダノンジャパン、ユニリーバ・ジャパン、資生堂などでブランドマネジメントやマーケティング組織の育成を指揮し、今年1月、独立してクー・マーケティング・カンパニー代表に就いた音部大輔氏に聞いた。
■「アリエール」の立て直しが原点
――マーケティングというと、販売促進やブランド戦略を想像する人が多いと思います。一方、最近は最高マーケティング責任者(CMO)という肩書も登場し、経営そのものに近づいている印象もあります。音部さんも多くの会社を渡り歩く「プロCMO」と呼ばれますが、マーケティングをどう定義していますか。
「マーケティング=経営かというと、少し違うと思います。確かにそういう側面もあり、日用品世界最大手の米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)のブランドマネジャーは利益の責任も負います。ただ、経営そのものならマネジメントと呼べばいい。そう呼ばないということは、同じではないからです。マーケットの解釈は2つあって、1つは売り込み、もう1つは市場です。私にとってマーケティングは市場を創造すること。売れる仕組みをつくるなら、営業(セールス)でいいですよね」
――売れる仕組みをつくることと、市場を創造することは違うわけですね。ご自身がマーケティングとは何かを意識し始めたきっかけは何だったのですか。
「P&Gジャパン時代に、洗剤の『アリエール』を担当したことが原点です。当時まだ洗剤は粉末タイプで、大きい箱から小さい箱へと花王が先駆けて変えた頃です。低下していたP&Gのシェアを回復させるのが私の役割でした。アリエールは『どの洗剤よりも白くなる』というのが売りでしたが、競合も『スプーン1杯で汚れが落ちる』とうたっていた。どちらも要は洗浄力です。アリエールは結果的に価格で違いを出そうとして、シェアを落としていました」
「もう一度原点に戻り、アリエールでできることを研究チームに列挙してもらったところ、その中にあったのが除菌でした。半年で立て直しをしなければならなかったため、製品自体を変える時間はなかった。限られた資源の中から除菌という強みに着目したマーケティングを展開しました。その結果、シェアは倍になりました。良い洗剤の定義を変えたことで市場を再創造し、うまくいったケースです」
――P&Gジャパン時代には、消臭剤の「ファブリーズ」もヒットさせました。今までにない新しい市場をどのようにして作ったのでしょうか。
「発売した当初、ファブリーズは『洗いにくい布製品の臭いがとれます』という特長を強調していました。そうすると、大きな犬を飼っている家庭は買ってくれても、それ以外の人は買わない。さらに、1回使うと長時間効果が続くので、なかなか使い切ってもらえず、リピート(再購入)にもつながりにくいという課題もありました」
「そこで『もしファブリーズが70%の家庭で毎月消費されるとしたら、どういうことが起きていますか』という思考実験を社内でしたんです。トライアル(試供品)を何%増やそうとか地道な戦略もあったかもしれませんが、もっと根本的なブレイクスルーを発生させたかったのです。ファブリーズを使うことが掃除のように習慣化するとどんな良いことがあるか。部屋全体が臭わなくなります。そうした意見を積み重ねて、製品の特長を『部屋の臭いをとって快適な空間にする』とスケールアップさせました」
■「孫子の兵法」はマーケティングにも役立つ
――消費者調査からは出てこないアイデアですね。何か発想のヒントはあったのですか。
資生堂ジャパンCMO時代、講演する音部氏 「いずれも、英国の軍事評論家リデル・ハートの著書『戦略論』で書かれている間接アプローチという、正面衝突を避ける方法をマーケティングの世界で実行した例なんです。孫子で言えば『兵は詭道(きどう)なり』(状況に応じて作戦を変え、敵の目を欺くこと)ということです。『孫子の兵法』はマーケター(マーケティングに携わる人)におすすめです」
――音部さん自身もマーケティングに関して、「パーセプション(認識)・フロー・モデル」という独自の手法を考案されています。どういう考え方ですか。
「消費者の認識の変化に着目したマーケティングの設計図です。広告の世界では『AIDMA(アイドマ)』や『AISAS(アイサス)』と呼ばれる、消費者が商品の存在を知ってから購買するまでの行動を追いかける手法が有名です。注意、関心、欲求、購買といった流れですね。しかし、私は行動の背後にある認識こそが一番重要だと考えました。ブランドとは認識で考えるべきものです。どこで買ったとか、スマホで口コミ情報を見たとか、行動だけを追いかけても意味はありません」
「さらに、認識を変化させるためにどんな知覚刺激が必要かを考えていきます。例えば、美容クリームは灰色に近い白、クリーム色、真っ白、どれがよいか。クリーム色は『リッチ』なイメージを抱く人が多いでしょう。単に色素の違いなのですが、これも消費者に与えられるメッセージの一つです。パッケージ、店頭施策、価格設定、研究開発に至るまで全ての施策がこの設計図に含まれます。この設計図を共有しておけば全体像がわかりますから、部門が異なってもそれぞれの役割が明確になります」
――資生堂に移ってからは、一つ一つの商品のマーケティングだけでなく、組織改革を実施したそうですね。どんな改革を実施したのですか。
「資生堂はよいマーケティングをやっていたと思いますが、再現性がありませんでした。一般的に日本の会社でありがちなのが、仕組みがなく、マーケティングが属人化していることです。仕組みがわかっていなくてもヒットを出せる天才はたまにいますが、大多数の人は違います。天才でないなら、きちんと考えられた戦略のもと、できる限りの予測をしておく必要がある。マーケティングはなぜかアートっぽい雰囲気をまといやすいのですが、仕組み化し、組織で勝てるように改革していきました」
――マーケティングで勝てる組織とは?
「もし自社の若手が競合の中堅社員と互角に戦うことができたら、強い組織ですよね。これを目指しました。年数の長い社員は経験を積んで、経験値にして、さらにそれを知識に昇華しています。平均年数が5年とすると、本来5年かかかって習得する知識を2年で提供できるようにした、そういうシンプルな話なんです」
「組織が自律的に成長するためには組織内に知識を蓄積しなければなりません。そのためには定期的にプログラムやビジネスの評価・検証をすべきであり、『済んだことはいいから次のことやって』という指示が出てくる組織は同じ間違いを繰り返す傾向にあります」
■CMOは1社に1人いる必要はない
――検証や成果報告はほとんどの企業が実施していると思いますが。
「検証そのものをゴールにしているケースが多い。本来は検証をもとに新たな目標を設定すべきです。目標は売り上げを伸ばすとか凡庸なものではなく、もっと具体的な内容が必要です。売り上げが伸びないとしたらその原因はリピート(再購入)が足りていないのか、トライアル(試供品)が足りていないのかなど、目標設定の前にきちんとした検証をしなければいいかげんな目標になります」
「P&Gではどんなに重要な提案書でも、A4の紙1枚でした。簡潔に、抜けもれなく、論理飛躍がないように、正確に突き詰めて考えるということを教えられました。知識がないと戦えないというシンプルな話を知っている企業が少ないように思います。実行する前に方向を定めてから走らないと無駄や間違いが発生します」
――ところで、SNS(交流サイト)やスマートフォン(スマホ)の普及でマーケティングは変わりましたか。
「実は『アリエール』のときから口コミを重視していました。1997年ですから、まだブログやSNSはなく、ラジオを使っていました。パーソナリティーに自分のこととして洗剤について語ってもらうのです。2000年以降に、ネット上で影響力を持つインフルエンサーを活用したマーケティングが出てきましたが、道具が変わっただけでマーケティングのやり方が変わったとは思っていません」
――今年1月に設立した新会社では「CMOシェアリング」を提唱しています。どんな事業を進めていくのですか。
「資生堂やユニリーバなどは1社1ブランドでなく、複数のブランドで『艦隊』を構成しています。このように多くのブランドを持つ会社では、CMOが各ブランドに直接介入するマイクロマネジメントを始めてしまうと負けだと思っています。個々のブランド戦略はそれぞれの組織に任せ、CMOはマーケティングのPDCA(計画、実行、評価、改善)を回せる体制を整備するのが仕事です」
「個々の組織がオートマチックに動くようになれば、CMOは必ずしも常駐する必要はありません。庭に例えると、最初に庭を作るときは庭師がいたほうがいいが、ある程度方向が定まれば、水やりは各家庭でやればいい。一緒に住んでいなくてもいい。1週間に1回ずつ回って複数の庭を管理できたら、世の中に貢献度の高い仕事ができます。CMOもシェアリングでいいのではと思ったわけです。新会社では自分の経験を生かして、様々な企業のマーケティングを支援できればと考えています」
音部大輔
関西学院大商学部卒業後、P&Gジャパン入社。ダノンジャパン、ユニリーバ・ジャパン、日産自動車などでブランドマネジャーやマーケティング組織構築などに従事。神戸大で経営学の博士号を取得。2016年、資生堂ジャパンの執行役員マーケティング本部長(CMO)。18年に独立し、クー・マーケティング・カンパニー設立。
(聞き手は安田亜紀代)
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