たまにふと思う。
僕は思春期の入り口からアニメオタクとして生きてきた。
しかし今から思うと、生きづらい、生き苦しいことはさほどなかった。
何より、周りの人間を信用できた。
それが肝心のアニメ業界に入ってから激変した。
毎日、生きた心地がしない。
何より、周りの人間が人間に見えない。
その間はただひたすら、貯め込んでおいたアニメへの愛を削って削って、我慢して生き抜いて、今もうその愛もオブラート一枚分にまでなった。
しかし、なんでこんなに生きづらいのだろう?
答えは明白だ。
学生の頃とは違って、今は周囲がオタク(の成れの果て)ばかりだからだ。
これは確かに、地獄だ。
確かに、地獄だった。
「狂気」でも書いたが、僕が狂ったのだろうか?狂っていたのだろうか?と、何度も医師に診てもらった。
しかし返答は「あなたはマトモです」。
「じゃあなんでこんなに苦しいんですか?僕が狂ってないとするならば、周りが全員狂っているんですか?」
こう返された。
「周りが正常だと思い込むことです。認知を変えるんです」
・・・。
・・・・・・・。
無理やぁ・・・。
僕の取った行動は「排除」だった。
「フルブロック」と僕は呼んでいるが、SNSからメール、電話に至るまで、全てブロックするのだ。
去年だけで10人近くに及んだ。
それまでにも何十人と「フルブロック」した。
申し訳ないが、そうでないと僕の心が堪えられないのだ。
攻撃したり、迷惑かけたり(極力)しないから、それだけは許して、と。
何度となく書いたが、この20年、僕はキチガイ病棟に閉じ込められたような気分だった。
周りの人間の奇行にビクビク怯えつつ、ああ、ここに俺も入ってるってことは、俺も同類なんだろうなぁ、と、絶えず自分の心理を疑った。
絶えず心にあるのは「恐怖」。
何がマトモなんだ?どうしてこんなに狂っているんだ?俺が狂っているのか?という、アイデンティティを揺さぶられる「恐怖」だ。
繰り返しになるが、僕は「自分が正しい!」と言いたいんじゃない。
むしろ逆だ。
「俺、そんなにおかしいのか?」という、確認作業をしたいだけだ。
そうでないと怖いのだ。
周りのオタクの成れの果ての業界人やSNSのポタクどもは僕を白眼視する。
しかしその一方で、業界を出れば、
「あなたはマトモです」。
俺に狂えってことか?
高畑さんや宮﨑さんの下で生きていたら、もっと違っていたのだろうか?
いや、余り変わらない気がする。
これも何度も書くが、アニメは絶えず「狂気」を呼び寄せる。
まともな人間ほどすぐ辞めるのが確たる証拠だ。僕は何人もその背中を見送ってきた。
僕自身、何度となく辞めようと思ったし、世間にも周囲にもそう宣言した。
それでも呼び戻される。なんでだろう?
僕はアニメが「真実の器」だと思っている。
これも勘違いするな、自分が正しいと言いたい訳ではない。
人間の「善悪の彼岸」が、この表現で良く見えると思うのだ。
だからこそ、アニメにはこんなにも狂気が集中するのかも知れない。
まぁ、これこそ思い込みかも知れないが。
アニメ業界が「狂気の掃き溜め」であることは、今後も変わらないだろう。
僕もそう長くは持ち堪えられないだろう。
しかし、「真実の器」としてアニメを用い、「善悪の彼岸」を見つめられるような、ニーチェのように発狂寸前まで考え抜こうとする酔狂な人間は、確かに僕くらいかも知れない。
そんな重荷を神に押し付けられたかのように、僕はまだ、アニメをやっている。
僕は思春期の入り口からアニメオタクとして生きてきた。
しかし今から思うと、生きづらい、生き苦しいことはさほどなかった。
何より、周りの人間を信用できた。
それが肝心のアニメ業界に入ってから激変した。
毎日、生きた心地がしない。
何より、周りの人間が人間に見えない。
その間はただひたすら、貯め込んでおいたアニメへの愛を削って削って、我慢して生き抜いて、今もうその愛もオブラート一枚分にまでなった。
しかし、なんでこんなに生きづらいのだろう?
答えは明白だ。
学生の頃とは違って、今は周囲がオタク(の成れの果て)ばかりだからだ。
これは確かに、地獄だ。
確かに、地獄だった。
「狂気」でも書いたが、僕が狂ったのだろうか?狂っていたのだろうか?と、何度も医師に診てもらった。
しかし返答は「あなたはマトモです」。
「じゃあなんでこんなに苦しいんですか?僕が狂ってないとするならば、周りが全員狂っているんですか?」
こう返された。
「周りが正常だと思い込むことです。認知を変えるんです」
・・・。
・・・・・・・。
無理やぁ・・・。
僕の取った行動は「排除」だった。
「フルブロック」と僕は呼んでいるが、SNSからメール、電話に至るまで、全てブロックするのだ。
去年だけで10人近くに及んだ。
それまでにも何十人と「フルブロック」した。
申し訳ないが、そうでないと僕の心が堪えられないのだ。
攻撃したり、迷惑かけたり(極力)しないから、それだけは許して、と。
何度となく書いたが、この20年、僕はキチガイ病棟に閉じ込められたような気分だった。
周りの人間の奇行にビクビク怯えつつ、ああ、ここに俺も入ってるってことは、俺も同類なんだろうなぁ、と、絶えず自分の心理を疑った。
絶えず心にあるのは「恐怖」。
何がマトモなんだ?どうしてこんなに狂っているんだ?俺が狂っているのか?という、アイデンティティを揺さぶられる「恐怖」だ。
繰り返しになるが、僕は「自分が正しい!」と言いたいんじゃない。
むしろ逆だ。
「俺、そんなにおかしいのか?」という、確認作業をしたいだけだ。
そうでないと怖いのだ。
周りのオタクの成れの果ての業界人やSNSのポタクどもは僕を白眼視する。
しかしその一方で、業界を出れば、
「あなたはマトモです」。
俺に狂えってことか?
高畑さんや宮﨑さんの下で生きていたら、もっと違っていたのだろうか?
いや、余り変わらない気がする。
これも何度も書くが、アニメは絶えず「狂気」を呼び寄せる。
まともな人間ほどすぐ辞めるのが確たる証拠だ。僕は何人もその背中を見送ってきた。
僕自身、何度となく辞めようと思ったし、世間にも周囲にもそう宣言した。
それでも呼び戻される。なんでだろう?
僕はアニメが「真実の器」だと思っている。
これも勘違いするな、自分が正しいと言いたい訳ではない。
人間の「善悪の彼岸」が、この表現で良く見えると思うのだ。
だからこそ、アニメにはこんなにも狂気が集中するのかも知れない。
まぁ、これこそ思い込みかも知れないが。
アニメ業界が「狂気の掃き溜め」であることは、今後も変わらないだろう。
僕もそう長くは持ち堪えられないだろう。
しかし、「真実の器」としてアニメを用い、「善悪の彼岸」を見つめられるような、ニーチェのように発狂寸前まで考え抜こうとする酔狂な人間は、確かに僕くらいかも知れない。
そんな重荷を神に押し付けられたかのように、僕はまだ、アニメをやっている。