される側のね。
あれは不良のセンスではない。
野間は自分より一回り以上上の世代だが、あの世代のオタク独特の臭いが強くする。
エヴァ放映時に30過ぎだった世代(エヴァに最も発狂的反応を示してた世代)だ。
あの世代の人達はメインストリームから外れることに多大な勇気が必要だった。
メインストリームで生きづらい人の大変さが今と比べても強かった。
いま30代後半の自分達は思春期にかろうじてその空気の尻尾を感じた。
あれの空気の本体が思春期に重なったた世代はさぞ苦しかったと思う。
差別に直面し苦闘したオタクたちは色々とヘンテコリンな自意識を生み出した。
いまギャグとして消費されてる「イキリオタク」はライトな病理だから誰にでも笑える(理解出来る)。
20代の小汚いオカマ氏が「要するに未充足、飢餓」とまとめてたが、それは多かれ少なかれ誰にでもあるものだ。
野間世代当時のオタクの自意識とそこから生み出されるファッションや自己演出は広く笑えるものではなかった。
オタク同士だと辛うじて痛々しさを理解できて笑えるようなものだった。
みんなオタクとして社会に抗するためのスタイルを手探りで自己開発してたから。
その中の一派として、オタクでありながら不良っぽくイキるオタクが居た。
当時スターアニメーターとしてメディア露出してた大張は袖の無いジーンズなんかを着てバンダナ巻いてた気がする。
「大張アニキ」って書かれてた。
ちょっと欧米のパンクのイメージも混ざりこんだ、オタクの想像する精一杯のタフガイ。
申し訳ないけど、当然ながら似合ってなくてすごく痛々しかった。
有名どころでは萩原一至とかだ。
あの世代には変に洋楽好き・メタル好きをアピールするオタクがやたら居た。
黒い服を着て怖いルックスの外国人の音楽を聴く、オタクの発見した精一杯のタフガイ。
でも当時馬鹿にされていじめられる対象として知れきってた「オタク」であることを肯定できずに
で身を固めてた。
バンダナとか指貫きグローブを装備するオタクが本当に居た時代の話。
彼等は普通になれない自分を世間へ説明する為に「タフガイ」武装をしてた。
それが見当外れで更に外面を異様にするものであっても。
いま野間を説明しようとしたら大張・萩原という名前が自然にポンポンと出てきたけど、
調べてみたら見事に同い年や同世代だった。(野間大張が1966年生まれ、萩原は1963年生まれ。)
勘で喋ってるけど大きくは外れてないんじゃないかという自信を得た。
野間は明かに大張や萩原のようなあの世代のオタクの臭いが濃厚にする。
オタクでありながら差別のせいでオタクな自分を認められない人間が
当人なりのタフガイ属性を装備した変なオタクになっていたという話をした。
しかしそういうオタク的気質・強い自意識の持ち主の為のもう1つのパスが当時あった。
サブカルだ。
(ここで言うのはテクニカルタームであって、一般的な意味のサブカルチャーではない。)
端的には「音楽や映画についてマニアックなところ(最初から売れないマイナーなところ)に取り組み、
しかしオタクではないことを強く自己規定する人達」とかになる。
この人達に無理があったのは、どうしようもなく存在意義を他所に依拠していたところだ。
メインカルチャーとは違うんだ、オタクとは違うんだ、という所だけで成り立ってた。
だから非常にオタクを意識しオタクに執着してオタクを蔑視して攻撃してたのもサブカルだった。
近縁種でありながら自分達ほど自意識が高くないオタクにつきまとって蔑視することで自己肯定感を得ていたから。
オタクが自意識戦場から本格的に去ってしまった後はサブカルは空回りするしかなくなった。
そしてわりと自由に創作や消費をし続けていたオタクの影響力経済力に勝てなくなった。
自意識問答にあまりに長い時間を割く人間は結局は敗れ去る種だったのだ。
オタク丸出しでオタクをやれてたオタクや、バンダナ程度の武装で自己肯定出来てたオタクは、
アニメを捨て馬鹿にされないための映画や音楽に走ってカルト度外れ度を競うという
もう結論が見えてきただろうか。
野間はオタク差別全盛時代に差別の脅威をヒシヒシと感じて育ったオタクで、
メインストリームでは生きられない自分の精一杯の防備を固めるためにサブカル(オタクを蔑視することで差別される弱者の位置から逃れようとする生き方)に走り
サブカルをやってたせいでオタクにもたらされた開放に立ち会えずに
野間が差別に強い関心があるのもオタクに強い執着があるのも理由が分かるだろう。
ずっと被差別感を持っていて、オタクを蔑視する時にそこから逃れてきたのだ。
今更そこは責めない。
まして彼等より安穏な時代を生きる世代が断罪していいものと思えない。
ただし野間を長年苛んだ差別は明かに在日差別のようなソリッドでトラッドな差別ではない。
そのいじめの空気と格闘し続けて中年になったのはそれはそれで面白い人で、
そこを率直に出すことでメディアや論壇に居場所の確保が出来たと思う。
そんなことにクヨクヨと悩んできた自分を認められなかったのだ。
またもサブカル人特有の自意識の強さであり、あっさり被差別者としての言論を確保したオタクとは対照的だ。
オタクが開放されて去ってしまいサブカルとしての今後に行き詰まりを感じた野間は
「在日差別反対」という明かに当人が長年取り組んできたミッションとは違うものを掲げてしまった。
そして当人なりの精一杯のタフガイ(あの世代にとってのそれは不良)として革ジャンを着て釘バットを持ち中指を立てた。
差別反対を標榜すること、やけに暴力性をアピールすること、オタクに強い執着を持って追いすがり繰り返し侮蔑すること、
傍目にはヘンテコちぐはぐな彼の行動が、成分を分析すればいたって自然な帰着なのだ。
大張や萩原はとっくの昔に武装を脱ぎ捨てて普通のおじさんになった。
野間を追い込み続けるのは自分を肯定出来ない弱さとその逃げ道としての自己欺瞞だ。
あっさりと「いじめられた」と認めて被差別者言論を獲得するオタクどもを。
野間は決して頭悪くはない。
定期的にめちゃくちゃな暴論をぶつのはそれがタフガイの仕種だから。
「乱雑で悩みなんか持たない自分」を世間に表明する必要が定期的に生じる。
それは精神的な発作だと思う。
だからおそらく、自分のサブカル経歴が見る人から見たら弱点バレバレなのもたぶん自覚してる。
いま野間のwikipediaを見たら、なんと前半生がまるまる削除されていた。サブカル時代の経歴の全てが。
45歳時点から始まりそれ以前について触れないwikipedia人物記事って地味に異様だ。
もともと野間は雑誌編集者とかギタリストとか紹介されてたはず。
学生時代から参加してるバンドがサブカル界隈ではそれなりに有名で、
『ミュージック・マガジン』なんていう典型的サブカル誌の編集者でもあった。
いったい誰の手の者が人の前半生をこんな風に抹殺したんだろう。
このサブカル活動の文脈を理解できて、その裡のみじめな自意識の懊悩を理解できるオタク教養のある者、
そしてこの経歴にすら強い羞恥心を感じて肯定できなくなった者に違いない。
調べてみると近年の野間は「サブカル」を批判対象へのレッテルとして結構連呼しているらしい。
一部にみられたこういうのがあまりにも見当はずれな分析なのでひとこと言いたくなりました。
どうでもいい妄想を長々と
そうそう 野間っちサブカル雑誌の副編集長だったんよねー
あんま身体的なことは言いたくないけど、あの身長で不良は無理だったろーな だからいまだにそういうのに憧れてんだろうけど