治らんな…。
結局のところ、どうにかしたいと思う相手とは向き合ってしまう。
でも諦めずに向き合ってきた甲斐があって、家族とは本当に大切だと思う部分で、さっき漸く重なることができた。良かった。
良かったけれど、人間の作ってきたしがらみや決めごと、常識や概念等の面倒臭さとしつこさにはほとほと疲れてしまった。
これを解除することの大変さを痛感した二年半だった。
反面、思春期の子供達の成長と柔軟度の高さには本当に感心した。
大人は本当にメンドイ。
メンドイし岩のように頭が堅くて疲れる。
正しさ、正義というコンクリートで固められているみたい。
頭の柔らかな人もいるけれど、そんな人達は常に今を自ら変えようとしてる。だからいつも困難と隣り合わせの人が多い。
あたしは茶道と着付けで、そんな年上の女性達に出会った。素敵な人ばかり。
世の中は何故か年を取るとこに否定的だけれど、素敵に年を重ねている人は本当に美しい。内から溢れる輝きが外見にも出ていて、凄く素敵な笑顔をいつも見せてくれる。
若さをやたらと求める人達は、そういった美しさに関心が無いんだろうかと、いつも勿体なく思う。
あたしがよーへいや家族と諦めずに向き合ってこれたのは、人を憎んでしまうくらいの状況でも全てを投げ出さずにやってこれたのは、彼女達の生き様を見てきたからでもある。
多くの困難を乗り越えて生きてきて、自分という個を確立し、貫き続けることも柔軟に受けれることもできる人達。
あたしもそんな風に素敵になりたいと思った。
彼女達との縁を作ってくれたのは亡くなった父だ。よーへいとの出逢いの切っ掛けをくれたのも、家族が本音で向き合い、ぶつかり合う切っ掛けをくれたのも父。
そして、愛とはなにか?を考えさせてくれたのも父だった。
今日書いた記事はみんな消してしまった。
他のは載せておいても良いのだけれど、家族のものは解消されたので載せる必要がなくなったから。
良いことも嫌なことも向き合い続けて、一番いい道を妥協せずに模索し続けることの大切さを、よーへいとの向き合いや家族との向き合いで知った。
幸せが重なれる人は、本当の意味で想い合える、労り合える人なのだと思う。
理不尽な苦しみのなかでもがいている人達には祈りを。
よーへいと進むことで世界は統合されていくから、それを進めることで少しでも楽になっていくように。
そしてあたしは、心から大切なよーへいと生きていく。家族とは、今までとは違う新しい関係の中で支えあえたらいい。
よーへいと会うの楽しみ。
家族でも恋人でも、友達でも何でも。
分かり合うことは、心から信頼できる関係を築いていくことは容易いことじゃない。
考えてみたら、自分はかなり凄まじいことをしていた。
日常のことをこなしながら、よーへいや家族だけでなく色んな人と向き合いぶつかってきたから。1日何人と向き合っていたっけ?
どの向き合いもハードだった。疲れるわけだ。
でも…だからそこ、良かったと思える。
これだもんね。
向き合えない人とは一緒にいられないわけだよ。
自分を知らずに言い訳する人には納得出来ないわけだよ。
あたしは心から分かりあうこと、そのために努力することをとても大切にしている人間だから。
さて…。
吐き出しも終わって最終的な調整も進んだから、あとはよーへいにお任せ。
これからは、よーへいと色んなことを楽しみたい
それにしても…告発ってあたしには向かないわ。
よーへいの過去世のやり方を色々やってきたけれど、ホント過去のよーへいってよくやってたと思う。
あたしには出来ないな。