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宮川さんのFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 4月24日(火)07時14分26秒
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  1979年( 昭和54年 )
4月24日.
39年前の今日.

我が師は、御自身が育てられた弟子に裏切られ、

宝の如く創り上げられた創価学会から追い出された。

我が師は、断腸の想いと、悔しき血の涙の中で、

「 殉  教 」
嵐の讒言によりて.

との揮毫をされたと聞く。


殉教ーー我が師の御心は、
すべての弟子が強大な国家権力の前に、あえなく退転して逃げ去り、

1人、
冷たい独房の中で
獄死殉教なされた74歳の牧口先生と同じ
お気持ちではなかったろうか。

しかし、
牧口先生には、真正の弟子、戸田先生が居た。

今、我が師は90歳、

誰一人、真実の弟子は居ない。

どれほどの、悲しみと落胆の、中におられるか。

巡り来る4・24が来るたびに、師への申し訳けなさと、
自身の不甲斐なさで一杯になる。

今、弟子の真似事をして、
腹を切ろうかと言う愚直な弟子が1人位は出ても良いではないかと思うのである。


山は遠くで眺めるのは美しい。

しかし、いざ登攀しようと

近づけば近づくほど、

山の巨大さ、強靭さに圧倒され、自らの無力さを、感じさせられる。

権力も同じである。

遠くで眺めている時には、
何ら心は揺らがない。

しかし、その悪魔に近づけば近づくほど、その恐ろしさと、悪魔的魅力に翻弄される。

今まで、幾百の正義の走者が、鉄の権力の前に潰され、抹殺され、又は、魔縁に蕩かされて信念を捨て、
消えていった。

「 日本国の位を譲らむ 」
と言うアメと、

「 父母の首を刎ねん、念仏もうさずば 」

と言うムチが、

魔の常套手段である事は、
開目抄に明らかである。

かつて、沖縄の女性リーダーの反権力の反骨精神は、

首相夫人が彼女に直接会いに来て、話を聞くと言う魔縁に蕩かされて信念を忘れ消えていった、と聞いた。

牧口先生は、ご自身が「神札」を拒否し、日蓮大聖人の仏法を貫けば、

戦地の子息にまで累が及ぶ可能性を知っておられたと考えられる。

それでも、あえて先生は言われたのである。

「 今こそ、国家諌暁の時ではないか !」と、

そして、

「 宗門は、何を恐れているのか知らん 」  と。

牧口先生の逮捕が、御子息.
洋三氏の戦死に影響したかどうかは、わからない。

わかることは、

牧口先生が何ものも恐れず、権力と戦い抜かれた偉大さである。

そして、革命運動は常に民衆に根ざす、

民衆を大事にする――

ここにしか永遠の勝利はない。


我が師は、言われた。

「 信念の生き方 」と

「人気とりの生き方 」 は、

まったく違う、と。

「 こうすれば、どう思われるかな 」

「 こうすれば、どうなるか 」

ーーそういうことだけを考えて、

人によく思われるように、

うまく泳いでいく人が居る。

それは楽なように見えて、

あまりにも浅く、

わびしい生き方である、と。

状況が変われば、それにつれて、自分も翻弄されていく。

それは、何の不滅の価値も残さず、

時代とともに、色あせていく人生である。


「信念の人生」は、

正義のためならば、何と言われようが、

どんな迫害を受けようが、

屈しない人生である。

「 信念に生き抜いた人 」が、

最高の人格者である。

不滅の価値、

不滅の光を後世に残していける。

いじめられても、

ののしられても、

貫くべき人間の道を貫いていく。

その分だけ、

多くの人が、その道に続いてくる。

その分だけ、
多くの人を救えるのである、と。


極悪、宗門から離脱して、

巨大な組織に保護され、

圧倒的な数の会員の喝采を

浴びて来た。


経済的安定を保証され、

学会の中で何の不安もなく

生きて来た。


しかし、その中でも、

私は、改革同盟僧侶の誰より戦い、

圧倒的な成果を勝ち取って来た。

しかし、

真心の財務から外務省高官並みの、

又、○○学会の副会長並みの

給与を与えられ、

優雅に生きる内に、

徐々に、己心の魔性との戦いを忘れて来たのかもしれない、

2008年、

秋○、原○、竹○らの師敵対、反逆の本質を糾弾するまでは、、。


我が心に、( 師が心配して下さった ) 驕慢や人気取りの心が芽生えなかったかと言えば「 否 」である。

仏教大学大学院(一般枠)の入学手続きを済ませ、

師にご報告させていただいた時の事である。

師は電光石火の早さで、
仏教辞典へ御揮毫して下さった。

「 至人無己       聖人無名 」
との荘子の言葉であった。

最高峰の日蓮仏法の大正義の僧侶が、他宗他学の博士号や名声など不要である、と。

我が本陣の御僧侶であり、
我が本陣の弟子也と。

即、入学を取りやめた。

師の大慈悲を強く感じた。

今、少しばかり、師の御心に近づき、依存心を断ち、牧口先生の億兆分の一の迫害を受けて、

弟子の道と、真の信心が分かったようである。

平成5年4月24日、
先生から頂戴した御伝言をお伝えしたい。

「 仏法は勝負である。

勝負とは、勝ち負けであり、

勝ち負けは、戦いがなければ

あり得ない。

故に、人生は、常に戦いであり、

常に、戦いの中に、自らの身を置く以外に、
仏法の体現はあり得ない。

よって、私は、常に、
戦いを作ってきた。

そして信心根本に、

常に題目を念じながら、

死力を尽くし、勝利してきた。

そこに、無上の喜びがあり、

その積み重ねの中に

成仏もある。

要は、戦う勇気であり、

信心の攻撃である 」

1993年4月24日、
我が本陣の弟子、宮川君へ、

ーー以上ーー

勝ち負けを決するのは、
戦いを成す時である。

今の一瞬を、
勝つのか負けるのか、
戦いを挑まなければ勝敗はあり得ない。

やがて訪れる死を、意識しながら、私は、一瞬一瞬に勝負しながら生きて行く。

これが、池田門下の生き様である!
 
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