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1979年( 昭和54年 )
4月24日.
39年前の今日.
我が師は、御自身が育てられた弟子に裏切られ、
宝の如く創り上げられた創価学会から追い出された。
我が師は、断腸の想いと、悔しき血の涙の中で、
「 殉 教 」
嵐の讒言によりて.
との揮毫をされたと聞く。
殉教ーー我が師の御心は、
すべての弟子が強大な国家権力の前に、あえなく退転して逃げ去り、
1人、
冷たい独房の中で
獄死殉教なされた74歳の牧口先生と同じ
お気持ちではなかったろうか。
しかし、
牧口先生には、真正の弟子、戸田先生が居た。
今、我が師は90歳、
誰一人、真実の弟子は居ない。
どれほどの、悲しみと落胆の、中におられるか。
巡り来る4・24が来るたびに、師への申し訳けなさと、
自身の不甲斐なさで一杯になる。
今、弟子の真似事をして、
腹を切ろうかと言う愚直な弟子が1人位は出ても良いではないかと思うのである。
山は遠くで眺めるのは美しい。
しかし、いざ登攀しようと
近づけば近づくほど、
山の巨大さ、強靭さに圧倒され、自らの無力さを、感じさせられる。
権力も同じである。
遠くで眺めている時には、
何ら心は揺らがない。
しかし、その悪魔に近づけば近づくほど、その恐ろしさと、悪魔的魅力に翻弄される。
今まで、幾百の正義の走者が、鉄の権力の前に潰され、抹殺され、又は、魔縁に蕩かされて信念を捨て、
消えていった。
「 日本国の位を譲らむ 」
と言うアメと、
「 父母の首を刎ねん、念仏もうさずば 」
と言うムチが、
魔の常套手段である事は、
開目抄に明らかである。
かつて、沖縄の女性リーダーの反権力の反骨精神は、
首相夫人が彼女に直接会いに来て、話を聞くと言う魔縁に蕩かされて信念を忘れ消えていった、と聞いた。
牧口先生は、ご自身が「神札」を拒否し、日蓮大聖人の仏法を貫けば、
戦地の子息にまで累が及ぶ可能性を知っておられたと考えられる。
それでも、あえて先生は言われたのである。
「 今こそ、国家諌暁の時ではないか !」と、
そして、
「 宗門は、何を恐れているのか知らん 」 と。
牧口先生の逮捕が、御子息.
洋三氏の戦死に影響したかどうかは、わからない。
わかることは、
牧口先生が何ものも恐れず、権力と戦い抜かれた偉大さである。
そして、革命運動は常に民衆に根ざす、
民衆を大事にする――
ここにしか永遠の勝利はない。
我が師は、言われた。
「 信念の生き方 」と
「人気とりの生き方 」 は、
まったく違う、と。
「 こうすれば、どう思われるかな 」
「 こうすれば、どうなるか 」
ーーそういうことだけを考えて、
人によく思われるように、
うまく泳いでいく人が居る。
それは楽なように見えて、
あまりにも浅く、
わびしい生き方である、と。
状況が変われば、それにつれて、自分も翻弄されていく。
それは、何の不滅の価値も残さず、
時代とともに、色あせていく人生である。
「信念の人生」は、
正義のためならば、何と言われようが、
どんな迫害を受けようが、
屈しない人生である。
「 信念に生き抜いた人 」が、
最高の人格者である。
不滅の価値、
不滅の光を後世に残していける。
いじめられても、
ののしられても、
貫くべき人間の道を貫いていく。
その分だけ、
多くの人が、その道に続いてくる。
その分だけ、
多くの人を救えるのである、と。
極悪、宗門から離脱して、
巨大な組織に保護され、
圧倒的な数の会員の喝采を
浴びて来た。
経済的安定を保証され、
学会の中で何の不安もなく
生きて来た。
しかし、その中でも、
私は、改革同盟僧侶の誰より戦い、
圧倒的な成果を勝ち取って来た。
しかし、
真心の財務から外務省高官並みの、
又、○○学会の副会長並みの
給与を与えられ、
優雅に生きる内に、
徐々に、己心の魔性との戦いを忘れて来たのかもしれない、
2008年、
秋○、原○、竹○らの師敵対、反逆の本質を糾弾するまでは、、。
我が心に、( 師が心配して下さった ) 驕慢や人気取りの心が芽生えなかったかと言えば「 否 」である。
仏教大学大学院(一般枠)の入学手続きを済ませ、
師にご報告させていただいた時の事である。
師は電光石火の早さで、
仏教辞典へ御揮毫して下さった。
「 至人無己 聖人無名 」
との荘子の言葉であった。
最高峰の日蓮仏法の大正義の僧侶が、他宗他学の博士号や名声など不要である、と。
我が本陣の御僧侶であり、
我が本陣の弟子也と。
即、入学を取りやめた。
師の大慈悲を強く感じた。
今、少しばかり、師の御心に近づき、依存心を断ち、牧口先生の億兆分の一の迫害を受けて、
弟子の道と、真の信心が分かったようである。
平成5年4月24日、
先生から頂戴した御伝言をお伝えしたい。
「 仏法は勝負である。
勝負とは、勝ち負けであり、
勝ち負けは、戦いがなければ
あり得ない。
故に、人生は、常に戦いであり、
常に、戦いの中に、自らの身を置く以外に、
仏法の体現はあり得ない。
よって、私は、常に、
戦いを作ってきた。
そして信心根本に、
常に題目を念じながら、
死力を尽くし、勝利してきた。
そこに、無上の喜びがあり、
その積み重ねの中に
成仏もある。
要は、戦う勇気であり、
信心の攻撃である 」
1993年4月24日、
我が本陣の弟子、宮川君へ、
ーー以上ーー
勝ち負けを決するのは、
戦いを成す時である。
今の一瞬を、
勝つのか負けるのか、
戦いを挑まなければ勝敗はあり得ない。
やがて訪れる死を、意識しながら、私は、一瞬一瞬に勝負しながら生きて行く。
これが、池田門下の生き様である!
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