著: 永田ゆにこ
京王線・仙川駅の改札を出ると、目の前に桜の木があります。
桜が満開のとき、改札から出るとみんなスマホで写真を撮ります。この桜はもともと、駅前整備のため切られてしまう予定でした。でも当時の仙川の住民たちの集めた署名によって、一本はそのままに、もう一本は改札の前に移植され、今でもこうしてみんなに愛されています。わたしもこの桜の署名をしたひとり。2000年。上京した年でした。
地元長野から上京してきて初めて住んだ街、調布市仙川。東京で初めて住む街は親が決めました。学校が新宿だったのでアクセスがいいっていうのと……あとは知りません。気づいたら駅と家が決まってました。勝手に決められたこの街で、18歳からの多感な時期を過ごすことになります。
ストイックな部活に入ってしまったせいで甘酸っぱい青春なんか1ミリもなく、毎日毎日早くこの生活が終わればいいと過ごしていた高校3年間。どこを見渡しても山、一番近いコンビニに行くのにも車、テレビ東京も映らない。毎日部活をやって家に帰るだけの生活。そんな長野の日常から一変して、18歳から東京に住むことになりました。高校3年間が死んでいたわたしにとって、ちょっと出遅れたけどここからが青春の始まり。大げさじゃなくて、仙川は青春のすべて。
仙川駅は京王線で、新宿から各駅だったら12こ目の駅。ほぼ世田谷で、ほぼ三鷹で、でも調布市。23区外なのに、仙川はなぜだか市外局番が03です。
仙川は住みやすい街です。新婚さんの住みたい街1位とかになったりしているみたいです。区間急行と快速が停まるとか、徒歩圏内にスーパーが5つあるとか、でっかいホームセンターがあるとか、昔ながらのいけてる商店街があるとか、無印もユニクロもしまむらもSeriaもあるとか、おしゃれなカフェがたくさんあるとか、そういうのをひとつずつぜーんぶ書いて「みんなー!仙川ってねー!本当にいい街なんだー!」っていうのをやろうと思ったけど、そんな普通の紹介は書けませんでした。思い入れが強すぎる街だから、何かを紹介しようとすると、それにまつわる想い出が洪水のように頭の中を流れてきてしまうのです。
というわけで、今回は上記の事情から、わたしの想い出と共に、仙川の紹介をさせていただきたいと思います。
上京後、東京で初めてできた彼氏の「ジョナサンの制服ってかわいいよな」という一言から、わたしは仙川のジョナサンでバイトを始めた。
ジョナサンの制服はワンピースの上からエプロンをするスタイルで、わたしは背が高いのでスカートがミニスカートになってしまい、時々客にからかわれたりしていた。その彼氏とはすぐ別れてしまったけど、やめるきっかけも特にないまま、そのバイトをだらだらと続けていた。
このとき住んでいた家は、自分が生まれたのと同じ年(昭和56年)につくられた、仙川駅から少し離れた若葉町にある2DK家賃6万4000円のボロアパート。1階に2世帯、2階に2世帯、合計4世帯しかない小さなアパートだった。
2DKと言っても2部屋とも畳で、DKの床は変な昭和柄のビニールタイル、洗面台とベランダはなく、適当にペンキで塗られた真っ青な玄関ドアの外には洗濯機。洗濯機を玄関の外に置くタイプの部屋だった。のちにこの洗濯機は、運送業社とわたしの間で宅配ボックスとしても使われるようになる。
お風呂とトイレは別々だったけど、トイレは明らかに途中から洋式に変更したという感じで、後付けの排水管が丸見えなお粗末なつくり。お風呂は大人一人が体育座りをしたらぎゅうぎゅうになってしまう小さく真四角の浴槽で、その横にはバランス釜が設置されていた。
2018年において、バランス釜と聞いてすぐ分かる人はどれぐらいいるのだろう?手動のハンドルで着火させ、直接こいつでお湯を沸かすという代物である。熱すぎるほどのお湯がすぐ出るところだけが長所で、実家のお風呂もワンタッチで「オフロガ ワキマシタ」だったわたしは、初め着火させるのに苦労した。
壁の薄さは隣の家の着メロが聞こえるほどだったし、なぜか時々部屋の中に蟻の行列ができていたけど、とにかく日当たりは良い。そんな部屋だった。若葉町という住所がかわいくて気に入っていた。
いま、仙川で有名なお店といえば「AOSAN」が挙がると思う。仙川第2仲よし広場、というファンシーな名前の公園の前にあるそのお店は、雑誌の特集で必ず取り上げられている自家製の小麦酵母を使ったパン屋さんで、平日は90斤、土曜は120斤限定の角食(食パン)が人気だ。お店のオープンは昼の0時からだけどいつも開店前から大行列で、並んだとしても途中で売り切れてしまう。
でも昔はこんなお店なかった。ここはたしか、電気屋さんか何かだったと思う。うっすらと電化製品が置かれていたことを覚えている。その並びに、焼肉屋「ぎゅうぎゅう」があり、ぎゅうぎゅうの上に「Jenny's Kitchen」というカフェバーがあった。
Jenny's Kitchenは、若いマスターが切り盛りしていて、いつもたくさんお客さんがいた。桐朋学園が近いから楽器を抱えた学生がお茶をしたり、夜はちょっと年齢層が上がってカップルがゆっくりとワインを傾けたりしていた。一番最初は、同じく仙川に住む友達に誘われて行ったのだと思う。このJenny's Kitchen無しでは、わたしの仙川の想い出は語れない。
マスターは人気者で、いつも誰かがカウンターに座って話をしていた。わたしもマスターが大好きで、暇さえあればいつもJenny's Kitchenに行っていた。
バイトでむかつく客が来たとき、彼氏とケンカしたとき、学校の課題が行き詰まっているとき、マスターに話すと全部笑い話になる。笑顔じゃなかったマスターは思い出せない。いつも笑って話を聞いてくれた。いろんな料理もつくってもらったし、エスプレッソというものもここで初めて飲んだ。20歳になった日に0:00をすぎてからお店に行くと、ワインを開けてくれたこともある。
ときどきお店を手伝わせてもらった。デザイナーの端くれだったわたしに、マッチのデザインを任せてくれたりもした。長野にいるときから読んでいた漫画「NANA」で言うところの「ジャクソンホール」みたいな場所。行きつけのお気に入りカフェに憧れがあった。ちなみにNANAの舞台も調布である。
Jenny's Kitchenではいろんな人と知り合った。楽器を演奏している人、脚本家の人、美容師の人、ピアノの先生、保母さん、よく分かんないけどいつも怒ってる人。さすが東京!いろんな人がいる!と感動した。いろんな人に出会って、驚いて、とにかく楽しかった。みんなマスターと仲良しだった。
なかでも、「ちゃん」と「ゆきちゃん」とは、特に仲良くなった。ちゃんはバンドで歌を歌っている自由でかっこいいお姉さん、ゆきちゃんは優しくて落ち着いていて頼れるお兄さん。職業も年もばらばらだけど、すぐに仲良くなってたくさんいろんな話をした。
マスターもちゃんもゆきちゃんも、みんな仙川に住んでいた。ちゃんの家で、マスターとゆきちゃんとお酒を飲んだこともある。餃子を焼いて持って行ったらみんながすごく喜んでくれた。別の日、ちゃんが漬けるというらっきょうをみんなでむいた。ちゃんの住んでいたアパートも古かったけれど、南に大きな窓があって明るく、居心地のいい部屋だった。みんなでどうでもいい話をしながら、贅沢に日光の降り注ぐその部屋で、黙々とらっきょうをむいた想い出。
マスターの住むアパートに隠してある鍵で勝手に忍び込んで怒られたり、わたしがどうしようもなく悩んでいたとき、ゆきちゃんがずっと話を聞いてくれて救われた日もあった。みんな仙川のことが大好き。世田谷のハイソな感じと、調布ののんびりした感じ。その中間の、ゆるくて自由な雰囲気に魅せられて、たくさんの人がお店に集まっていた。
もちろんたくさん恋もした。想い出深い恋愛のことも書いておこうと思う。
その人は八木澤さんと言って、友達に誘われて入ったアパレルの短期バイトで知り合った人で、バイト先に提出した個人情報を盗み見して連絡をしてきた不届き者である。ひとまわり近く年が離れていて、そのアパレル会社の社長をやっている人だった。
当時は社長業というものがどんなものなのか全然分からなかったので、突然約束をキャンセルされたり、逆にいきなり呼び出されたりして、わたしはよく怒っていた。いま思うと結構忙しい人だったんだと思う。
「プレゼントをもらったらその場で開けて感想とお礼を言うこと」「ごちそうになるときも一応財布は出すこと」「何を注文していいか分からないときは長く迷わず同じものを頼むこと」とか、いろいろとうるさいおじさんだった。でもそれまでこんなことを言う年の離れた大人と付き合ったことがなかったし、いくえみ綾の描く漫画から飛び出してきたようなルックスの八木澤さんを、わたしはとても気に入っていた。
急に呼び出されるときはだいたい新宿で、そのたびにわたしは慌てて京王線に飛び乗る。でも少しの抵抗として、快速なんかに乗ってやらないぞ、と各駅停車で向かった。帰宅ラッシュとは反対の、夜の京王線新宿行き。がらがらで車内は煌々(こうこう)と眩しく、日が落ちた世田谷の住宅街をゆっくりと走る。毎朝学校までぎゅうぎゅうになって乗っているのと同じ京王線じゃないみたい。大好きな新宿に一本で行ける京王線は最高だ。
帰りは時々車で送ってもらった。新宿駅前をずっとまっすぐ進むと、仙川駅裏の甲州街道に繋がっている。どこに行くにもほとんど電車で事足りるのだから、八木澤さんとのことがなければ、新宿から仙川までの道なんて知らなかったと思う。
車といえば、八木澤さんにはよく江ノ島へ連れて行ってもらった。話は少し脱線するが、わたしは江ノ島がすごく好きだ。いつも新しく彼氏ができるたび、最初のデートは江ノ島へ行っていたほどだ。地元の長野にはない海へ対する強いあこがれ。観光地らしいごみごみした感じ、立派な展望台から見る景色のすごさも、とにかく全部が好き。いつも仙川駅前のロータリーから、環八通りに出て第三京浜で向かう。だから今でも、天気がいい日は駅前から江ノ島へ繋がっている気がする。よくこんな幼いデートに付き合ってくれていたものだ。何度目かのとき、追突事故に巻き込まれて一緒に藤沢警察へ行ったのも、今となっては良い想い出だが、この話は長くなるのでまたどこかですることにしよう。
そんな楽しい学生生活も終わりに近づき、そろそろ社会人になろうとしていたころ、突然マスターがお店を辞めることになった。
Jenny's Kitchenのスタイルも今までとは少し変わるらしく、新しいお店の店長は別の人がやるみたいだった。お店の雰囲気が変わったら客層もきっと変わってしまう。もういまいる人たちと会えなくなるかもしれない。なによりいつでもそこにいて当たり前だったマスターと、もうこのお店で会えなくなる。社会人になったら、会社の帰りにJenny's Kitchenへ寄って、今日も残業だったよー、仕事だるいー、給料安いー、なんて、そんな社会人としての愚痴をみんなに聞いてもらうんだろうって、とても楽しみにしていたのに。信じられなかった。マスターから打ち明けられ、お店でも家でも大泣きした。本当にJenny's Kitchenのことが大好きだったのだ。
同時にわたしも新卒らしく慌ただしい日々を送るようになり、新しくなったお店にもあまり行けなくなった。数年後にJenny's Kitchenが閉店したと聞く。
そして、こんなに愛していた街を、わたしは23歳のときに飛び出してしまう。仙川という街、そのときの繋がりよりも、好きなものができてしまったのだ。仙川に住み始めて5年目の春だった。ドラマチックなことに目が眩んでいたのだと思う。初めて住んだ街を出るということがどれだけ大きなことなのか、あのときのわたしは全然分かっていなかった。当たり前にあるものがなくなるという想像をすることは容易ではない。
あの決断をしたときのことも、いまだにこの街に染み付いている。商店街のミスドでコーヒーをおかわりしながら外を眺めてずっと考えていたっけ。下を向いて歩いたお墓の横の真っ暗な道。くるりの「東京」を聴きながら座り続けた夜の公園のベンチ。あのアパートの前で最後に見た、なんでもない景色。
仙川を出て別の街に住むと、そこには想像以上のさみしさが待っていた。自分の街だと思えない。街や人になじめない。好きなところが見つけられない。いつまで経っても「お邪魔している」という感じが抜けない。街に色が見えないのだ。見える景色の彩度が下がってしまっていた。比喩ではなく本当にそういう風に見えていたのだ。それがどんなにつまらないことか。
その街がだめなんだと思い、また別の街へ移り住んだりもした。だけどどこに住んでも同じ。なんとも表現しがたいつまらなさがどうしてもなくならない。「仙川だったら」がずっと付きまとう。仙川を飛び出すきっかけになったことも、いろいろあって行き詰まってしまっていた。
結局、10年以上も別の街に住んでみたけれど、それらが変わることはなかった。きっとこの先、ずっとこの感じは消えないのだろう。いつもどこかで仙川をうらやみながら暮らしていくのだろう。思い切り諦めるか、思い切って戻るか、しかない。
仙川に住んでいたのは上京してきてすぐの5年だけ。仙川以外に住んでいた時期のほうが長くなったのに、わたしの中ではその5年のほうが大切で大きかった。
そして、どうしても、どうしても、諦めることはできず、とうとう去年の3月、12年ぶりに仙川へ戻ってきた。
本当に戻るかどうか、まだ何も決めていなかったころ、ひとまず行ってみようと久しぶりに仙川へ降り立つと、そこでもう心は決まってしまった。そうなってしまうと気持ちは止められなかった。
いま、毎日改札を出て桜の木を前にすると、うれしい気持ちがこみ上げる。こんなにみごとな花を咲かせる桜が切られなくてよかった。それを守ろうとしてくれた人、賛同したたくさんの人が住む、この街が好き。どこを歩いても、大小さまざまな想い出が鮮やかに蘇ってくる。ここに戻ってこられてうれしい。やっと自分の街に戻ってきたよ!やっぱり、この街のことが大好きだ!
さて、会社の帰りに寄りたいお店がなくなってしまい、そこで途切れてしまっていた夢を、時を超えて意外な人が叶えてくれることとなる。
その夢を叶えてくれたのがゆきちゃんだった。ゆきちゃんはわたしが仙川を離れてからしばらくして、仙川駅のすぐそばにワインバーを開く。お店の名前はLe sancerre(ル・サンセール)。常連さんが多い、たくさんの人に愛されているお店だ。
今では、楽しいことがあったとき、たくさんお酒を飲んで帰ってきたとき、めっちゃつまんない気分のとき、別になんでもないとき、ついつい家に帰る前にLe sancerreへ寄ってしまう。カウンターに座って、ゆきちゃんと、その日初めて会った仙川に住むお客さんと、この街の好きなところを挙げ続けていたら、いつのまにか夜が明けてしまったこともあった。
暑い日はコロナやハートランド、寒い日はクローブとオレンジとシナモンバーが入っているホットワイン。なにかおすすめのカクテルをつくって!とお願いしたら、桜餅のカクテルが出てきた。ズブロッカとりんごジュースでできているというそのカクテルは、本当に桜餅のかわいい味がする。春の季節にぴったりだね。ゆきちゃんありがとう!帰りにお気に入りのお店に寄る夢が叶ったよ!
ちなみに、かつてのJenny's Kitchenのマスターはいま、東海道本線鴨宮駅北口で「カモキタバル」というお店をやっている。20歳だったわたしは36歳になっちゃったけど、今度は小田原まで行って、またマスターのお店で昔みたいに飲みたいと思う。
という、この文章の半分は、冒頭に書いた学生時代のバイト先、ジョナサン仙川店で書きました。まさかあれから16年後、36歳になってここで仙川の想い出を書くなんてね。いまの制服はパンツスタイルに変わっていて、もうワンピースじゃないみたいです。
もう半分は、仙川駅前にある猿田彦珈琲で書きました。最近では仕事をするとき、本を読みたいとき、文章を書きたいときなどは、いつも猿田彦珈琲に来ています。落ち着いた雰囲気で、珈琲もおいしい。フードはめっちゃインスタ映えするものばっかり。スタンプカードは既に3枚目。Wi-Fiも完備で最高だ!休日はいつも満席だけど気に入って通ってます。
あとちょっとだけ、仙川駅の横のロイヤルホストでも書きました。初めて自分のお金でMacを買ったとき、うれしすぎて家まで待てず、当時できたばかりだったこのロイヤルホストで開けてしまったんだよな〜!
……と、もうとにかくどこにおいても、いちいち想い出が付きまとうので、延々と仙川やそれにまつわる想い出を話せてしまう!というわけで、ひとまず今回はこの辺にて。
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著者:永田ゆにこ
1981年長野県生まれ。趣味は銭湯とインターネットと食べ放題。ときどきどこかで想い出を書いています。普段は暮らしの情報サイトnanapiのプロデューサー。
Twitter:@yunico_jp ブログ:http://yuni.co/