「女優ベストをやりなさい」というリクエストを頂いていたので『好きな女優十選』と称してベストを発表。
ところが、1000人以上いる映画女優の中から到底10人には絞りきれなかったので、「古典女優」と「現代女優」の前後編に分けてお送りします。
まずは、ほとんど誰も興味なさそうな『古典女優十選』からどうぞ。
やはり定番とは強いもので、かなりベタなランキングになってますよ。
第10位 イングリッド・バーグマン
1915年~1982年、スウェーデン出身。
数多の女優の中から10位に選んでおいてなんだけど、個人的にそんな惹かれるものはないっす。だけど、クラシック映画好きなら避けては通れない女優の一人だからなぁ。
しゃあなしで10位にぶっ込むわ。
もはや説明不要の『カサブランカ』(42年)だけでなく、『誰が為に鐘は鳴る』(43年)や『ガス燈』(44年)など、ハリウッド黄金期をグイグイと牽引。
中期ヒッチコックの常連俳優としても有名で、『白い恐怖』(45年)や『汚名』(46年)など、最も脂が乗っていた頃のヒッチコック作品でヒロインを務めたりと大車輪のご活躍。
その後、イタリアの巨匠ロベルト・ロッセリーニとの不倫が大スキャンダルを巻き起こし、イタリアに逃亡して不倫結婚。ロッセリーニの『イタリア旅行』(53年)や『不安』(54年)などでイタリア映画に進出する。
のちに、おめおめとアメリカに帰ってきてロッセリーニと離婚。束の間の結婚生活を追想しながら『追想』(56年)に出演してアメリカ復帰を果たす。
バーグマンのすごいところは、還暦を迎えてからもシドニー・ルメットの『オリエント急行殺人事件』(74年)や、大巨匠イングマール・ベルイマンの『秋のソナタ』(78年)など、大作映画や純粋映画に出演し続けたことだ。
生涯通して全盛期。
こりゃあ10位も納得だぁ。
愛称「デコちゃん」。
戦前・戦後の日本映画黄金期を半世紀に渡って支え続けたレジェンド女優。
成瀬巳喜男や木下恵介に起用されることが多いが、とにかくフィルモグラフィが膨大すぎて困る。
文筆家としても長年活動しており、数多く出版しているエッセイを読もう読もうと思っていたら2010年に死んでしまった。そんなのアリか。
発言の様々を見聞きするにつけ、かなりの肝っ玉で、寒空の下でも半袖で近所を走り回っているような女性のようだ。
高峰秀子は決して美人ではない。また可愛いわけでもない。可愛らしいのだ。
『乱れる』(64年)では原節子のポジションについているが、夫に虐待を受ける『永遠の人』(61年)のように、原節子には出せない悲壮感を表現できる女優で、かと思えば楽観的なストリッパーを演じた『カルメン純情す』(52年)の破天荒なてやんでぇ調も強味。
喜劇から悲劇までカバーする百面相の持ち主である。
そして丸顔。丸顔の威力がすごい。
高峰秀子の丸顔が日本映画界に及ぼした影響は計り知れないが、これ以上喋るとバカだと思われるのでよそう。
『二十四の瞳』(54年)や『女の園』(54年)といった木下作品での高峰秀子と、『稲妻』(52年)や『流れる』(56年)といった成瀬作品での高峰秀子を見比べるのがたいへんおもしろい。
みんなもやってみたらどう。秀子比べ。
第8位 ジャンヌ・モロー
1928年~2017年、フランス出身。
画期的な映像技法や映画理論によって映画史を牽引する映画大国は時代によって変化してきた。40年代はアメリカ映画が急速的に進歩して、50年代は日本映画が世界のトップを走っていたが、60年代はフランス映画の全面勝利だ。
60年代のフランス映画には、ブリジット・バルドーやアヌーク・エーメといったセクシーな女優は大勢いたが、しょせんセクシーなだけではジャンヌ・モローには勝てまい。
ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』(57年)、フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』(62年)、ルイス・ブニュエルの『小間使いの日記』(64年)など、世界トップクラスの巨匠の作品で重宝され続けたフランスの大女優である。
ジャンヌ・モローが他の人気女優と一線を画すのは、その肉体に女の生々しさが刻まれている点にある。
通常、映画スターというのは幻想を売る商売だが、ジャンヌ・モローは幻想の切り売りなどせず、生々しい形姿をそのままスクリーンに晒す。
濃厚な人生を物語る顔のシワ、世界の奥底まで見てきたような眼、何かを語るには沈黙が一番なのだと言わんばかりにキュッと締まった口元…。
これから私は7位から1位までの女優を順次発表していくが、これほどまでに反スター的でナマの女を見せつけた女優はいない。深みが違う。
たぶんTSUTAYAの発掘良品コーナーで『マドモアゼル』(66年)という映画が置いてあるはずだから、好奇心旺盛な人は観てみるといい。「映画女優」という生き物の奥深さ、その片鱗を目の当たりにするはずだ。
もうクロエ・グレース・モレッツを見て「かわいい~」なんて言ってられないよ。
KAWAII文化なんて即刻滅びろ!
第7位 エリザベス・テイラー
1932年~2011年、イギリス出身。
人はエリザベス・テイラーの女王の風格の前にひれ伏すのみ。そして後頭部にヒールが押し当てられる感触に「ありがとうございます」と唱えるばかりだ。なんということでしょう。
エリザベス・テイラーの前では、すべての男は下僕であり、すべての女は小娘に等しい。たとえ隕石が落ちてきたとしても、エリザベス・テイラーには当たらない。無礼があってはならないと、隕石の側が彼女を避けてしまうのだ。
また、彼女はマリー・アントワネットの生まれ変わりである確率がきわめて高い。
生涯で8回結婚したウエディング魔人としても有名。
子役時代の『若草物語』(49年)、成熟期の『ジャイアンツ』(56年)、そしてスーパー凄艶期の『クレオパトラ』(63年)など、各年代ごとに代表作を生み出してきた衰え知らずの大女優だ。
他方、オファーの選定がむちゃむちゃに下手で、どうしようもない駄作も数知れず。
正味の話、私はエリザベス・テイラーに傑作は無しと思っているが、ヘイズ・コード(映画検閲制度)の真っ只中に性のタブーに踏み込んだ『去年の夏 突然に』(59年)と、銀河系最強クラスの美魔女であるテイラーが大阪のおばはんみたいに太った『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(66年)は凄まじい怪作。
第6位 オードリー・ヘップバーン
1929年~1993年、ベルギー出身。
オードリー・ヘップバーンと言えば、映画界だけでなくファッション業界にも多大な影響を与えた文化的アイコンだ。
彼女はファッションを通して女性の生き方を変えた。平たく言えば「女性は痩せてる方が魅力的」というアジア的イデオロギーをたった一人で築いた人物だ(それ以前はマリリン・モンローのようなグラマーな女性がモテた)。
また、ファニーフェイス(正統派美人ではなく個性的な顔立ち)の走りでもある。要するに現在のモデル業界における美の基準を作り上げたのがオードリーだ。70年代以降の美貌よりも個性で出てきた女優たちの母と言ってもいい。
まさに現代女性の憧れ。
今でも、気の利いたデパートの化粧品コーナーや電車の中吊り広告なんかでしばしば目にするほど日本人にとっても馴染み深いスターだ。
出演映画にも恵まれており、『ローマの休日』(53年)、『ティファニーで朝食を』(61年)、『マイ・フェア・レディ』(64年)など、今なお支持され続けている代表作を数多く持つが、私がおすすめしたいのは三角関係をおちゃめに描いた『麗しのサブリナ』(54年)と、オードリーが前衛ダンスを披露する『パリの恋人』(57年)。
「でも60年前の映画だしな~」と侮るなかれ、尻込みするなかれ。コスメショップに行く暇があったらオードリーの映画を観ろ!
とにかく若い女性に観てほしい。そして一人でも多く映画ファンを増やしたい。それが私の下心。
第5位 マリリン・モンロー
1926年~1962年、アメリカ出身。
主演作をすべて観たのはもちろん、彼女の自伝映画やドキュメンタリー映画、挙句に関連書籍まで何冊か読むほどにはマリリン・モンローが好きです。
そもそも私は「高嶺の花のモンローよりも庶民派のオードリーの方がいいよね~」という保守的な日本の風潮をぶっ壊してやりたいと常々思っている人間であり、「モンローはとても勉強熱心で傷つきやすい、人間臭い女優である」という論旨を朝から夕方までひたすら繰り返すシンポジウムを開きたいと思っているタイプの人間でもある。ナイスチューミーチュー。
結局のところ、マリリン・モンローという偶像はスターとしての表向きの顔でしかない。
素顔のノーマ・ジーン・ベイカー(マリリン・モンローの本名)は、スカートがめくれ上がるようなバカみたいなドレスなんて着ないし、誰よりもお芝居と真剣に向き合ってアクターズ・スタジオで猛勉強をするし、おつむカラッポと思われるのがコンプレックスで撮影の合間に読書もする。
ところが、われわれは映画の中でしか彼女に会えない。そして映画の中の彼女は「ノーマ・ジーン」ではなく「マリリン・モンロー」なのだ。
ノーマ・ジーンがノーマ・ジーンらしくあることなんて映画会社も観客も求めてないし、マリリン・モンローと言えば永遠のセックス・シンボルで、派手にめくれ上がるスカートを「いやーん」なんつって手で押さえ、ケネディ大統領の前でかの名曲「Happy Birthday to You」をねちっこく歌い、36歳で謎の死を遂げ、アンディ・ウォーホルが大儲けしたシルクスクリーンの生贄にされた女優としてしか認識されていないのだ。
ほとんど全人類がマリリン・モンローを知っているが、彼女が出演した映画のタイトルをいくつ言えるだろう?
要するにそういうことだ。
だから、せめて私は、ここにはマリリン・モンローの写真ではなく、なるべくノーマ・ジーンらしい写真を載せたいのだ。ププッピドゥ!
第4位 ローレン・バコール
1924年~2014年、アメリカ出身。
生まれて始めてローレン・バコールのスチール写真を見たときは「ヘンな顔だなぁ」と思ったものだが、やはり役者は映画を観るまで判断しちゃいけないね。反省、反省。
女狐のごとき色と艶。煙草に火を点ける所作のなんと涼しげなこと。なのにファム・ファタール(男を破滅させる悪女)ではなく純情乙女を演じるというギャップ。
「スクリーンで輝く」なんて、よくある美辞麗句の意味をようやく理解した。この言葉の意味は、プライベートの姿やスチール写真ではなくスクリーンでこそ輝く…という結構そのまんまの意味だが、その反面、スクリーンでしか輝けないという呪縛をも含んでいる。
本物の映画女優は、パパラッチに撮られた写真とかプライベートの姿ほどヒドく映るものだ。これぞ逆説。
バコールとボギー。
加えて、なんと言っても彼女の魅力は公私に渡るパートナーでもあったハンフリー・ボガート(ボギー)との強烈なシナジー。『カサブランカ』の主演男優にして、沢田研二が「カサブランカ・ダンディ」の中で「ボギー ボギー あんたの時代はよかった♪」と歌っていた、あのボギーだ。
『脱出』(44年)や『三つ数えろ』(46年)など、二人一緒に出演した映画はそれぞれが倍々ゲームで光彩を放つ。
バコールとボギーを組ませると、ごっつええ感じになる。
このカップリング魔法のメソッドを知り尽くしていたのが世紀の天才ハワード・ホークスで、知り尽くしていなかったのが世紀の凡人ジョン・ヒューストンだ。
余談だが、昨今の映画にはこのカップリング魔法のメソッドが希薄であるように思える。モニカ・ベルッチとヴァンサン・カッセルのペアが最後か?
とにかくバコールはアサシンのように俊敏で強かな女優だが、一人では戦闘力12万。だがボギーと組むと300万まで跳ね上がるのだ。女優スカウターもたまらず爆発。
ちなみに『ハウルの動く城』(04年)では荒地の魔女の吹替えをしてます(当時80歳。戦闘力は1200まで低下)。
第3位 グレース・ケリー
1929年~1982年、アメリカ出身。
モナコの公妃。
グレース・ケリーを知らない人は、ここで「えっ?」と驚いてほしいな~。
モナコの公妃だぜ?
ハリウッドでトップに上り詰めたあとに一国のお妃さんになっちゃった人。
普通「シンデレラ・ストーリー」というのは有名になった人に対して比喩として使う言葉だけど、グレース・ケリーの場合は文字通りのシンデレラ・ストーリーだよ(シンデレラも妃になったしね)。
お妃さんになって56年に女優業を引退するまでは、ヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』(54年)や『裏窓』(54年)などでブイブイ言わせていたが、引退が早すぎたので出演作はわずか10本ほど。女優としてのキャリアよりも妃キャリアの方が長いという。
ヒッチコックの『泥棒成金』(55年)ではグレース・ケリーが車を暴走させるシーンがひとつの見所になっているが、そのあと本当に自動車事故で死んでしまった。
果たして今の女性がどれだけケリーバッグを使っているのかは知らんが、その名前の由来こそがグレース・ケリーである(マスコミに妊娠を気づかれまいとして「サック・ア・クロワ」というエルメスの鞄でお腹を隠したことで有名になり、のちにケリーバッグと改名された)。
グレース・ケリーは、いわゆる正統派美人の極点だろう。グレース・ケリーというかグレート・キレーだよ、だから。
「美人女優」とは良きにつけ悪しきにつけ個性がない。そもそも美人とか男前は、ある意味においては一番つまらないタイプの役者であり、俳優にとっては最悪のハンディなのだ。個性がないから画面を支配できないし、他の役者に喰い殺される。
だがグレース・ケリーのすごいところは、画面を支配しないし、他の役者を喰ったりしないこと。エリザベス・テイラーのように色気を使ったり、ローレン・バコールのように他者との相乗効果で真価を発揮したりもしない。
あくまで美だけを武器にして、シンプルにカメラの前に佇むのだ。
だが、ヒッチコックのようにただ単に「美しく撮る」ことを良しとしない映画作家であればあるほど、彼女の「シンプルに美しい佇まい」は却って異物のように存在感を際立たせる(俗にいう異化作用)。
美しい女神像は、壮麗な教会よりも俗世の道端でこそ輝きを放つように。
ええこと言うた!
第2位 原節子
1920年~2015年、ジャポン出身。
いよいよ2位だね!
そろそろ疲れてきたでしょう? 私はもうクタクタだよ。
原節子に魂をブチ抜かれたきっかけは、小津安二郎の『麦秋』(51年)と、黒澤明の『白痴』(51年)だ。
もともと一番好きな女優はグレタ・ガルボなのだが、原節子が「日本のグレタ・ガルボ」と謳われる『白痴』は、なるほどガルボ的な妖艶さと神秘性を湛えており、日本映画がなかなか産めないファム・ファタールがここに爆誕したのをしかと見た。
かと思えば、小津映画での原節子は70年代フォークソングのごとき家庭的なやさしみと、ウルトラの母に比肩し得る母性・包容力を惜しみなく発散させ、ウルトラの母をして「本当にウルトラな母は原ちゃんかもしんない」と言わしめたという逸話も。
何を言っているのかもう私には分からなくなってきたが、とにかく原節子はアメリカ人が全員知っている黒澤と、ヨーロッパ人が全員知っている小津の映画で錦上花を添えているので、日本映画の顔といっていいだろう。
ちなみに私は、原節子の女優論をほとんど語れない。なぜなら原節子を最も多用した小津が常識的な映画理論からあまりにかけ離れた映画作家だからだ。
ひとつだけ言えることは、原節子は身ひとつで日本の美しさを丸ごと体現しているということだけ。
40代の若さで完全に引退して隠遁生活を送り、生涯独身を貫いたという点でも、しばしばグレタ・ガルボと比較される伝説の女優である。
ちなみに、2015年に原節子が亡くなったときはトイレにこもって90秒泣いた。正確に90秒だ。憧れを失って泣くのは90秒でいい。
明日を生きねば。
第1位 グレタ・ガルボ
1905年~1990年、スウェーデン出身。
で、出たぁ~。「スウェーデンの美のスフィンクス」ことグレタ・ガルボ!
私は、チョコレート菓子の「アルフォート」や「クランキー」よりもややお高い「ガルボ」をしきりに購入し、カルボナーラを注文する際は「ガルボナーラ」と言うことでガルボ好きを店員にアピールするほどのガルラーである。
松任谷由実が呉田軽穂(くれた かるほ)の名義を使うたびにイラッとするタイプでもある。
リアルタイムでグレタ・ガルボを追い続けたファンはだいたい既に死んでる。そのぐらい大昔の女優だが、いま観ても鳥肌が止まらないぐらい、私にとっての永遠の1位だ。
グレタ・ガルボはサイレント期の大スターである。時代がサイレントからトーキーに変遷する過渡期で、見た目と声のギャップに銀幕を去っていくスターが多い中、ガルボは独特のハスキーボイスが「逆にいい」と評価されて生き残った。
生涯通して私生活は一切不明、スキャンダルも一切ナシ。芝居を通して人柄がまったく見えてこないなど、すべてが謎のベールに包まれた神秘の大女優である。
そして、すべてのガルラーが永久に感謝し続けねばならないのがクラレンス・ブラウンという映画監督だ。『肉体と悪魔』(26年)、『アンナ・クリスティ』(30年)、『アンナ・カレニナ』(35年)といったガルボ主演作をしきりに乱発して、われわれガルラーとガルボの架け橋になってくれた人間媒体である。
また、人嫌いという性格にもシンパシーを感じる。
私も人は嫌いだ。もちろん、「個人」として好きな人は大勢いるけれども、最大公約数としての「世間」や「大衆」が嫌いなのだ。バカばっかりだからだ。
ガルボも世間や大衆を嫌った。ファンにサインを求められても「サインなんかするか」と突っぱね、マスコミにインタビューされても「インタビューなんかされてたまるか」と突っぱね、映画のプロモーション活動も「そんなことするぐらいなら死を選ぶわ」と言ってすべて断った。塩対応どころの騒ぎではない。コチュジャン対応だ。
昨今の日本の俳優が、自分の出た映画を宣伝するためにTwitterを開設したり、『しゃべくり007』に嫌々出演してどうしようもないコントに付き合って愛想笑いを浮かべたり、海外の俳優が『BISTRO SMAP』に出演して無理くり日本のことをリスペクトして、さして美味くもないのに「美味い美味い」と褒めちぎったりもしない。
そうした俗世間の「好感度ゲーム」に興じるほどガルボは器用ではなかったし、浮世離れした感覚だけで生きてきた女優なのだ。
決して生活感を出さず、ミステリアスなイメージを守り、いつの世も変わらず同じキャラクターを演じ続けた。
そんなこって、グレタ・ガルボは一生の憧れ。
もしもいまガルボが生きてて握手する権利をゲットしたとしても、私は辞退する。本当に憧れている人とは気安く握手なんてできるものではないし、握手した途端に「ガルボもまた一人の人間である」という事実を思い知り、憧れが消え失せてしまうかもしれないのだ。
誰よりもミステリアスで、圧倒的に格好良く、何にも増して美しい。
それがガルボであり、憧れだ。
宴もたけなわですが、これにて『古典女優十選』は以上です。
惜しくもTOP10に漏れたのはナタリー・ウッドさん、シャーリー・マクレーンさんなどでした。ざんねん。
『現代女優十選』に続く。