沖縄戦とその後の混乱で義務教育の機会を奪われたお年寄りから、再び学びの場を奪ってはならない。

 那覇市内で自主夜間中学を運営するNPO法人珊瑚舎(さんごしゃ)スコーレに対する県教育庁の補助金が、昨年度をもって打ち切られた。

 県側は「一定の成果は出した」と言うが、支援要件を満たす生徒は本年度も同じように在籍しており、対応には疑問が残る。

 「新たな支援策は公立夜間中学の議論の中で検討したい」との説明も筋が通らない。公立夜間中学が設置されていないため県内唯一の民間夜間中学が教育行政の一翼を担っているのであり、支援の空白が生じるではないか。

 珊瑚舎が県議会に提出した支援継続を求める陳情書によると、1950年の琉球政府の国勢調査で学齢期の子どもの5人に1人に当たる5万人が未就学となっている。

 激しい地上戦があった沖縄では、戦争で親を亡くし生きるために働かざるを得なかったり、生活が苦しく家の手伝いを余儀なくされた子どもが大勢いたのだ。

 夜間中学は2004年からほぼ手弁当で運営されてきた。

 「1932年から41年生まれ」を対象に県の支援事業が始まったのは2011年度からで、昨年度の補助額は講師料など395万円だった。

 現在は12人が在籍し、うち7人は従来の支援対象者である。

 果たさなければならない戦後補償としての公的責任は道半ばだ。県には補助金打ち切りの再考を求めたい。  

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 「68歳まで無学。戦争で父は兵隊に行き、それっきり。母は弾で死にました」

 「夜間中学に入ってから、銀行に初めて1人で行った。以前は人前で何か書くなんて、びくびくして手が震えるだけだったから」 

 「普通の人には当たり前の『おお』と『おう』は違うこと、1時間30分と30分は分に直さないと計算できないことが分かり感動した」

 珊瑚舎の夜間中学の生徒たちの聞き書き集「まちかんてぃ!動き始めた学びの時計」(高文研)からは、学ぶことは生きることだとのメッセージが伝わる。

 戦争によって奪われた教育を取り戻すことは、単に読み書き計算を身に付けるにとどまらず、自信や尊厳といった人生を切り開く力にもなっているからだ。

 夜間中学にあるのは受験のための勉強ではない主体的な学びである。分かる喜びに満ちた生徒たちから、私たちが学ぶことも多い。

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 自治体に夜間中学など就学機会の提供を義務づける「教育機会確保法」が、昨年2月に施行された。

 期待されているのは義務教育を終えていない人のほか、来日外国人や不登校だった若者の学びの場としての役割だ。

 珊瑚舎も「年齢にかかわらず学ぶことを希望する生徒の学ぶ権利の保障と支援」を求めている。

 学ぶ権利の保障は国の義務であり、私たちの責務だ。