2018-04-24

祖母施設に入る事が決まった

 今、入所後に使う私物に貼る名札シール作ってる所なんだけど、涙が止まら明日に響きそうなので吐き出しておく。

 今週の水曜日、同居してた要介護3のばあちゃんグループホームに入所する事になった。足が悪く半分寝たきりで、認知症も進んできたばあちゃんを俺と父親で1年くらい騙し騙し介護してきたんだけど、入所の順番待ちをしていたグループホームから先週「急遽空きができたんですが、入所されますか」と連絡が来たのだ。先方からは以前、申し訳ないが空きができるにはまだ半年以上かかると思う、と言われていたので寝耳に水だったが、予期せず、介護生活から解放と70年以上実家に住んでたばーちゃんとの別れがやってきてしまった。いつか来るとは思ってたけど、もっと先だとばかり思っていたので、まったく心の準備ができていなかった。ことの決定権は父親と叔母(父の姉)にあった。毎日主に世話をしているのはお前だからと、俺の意思も訊いてくれたが、断る理由が「寂しい」くらいしかなかったし、この機を逃したら次はいつ順番が回ってくるか分からないのもあって「仕方ないことだし、親父と叔母ちゃん判断に従うよ」と返答した。

 正直、慣れない介護はきつかった。毎朝早めに起きてばあちゃんの部屋へ行き、着替えを手伝い、ポータブルトイレの中身を処理し、車椅子洗面所仏壇に連れて行って、朝飯を食わせてデイサービスに行く準備を整えながら自分の出勤の支度もする。仕事が終わって帰宅したら晩飯を食わせて、洗面所仏壇に連れて行って、ベッドに寝かせて布団をかけてやり消灯。この基本の流れに加え、ばあちゃんが破り散らかしたトイレットペーパーの片付けというインタラプトも高確率で発生する。紙を破るのはやめてくれと言っても認知症なので1分せず忘れる。まあきつい。性格が穏やかな方なのが唯一の救いだった。自力で歩けないか徘徊とかも無いし。もっと大変な家もあるだろうなーとか考えながらも、いつまでこんな生活が続くのかなとか溜息ついちゃうくらいには参っていた。

 ばあちゃんは俺が小さい頃、共働きで家にいない両親の代わりにじいちゃんと2人で俺の面倒を見てくれた。昔から足が悪かったが、なんとか杖を突いて歩いてバスに乗り、俺を散髪に連れて行ってくれたり、デパートガンプラ買ってくれたりした。夏休み冬休みになると、高速バスに乗って都会に住んでるいとこをばあちゃんと2人で迎えに行ったりもした。両親と仲が悪かったわけじゃないが、俺は完全におばあちゃん子だった。実際ばあちゃんも溺愛してたと思う。いい年こいて結婚できてない俺を、お前みたいにいい子が結婚できないわけがいから、早く嫁さん見つけろと何度も言ってくれた。どうも俺いい子じゃないみたいだぜ。すまんな。

 元々ばあちゃんの面倒を見ていた母親が亡くなった時、還暦越えた頑固親父とろくでなし息子だけで祖母の世話をするなど土台無理な話だ、さっさと施設を探した方がいいというのが親戚一同の総意だった。そらそうなるわな普通。ばあちゃんは状況がイマイチよく分からない顔をして小さくなっていたが、それを見たら単純に不憫に思えたし、できもしないくせに母親の代わりを務めないといけないと思ったんだろうな、「いずれは施設の世話になるとしても、可能な限り俺らで面倒見たい」とか皆の前で言ってしまった。その場には介護仕事してる親戚もいたので「うわっコイツ現実見えてねえ」と思った事だろう。今の俺も当時の俺に対してそう思ってる。介護素人がフワフワした気持ちで続けられるもんじゃない。事実、今回の報せが来たときちょっとホッとしたからな。俺がもっと要領よく、マッチョに立ち回れていたなら、「もうしばらく頑張ってみます」というルートに進めたかもしれない。父親と叔母が入所を即断したのは、実の親の介護を未婚の孫にさせていて、あまつさえそれで消耗させてる事に対する罪悪感もあっただろう。自分が情けないと思った。あんなに可愛がってくれたばあちゃんなのに、もう助けてやれないんだと。

 入所が決まったという話を叔母がしたとき、ばあちゃんは分かったような分かってないような、少し神妙な顔をしていた。いずれにせよ認知症のせいですぐ忘れてしまうのだが、重大過ぎる事だけは辛うじて記憶できていた(母親が亡くなった事だけは忘れなかった)ので、もしかしたらちゃんと覚えているのかもしれない。ただ今朝もやっぱりトイレットペーパーを破り散らかした。出勤前にスーツに紙屑が付かないように掃除するのは完全な遅刻フラグだったが、ギリギリ大丈夫だった。支度を整え、いつものように庭が見える窓のそばまで連れていき、デイサービスの車が来るのを待つ。毎日繰り返したこの一連のシーケンス明日の朝で終わりなんだな、なんだかんだで寂しいよなあ、ばあちゃん分かってるか、分かんねえよな、なんて思いながら庭を見たら、土日の暖かさで一気に咲き始めたツツジが見えた。ばあちゃんもそれを見て「ああ、綺麗なツツジだ。ようけ咲いとるわ」と感慨深げに言った後「もうこれで思い残すことはないわ」って言ったんだ。

 おいおいおい、やっぱり分かってんじゃねえかばちゃん、いや実は分かってないかもしれないけど、わざわざそんな事言うってことはそうなんだよな。もうここに帰って来れないってちゃんと分かってるんだよな。朝も夜も分からなくても、飯を食ったのを忘れても、紙を破り散らかすと俺が怒るってことをすぐ忘れても、本当に大事なことだけは覚えてるんだ。なんだよそれ。ずるいだろう。多分本人にはもう状況が分からいから、というのが介護を断念するに至った主因だったんだ。それが分かってるって分かったら、やっぱりまだ家で面倒見ますって言いたくなるに決まってるだろ。もう遅いよ。手続き済んじゃったよ。肌着にも靴下にもタオルにも全部油性ペンででっかく名前書いちゃったよ。もうどうしようもねえよ。明日最後我が家だぜ。ばあちゃん。分かってるのかよ。

 今日仕事帰りにラベルシール買ってきて、できる限り可愛い感じの名札シールを作った。施設職員さんが見たら「なんや妙に凝っとるな」と言うこと請け合いなやつが刷り上がった。いらすとやはやっぱり神サイトだ。でも、もうこの家に生きて戻ってくることがないだろうばあちゃん名前を綺麗にデコるのは、言い方は悪いが位牌を書いているような気分だった。と言ってもばあちゃんの体調自体はそんなに悪くなく、決して今生の別れでもないし、なんならグループホームは家から1kmしか離れてないような地元オブ地元だ。バカみたいに目を真っ赤にしてこれを書いてる自分を滑稽だと思うけど、それでも明日をもってこの家でのばあちゃんとの思い出は最後になるんだと思うと、俺の中のばあちゃんスピリッツがどうしようもなく目頭を熱くさせる。困ったもんだ。結局書いてるうちにどんどん涙が出てきて全く目論見違いになったわけだが、こんな思いを打ち明ける相手もいない寂しいオッサン独り言だと思って、この場所を使うのを許してやってくれ。多分いないと思うけどもし最後まで読んでくれた人がいたらありがとう

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