『レディ・プレイヤー1』 こいつはご機嫌だ!
【ネタバレ注意】
夢のようだ。ガンダムを、メカゴジラを、アイアン・ジャイアントを、スティーヴン・スピルバーグが映画にしたのだ。ガンダムの実写映画化が、よもやこんな形で実現しようとは思わなかった。
とりわけ、『スター・ウォーズ』の大ブームとライトサーベル(ライトセーバー)の人気を受けて、ビームサーベルを携えた機動戦士ガンダムが登場した歴史を見てきた身としては、そのガンダムがジョージ・ルーカスの盟友スピルバーグの手によって実写映画になったのは感慨深い。ライトサーベルに対する日本特撮界の回答ともいえるレーザーブレードで戦う宇宙刑事ギャバン、そのデザインを引用したロボコップも本作には見ることができる。
『レディ・プレイヤー1』は、仮想現実の世界のゲームを描いた作品だ。仮想現実の世界《オアシス》(Ontologically Anthropocentric Sensory Immersive Simulation)では、(コインさえあれば)思い描いたものを実現できる。だから《オアシス》には、現実世界で人々が夢見た――が、実現できていない――ものが溢れていた。ガンダムや、バットマンやバットモービルや、キングコングや、『シンバッド七回目の航海』のサイクロプスや、『ジュラシック・パーク』のティラノサウルス等々だ。本作の主人公が乗り回すのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の名車デロリアンだし、ヒロインが駆るのは『AKIRA』の金田仕様のバイクときた。
『レディ・プレイヤー1』には、観客も作り手もみんなが好きなものがどっさり詰め込まれているから、観ていて楽しいことこの上ない。上映時間は140分とやや長尺の映画だが、ワクワクしっ放し、興奮しっ放しだ。
前回の記事で、私はスピルバーグには一つの欠点があると書いた。
もう一つ、世界最高のエンターテイメント作家たるスティーヴン・スピルバーグにも、いかんともしがたいものがある。時間だ。天下のスピルバーグにも時間は等しく有限であり、撮れる映画の本数には限りがある。いかにスピルバーグといえども、すべてのジャンルのすべての映画を作ることはできないのだ。他のクリエイターにとっては、それがせめてもの慰めだったろう。
ところが本作の誕生で、とんでもないことになってしまった。他のクリエイター諸氏が今後キングコングの映画を撮ろうと思えば、本作のキングコングを超えねばならない。ゴジラ映画を撮るときは、本作のメカゴジラを超えねばならない。ガンダムを実写化するときには、本作のガンダムを超えねばならない。『AKIRA』を実写化するなら、本作のバイクアクションを超えねばならないのだ。
スピルバーグは、誰もが映画化を夢見るものを片っ端からスクリーンに登場させてしまった上に、スピルバーグの手にかかればそれは最高水準の、見事な映像化だから、他のクリエイターにはたいへんなことだろう。
開幕早々、1984年の大ヒット曲『ジャンプ』が奏でられることでもお判りのとおり、何でも実現できる仮想現実の世界でありながら、登場するキャラクターやアイテムは1980年代のものが多い。この映画の原作者にして脚本を担当したアーネスト・クラインは、1972年生まれの46歳だ。ちょうど80年代に青春時代を過ごしたわけだから、そこに好きなものが集中するのはとうぜんだろう。
これは昨今の潮流とも合致している。当ブログで取り上げた『テッド』や『ピクセル』や『アングリーバード』や『怪盗グルーのミニオン大脱走』でも80年代の文化を大きく取り上げていた。80年代の映画や音楽等に触れて育った層が、いまや作り手の中心になり、観客の中でも可処分所得の多い層になっているのだ。
だから、1980年代にオマージュを捧げる映画は多いのだが、本作が他の作品と異なるのは、御大スティーヴン・スピルバーグが監督していることだ。
80年代、スビルバーグは既にヒットメーカーの名を欲しいままにしていた。70年代の『ジョーズ』と『未知との遭遇』の成功で時の人になったスビルバーグ監督は、1982年の『E.T.』で(当時)映画史上最大のヒットを放つかたわら、プロデューサーとしてロバート・ゼメキスやクリス・コロンバスらを世に送り出し、80年代の文化を牽引していた。
スビルバーグは80年代の映画や音楽等で育った層ではない。そういった層にオマージュを捧げられる側なのだ。
そのスピルバーグが、みずから80年代とはかくのごとしという映画を作った意義は大きい。
オマージュを捧げた作品は、どうしても昔を美化して懐古調になりがちだ。だがスピルバーグにとっては、80年代のキャラクターもアイテムもバリバリに現役なのだ。
たとえば、真っ赤な溶岩に沈みながら親指を立てるシーン。もちろん元ネタは『ターミネーター2』(1991年)のラスト、ターミネーターが溶鉱炉に沈むシーンだ。普通ならこれは、『ターミネーター2』という素晴らしい作品と、それを生み出したジェームズ・キャメロンへのオマージュと理解されるところだろう。『ターミネーター2』を観て喜んだ、あの体験を懐かしむ気持ちがオマージュを捧げさせるのだ。
ところが、キャメロンに先んじて評価を確立していたスピルバーグがこのシーンを撮ったとなると話は逆だ。偉大なスピルバーグが、『ターミネーター2』をネタに取り上げてくれたのだ。喜ぶのはジェームズ・キャメロンの側である。
80年代を中心に、過去の人気キャラクターが続々登場し、その能力を、その特性をいかんなく発揮する本作は、一種のメタフィクションでもあるのだが、当の80年代の文化の中心にいたスピルバーグが監督することで、さらに一階層上のメタフィクションに仕上がった。
原作にはスピルバーグ作品へのオマージュも存在する。アーネスト・クラインは、「僕はスピルバーグの映画を観て、勉強して育ったんです。」と述べている。
だが、スピルバーグは自身へのオマージュのほとんどを映画から取り去った。71歳のスピルバーグが自作へのオマージュに溢れた映画を撮ったら、虚栄心の塊と批難されかねないからだ。「私は自作の要素を取り除くか、さもなくば(80年代にオマージュを捧ぐに相応しい)もっと若い監督に任せなければならなかった。」そうスピルバーグは語っている。
スピルバーグは『1941』(1979年)に自作の『ジョーズ』と『激突!』のパロディシーンを挿入して総スカンを食らったことを忘れていないのでしょう、ともアーネスト・クラインは述べている。
では、スピルバーグみずからこのメタ・メタフィクションを作ることで、どのような効果があったのか。
一つには、オマージュをオマージュに終わらせなかったことだ。過去の時代――1980年代――を振り返るのではなく、当時から今に至るも現役で活躍するスピルバーグが前面に出ることで、本作を昔好きだったものに執着する愛好家だけの映画に終わらせなかった。
また、本作に描かれるような映画、アニメ、マンガの愛好家や、仮想現実の世界に浸るゲーマーや、SNSが主なコミュニケーション手段になってしまった廃人諸氏にとっては、いつまでも童心を持つ人物の代表とされるスピルバーグが語りかけることで、本作のテーマが何十倍にも増幅するに違いない。
《オアシス》の創造者ジェームズ・ハリデー(の知識を転送された人工知能)は、こう語る。
「私は現実世界の居心地が悪かったから《オアシス》を作った。私は人との繋がり方が判らなかったんだ。だが、死期を悟ったときに、気づいたよ。現実の世界だけが唯一、美味い食事にありつける場所なんだ。現実こそが……リアルなんだ。」
ゲームも映画もアニメもマンガもSNSも、現実逃避の道具としての面がある。そのことを一番よく知っているのは、たくさんのファンタスティックな映画を作りながら、『フック』や『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』を通して、現実と非現実のあいだで揺らめく人間を描いたスビルバーグその人だろう。
日本で初めてネット依存専門診療を始めた国立病院機構久里浜医療センターの働きかけが実り、世界保健機関(WHO)が2018年に公表する国際疾病分類(ICD)に、ネット依存のうちのゲーム障害(Gaming disorder)が疾病として記載されることになった。ゲーム障害とは、過度にゲームに没入し、日常生活に支障を来す病のことだ。今後エビデンスが蓄積されれば、ゲームに限らず他のネット依存についても疾病として扱われるかもしれない。
スティーブン・スピルバーグは、スマートフォンを恐れていると語る。
「僕が今一番恐れているのがスマートフォンなんだ。要するに人間が目と目を向き合って話す機会をなくしてしまっている。本作のVRでは、アバター同士が目を見て会話をしているから、ずっとスマホを見て下を向いている状況よりはまだマシなんじゃないかと思う。」
本作は仮想世界の楽しさを肯定しつつ、その端々で、仮想世界に没入しすぎる危険を警告している。
食事が美味いのは現実の世界――そのバランス感覚を忘れるまい。
『レディ・プレイヤー1』 [ら行]
監督・制作/スティーヴン・スピルバーグ
原作・脚本/アーネスト・クライン 脚本/ザック・ペン
出演/タイ・シェリダン オリヴィア・クック マーク・ライランス ベン・メンデルソーン リナ・ウェイス 森崎ウィン サイモン・ペッグ ハナ・ジョン=カーメン T・J・ミラー フィリップ・チャオ
日本公開/2018年4月20日
ジャンル/[SF] [アクション] [アドベンチャー]
夢のようだ。ガンダムを、メカゴジラを、アイアン・ジャイアントを、スティーヴン・スピルバーグが映画にしたのだ。ガンダムの実写映画化が、よもやこんな形で実現しようとは思わなかった。
とりわけ、『スター・ウォーズ』の大ブームとライトサーベル(ライトセーバー)の人気を受けて、ビームサーベルを携えた機動戦士ガンダムが登場した歴史を見てきた身としては、そのガンダムがジョージ・ルーカスの盟友スピルバーグの手によって実写映画になったのは感慨深い。ライトサーベルに対する日本特撮界の回答ともいえるレーザーブレードで戦う宇宙刑事ギャバン、そのデザインを引用したロボコップも本作には見ることができる。
『レディ・プレイヤー1』は、仮想現実の世界のゲームを描いた作品だ。仮想現実の世界《オアシス》(Ontologically Anthropocentric Sensory Immersive Simulation)では、(コインさえあれば)思い描いたものを実現できる。だから《オアシス》には、現実世界で人々が夢見た――が、実現できていない――ものが溢れていた。ガンダムや、バットマンやバットモービルや、キングコングや、『シンバッド七回目の航海』のサイクロプスや、『ジュラシック・パーク』のティラノサウルス等々だ。本作の主人公が乗り回すのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の名車デロリアンだし、ヒロインが駆るのは『AKIRA』の金田仕様のバイクときた。
『レディ・プレイヤー1』には、観客も作り手もみんなが好きなものがどっさり詰め込まれているから、観ていて楽しいことこの上ない。上映時間は140分とやや長尺の映画だが、ワクワクしっ放し、興奮しっ放しだ。
前回の記事で、私はスピルバーグには一つの欠点があると書いた。
もう一つ、世界最高のエンターテイメント作家たるスティーヴン・スピルバーグにも、いかんともしがたいものがある。時間だ。天下のスピルバーグにも時間は等しく有限であり、撮れる映画の本数には限りがある。いかにスピルバーグといえども、すべてのジャンルのすべての映画を作ることはできないのだ。他のクリエイターにとっては、それがせめてもの慰めだったろう。
ところが本作の誕生で、とんでもないことになってしまった。他のクリエイター諸氏が今後キングコングの映画を撮ろうと思えば、本作のキングコングを超えねばならない。ゴジラ映画を撮るときは、本作のメカゴジラを超えねばならない。ガンダムを実写化するときには、本作のガンダムを超えねばならない。『AKIRA』を実写化するなら、本作のバイクアクションを超えねばならないのだ。
スピルバーグは、誰もが映画化を夢見るものを片っ端からスクリーンに登場させてしまった上に、スピルバーグの手にかかればそれは最高水準の、見事な映像化だから、他のクリエイターにはたいへんなことだろう。
開幕早々、1984年の大ヒット曲『ジャンプ』が奏でられることでもお判りのとおり、何でも実現できる仮想現実の世界でありながら、登場するキャラクターやアイテムは1980年代のものが多い。この映画の原作者にして脚本を担当したアーネスト・クラインは、1972年生まれの46歳だ。ちょうど80年代に青春時代を過ごしたわけだから、そこに好きなものが集中するのはとうぜんだろう。
これは昨今の潮流とも合致している。当ブログで取り上げた『テッド』や『ピクセル』や『アングリーバード』や『怪盗グルーのミニオン大脱走』でも80年代の文化を大きく取り上げていた。80年代の映画や音楽等に触れて育った層が、いまや作り手の中心になり、観客の中でも可処分所得の多い層になっているのだ。
だから、1980年代にオマージュを捧げる映画は多いのだが、本作が他の作品と異なるのは、御大スティーヴン・スピルバーグが監督していることだ。
80年代、スビルバーグは既にヒットメーカーの名を欲しいままにしていた。70年代の『ジョーズ』と『未知との遭遇』の成功で時の人になったスビルバーグ監督は、1982年の『E.T.』で(当時)映画史上最大のヒットを放つかたわら、プロデューサーとしてロバート・ゼメキスやクリス・コロンバスらを世に送り出し、80年代の文化を牽引していた。
スビルバーグは80年代の映画や音楽等で育った層ではない。そういった層にオマージュを捧げられる側なのだ。
そのスピルバーグが、みずから80年代とはかくのごとしという映画を作った意義は大きい。
オマージュを捧げた作品は、どうしても昔を美化して懐古調になりがちだ。だがスピルバーグにとっては、80年代のキャラクターもアイテムもバリバリに現役なのだ。
たとえば、真っ赤な溶岩に沈みながら親指を立てるシーン。もちろん元ネタは『ターミネーター2』(1991年)のラスト、ターミネーターが溶鉱炉に沈むシーンだ。普通ならこれは、『ターミネーター2』という素晴らしい作品と、それを生み出したジェームズ・キャメロンへのオマージュと理解されるところだろう。『ターミネーター2』を観て喜んだ、あの体験を懐かしむ気持ちがオマージュを捧げさせるのだ。
ところが、キャメロンに先んじて評価を確立していたスピルバーグがこのシーンを撮ったとなると話は逆だ。偉大なスピルバーグが、『ターミネーター2』をネタに取り上げてくれたのだ。喜ぶのはジェームズ・キャメロンの側である。
80年代を中心に、過去の人気キャラクターが続々登場し、その能力を、その特性をいかんなく発揮する本作は、一種のメタフィクションでもあるのだが、当の80年代の文化の中心にいたスピルバーグが監督することで、さらに一階層上のメタフィクションに仕上がった。
原作にはスピルバーグ作品へのオマージュも存在する。アーネスト・クラインは、「僕はスピルバーグの映画を観て、勉強して育ったんです。」と述べている。
だが、スピルバーグは自身へのオマージュのほとんどを映画から取り去った。71歳のスピルバーグが自作へのオマージュに溢れた映画を撮ったら、虚栄心の塊と批難されかねないからだ。「私は自作の要素を取り除くか、さもなくば(80年代にオマージュを捧ぐに相応しい)もっと若い監督に任せなければならなかった。」そうスピルバーグは語っている。
スピルバーグは『1941』(1979年)に自作の『ジョーズ』と『激突!』のパロディシーンを挿入して総スカンを食らったことを忘れていないのでしょう、ともアーネスト・クラインは述べている。
では、スピルバーグみずからこのメタ・メタフィクションを作ることで、どのような効果があったのか。
一つには、オマージュをオマージュに終わらせなかったことだ。過去の時代――1980年代――を振り返るのではなく、当時から今に至るも現役で活躍するスピルバーグが前面に出ることで、本作を昔好きだったものに執着する愛好家だけの映画に終わらせなかった。
また、本作に描かれるような映画、アニメ、マンガの愛好家や、仮想現実の世界に浸るゲーマーや、SNSが主なコミュニケーション手段になってしまった廃人諸氏にとっては、いつまでも童心を持つ人物の代表とされるスピルバーグが語りかけることで、本作のテーマが何十倍にも増幅するに違いない。
《オアシス》の創造者ジェームズ・ハリデー(の知識を転送された人工知能)は、こう語る。
「私は現実世界の居心地が悪かったから《オアシス》を作った。私は人との繋がり方が判らなかったんだ。だが、死期を悟ったときに、気づいたよ。現実の世界だけが唯一、美味い食事にありつける場所なんだ。現実こそが……リアルなんだ。」
ゲームも映画もアニメもマンガもSNSも、現実逃避の道具としての面がある。そのことを一番よく知っているのは、たくさんのファンタスティックな映画を作りながら、『フック』や『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』を通して、現実と非現実のあいだで揺らめく人間を描いたスビルバーグその人だろう。
日本で初めてネット依存専門診療を始めた国立病院機構久里浜医療センターの働きかけが実り、世界保健機関(WHO)が2018年に公表する国際疾病分類(ICD)に、ネット依存のうちのゲーム障害(Gaming disorder)が疾病として記載されることになった。ゲーム障害とは、過度にゲームに没入し、日常生活に支障を来す病のことだ。今後エビデンスが蓄積されれば、ゲームに限らず他のネット依存についても疾病として扱われるかもしれない。
スティーブン・スピルバーグは、スマートフォンを恐れていると語る。
「僕が今一番恐れているのがスマートフォンなんだ。要するに人間が目と目を向き合って話す機会をなくしてしまっている。本作のVRでは、アバター同士が目を見て会話をしているから、ずっとスマホを見て下を向いている状況よりはまだマシなんじゃないかと思う。」
本作は仮想世界の楽しさを肯定しつつ、その端々で、仮想世界に没入しすぎる危険を警告している。
食事が美味いのは現実の世界――そのバランス感覚を忘れるまい。
『レディ・プレイヤー1』 [ら行]
監督・制作/スティーヴン・スピルバーグ
原作・脚本/アーネスト・クライン 脚本/ザック・ペン
出演/タイ・シェリダン オリヴィア・クック マーク・ライランス ベン・メンデルソーン リナ・ウェイス 森崎ウィン サイモン・ペッグ ハナ・ジョン=カーメン T・J・ミラー フィリップ・チャオ
日本公開/2018年4月20日
ジャンル/[SF] [アクション] [アドベンチャー]
【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
tag : スティーヴン・スピルバーグ タイ・シェリダン オリヴィア・クック マーク・ライランス ベン・メンデルソーン リナ・ウェイス 森崎ウィン サイモン・ペッグ ハナ・ジョン=カーメン T・J・ミラー
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「AKIRA」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「ストリートファイターII」をはじめ80年代の日米ポップ・カルチャーがふんだんに盛り込まれていることでも話題を集めたアーネスト・クラインのベストセラー『ゲームウォーズ』を、巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督が映画化したSFアドベンチャー大作。現実世界の荒廃が進む近未来を舞台に、あらゆる願望が実現する新世代VR(バーチャル・リアリティ)ワール...
レディ・プレイヤー1・・・・・評価額1800円
オタクの、オタクによる、オタクのための映画。
現実に絶望した人々が、すべての夢が可能となるVRワールド“オアシス”に生きる近未来。
亡くなった創業者が、オアシスのどこかに隠した5000億ドルの遺産を巡り、史上最大の争奪戦が繰り広げられる。
映画、音楽、TV、ゲームに漫画に小説と、20世紀ポップカルチャーの記憶とオマージュにあふれたアーネスト・クラインの同名小説(邦題「ゲームウォーズ...
「レディ・プレイヤー1」
ひとりめのプレイヤー、準備はいいか? …あ、あの…