「コミケにお客様はいない。全員参加者」という良く聞く言葉がありますね。
これは「コミケの理念」として紹介される場合がありますが、
実はコミケの理念を明文化した文章には、このままズバリの言葉はありません。
しかしまあ、私も含め多くのコミケ参加者に共有された概念である事は間違いなく、
「コミケの理念として書かれた文章を総合して判断するとこういう解釈が可能」
との意見もあり、理念か否かについてはここでは棚にあげておきます。
閑話休題。
さてこの言葉というか概念、
コミケを滞りなく開催し続ける上で重要な役割を果たしていると思いますし、
私自身も大事にしている概念ではあるのですが、
時折ちょっと気になる使い方を見かけるのです。
「コミケには参加者以外存在しないのだ」
と事実に反する解釈の元になっていたり、
「参加者としての自覚のある者以外はコミケに来るな・出て行け」
と排外的な思想の元になってしまったり……。
これはちょっとどうなのかなあと。
(以下「続きを読む」内で)
これは「コミケの理念」として紹介される場合がありますが、
実はコミケの理念を明文化した文章には、このままズバリの言葉はありません。
しかしまあ、私も含め多くのコミケ参加者に共有された概念である事は間違いなく、
「コミケの理念として書かれた文章を総合して判断するとこういう解釈が可能」
との意見もあり、理念か否かについてはここでは棚にあげておきます。
閑話休題。
さてこの言葉というか概念、
コミケを滞りなく開催し続ける上で重要な役割を果たしていると思いますし、
私自身も大事にしている概念ではあるのですが、
時折ちょっと気になる使い方を見かけるのです。
「コミケには参加者以外存在しないのだ」
と事実に反する解釈の元になっていたり、
「参加者としての自覚のある者以外はコミケに来るな・出て行け」
と排外的な思想の元になってしまったり……。
これはちょっとどうなのかなあと。
(以下「続きを読む」内で)
まずは一つ目について。
「コミケに来るものは皆参加者である」という認識を持たずにやってくる人は、
毎回必ずいます。
例えば「家族に頼まれてお使いにきた」「家族を送ってきたついでに中をまわってみた」
という人たちにまで「参加者たれ」というのは、さすがに無理筋。
また午後の入場フリーになった後などは、
何も知らない観光客が紛れ込む事があります。
また以前より情報が得やすくなったとはいえ、
コミケについて詳しい情報を得る前に「とりあえず来てしまう人」は、
やはりいるでしょう。
「コミケには参加者しかおらず、客や来場者はいない」
と言い切ってしまうのは、明らかな間違いです。
(観念的な意味で言っている場合は除きますが、
その場合も詳しい説明がないと誤解されるので注意が必要)
そして本命の二つ目について。
「コミケに来るならお客様意識はすてて、ともにイベントを作る参加者としての意識をもとう」
というニュアンスで言うのならいいのですが、
「参加者以外はお断り!!出ていけ!!」という趣旨になると、
「ちょっとどうなの?」となってしまいます。
「全員参加者」という概念は、
コミケを上手くまわしていくための「努力目標」みたいなものだと思っています。
「皆が参加者としての意識を持って参加できるようになろう・していこう」
と声をかけあっていくようなものではあっても、
「参加者じゃない奴を見つけた!つるせ!!」というものではないよねと。
まあ確かに、
そうやって「追い出したくなる困ったチャン」がいる事も確かではあるのですけども、
それとは別のお話で。
一つ目の話とも関連しますが、
コミケに来てしまう「来場者」は必ずいるんですね。
そういう人たちに対し「参加者と自認する人たちがどの様に接するべきか?」
という意識の問題だと思うのです。
少なくとも、
「参加者未満」の人たちを「叩いて追い出す」のにこの概念を「利用」するのは、
コミケの趣旨にも反する行為だと思うのですよ。
基本的にコミケは誰にでも門戸を開いている、来るものは拒まずという運営方針ですし。
(※これは旧「コミケットの理念と目的」にも「コミックマーケットの理念」にほぼ該当する記述がある。
もちろん妨害を目的に来る者はさすがに拒みますが)
そういった「来場者」の人たちをいきなり拒んだり、
存在を否定したりする(いないものとして扱う)のではなく、
まずは受け入れられる範囲で受け入れて、
コミケの姿をできるだけ正しく理解してもらった上で帰っていただく。
そうやって一人でも多くの「理解者」「味方」を増やしていく。
そういう方向性のほうが建設的だと思うんですよね。
最初「来場者」や「お客様」だった人が、
参加を重ねるうちに「参加者」になる可能性だってありますから。
もちろん「お客様意識」の人が増えてしまうのは困るので、
参加者意識の啓蒙活動はこれまでどおり行う必要はありますし、
そういったアピールは積極的にやっていくべきだろうとは思います。
でもあの言葉を「叩く方向に利用する」のは、
反感を買って敵を増やすだけで、逆効果になりかねないと思うのですよ。
実は私も初参加時は「自分は参加者」という認識を持っていませんでした。
そんな概念を知らずにコミケ会場に足を運んだ「来場者」だったのです。
もしも当時古参の参加者から心無い言葉を受けていたら、
その後コミケスタッフになる事も、
今こうして同人活動を続けている事もなかったでしょう。
※「コミックマーケット88参加申し込み書セット」掲載、
「コミケットマニュアル」2ページ「コミックマーケットの理念」より引用します。
コミックマーケットは、法令と最小限にとどめた運営ルールに違反しない限り、一人でも多くの参加者を受け入れる事を目標とする
……これを「参加者は受け入れると言ってるがそうでない人は受け入れない」と解釈するのも無理があるかと。
「コミケに来るものは皆参加者である」という認識を持たずにやってくる人は、
毎回必ずいます。
例えば「家族に頼まれてお使いにきた」「家族を送ってきたついでに中をまわってみた」
という人たちにまで「参加者たれ」というのは、さすがに無理筋。
また午後の入場フリーになった後などは、
何も知らない観光客が紛れ込む事があります。
また以前より情報が得やすくなったとはいえ、
コミケについて詳しい情報を得る前に「とりあえず来てしまう人」は、
やはりいるでしょう。
「コミケには参加者しかおらず、客や来場者はいない」
と言い切ってしまうのは、明らかな間違いです。
(観念的な意味で言っている場合は除きますが、
その場合も詳しい説明がないと誤解されるので注意が必要)
そして本命の二つ目について。
「コミケに来るならお客様意識はすてて、ともにイベントを作る参加者としての意識をもとう」
というニュアンスで言うのならいいのですが、
「参加者以外はお断り!!出ていけ!!」という趣旨になると、
「ちょっとどうなの?」となってしまいます。
「全員参加者」という概念は、
コミケを上手くまわしていくための「努力目標」みたいなものだと思っています。
「皆が参加者としての意識を持って参加できるようになろう・していこう」
と声をかけあっていくようなものではあっても、
「参加者じゃない奴を見つけた!つるせ!!」というものではないよねと。
まあ確かに、
そうやって「追い出したくなる困ったチャン」がいる事も確かではあるのですけども、
それとは別のお話で。
一つ目の話とも関連しますが、
コミケに来てしまう「来場者」は必ずいるんですね。
そういう人たちに対し「参加者と自認する人たちがどの様に接するべきか?」
という意識の問題だと思うのです。
少なくとも、
「参加者未満」の人たちを「叩いて追い出す」のにこの概念を「利用」するのは、
コミケの趣旨にも反する行為だと思うのですよ。
基本的にコミケは誰にでも門戸を開いている、来るものは拒まずという運営方針ですし。
(※これは旧「コミケットの理念と目的」にも「コミックマーケットの理念」にほぼ該当する記述がある。
もちろん妨害を目的に来る者はさすがに拒みますが)
そういった「来場者」の人たちをいきなり拒んだり、
存在を否定したりする(いないものとして扱う)のではなく、
まずは受け入れられる範囲で受け入れて、
コミケの姿をできるだけ正しく理解してもらった上で帰っていただく。
そうやって一人でも多くの「理解者」「味方」を増やしていく。
そういう方向性のほうが建設的だと思うんですよね。
最初「来場者」や「お客様」だった人が、
参加を重ねるうちに「参加者」になる可能性だってありますから。
もちろん「お客様意識」の人が増えてしまうのは困るので、
参加者意識の啓蒙活動はこれまでどおり行う必要はありますし、
そういったアピールは積極的にやっていくべきだろうとは思います。
でもあの言葉を「叩く方向に利用する」のは、
反感を買って敵を増やすだけで、逆効果になりかねないと思うのですよ。
実は私も初参加時は「自分は参加者」という認識を持っていませんでした。
そんな概念を知らずにコミケ会場に足を運んだ「来場者」だったのです。
もしも当時古参の参加者から心無い言葉を受けていたら、
その後コミケスタッフになる事も、
今こうして同人活動を続けている事もなかったでしょう。
※「コミックマーケット88参加申し込み書セット」掲載、
「コミケットマニュアル」2ページ「コミックマーケットの理念」より引用します。
コミックマーケットは、法令と最小限にとどめた運営ルールに違反しない限り、一人でも多くの参加者を受け入れる事を目標とする
……これを「参加者は受け入れると言ってるがそうでない人は受け入れない」と解釈するのも無理があるかと。