エベレストに戻った登山熱 ネパール大地震3年

社会
2018/4/22 23:57
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 約9千人が犠牲となった2015年のネパール大地震から25日で3年。17年の外国人観光客は震災前年の約79万人を超え、過去最高の94万人を記録、観光業が「復興のエンジン」として回り始めた。世界中の登山やトレッキングのファンを引きつけるヒマラヤ山脈の「エベレスト街道」を歩くとロッジや飲食店ににぎわいが戻っていた。

ネパールの「エベレスト街道」で、3年前の大地震で崩壊した石壁(右)のそばを歩くトレッキング客(15日)=共同

 東部ルクラから世界最高峰エベレスト(8848メートル)に向かう街道を2日かけて歩くと標高3440メートルのナムチェに到着する。エベレストを一望できる丘はトレッキング客でにぎわっていた。英国人のトニー・ホワイトヘッドさん(64)は「世界最高の自然だ」。

 ルクラでは街道を約2週間かけて回った川崎市の元会社員、亀ケ谷直己さん(65)が「40年前からヒマラヤ訪問を楽しみにしていた。復興支援にもなる」と話した。

 山岳協会のアング・ツェリン・シェルパ前会長によると、大地震で街道にある石積み家屋の多くが全半壊したり損傷を受けたりした。観光客は一時9割以上減ったが「日本や欧米の登山隊やトレッキング愛好者との関係が深く、迅速な支援が集まった」。登山道やつり橋は順調に復旧した。

 観光省の統計ではエベレストの登山許可を取得した外国人も17年、過去最高の375人。観光業が雇用を支え、収入を得た出稼ぎ従業員が故郷の村々に戻り、復興が進む波及効果も期待される。

 人口約150人のベンカル村でロッジが半壊したペンパ・テンジン・シェルパさん(55)は「村には他に仕事がない。地震後1年は耐えるしかなかったので、客が戻ってきてうれしい」と話す。

 街道では一方、崩れた建物の一部をトタンで直したロッジや茶屋が目につく。チュモア村の茶店経営ロマ・タマンさん(35)は「政府からは何の支援も受けていない」とこぼす。住宅再建では条件を満たせば政府の補助金も出るが、煩雑な手続きを敬遠する人も多く、タマンさんは全壊した2階建ての店を廃材を使って平屋として再建した。

 日本円で約50万円の資金は村の高利貸から年利36%で借りた。店の売り上げはわずか。「返済に何年かかるか」。タマンさんは不安そうだった。(ナムチェ=共同)

 ▼ネパール大地震 ネパール中部で2015年4月25日、マグニチュード(M)7.8の地震があり、5月に大きな余震も発生、インドや中国などを含め約9千人が死亡した。エベレストで雪崩に巻き込まれた日本人1人も死亡した。住居など100万棟超が全半壊、カトマンズや周辺のヒンズー教や仏教寺院が倒壊した。

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