前編はこちら。
「今のリコーの大赤字の原因になったのは、リコーが決定的に間違えてしまったのは、2013年以降の近藤会長なのだ」
と前編のラストで書いたように、リコーはスマホやクラウドアプリの普及に伴うペーパーレス化の波に押され、徐々に経営が悪化していった訳では無い。
ペーパーレス化が進む事も、ハードウェアの販売でも受け続ける事が難しい事も、複合機一本足打法には限界があるので新規事業の立ち上げが必須な事も、全部全部わかっていた。
リコーは2008年のリーマン・ショックの影響による赤字転落を創業以来初のリストラを含む経営改革を断行して乗り切り、2013年には売上2兆1956億円、営業利益1203億円と全盛期にも匹敵する業績にまで回復していた。
しかし、その回復が長くは続かない事は経営陣はもちろん、社員全員理解していた。そのためこのタイミングで回復して稼いだ利益を、次世代の新規事業のために投資しなければいけなかった。
もちろん三浦社長、近藤会長は理解していたはずだし、方針発表会や経営説明会など様々な場面で公言していた。
だが結局、今に至るまでダラダラと複合機事業に頼る日々を過ごしてしまった。
そう。今のリコーの経営危機は頑張るべき時に頑張らなかった当然の報いが来ているだけである。夏場にダラダラと遊んだキリギリスが、冬になって食べ物に困るような当然の話なのである。
<2013年〜2015年> 三浦社長・近藤会長時代はびっくりするくらい何も無かった
2013年4月、近藤社長は構造改革の目処がついたため(経営不振の責任を取って)6年という異例の短さで社長を交代し、会長に就任した。(社内では、桜井会長が自分の会長の座と引き換えに引きずり下ろしたなんて噂が流れたが)
三浦社長については経理・財務畑の出身と聞いてだけで、社長就任期間に何をやったとか、何を言ったとかの記憶がほとんど無い。そういえば新人時代に高額なオシロスコープを購入する時、経理本部長まで何十人の承認を貰う仰々しい「決済文書」を書いた事があったが、その時の最終承認者が三浦さんだったなあとの思い出があるくらいだ。
そんな三浦社長・近藤会長体制だった2013年以降のリコーは、「変わりばえしない」と表現するしか他に言葉を知らない。
複写機の中核を担う作像エンジンは旧機種と同じ。キヤノンや富士ゼロックスが導入している低コストな一成分現像システム、富士ゼロックスが高速機種にも導入を始めたLEDアレイによる画像書込み、こういった技術へのチャレンジも出来なかった。
実は1成分現像、LED書込みに何とかトライしていたのが私がいた開発部署だったのだ。アイキャッチ画像にあるIPSiO SP C731は2012年に発売された、私が基礎システムから携わったリコー初のLEDアレイ書込みプリンタなのだ。もっとも2012年にパワハラで部署を追い出されたので、その後はあまり知らないが。
もうラインナップからは消えている機種であるが、こないだ横浜中央郵便局に行った時に稼働していたのにはちょっと感動した。
他にもキヤノンが実用化していた非常に低消費電力なフィルム定着技術、富士ゼロックスが商品化したApeosのような高機能コントローラ、そういった狭まって行く複合市場で勝ち残るための技術開発は極めて消極的だった。
その結果、現在発売されている商品は過去の機種をちょっと改造しただけや、外装を付け替えただけの転がし機ばっかりになっている。
リコーは今でも売上の8割、営業利益の9割を事務機器が占めている。そのドル箱の稼ぎが急速にしぼんだのは、狭まる市場の中でライバルであるキヤノン、富士ゼロックスに見劣りする商品力になってしまったと言うのが非常に大きい。
近藤会長はいつも「意識高い」良い事を言う。でも「有言不実行」
では、何で現場の動きが鈍かったかと言うと、とにかく会社の言ってる事が「ふわっふわ」迷走していたからだ。
近藤会長は社長時代から非常に良い事を言う人だった。「社長ブログ」「会長ブログ」を社内で公開していて、定期的に意識高い文章が社内一斉メールで送られてきた。
「作らずに創る」。これからは一々試作品を作ってテストするような古臭い開発からは脱却する。
設計から量産まで2年も掛かる複合機の常識はもう捨てる。1年で量産する。
(2011年に)3年後までに新規事業を全体の25%に拡大する。人員も新規事業に移動させる。
リコーはハードを売るだけの川下の企業から脱する。アップルやトヨタのような川上の企業になる。
社内のIT部門はまだ出遅れている。「このままでは君たちは要らない」
これらは社長時代を含めて、会長時代に至るまで私が記憶に残っている近藤さんの意識高い発言の数々である。これはブログで書くだけでなく、社内の方針発表会、マスコミ・アナリストを集めての経営説明会でも実際に発言している事だ。
これを聞くとリコー社内はびっくりするような大改革が行われているような印象を受けるだろう。だが、現実はその逆であった。
近藤会長を忖度する意識だけ高い社員と、現場を守って汗をかく社員の二極化
近藤会長が何を言おうが、現場の社員が考えている事はとにかく目の前の製品の納期・品質・コストを守る事だ。「影も形も無い新規事業なんて知ったこっちゃない」「異動になったら考える」、冷めてるようだが当たり前の話だ。
そして、その中で何とかキヤノンや富士ゼロックスに追いつけるように技術の精度を高めて行くしかない。
しかし、「作らずに創る」とか「1年で量産」とか「アップルのような何かしら」みたいな近藤会長に忖度して意識高いプロジェクトを立ち上げる人もいた。
一応会長命令なのだから、そっちの方が正しいと思うかもしれない。だが違う。本気で実現しようとしていなかったからだ。
「作らずに創る」とは要はシミュレーションとか品質工学とかを用いて開発を効率化しろって事なんだけど、そのために現場に意味も無くシミュレーションを導入しろとか、何か考えろとか、品質工学のデータを取って役員の前で成果を発表しろとか、「余計な仕事」が山のように増えた。
「1年で量産」とかは何の根拠もなく子飼いの部下が宣言しただけの空約束だったのだが、近藤会長が鵜呑みにしたため1年を目標に製品開発をさせられ、不具合を出し続けた。結局、5年近く遅れたはずだ。私が辞めた時にはまだ終わっていなかったのでもしかして今も・・・
そういえば、季節が変わるたびに「日程を3ヶ月延期します」というメールが届くようになった。その日程遅延メールが届くたび、「ああ、もう季節が変わるのか」とまるで時候の挨拶のようだったな。
「アップルのような何かしら」は、複合機のパネルにAndroid OSを導入して、タッチパネルで直感的な操作ができたり、アプリを追加できるような拡張性を持たせたはずであった。
しかし、極めてもっさりとしたパネル動作に設計・評価者はイラつきマックス。「誰が買うねん」「ボタンに戻せ」が合言葉だった。噂では開発を外部に丸投げした上に極めて古くてヤバいバージョンのAndroidをつかまされたとの事だが、真実はいかに。後、アップルがサービスを売る「川上の企業」と言うのはわかるんだけど、トヨタも同じカテゴリーで良いのか今でも疑問である。
そして新規事業だが、
「この近藤史朗 こと新規事業に限り虚偽は一切言わぬ 25%に拡大する・・・・・・!25%に拡大するが・・・・・・今回 まだその時と場所の指定まではしていない そのことをどうか社員らも思い出していただきたい つまり・・・・私がその気になれば25%に拡大するは10年20年後ということも可能だろう・・・・・・・・・・ということ・・・・!」
的なノリであった。確かに2011年に3年後といったはずだが、いつの間にか5年後になったり、2014年から3年後になったり。もちろん社内で人事異動は全くと言って無かった。ちなみに新規事業の1つであるプロダクションプリントの同期は「人が少ない」といつもぼやいている。
極め付けはリコーのIT部門だが、実は「よく言ってくれた」と言う賞賛の声が多かった。リコーの社内インフラは極めてロートルで、ロータスノーツとかでしこしこ文書を作ってるのはマジあり得なかった。マジでIT部門は全員解雇で良いだろくらいに思っていた。
そんなIT部門だが近藤社長の発破に気合いを入れたのか、時代遅れのノーツメールからクラウドメールに入れ替えると言う施策を行った。このクラウドメールが今でも思い出すのだが、何もかももっさり、文字化け多発、アドレス検索もできずと、どこのメーカーのものかもわからない最低最悪のものだった。わざとクラウドメールに移行せず、ノーツメールを使い続けた奴が勝ち組(一度移行すると戻れない)と賞賛される有様だった。だが、近藤会長は何も言わなかった。
近藤会長を忖度し続け、結局何も出来なかった
こうして、2013年以降のリコーの複合機の技術開発はかなり遅れてしまった。だが、やっぱり現場の技術者のせいにはしたくない。頑張って前に向かって走っているのに、「意識高い口だけ野郎」たちに散々足を引っ張られて、体力を奪われてしまったと思ってる。
そして、その「意識高い口だけ野郎」が近藤会長の指示通りだと大義名分があるので、社内は二極化し、不毛な争いを繰り返してライバル企業と戦う前に勝手に消耗してしまったのだ。
近藤会長が単なる無能なトップだったらこのような事態にはならなかっただろう。さっさとクーデターでも起きて、経営体制が変わっていたと思う。
しかし、近藤会長は良い事を言う。そしてそれを現場に指示する。現場の「意識高い口だけ野郎」が忖度しプロジェクトを立ち上げる。だが、もちろん失敗する。そして、近藤会長は失敗を怒り、また意識高い目標を掲げる。
2013年以降のリコーはずっとこんな感じで動いていたと思う。
近藤会長が代表権のある会長として君臨し、好き放題言って、現場は混乱・疲弊する。その期間にアイコンの不振もわかっていたはずだが、近藤社長時代の肝いりの案件のために処理ができなかったのではと勘繰ってしまう。
そうして2017年、近藤会長が代表権の無い会長へとちょっとだけ下がり、山下良則社長に交代した事でようやく今にも爆発せんと膨れ上がっていたアイコン爆弾を処理できたのではと思う。
この構図は経営危機に陥った東芝に凄く似ている。東芝はウェスチングハウスの巨額買収の採算悪化により債務超過に追い込まれたが、ウェスチングハウスは当時の西田元会長が社長時代に自ら手がけた案件のため、周りが気を遣って早期に破綻処理できなかった。
リコーのアイコンも近藤会長が社長時代に自ら手がけた案件だ。なので私は1600億円の赤字で処理できて良かったと思っている。もっと引きずったら、東芝の後追いになっていてもおかしくないと思っている。
リコーは2013年に近藤社長に身を引いていただき、構造改革を続けなければいけなかった
さて思い出を語りながらなので、非常に長々となってしまったがまとめたい。
・なぜ名門企業であるリコーがこれほどまでに苦しんでいるのか?
→2013年以降、近藤会長の意識高い発言に引きずられ、油断して構造改革を止めてしまったから。
・リコーはいつ・どこで・何を間違えたのか?
→2013年に近藤社長が辞任された時に、取締役会は新たな体制を打ち出し、近藤社長には身を引いていただくべきだった。
・リコーはこれからどうすれば良いのか?
→年功序列・終身雇用がが目当てで残っているおじさんたちで新規事業が成功するとは思えない。複合機市場は縮小するがゼロにはならないから、身の丈に合った規模に縮小するか、意地でもキヤノン、富士ゼロックスを倒して残存車利益を確保するかの2択。
と言う事である。近藤社長時代の6年間はリーマン・ショックで酷い業績であり、リストラもしたため大層な不評を買ってしまった。リコーの社長は10年は勤めるのが定石だったので、近藤さんは悔いがあるのだろう。だから会長職に留まり、色々と口出しをしたのかなと思う。
でも、経営者は結果が全てだ。近藤社長はなんとか業績回復までは達成したのだし、それは評価できる。そこで納得して貰って、身を引いて貰うべきだった。そしてそれは今からでも遅く無いと思う。
このまま複合機市場が縮む中、今の経営を続ければマジで倒産してしまってもおかしくない。もう辞めてしまった私だが、かつての仲間たちが心配である。
守るべきはリコーであり、近藤会長では無いはずだ。
参照:[前編]事業環境の変化を先取り ITサービスも強力に推進、[後編]M&Aではシステムがリスクに グローバル統合は極めて困難、「グローバルブランド確立が目標」、リコーが中期戦略を説明、リコー、「ペンタックス」買収を発表 デジカメ強化 、リコー山下社長、重い負の遺産 「聖域なき改革」半年、リコーが社長交代を発表、三浦善司副社長が昇格