2013年、韓国で公開された朴氏の日記 Yonhap/AFLO

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 韓国が、慰安婦の強制連行を示す決定的証拠だという資料がある。ところが、その資料を精査すると、全く異なる事実が浮かび上がってきた。東亜大学教授の崔吉城氏が解説する。

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 日本と韓国の間に燻り続ける慰安婦問題は、韓国の儒教的な貞操観と結びついて人権問題となり、政治利用されてきた。韓国で慰安婦は日本軍に徴用された被害者として扱われ、それが愛国者として崇められている。

 しかし、慰安婦に関する戦時中の軍関連文書が多く発見されても、慰安婦が“従軍”であったという決定的な証拠が出てこない。元慰安婦たちが証言する“強制連行”の客観的な裏付けが取れないという事実が、両国の不和の根本原因として厳然として横たわる。

 そんな中、2013年に韓国で『日本軍慰安所管理人の日記』という書籍が発刊された。同書は、ある朝鮮人が終戦直前に慰安所で管理人として働いた日々を綴った日記を、ソウル大学名誉教授の安秉直氏(アン・ビョンジク)が発見し韓国語に翻訳したもの。個人の日記でありながら、慰安所の業務日誌とも言える内容も記されている。これが、韓国で「日本軍による朝鮮人女性の強制動員の決定的資料」だとして大きな話題となった。

 ところが、同書が日本でも紹介されたところ「慰安所は日本で言うところの遊郭、売春宿と似たような場所だった」と解説された。日韓で極端に相反する解釈がなされたのである。双方の正反対の意見を見た私は、慰安所の実態を知る上で貴重な研究資料となるこの日記を、先入観や偏見を排し反日・親日・嫌韓・親韓という立場を超えて客観的に読むべきだと考えるに至った。そして、安氏による訳だけでなく、日記原典とも照らし合わせながら1年以上かけて精読して上梓したのが『朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実─文化人類学者が読み解く「慰安所日記」』である。 

 朴氏は30年以上に渡り1日も欠かすことなく日記をつけ続けた。安氏により刊行されたのは、26年分存在する日記のうち、日本軍政下にあったビルマとシンガポールの慰安所の帳場人として働いた1943年と1944年の2年分である。

 朴氏は穏やかで華やかな生活を送り、慰安所の仕事は規則正しかった。一方で、勤務する慰安所や住むところを変えることも多かった。当時は、戦争の前線を追って多くの商売が成り立っていた。軍需産業から性産業まで、多様な商行為が各地で行われていたのである。朴氏も、当該2年間だけでも釜山からビルマのプローム、アキャブ、ラングーン、シンガポールと移動し様々な慰安所に滞在している。その過程で朴氏は、職場が決まるまでは寝食する場所も定まらない毎日を送ることがあった。

「寝食をあの家、この家ですませていて、ほんとうにすまなく耐えがたい」

 慰安婦を直接管理した朴氏が軍人であったかどうかというのは、日記の解釈の大きなテーマだ。そして日記から読み取れる、時に不安定な朴氏の生活は、彼が軍人や軍属ではなくただの民間人であることを如実に物語っている。

◆慰安婦は商売だった

 朴氏は帝国臣民としての意識を強く持ち、日本帝国に忠誠を尽くした人だった。彼は慰安所を、国家のために戦う兵士を慰安する、国策の慰安業だと考えていたようだ。命がけで戦地に赴く軍人にとって、性は恥ずかしいものではなく、慰安業とは公的な“セックス産業”であった。やっていることは売春でも、「遊郭」は単なる女遊びの場所で、「慰安所」は兵士を慰安するところ。実際、日記の中でも両者は区別されており、自分の仕事にプライドを持っていたと言ってもいいだろう。

 朴氏はまた教養のある人で、博物館や映画にも頻繁に出かけている。時には慰安婦たちや仲居などと一緒に行くこともあった。「慰安婦を連れて市庁前の広場の大詔奉戴記念式に参加した」といった記録も多く、積極的に行事にも慰安婦と共に参加している。慰安婦が蔑むべき存在であるなら、このようなことをするだろうか。

 慰安婦について見てみると、慰安婦になるには就業の許可が必要であった。それは、性病など衛生管理の必要性からである。検査などには軍の協力もあったようだが、それは慰安婦のためというより、日本軍の健康管理のためだろう。慰安婦はまた、手続きによって休業や廃業ができる存在でもあった。そしてなにより、慰安婦から見る慰安業は、商売である。彼女たちは預貯金もでき、出稼ぎであるため送金もできた。

 近代以前や、平時より戦時には、売春は醜業ではなかった。今の感覚ではなく、その時代に即した考え方をしなければならないのは学問の基本である。日記を読む限り、彼女たちが“性奴隷”であったとは到底考えにくい。

 前述した通り、韓国はこの日記をもって「強制連行」の確証を得たと思っている。しかし、この日記には慰安婦の募集に関する記述が一切ない。残っていない期間の部分で触れているのかもしれないが、私には慰安所の関係者や慰安婦たちにとって慰安婦の応募の動機や募集の過程が関心事ではなかったのではないかと思われる。いずれにせよ、この日記ではそうした慰安婦の連行などにはまったく触れられていない。強制連行につながる言葉すらないのである。 

 日記に描かれる慰安所は、軍の管制下にあり軍との関わりは密接ではあるものの、軍の中にあるものなどではない。そこに見えてくるのは、民間人が営業する、軍人を上客とした事業である。師団からの移転命令に「慰安婦たちが反対」したため移転しなかったとの記述もあり、慰安所の譲渡や売買すら可能だった。つまり、そこで働く慰安婦が“従軍”したなどという根拠などどこにもない。

 それは安氏もわかっていたはずである。しかし彼は、「日記で描かれた前の段階で強制連行があった可能性があり、大局的に見ると軍事動員の組織と考えられる」と憶測で書籍の解説部分に記した。韓国では、この部分だけがクローズアップされ、一人歩きしてしまったのだ。

 もちろん、この日記だけで、慰安婦についてすべてがわかるものでもない。同書だけで決めつけをするのは非常に危険である。

 しかし、この日記が慰安婦の本質に関する第一級の資料であることに疑いの余地はない。そして、そこから「性奴隷」も「強制連行」も導き出すことは不可能である。

 慰安婦問題は、政治利用されていいものではない。この日記が、問題を両国が客観的に見るきっかけになることを切に願う。

【PROFILE】崔吉城●1940年韓国・京畿道生まれ。ソウル大学卒業。1972年に来日し、筑波大学大学院に学ぶ。帰国後、陸軍士官学校、中央大などの教授を歴任。1991年に再来日し広島大学教授を経て現職。2001年に帰化。近著『朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実』(ハート出版刊)が話題に。

●取材・構成/大木信景(HEW)

※SAPIO2018年3・4月号