Twitterにて #DTM作曲をなめるな のハッシュタグにて大きな反響を得るに至りました。
Twitterというツールの特性上、どうしても複雑に要素が絡んだ一連の出来事を記述するのは困難だと思いました。本来私が伝えたかった事よりも「音楽理論の是非」に論点が集中してしまったのは私の力不足によるものと痛感しています。
そこで、当ブログ上にて本当に私が問題提起したかったことをなるべく詳しく順を追って説明、解説をしていこうと思います。
そして、読者の方々の様々な意見をまたいただけたらと思います。
#DTM作曲をなめるな は十分にタグの役目を果たしたとは思いますが、このブログとのリンク点としてしばらくは私もつぶやき、チェックを行っていこうと思います。
わたしが伝えたいことを本当に簡潔に言うならば
「いい音楽の「存在比率」が絶望的に少なくなってきている現状をなんとかして打破・回復させたい。」
「「音楽になっていない稚拙な音楽」を商品として売ろうとする不届きな人間を無くしたい。」
です。
このことは当然私だけでなく、同業(プロの)作曲家多くの方と気持ちを共有していることで、音楽業界(メジャーだけでなく同人・配信・エンターテインメント含め全般)の近い将来を憂い、心配しているのが常となっています。
この現状を生み出してしまっている要素・要因は本当に複雑で多岐に渡ります。ですが。まずは「作曲し・DTMにてサウンド構築を完遂させ商品の礎を提供する」ことを希望する方たちに現状認識と警告を伝えることから始めようと思い立ち。twitterというツールを選びました。
そして #DTM作曲をなめるな ではその目的を果たせなかったのですが、ここでは最終的に一番「駆逐したい輩」を的確に皆さんに伝え、できればそのための動きを発信させたいと考えてます。
この「駆逐したい輩」は「作る側」ではなく、「売る側、特にそれを容認して採用する音楽制作者、制作・作家事務所」にいます。
私も、気持ちでは心配しつつも、自分なりの音楽活動が続けて生活が持続できればよい、という「誰かがなんとかしてくれるだろう・自浄作用で良くなるだろう」他力本願でいましたが、ある一連の出来事が重なりに重なって、溜まっていたウヤムヤ感と何とかしなければ何も変わらないという青臭い正義感、危機的状況の焦燥感が激反応し、あの #DTM作曲をなめるな の流れへと突き進ませることになりました。
こちらのブログでも、内容が内容なのでとても長いコンテンツになるとは思いますが、お付き合いいただければ幸いです。
日常業務の合間に書きますので遅筆をご了承いただければと思います。(がんばります)
まずは、#DTM作曲をなめるな
にて、多大なる貴重なご意見を頂きました全ての方に感謝の意を記します。
この節では本当にありがとうございました。
K-MASERA
北田陽一郎