この世界はマインドコントールされています。
人の多くはそれを知らずに動いています。
行動の殆どが「しむけられている」こととも知らずに、分からずに、正しいことのように、最もなことのように、なんの疑問も持たずに行われています。
もし明日、東日本大震災のような大規模な地震が自分の身に降りかかるとしたなら、あなたは今日をどう生きますか?
もし明日、命が終わると知ったなら、あなたは今日何をしますか?
明日が来ないかもしれないことを頭に置き、今日何をしてどう生きるかを考えたことはありますか?
これらの疑問への答えが、あなたが今一番求めていることです。
これを食べておきたい、こんな遊びをしたい、家族と一緒にいたい、恋人と一緒にいたい、ずっと寝ていたい、言いたいことを思い切り言いたい、あそこへ行ってみたい…。
それぞれ内容は違っても、日常的にしていることは違う何かが浮かぶ人は多いはずです。
何かを妥協していたり、この程度の幸せが分相応と微塵も思うこと無く、いつもと変わらない今が一番幸せと言い切れるなら、日常とは違う何かは浮かんでこないでしょう。
普段の日常そのものが最高の幸せだからです。
けれどそうでないから、違うものが頭に浮かぶのです。満たされていない何かがあるから、こっちがいいと感じるのです。
人間は生まれた瞬間から、この世界という枠にはめられます。
父であり、母であり、子であるという上下関係が作られます。
マインドコントールの始まりです。
勿論例外はあるものの、多くの人は無意識であっても感じているでしょう。
父親だから、しっかり働き養わなくてはならない。
母親だから、我が子を守り愛さなければならない。
何の力も持たない子は、両親が世界の全てになります。守ってもらうために、生まれた瞬間無条件に契約が行われます。「僕の、私の全てをあげるから守ってください」という。
このように、それぞれ役割や立場が決まっていきます。
しかし、一般的にそれが壊れていくのが思春期です。
子供自身が周りとコミュニケーションを取りながら気付いたこと、考えたことは、やがて自立した個を形成していきます。
この人はこう言っているけれど、実際に自分では出来ていないよね?
あの人はああ言っているけれど、それは自分の考えじゃなくて、テレビで話してたことの真似だよね。
その人はそう言うかもしれないけれど、僕は、私は、こう思ったりするんだよ。
親の話すこと、先生の教えてくれること、多くの大人が言うことは、僕の、私の心を時々とても苦しめるよ。
あなた達の将来のためって言うけれど、僕は、私は、今こんなに苦しさを感じてるのに。将来を良くするためには、今を頑張らなきゃならないの?それは誰が決めたの?
学校だって、部活のやり方だって、勉強の内容だって、生活時間だって、僕や、私が決められないじゃない。勝手に決めてあったものばかりの中から選んで、やらなきゃならないじゃない。
今本当はこれがしたいんだ。今本当は友達と笑ってたいの。
僕の、私の今は頑張ることが大切で、したいことをして満足して、笑いたい人と笑って気持ち良くなって、今日も楽しかった!って思えることは後回し?
お父さんも、お母さんも、先生や他の大人だって、毎日愚痴ばかり言ってるじゃない。
こうやって頑張ってきたんだって、こう言われてやってきたんだって、こうしないと将来は大変なんだって言うけれど、大人になった今だって大変そうじゃない。
子供の頃の将来が大人の今なのに、ああ疲れた、何か良いことないかな、どうにかして欲しい、ああ休みたい…って言うじゃない。
僕の、私の未来は、大人の言う通りにしてたならこうなってしまうんじゃない?
違うなら笑えよ、笑ってよ。
違うなら文句なんて言うなよ、言わないでよ。
違うなら楽しそうにしろよ、楽しそうにしてよ。
違うなら…どうして大人の世界はこんなにも苦しそうなの?
思春期の頃、大人の言い分に理不尽さを感じたことをある人もいるでしょう。
子供の頃、多くの子は自分のやりたいことをそれなりにやり、食べたいものをそれなりに食べ、守られている中でそれなりの自由を楽しんでいたと思います。
けれど思春期が近付くにつれ、大人の世界のあり方に染まらせられる方向へ向けられます。
大人の世界には過去から続く生き方の決まり、物事の考え方の決まり、人とのつきあい方の決まり等があり、生まれた順の上下関係や学歴、職業、立場による上下関係があります。
犯罪を犯せば社会的立場は低く設定され、性別、人種、国籍、宗教の違い、障害、性的マイノリティ、時には生まれた地域や家庭の環境等々で差別されます。
そういったものを、知らず知らずのうちに覚えさせられるのです。
思春期の頃はそれには気付かなくても、感覚的にそういうものを感じ、大人のあり方に反発します。そこへは行きたくないと抵抗します。
子供の頃から大人の影響はかなり受けてはいるものの、思春期の頃は物事を感じ、考え、分析する力が上がる上に、世の中のあり方を冷静に見つめる心の目も育ってきていて、大人に染まりきらない素直な気持ちで世の中を見ることができるのです。
けれど、多くの大人は子供達の反発に否定的です。
自分の心の目が曇っていることに気付くこともなく、自分の中にある守ってきたものを主張し、押し付け、認めさせようとします。
守ってきたものの根本にあるものが、家庭で教えられてきたもの、学校で習ってきたもの、世の中で当たり前に正しいと言われてきたもの、指南書のようなものに書かれていたもの、昔から語り継がれてきたもの、良いとされてきたもの等々から作り上げられたものであるにもかかわらず。
人を殺す。
この行為を多くの人は悪だと言います。
しかしその根拠や理由を問うと、明確に悪だと言い切れる人はいないでしょう。
何故なら、殺す行為に至った理由の大元には、この世界の歪んだあり方があり、世の中全ての人がそれに関わっていることに気付くからです。
殺した人の家族を含めた人間関係、環境、状況をまず見ます。
そこから発展させて、家族や他の人間関係を見ると、その個人個人もまた、色んな人間関係や環境、状況があります。
もっと発展させて、そのまた先の人間関係を見てみます。そこにも個人個人で人間関係や環境、状況があります。
色んな人の絡み合い、個々での環境や状況があることが分かります。
じゃあその個人を作ったのは何でしょう?
生まれたがらに持った性質はあるものの、殺害に至った環境や状況を作ったのは何でしょうか?
たとえ先天的に殺すことに興味を持つ性質を持って生まれたとしても、その性質にいち早く気付く人間関係や社会的環境があったなら、殺人などせずに、そういった性質を改善しながら心安らかに生きられたかもしれません。
そういった性質を見抜けない人間の想像力、判断能力の低さ、そういった性質を受け入れられない受容性の低さ、正しさを固定化し、正義を加えることで更に強固なものにしてしまった正しさを主張する理不尽さ等が、一人の人間を殺人者にするのです。
過去に似たような差別や偏見を受けた人でさえも、何故そんな差別や偏見が存在するのか?何故人は自分のことを分からないのか、分かろうとしないのか?何故自分はそれらに反発しようとするのか?と、他人の心を深く知ろうとしたり、自分の心を深く知ろうとしないと、今度は自分がそういったものを作ってしまう原因になっていきます。
全ては連鎖するのです。
子供だから分からないし分かってない、大人だから知っている、男だからこれをする、女だからこうしなきゃならない、この年齢だから年だ、若いならこれくらいこなせるだろう、ガキには分からない、ジジイやババアは終わってる…。
こんな極々ありがちなことですら、個人個人を見ることなく、何かしらの先入観や常識、概念等々にマインドコントールされて、発した言葉だったり、してしまった行為だったりするのです。
自分が頑張ったことから得た成果や、教わってきたこと、社会的に言われていること、一般的な男女のあり方や人間関係等々を基準に、自分の子供に「こうするべき」と、言っていませんか?
夫に、妻に、恋人に、友達に、周りに言っていませんか?
求めていせんか?
納得の上で自分が受け入れたものは、自分だけに使えるものです。たとえ我が子であっても、犯罪者であっても、本来は強制するべきものではありません。
理不尽な行為に及んだとき、人として生きるなかでの規制は必要でしょう。
たとえどんな因果関係があったとしても、人を殺めたりすることは、様々な弊害と傷を残します。
ただ、それらが様々な因果関係から起こっているというということを知り、今後そうならないためにどうするか?どうあるべきか?を、個々が考えて行動していかなければならないのです。
関係者で無い者の主張はいりません。
関係者でないものこそ、その原因や理由を突き詰め、改善すべきものを個人単位で改善していかなければなりません。
逆に、本当に理不尽で罪深きことをしたなら、たとえ愛する人や我が子であっても報いを受けなければなりません。それを庇っては、理不尽さは正されません。
人間が決めてきたことを理不尽に押し付けることも、理不尽なことを許してしまうことも、どちらもこの世界の公平性を欠いてしまいます。
この人は嫌いだから苦しんで当然、この人は大切な人だから多目に…では全く公平性は保たれません。
何が愛で、何が優しさで、何が思いやりで…と語られてきたことも、決して正しいわけでは無いのです。
それぞれの個性の違い、能力の違い、出来ることの差等があっても、全ての人に等しく幸せがもたらされなければなりません。
それらを害してるものが、人間が決めて、正しいと信じて主張するものです。
感情や欲求から生まれる不平等です。
そのようなものはいりません。
自分の中の全ての正しさを一度消し去らなければ、本当の心の声、魂の声は聞けません。
続くマインドコントールから抜け出せません。
もしも明日が…の答えが実現することは、一生無いでしょう。
人間の決めごとに捕らわれて、本当に愛しているわけではない人と人生を送り、仕事に不満を持ち、それでも決めごとに従って生きるのでしょう。自分なりに方法を見つけてそれを改善しようとせずに、毎日に不満を持ちながら他人にさえも決めごとを押し付けて。
明日、この世界が終わるなら…あなたは何をしますか?どう生きますか?
その答えはいつ実現できますか?
今あなたは最高に幸せですか?
いつになったら最高の幸せを手に入れられますか?








