今日、ファルシのルシという単語を見かけた。実際それほど久しぶりでもない、と思う程度には目にする。
知らない人も少ないだろうがこの単語はFF13の用語で、現在ネット上では「意味不明な単語を多用し消費者を置いてけぼりにすること」の典型例として主に揶揄に使用される。
置いてけぼりといえば、昨年僕の辛い記憶となったアニメがある。「Gのレコンギスタ」(以下Gレコ)というアニメで、監督はあの初代ガンダムの富野由悠季だ。富野監督の作るアニメは比較的難解だと1979年から言われており、それはアニメを見る層には一般常識である。
何を隠そう自分は富野信者と呼ばれる人間に近い生き物で、Gレコも発表当初から非常に楽しみにしていて、劇場先行上映にも足を運び監督の絵コンテを手に入れている。そんなわけで放送開始前はそれとなく熱心に布教活動をしていたりもした(呟きを見ればちらちら出しているかも)。
そして、Gレコの本放送がいざ始まってみると、自分と同類の生き物たちは非常に面白いと言う反面、そうでない視聴者たちがかなり困惑していた。
今思うにGレコは話の進行が非常に早く、物語が大きく動いているにも関わらず演出の起伏が薄い上に次週への引っ張りの薄い、30分アニメとしては完成度の低い代物で視聴者に厳しいアニメだった。
まず始めに起こったのが「どこを見ればいいのかわからない」という現象だった。そのせいで必要な情報を入手することができず付いていけなくなってしまうのだ。そういう状態に陥ってしまった視聴者が某匿名掲示板にも大勢いて、僕は親切心で解答を出していった。毎週毎週、僕の読み取った解答をオブラートに包んでレスをするなど僕なりに工夫して多くの人にGレコを楽しんでもらえるよう努力した。
今回は特に時期が悪かった。
まず、UCが流行った時からの問題がある。ガンダム正史要素である「映像化」「宇宙世紀」の二大要素をクリアしてしまったガンダムユニコーンから多くのガンダム ベイビーが生まれた。例によってそれ自体は問題ではなく、問題は「凄まじい数のベイビーたちがUCをガンダムとして認識してしまったこと(初めて見たガンダムを親と認識するのです)」、その上に「UC内で富野ガンダム(具体的にはアムロやシャア)に触れてしまったこと」にある。その結果、ベイビー(UC おもしろいお)、半ベイビー(UCは糞、νガンダム最高)、ガノタ(ファーストも見ないでガンダムとな!?)という泥沼状態が長いこと続き、かなりヘドロ化が進んでいた。
そこにさらにビルドファイターズが流行ったこと、正史(宇宙世紀)ガンダムの総本山である富野御大の監督する新ガンダム(しかも宇宙世紀と繋がっているらしい)の登場といったもはや何が何だか分からんカオス状態、端的にいえばGレコ放送前はガンダム界の歴史に残るような「超ニワカ期」だったのだ。それだけ火が大きければ、それに伴って現れる荒らしや対立煽りというゴミ虫の量も膨大である。
そんな中でこんな風にやってしまえばそうなるだろう。
結局、半信者程度の僕には12話くらいで限界がきた。もはや話を理解しているのは信者とニュータイプだけに思えた。僕は今週のアニメについて知り合いとやいのやいの話して楽しむタイプではないが、ネットの空気だけでもう耐えられるものではなかった。正直、痛い信者にならないよう自制するので精一杯だった。
と、まるでGレコを理解できる僕は頭脳明晰で博学才穎のインテリオタクで、そうでないヤツは蛆虫共だ、と読み取れるかもしれない。
そうではない。
僕はファルシのルシを全く理解できなかったのだ。
実際にプレイしていたのは弟で、僕は後ろから見ていることが多かった。だから身が入っていなかったといえば否定できないが、それにしてもFF13は意味不明だった。意味不明であることよりも理解する必要もなく理解しようとも思わないことが問題だった。FF13はやたら使命感を持ったイケメン男女が主人公の妹を助けるとか政府機関の暗部を暴くとかそんな話だった。ただ、それらの情報は謎解きやプレイに必要ないのだ。
事実、僕はずっとファングとヴァニラがイチャイチャしているところだけ気になっていた。戦闘もつまらないので。FF13はいいゲームだよ。
つまり、誰だってそうなんだよって話。僕はアニメはすごく真剣に見るけど、ゲームは攻略優先である。あれだけ細かくアニメを見ているのにゲームのストーリーはかなり適当に追っている(ストーリーテラー的モブNPCにはほとんど話しかけないし)のは、自分でもよくわからない。
だから、自分が理解できるものを理解できないという人がいてもその人は物事を理解できないほど愚かなのではなく、つまり、スタンスの違いに過ぎないのである。
そう考えるようになって、少しだけ優しくなれた。