あまりにも唐突で、理由も不明瞭な決断に多くの憶測が巻き起こっている。
かくいう僕もいくつもの想像が思い浮かんだ。
しかし、多くの想像がどこかしっくりこない。
田嶋会長は選手と話し合った結果と繰り返している。
しかし、選手のコメントを拾っていく限りでは、召集された選手についてはハリルホジッチの要求を満たそうと苦心していたように見える。
不満というものもそこまで表立って見えてきていたわけではない。
求心力がなくなったとは。
信頼関係とは。
なぜ、解任をすることで勝率が上がると判断したのか。
どういう補助線を引けば田嶋会長の言葉を解釈することができるのか。
様々な仮説を当てはめていく中で、1つだけしっくりくるものがあった。
今回はそのことについてつらつらと書いていこうと思う。
どうしてハリルホジッチは職を追われることになったのか。
いくらかの人が英断であるとその決断を支持したのか。
このことを理解できない、と非難するだけでは前に進めない気がしたのだ。
それでは早速出力と行こう。
【1.ハリルホジッチと本田圭佑】
まずはじめに僕の考えを述べるためには、どうしても言及を避けることができないものがある。
ハリルホジッチと本田の関係である。
報道では、解任を主導した選手の1人とだとか、これで復権するなどと言われてる本田選手。
では実際のところはどうだったろうか。
実は僕は本田選手のメールマガジンを購読している。
当初はなんだったか、何かを確認するために購読をはじめたのだが、今に至るまでずるずると継続している。
さて、本田選手のメルマガでのコメントを引用するのは少し難しいかもしれないが、印象を語る程度は構わないだろう。
本田選手とハリルホジッチの関係を推察すると、両者がともにリスペクトしあってる関係であったのではないかと考えている。
極めて良好、というわけではなかったと思うが、一方で邪見にするようなことも両者ともになかったのではないか。
まず本田選手の側からみてみよう。
17-18シーズンの間、本田選手はスポーツ新聞でも一部そのようなことが書かれていたが、大きなモチベーションをもって様々なことに取り組んできている。
トレーニングの変更、生活習慣の見直し、プレースタイルの変更の試み。
特にドリブルスキルの向上や持久力向上の取り組みなど、ハリルホジッチ監督によるサイドでの起用に応えられる選手に少しでも近づけるようになる取り組みを進めていたことが印象的だった。
9月のオーストラリア戦後にはこのようなコメントを残している。
生き残りかけ、本田が「変身宣言」 5日サウジ戦:朝日新聞デジタル
より引用。
本田は「監督が言っていることは、まさに正しい、目からウロコが落ちる的な部分もある。そうじゃない部分もある」「議論はする。ただし、最終決定権は僕にはない。だから僕が最終的には(監督に)合わせる。勝ちたい思いは、一緒なので」
11月にメンバーを外れた際にもメールマガジン上で監督の決定に理解を示すコメントを残している。
決定権は監督。決定は尊重する。このメッセージを一貫して繰り返し発したこの半年をみてきた。僕は、本田選手がハリルホジッチに対して一定のリスペクトを持っていたことに疑いを持っていない。
ではハリルホジッチ監督側から見た場合どうだろうか。
本田選手の起用については選手本人にいつも細かく伝達されていたらしいことははっきりしている。
今日は何分の起用である、という部分まで伝達されていたこともあったようだ。
2月には手倉森コーチを遣わし、現状把握と同時に間接的ながら意見交換を行っている。
継続的な試合出場と、トレーニングの取り組みを確認したのち、3月には即再招集。
ここで一つの考えが僕の頭に浮かんだ。
11月の招集外は選手のモチベーションを喚起するためにあえて外したのではないか。
パフォーマンスの向上に取り組み、所属クラブで試合にでなければ、代表の席は用意されていないぞという、人の心理の暗いところと自尊心を刺激するマネジメント。
これに本田選手はまんまと乗せられたのではなかろうか。
本田選手はメキシコという新天地で日に日にコンディションを上げ、モチベーションを取り戻し、結果も残した。
僕はここにもちろん選手自身の努力があったことは最大限認めつつ、ハリルホジッチ監督の功績もあったものではないかと考えているのだ。
川島選手も代表から外されたことで奮起したことをコメントしていたし、槙野選手もむかつくことがあったとハリルホジッチとの難しいコミュニケーションを述懐している。
しかし、槙野はパフォーマンスを大きく向上させたし、川島も一時無所属になりながら今はリーグ1でPKストッパーとして名を馳せている。
本田も川島も槙野も、日本人サッカー選手としてはかなりのことを達成した選手の部類に入るだろう。年齢的にもベテランの域だ。
もしかしたらこれまでに培ったものをやりくりするだけでも生きていけるかもしれない。
そんな選手たちのモチベーションを呼び起こし、再度成長サイクルに突入させ、キャリアやパフォーマンスを上向かせる。
こうしたことを演出できる監督はそう多くはない。
だが、ざざっと名前を挙げただけでも3人は少なくともこの代表監督の下でキャリアを取り戻したり、さらにもうひと伸びという部分を見せてくれている。
ハリルホジッチのマネジメントは見事というしかない。
さて、本田選手はメキシコでモチベーションを取り戻し、結果を残し、当然のように代表に戻った。
そのような選手がなぜ、監督が替わることで復権という報道をされなければならないのか。
彼は彼自身の努力で再び代表の席を勝ち取ったばかりなのに。
だから、僕は例えば「これで本田が代表に戻るんだろうな」という諦観には断固としてNOを突きつける。
最も、本田選手自身がその努力を公にしていないという事情はある。
Numberのインタビューも断ったという。
だから知られてないのは当然だ。
監督のリクエストに最大限応える努力をした選手。
その姿勢を認め再びチームに加えた監督。
とても良い関係ではないか。
トップレベルの選手を安泰の状況から脱出させるには。
そのお手本のようなこの関係があるかどうかもわからない解任首謀者論にの前に消えてしまうのは、もったいないとは思うのだが。
【2.ハリルホジッチと選手の意識のズレ】
さて、本田選手はハリルホジッチ監督のことをリスペクトしていたし、ハリルホジッチ監督もまたしかり。
では、先日のウクライナ戦はなんだったのだろうか。
ウクライナ戦で本田選手は監督の相手の守備の裏のスペースを狙ってほしい、というリクエストを「無視」するような形で、前線から下がってボールを受けるプレーを多数選択した。
造反、もしくは暴走ともとれるパフォーマンスだ。
そして監督も名指しこそしなかったものの、このプレーを会見で批判した。
一見すると異常事態である。
しかし、ハリルホジッチが海外組を招集した最終予選からの強化試合の狙いを探ると、これはある意味では監督も織り込み済みの暴走だったのではないか、と思うようになった。
では、この強化試合でハリルホジッチはなにをしようとしたのだろうか。
次はハリルホジッチのテスト、という部分について推察してみよう。
まず最初にするべきことはハリルホジッチは情報戦のために親善試合ではすべてを出していなかったのか、という命題に対してNOを突きつけることだろう。
ハリルホジッチほどの長いキャリアを誇る監督がどういうフットボールを志向するか。
このことをたかだか親善試合数試合で隠した程度で分からなくなるとは思えない。
ワールドカップまで1年を切った時期にある公式戦という格好の研究材料もある。
最終予選のオーストラリア戦でも何かを隠すべきだったというのだろうか。
日本人選手の特徴も海外でプレーする選手が多数いることで、いくらでも分析できる。
Jリーグの映像だって望めばそう労力をかけずに集められる時代。
親善試合で手の内を隠すことに殊更価値を見出す必要があるのかどうか。
なので、まずハリルホジッチは情報戦を仕掛けていたよ、という前提はなしで話を進める。
ではハリルホジッチは強化試合で何を見ようとしていたのだろうか。
ここではnumberの記事を引用して推察をしてみよう。
悩める日本代表にPDCAサイクルを。原口が、大迫が、本田が鳴らす警鐘。
昨年11月の欧州遠征。初戦でブラジル相手に完敗を喫した試合でも、日本のプレッシングは中途半端になり、歴戦のテクニシャンたちにマークを剥がされた。
試合を終えた選手は統制のない守備に危機感を覚え、吉田麻也を中心とした守備陣がディスカッションした。その後、吉田はハリルホジッチ監督に直接対話を申し出て、選手側の考えを進言した。
そして次のベルギー戦、日本はボールの奪いどころを限定しつつも、しっかりと堅陣を築いた。つまりブラジル戦よりも自主的にプレーラインは下げたものの、コンパクトな陣形を崩すことなくボールサイドに迫る修正が実現した。
ラインを選手判断で下げさせましたという話がnumberで紹介されている。
みんな大好き監督の戦術に意見する選手の出番だ。
今回の中心人物はディフェンスリーダーの吉田。
ワオ!それって監督を解任するよう要求した連名メールに名を連ねてた選手じゃないか。
やったぜやっぱり選手の造反じゃないか。
いやいやまぁちょっと待ってほしい。
ハリルホジッチはこの要求を一旦飲んでいる。
監督の指示が絶対というわけではないのだろうか。
しかし3月の欧州遠征では戦い方を戻すように指示を出している。
ハリルホジッチはこの修正がお気に召さなかったというのか、監督の指示は絶対であると言いたかったのか。
3月の欧州遠征のときの守備の指示も不可解だった。
4バックの相手に対して3トップでマンマークで行くように指示を出していた。
そして、その戦術を実行するための具体的な策が授けられた感じはない。
3人で4人をマンマークしてねという無茶振り。
なぜハリルホジッチは明らかにそのままでは守備にならないような指示を選手たちに与え、実行させようとしたのか。
ここからは僕の推論だが
・強化試合では選手たちにある程度大枠だけを提示し、細かい指示は与えず選手たちの判断でプレーをさせることにした。
・”吉田”はラインを下げてコンパクトなブロックで守ることを提案してきた。
・しかしそれはカウンターの形がないという弱点をさらけ出すことになった。
・”本田”は自身がボールを受け時間を作ることで全体を押し上げ高いラインと激しい守備を成立させることにした。
・ただしこれはハリルがアタッカーに求める深さの創出に相反する、つまり大枠を逸脱する行為で、これを流れの中ではなく試合開始時から意図的にやったのでそれは違うよと監督は指摘した。
という説を思い浮かべた。
中心選手である吉田選手や本田選手以外の選手からも自分たちで判断をするという言葉が出てきていることも僕の頭の中のこの考えを強くしていく。
同じ記事より引用しよう。
さらに最前線で孤軍奮闘している大迫勇也も、意見を同じくする。
「今は悩みながら、考えながらプレーしている選手が多い。そこが一番の問題。もっとスムーズにできれば変わってくる。監督がメンバーや戦術を決めるもの。でもその中でプレーするのは自分たちなわけだから、(戦い方の)判断も自分ですべき。そこは監督のせいにしてはいけない。だから、やっぱりたくさん話すことが大事だと思います」
吉田が慌てて守備の組織化を進言したことからも、選手たちはより明白に自分たちが何をすればいいかが分かるよう監督の指示がもっとほしかったのではないか。
だが、ハリルは動かない。
攻撃はボールを奪ったら相手ゴールにすぐに迫るように指示はある。
だがどうやって迫ればいいかの細かい指示はない。
自分たちで考えながら攻撃をしなければならない。
守備もどう動けばよいか自分たちで模索しなければならない状態。
選手コメントを見てみよう。
マリ戦後のコメントを見てみよう。なお後でもまたコメントを見ていくとする。
我田引水気味であることは承知だが、要素を抽出しているのだと思ってほしい。
長友「今修正しないと手遅れになる」(スポーツナビ) - ロシアワールドカップ特集 - スポーツナビ
長谷部誠(フランクフルト/ドイツ)
後半に関して、前半もそうでしたけど、局面で(相手にマークを)はがされたりすると、たとえブロックを作っても(やられてしまう)。やっぱり1つかわされると(マークが)ズレて、ズレてとなってしまう。マリの個(の力)に自分たちが個々でも、そして組織としてもズラされてやられたという感覚があります。(後手後手になったが、どうすればよかった?)もう少しブロック(の位置)を1度下げることを考えてもよかったかもしれない。個々(のマーク)がはがされるだけではなくて、ボールを取った後の自分たちの精度が今日はかなり低かったと感じました。
槙野智章(浦和レッズ)
(後半はメンバーが代わってボールの取りどころが定まっていなかったように見えた)おっしゃる通りだと思います。もう少しチームとして明確に、どこでボールを奪うのか。ベンチから、今日は60分くらいから「ロングボールを前に」という声が飛んでいましたけれど、もう少しチームとしてどう戦っていくかを明確にしていかないといけないと思っています。ただ、それでも今日ありきのチャレンジだったと思うし、もう少し選手の中で、流れの中で状況に応じてプレーしていく必要があると思います。
試合前に選手主導で守備の修正に動いたベルギー戦では川島選手のコメントを引用してみよう。
乾貴士「イージーなミスが多すぎる」 国際親善試合 ベルギー戦後のコメント - スポーツナビ
川島永嗣(メス/フランス)
(前半は攻めにいけないけれど耐えて、後半からスイッチを入れるというのが戦い方のイメージ?)前半の最初もそうですし、自分たちでただ引いて守るという感覚はないです。自分たちでいけるところは前からいって、積極的にいくというイメージをみんなが共通して持てたのは大きかったと思います。ゲームの要所要所で自分たちがしっかり判断をして、前にいくところとブロックを作るところ、ブロックを作ってもただ引くだけではなくて、プレッシャーにいくころは、本当に今までにないくらい共通意識を持ててやれたんじゃないのかなと思います。
これは選手のコメントだ、選手のやりたいことをやったのだから手ごたえを感じて当然、というのもわかる。
では監督はどうだったろうか。
ハリル「ものすごく可能性を感じた」 国際親善試合 ベルギー戦後の会見 - スポーツナビ
──守備に関して選手の中で話し合いがあり、監督もそれを喜んでいたそうだが、いい変化はあったか?
戦術のところは、みんなでトレーニングをした。そして、われわれが与えたアドバイスをしっかり選手がやってくれた。中をどう切るか、外をどのように消すか、すべて説明した。そして選手にも、みんなで話し合ってくれと話した。1人に突破されたら誰がそのポジションに入るのか、さらにズレたら誰が入るのかというところまで突き詰めた。
試合全体を通してブロックの高い位置、低い位置のオーガナイズができていた。われわれが与えたアドバイスに対して、彼らはしっかりリスペクトしてやってくれた。
毎試合、攻撃の役割も守備の役割も把握して選手は(試合に)入ってくれる。個人の説明、組織の説明をして、選手たちは自分の役割を完ぺきに把握して試合に臨んでくれた。ただ、1人(の選手)が3人も4人も突破するのは予想していなかった。今日はハイプレス、ロープレスと使い分けていたのが、まだまだフィジカルがトップでない選手もいた。このリズムについていくという意味で、何人かはもう少ししっかり準備して入っていかなければならない。守備だけで満足せず、攻撃も必要だ。そうしたところも、しっかりトレーニングで伸ばしていきたい。
ハリルホジッチはこのように満足を示している。
選手たちとのディスカッションの中で“アドバイス”も送っていたことを示唆している。
僕はこの時点で選手の造反という話はハリルホジッチの中ではなかったのではないかと思った。
選手たちがピッチで感じたことを伝え、もっとこうしたいと言ってくることを待っていたのではないかという感じさえある。
これは、ザッケローニ時代の自分たちのサッカーとの決別を期待した人たちにとっては、むしろ逆行する流れにも捉えられかねない事態だ。
だが、ハリルホジッチがピッチ上で選手に判断をさせることは、強化試合だけのことではなかったのは長谷部選手がベルギー戦前に証言している。
長谷部「共通意識を持つことが大事」 親善試合 ベルギー戦前日コメント - スポーツナビ
長谷部誠(フランクフルト/ドイツ)
(どのタイミングでプレスを掛けにいくのかについては、選手が状況を見て判断すべきと監督が言っていたが)それはもう監督が来た当初から変わりません。監督は戦術の部分では、かなりプレッシャーの掛け方などはやりますけれど、相手がどう出てくるかはピッチの中でしか分からないこと。ピッチの中の選手が判断すべきという話は、そんなに新しい話ではないです。
ハリルホジッチと選手のズレ。
ハリルホジッチは選手たちにピッチ上で判断することを求めた。
一方選手たちは自分たちで判断することの多さに戸惑い、若干の迷走をしていた。
選手たちは試合ごとにムンディアルに向けてチーム作りが進んでいる実感がほしかった。
だが監督はテストを繰り返した。
このズレが監督と選手の“信頼関係”が薄れたとされる根拠になったのではないだろうか。
わからないことだらけの中で選手は焦り、不安にさいなまれていたと思わされるのが、マリ戦後の長友選手の最後のコメントだ。
長友佑都(ガラタサライ/トルコ)
(最初は伸びしろを感じたが?)今後の伸びしろと言いますけれど、もう期間もないわけで、試合数もないわけで。もう伸びしろなんて言っていられる時期ではないのでね。ここで見せていかないと、ここで修正していかないと。今修正しないと手遅れになって終わりますよ。
さて、一旦ハリルホジッチのテストとは、という部分を置いておこう。
ハリルホジッチは決していくらかの人がイメージする策士ではなかったのかもしれない。
攻撃の指示は相手の背後を狙えくらい。
守備はマンマーク気味でハイラインではあるがプレスのタイミングは選手の判断任せ。
ハイインテンシティではあるが選手の疲弊は考慮されていない。
上積みのない強化試合。
一見すると選手をとっかえひっかえする一貫性のない選手選考。
もしもこれが例えばブラジル人の誰それという監督だったとしよう。
僕は多くの人が解任を支持すると確信している。
問いかけたいのだ。
なぜハリルホジッチは本番ではやってくれるとあなたは確信しているのか、と。
その根拠をあなたはどこに持っているのか、と。
だってオーストラリア戦はと言われてもそれは五百蔵さんや結城さんの分析であなたの考えではないだろう。
情報戦というものだと言われてもこの現代の情報が飛び交う時代に何を隠すというのですか。
4年前のワールドカップで結果を残したと言えど、それは別の国の話でなによりこの4年の間に世界のサッカーも進歩している。
日本のサッカーの個の力が世界的に見れば上位レベルでない中で、選手たちの判断を求めるハリルホジッチのフットボールで対抗できるのかは若干どころじゃない怪しさがある。
そういったことをすれば何もできず負けるのは、ジーコの時に散々学んだではないか。
そう、ハリルホジッチは解任されるべきだったのです。
もっとより組織的で、選手たちがはっきりと自分たちが何をすべきかをわかる、そんなサッカーをできる監督でなければならなかった。
しかし今の時点でそのような監督を呼ぶことはできない。
だがとりあえず成すすべもなく敗れることは避けなければならないので、ハリルホジッチにはご退場いただき、勝つ確率を少しでも上げなければならなかった。
これが今回の監督解任劇なのだ。何も不思議なことはない。
【3.監督と選手のずれが生まれた根本原因の話】
と、いう話はさておいて。
では実際のところ監督と選手の認識のズレが産まれた原因は何なのか、という話をしよう。
まず僕のこれまた推論だが「ハリルホジッチは大会直前合宿でチームを作る予定だった」とみている。
「日本代表というチームを作るのではなく、日本代表というチームで目の前の試合をどう戦うかに興味が一番あった」とも言うべきか。
言葉遊びに見えるだろうがその理由についてはこれから述べていこうと思う。
今回、僕はハリルホジッチと選手たちのずれを述べる際にラインの上げ下げの部分を抽出した。
ラインを上げるべきか、下げるべきか。
監督の指示はハイラインだが、現実は。
この話、どこかで聞いたことがある。
そう、トルシエジャパンの本大会前だ。
そしてそこに答えはあった。
ゼロ年代の傑作戦術研究サイト「VarietyFootball」のトルシエジャパンに関する記事から引用しよう。
このサイトの主宰の浅野さんは今や多くの人にとってなじみが深いfootballistaの編集長である。
が、今回の記事は浅野さんではなくもう1人の石井さんという方が執筆されている。
その中での指摘が大変に興味深い。
シーンは選手たちがディフェンスラインを下げることを話し合っている場面についてである。
第4回 : 「モダンサッカーとリベロの死(1) ~六月の勝利の歌によせて~」
おそらくここが本編の中でも特に有名な場面なのではないだろうか。
彼らの口から漏れるのトルシエの戦術的なこだわりに対する不満、それに対して反発して自主的に現実的な戦略を練り直していく様が描かれている。 少なくとも普通の視聴者にとってはそうとられても仕方がないし、映像の編集点の作り方からしても製作者側のそういった意図が伺える。
しかしこれはあまりにも過剰な演出だったように思える。
なぜならばここで話されていることはあまりにも普通のことだからだ。
(中略)
上記のようにラインの上下動に関して、こういった休息の時間帯まで計算して試合をコントロールしていくのはあまりにも当たり前の行動だ。 つまり「疲れるからやなんだけど、どうにかならないか?」という森岡たちのここでの会話は、 日本を代表する選手達がワールドカップが行われている最中に行うべき会話ではなく、もっと前の早い段階で確認しておかねばならない問題なのだ。 はっきり言えばこの段階でこういった話し合いが行われていること時点で、彼らの戦術的な整合性に対する意識が低いと言わざるを得ない。
一体彼らは4年間で何試合をこなしてきたと思っているのか?
ラインコントロールに疲れて足を止めてしまったことは、今までになかったとでもいうのだろうか?
もっともそういった森岡の進言が仮にあったとして、それに対しトルシエが
「『ダメだ。状況に関係なく常にラインは全力で押し上げろ』と言っていた」というならば納得もするだろうが、
「点を取られなければいい」という松田の話から察して、十中八九そういった会話はなかったのだろう。
ハリルホジッチも同じ考えだったのではないか。
そんなことは選手がピッチ上で判断すればいい。
もし大枠からずれるようなことをすれば調整はするが、そうでな限りは選手による調整は許容できるし、むしろ選手がディスカッションをしにくるくらいだから喜ばしい、と。
さらにそこから続く指摘も頭が痛い。
映像を見ていて気になったのは先ほども指摘したように、必要に迫られなければ選手達の間で戦術的な調整をとらないということではないだろうか。 最近になってJリーグの監督やコーチが、「どうも選手達が戦術的にわかっていない」という指摘をすることが多くなっているのも関係しているのかもしれない。 一部の選手の間には監督の言う通りやっていればいい、監督に言われないとわからない、監督に言われていないから関係ないなどと 監督の縛り付けが強すぎるのか思考を停止してしまっている部分もあるのではないだろうか?
代表を例に挙げるまでもなく、戦術を決めるのは監督の独断でも選手の自己責任でもなく、双方の歩み寄りによるところが大きい。 もちろん基本的な方向性を決めるのはそういった手法を身に付け、またそれだけの権限のある監督自身が行うのが筋だろう。 だがサッカーのピッチ上には監督も気が付かないような実にさまざまな事象にあふれており、そしてそれに気が付けるのは選手達だけである。 「この場面での対応はどうするのか?」といったことを選手間で、時には監督と相談する時間を設けて解決する手法が最も効率よく、建設的で、選手達の不満も出にくい。 本当の戦術とは上辺の布陣だけをなぞった概念的存在ではなく、むしろこうした泥臭いやり取りの中から生み出される情熱のような存在なのだ。
実際にハリルホジッチと選手はディスカッションをし、チームの戦い方に調整を施している。
だが。
選手たちはそれでもなお、3月の欧州遠征のときには再び指示通りにやるだけでは、という話をはじめている。
推論はさらに続く。
僕は先ほどの引用にもあったような、思考停止が起きる現象の原因について全くの解釈違いを起こしていたな、と思い当たった。
これは体育会系的な関係性がもたらした弊害なのか。
日本人は規律正しいというイメージが邪魔になっているのだろうか。
やはりサッカーは自由なスポーツとして自主性を伸ばす方向が良いのだろうか。
どれもこれも違った。
「選手がセオリーを育成段階で仕込まれてない」がゆえに「ピッチ上での判断基準が監督の指示以外にない」という状態だったのではないか、と。
例えばラインの上げ下げのセオリーを知っていれば、今は上げようとか、チーム全体でここは下げるぞ、などのアイデアがチーム内だけできちんと生まれ、共有できたかもしれない。
相手の背後を狙えと言ってもボール出てこないじゃん、だけでなくでは誰かが受けてそこから落とすことで前を向く選手をつくりましょうというアイデアもあったかもしれない。
だが、セオリーを知らなければ。
そのプレーが持つ意味を選手たちが知らされていなければ。
背後を狙えは背後を狙えだし、パスをつなげはパスをつなげになる。
だから選手がダメなんだよという単純な話ではない。
ちょっとそれはせっかちだ。まぁ待ってほしい。
選手たちが基本的な方を育成段階で備わってないとしても、例えば海外でプレーするとなるとその状態ではポジションを失う。
なので、海外組の選手たちからはことさらに自分たちでやらなければならないという言葉が、それこそ原口や大迫などからも発信されたのではないか。
そんなことはやらねば、勝つためにやってるんだから、と。
だけれどもこれはこれで問題がある。
育成段階で共通で身に着けていない、自身が所属しているチームの文法を後付けで身に着けた選手たち。
言語が違うのだ。
だから代表で集まったときに共通意識という物が中々形成できない。
時折ハリルがサイドでタンデムを組む選手2人の動きについてアドバイスするなどベーシックな部分での指示を出しているのは、所属するチームによって異なる動きを一度代表で整理しなければならなかったと考えればすっと理解できる。
4-4-2で戦いましょうと言うとき、完ぺきには無理でもある程度共通の文法を持った状態で試合には入れるかどうか。
やっぱり4-4-2ゾーンディフェンスを選手達に教えないとな、と言いかけたそこのあなた。
まぁちょっと待ってほしい。
僕は確かに例として4-4-2を出したが重要なのはその形じゃない。
ここである一国の例を出そうじゃないか。
みんな大好きドイツの改革の話だ。
かつてのドイツサッカーの成功のレシピを知っているだろうか。
厳格な親父である監督。チームに気合を注入するキャプテン。
そんなリーダーたちのもと鉄の結束でまとまった選手たち。
そう、ドイツもまた、監督の指示通りにしか動かない、創造性を失ったサッカーという悩みを抱えていた。
それでも俺たちのフィジカルがあれば勝てるし、と自分たちのサッカーを規定していたことも似ている。
実際にEURO96やムンディアル2002では一定以上の結果を残した。
しかし、EURO2000やEURO2004などの失敗もありドイツサッカーは改革に向かう。
これは誰もが知っているストーリーだ。
だが、本当はEURO2000の前からドイツでは改革が始まっていた。
その旗手を務める人物も決まっていたのだ。
ドイツはいかにして、つまらないサッカーから脱却したのか。
本当はドイツの改革の旗手を担うはずだった人物、クリストフ・ダウムがその答えを言っていました。
ドイツの話ならこの人、湯浅健二氏のホームページの1999年の記事から引用しましょう。
湯浅のドイツ報告・・ドイツ北端の町から・・(1999年7月3日
「重要なのは、選手たちの『(サッカー的)インテリジェンスの向上をベースにした戦術的な柔軟性』だ・・」
友人のプロコーチ、クリストフ・ダウムの言葉なのですが、要は、システムに不必要にこだわり続けるのではなく、状況に応じて(戦術的に)柔軟に対応出来なければならないということです。
重要なのは、という言葉が示すように、この発言の前には、君たちはラインディフェンスだのボールオリエンエッドだの言うけどその言葉、昔にはなかったのかい、と新しめの言葉を使うコーチたちへの苦言が入っている。
元発言自体は湯浅氏の著書「サッカー監督という仕事」に収録されている。できれば全文引用したかったが、実家に本を置いてきており今手元にない。ご容赦いただきたい。
僕は今この言葉の意味をようやく理解したのだ。
選手たちがピッチ上での問題を自分で解決できるようになればなるほど、より自由で柔軟なフットボールを披露できる。
選手を監督の指示から解放するのは、自由を与えることではなく選手たち自身のインテリジェンスの向上、自分たちで判断できる力なのだ、と。
インテリジェンスの向上。
選手たちがピッチ上で次々と起こる問題を分析できる力。
そのためには、セオリーを知らなければならない。
それはゾーン守備のものかもしれないし、マンマークの技術かもしれない。
ハーフスペースの攻略かもしれない、単純な三線速攻という形もある。
マン・オリエンテッド、ボールオリエンテッド何を重視するか。
たくさんのことがある。
詰め込めというわけではない。しかし、何か一つ教えればいいというものではないことも確かだ。
例えばゾーンディフェンスを教えようとなれば、その言葉にイメージが引きずられてしまう。
なるほどこの守備ができればいいんだな、と。
それでは全く意味がなくて、セオリーの一つに過ぎないということ。
ピッチ上でこれで解決できない問題があったときにほかの方法を知らないので、と何もできないなら結局形を変えただけのつまらないサッカーになってしまう。
だから、新しい言葉を振り回すのではなく。
選手たちがいかにピッチ上での現象を把握し、またある程度解決できるようになるか。
そういう力を育むためには、自由にプレーさせることではなくセオリー、解決方法をきちんと教えていくことが大事なのだと。
クリストフ・ダウムは、2000年の代表監督就任とともにドイツ版クレール・フォンテーヌの設立などで育成に改革を施すことを設計していたが、薬物スキャンダルで失脚。
しかしその計画は引き継がれ、かつてのスタープレーイヤーであるザマー、そしてクリンスマンの下でお披露目され、レーヴによってついに花開いた。
これはもう語ることはないだろう。
さて、ドイツから日本の話に戻らなければならない。
先ほどの VarietyFootballの記事にもあったが、日本でも2002ムンディアル前後で柔軟性の乏しさという課題を見出していた。
そしてそれに対する解決方法が「ジーコ」だった。
だが2006ムンディアルで失敗した。
彼は紛れもないレジェンドだ。そして彼はECLで結果を残したこともある。
だから彼が全面的に悪いわけではなく、解決方法を間違った日本サッカー界が失敗したのだ。
ここで修正をほどこせるチャンスはあった。
そして、2018年。
2002年と同じ課題で選手たちが悩む姿がそこにはあった。
一体この16年の間に僕たちは何をしていたというのだろうか。
何も変わっていないどころか、ハリルホジッチは日本に合わなかったねと責任転嫁する始末。
2002年の大会から2006、2010、2014と3つの大会を積み重ねた。
その間一体僕らは何を考えてたというのだろうか。
反省している。
日本のサッカー、接近連続展開、自分たちのサッカー……
目の前の言葉に飛びつき、本質に目を向けず解釈を振り回し、悦に浸っていたことを。
そうした行為もまた、結局のところ停滞を招いていたのだと。
さて、そうは言っても今の選手たちで戦わなくてはいけない。
コメントや記事をみると僕は特にこの半年間は非常にポジティブな流れだったんだなと認識を新たにした。
確かに監督と選手は議論をしていた。
だが本大会直前でもなければ選手たちが監督に告げずに、というわけでもない。
今そこで起きた問題を監督とともに解決しようとする姿勢。
日本のトップの選手が悪戦苦闘しながらも何かを見出そうとしているこの期間。
日本サッカーにとって実は本当に本当に大事な時期だったのではなかったのか。
そして、本大会直前合宿からの本大会。
ここでハリルホジッチと選手たちはどうういう結論に至ったのだろうか。
口惜しい。
結局戦術を知らない選手たちが良くないのでは、とは言いたくない。
そうしたことは選手マターではなく、育成段階できちんと選手たちの頭にインストールしなければならない大人たちの問題で、さらに言えば選手たちの自主性という言葉に逃げ、ある程度の共通化の作業から目を背け続けた協会の責任だ。
ハリルホジッチと選手たちの間に生まれたゆがみを協会は解任の背景としたが、その歪みを生んだのは協会自身に他ならないのではないか。
そこから目を背け監督の首を挿げ替え、耳触りの良い言葉で誤魔化した。
このことの損失がいかほどか、正直想像もしたくない。
【4.新しい代表チームのカタチ】
さて、「ハリルホジッチは大会直前合宿でチームを作る予定だった」の話に向かおう。
ハリルホジッチは常々準備は最後の3週間でと発言していた。
ベルギー戦後の会見での発言を引用しよう。
──収穫の多い試合だったが、本大会までは7カ月しかない。どうチームを完成させようと考えているのか?(小谷紘友/フリーランス)
各個人に話していることだが、本大会に向けて大事なのはクラブの役割だ。次は(来年)3月に合宿があるが、まずはフィジカルを上げて合宿に入ってほしい。フィジカルコンディションがもう少し上がれば、攻撃でも守備でもよりよい戦術が使える。特に国内組。12月に東アジアカップ(EAFF E-1サッカー選手権)があるが、そこでしっかり準備してほしい。この12月で国内組からA代表に入るかという決断がなされると思う。
ただ本当のトレーニングは、本大会前の3週間で突き詰めていく。その3週間でテクニック、タクティクス、フィジカル、メンタルのすべてを上げていく。それから(W杯本大会グループリーグの)3試合を戦わないといけない。もしかしたら、もう少しやらないといけないことがあるかもしれない。6月で準備が始まるわけではない。今日から6月まで、すべてが合宿みたいなものだ。それをすべて、自分たちのクラブでやってほしい。自分個人のパフォーマンスを上げてほしい。代表候補には毎日、コンタクトを続けていきたいと思う。
また、キャプテンの長谷部も監督のチーム作りは5月に入ってからだろうとコメントしている。
マリ戦の前日コメント。
昌子「明日の試合からW杯まで全部勝つ」(スポーツナビ) - ロシアワールドカップ特集 - スポーツナビ
長谷部誠(フランクフルト/ドイツ)
(けが人が多い状況だが)監督もまだいろいろな選手を試している段階だと思います。本大会に誰が選ばれるか分からない状況ですし、その中でチームづくりをしている。これまでのW杯はある程度メンバーが見えてきていましたが、今回はまだまだ選手を見たいという感じ。ベースの部分は変わらないが、新しい選手がどうリアクションするかで新しい部分も見えるので。本大会に向けてというのは、5月の合宿で見えてくると思います。今は自分たちが積み上げてきたものに、新しい選手がどうプレーするのかを監督が見ている感じだと思います。
(監督は5月の壮行試合を終えてからメンバーを決めたいと言っていたが)欧州のクラブにいると、メンバー発表のあとに「おめでとう」と言っても「まだ30人の枠だから、まだ分からない」と言っている選手もいます。それは、それぞれの監督のやり方ですし。(最終メンバーの)発表から(本大会までは)時間があるので、チームとしてはそこからグッと固まってくると思います。だから(発表が5月末でも)時間がないとは思わないです。
また、試合後も長谷部はテレビ番組で直前合宿有るので、と発言しセルジオ越後氏から苦言を呈されている。
セルジオ越後氏、長谷部の考えに反論「もっと危機感を」 - SANSPO.COM
チームの主将と監督の意見がおおむね一致しているのだから、直前でチームを作り上げるということはある程度チーム内で共有できていた可能性もある。
ではなぜハリルホジッチは直前でチームをくみ上げるという選択をしたのだろうか。
またまたまたまた推論だが、ザッケローニが悩んでいた事柄についてハリルホジッチは既にそういうこともあると理解していた、という説が一番すっきりするかな、と思う。
それは何か。
「通訳日記」の読者ならすぐにピンとくるだろう。
そう、代表チームで戦術をくみ上げてもクラブに戻っている間にリズムが変わってしまうという問題だ。
代表チームとクラブチーム。異なる2つのチームでプレーしている中で、よりプレー時間が長いのは当然クラブチーム。
代表チームで組織を作ったとしても、どうしたって練習時間は短いし期間も空いてしまう。
空いている期間は全く違うサッカーをそれぞれの選手が行い、身に着け、また代表に戻ってくる。
ザッケローニはその中でもそれなりの完成度の高いチームは作れるのでは、と苦心していた。
ザッケローニ監督手記 vol.28「トータルフットボール」
練習時間の制約など条件に差があって、クラブチームのストーリー作りとアプローチが異なるのは、世界中の代表チームの宿命でしょう。私も、代表のチーム作り、という点では、実はある種の“あきらめ”をスタート地点にしています。クラブチームのような完璧なまでに作り込んだチームを代表で実現するのは難しいかもしれません。しかし、こうした厳しい制約の中でもミスの少ないチームを作るのは来年のワールドカップまでに十分に可能だと思っています。
ハリルホジッチは恐らくもっとあきらめていたのではないか。
代表チームで特徴のあるチームを作ることは不可能に近いし、それをすると新しい選手が出たりけが人が出た場合組み込む作業にさらに時間がかかる。
なので常に目の前の試合に向けたプランを組み、それに合わせたメンバーを集め試合をすることだけに集中する。
上積みは望めないが一方で計画実行と来ればチェックの段階、つまりPDCときているので何ができ何をできないかなどの情報は収集できる。
チーム作りの手法がこれまでとまるで違うことは、本田圭佑がメールマガジンでこれまでのクラブチーム的なものとは違う、難しさがあると認めている。
だがハリルホジッチはいくつかの代表チームで経験があったので、期間が空くうちに選手たちの頭の中がリセットされることも理解していたのではないか。
しかも、日本代表の選手たちは共通のセオリーという物をもっているわけではない。
即興芸は持っているがあれは長くプレーしているから分かり合えるところもあるというもので、職人芸の世界。
職人芸、大好きだがどの選手でもできるものではないのであるならば、選手が入れ替わる代表チームではメインとなる武器するのはリスキーだ。
これでようやくハリルホジッチのテストはどういうものだったのか、の話に入れる
ハリルホジッチは選手が何ができて何ができないかをみたかったのではないか。
ピッチ上での現象にどう立ち向かうか。
自身の与えたコンセプトをどう実現しようとしているか。
もちろん相手の分析をし、試合に勝つことも目標とはしていたと思うが。
中々難しいチームの熟成ではなく選手のテストを繰り返した、とみると中々にスッキリする。
特に代表は選手の能力を伸ばすトレーニング、というものを取れる期間がない。
コンディションの回復、次の試合に向けたプランの共有。
これらのことをすればもう試合だ。
今までの日本の武器は、多くの選手が長い時間プレーすることで手にしていた「熟練の組織」だった。
だがハリルホジッチは代表チームは代表チームとして、簡単な言葉にすればオートマティズムの形成に時間を割くということをしなかった。
状況ごとにどうプレーをすればいいという細かい決め事をは作らなかった。
時間もないし、なにより選手たちが別のチームで長くプレーをしているという事情もある。
だけれども、直前合宿となれば話は別。
たっぷりと、というわけではないが週単位でトレーニングを組める時間があり、選手たちと長期にわたって生活できるというメリットがある。
選手たちに代表でのプレーを仕込んでも、すぐに大会が来るから中断されずそのままの頭で試合に臨める。
そうか、代表チームを作るというのはこういうことなんだ、と。
いや少し語弊がある。
「非欧州の国がこれから代表を作るにはこういう形になる」ということをハリルホジッチは示していてくれたのではないか。
例えばこれがUCLやELがある欧州の国々なら話は別。
自国リーグでプレーする選手たちを中心にチームを形成することができる。
だが日本は別だ。
これからも優秀な選手は欧州へ渡っていくだろう。
様々な国の様々な文脈でプレーする選手たちで構成された代表になっていくはずだ。
代表で集まるたびに、全く違う文化の中で生きてきた選手たちが集まる。
そのようなチームに、長い期間をかけて熟成というものを期待するのは土台無理な話なのだ。
クラブチームのような一体感から即興を交えたチームワークのサッカーという美しい夢は夢として置いていき、現実に生きる時が来た。
では、即興で準備期間が短いチームを作らなければならないとなったとき重要なことはなんだろうか。
本田選手のコメントはこの問題に対する意識を感じるものだ。
本田圭佑が取材対応、日本サッカーの「弱点」を語る
本田は次のように答えた。
「監督の理想とするサッカーがある。それはいい、どのクラブでも、代表でも、ある。
日本の1つの弱点は(サッカーの)歴史が浅いせいで、まだ、“日本とはこれ”というサッカーがないのが弱点。毎4年、違うスタイルを模索しながらここまで来ているのが現状。
そこの転換期にあると思うんです。
転換期が1年とかじゃなく、5年くらい続いているのかもしれない。ブラジル(4年前のW杯)でもそれを追い求めてやったし。でも、負けたおかげでリセットし、模索が続いている中で、また新スタイルに。
困った時に、普通、集団って原点回帰するものがある。それが今、日本のサッカーにはないというのは、もろいところではあるのは事実。
普通なら、簡単に立ち返る場所が、楽な道があるんですけど。楽な道はない。
でもこれをネガティブに考えずに。どの国もサッカーでもサッカー以外でも、歴史ってそうやって築かれてきているし、僕はこういう場面に出くわせていることは光栄なこと。
どう打開するか、いち選手として、日本人として考えてますよ、考えてますし、案もある。やることはやっているし。これからもトライしようと思っていることが幾つもあるんで」
早口で、こう語った。
僕はこの意見についてとてもよくわかると思っている。
僕としては、この問題の解決のために「自分たちで」サッカーができる状態に持っていくことを提案したい。
つまり、先ほどの項目で問題意識として述べた「選手たちがセオリーの知識という部分で不足している」の部分を解消することで、迷ったときに立ち返る場所問題は概ね解決すると考えている。
これは人それぞれ意見は異なるだろう、むしろこういう局面にあることを認識できるかどうか、そして意見を出せるかどうかが重要ではないか。
ゾーンディフェンスを教えないとな、なんてしたり顔で言っている場合じゃないのは確かだ。
やることがとにかく多すぎる、だがやらねば勝てない。
何をやるべきなのか、多くの人が喧々諤々する時代が来たのだ。
さて、僕のハリルホジッチ解任に対する感想を述べよう。
ハリルホジッチはまさにこの人々が問題意識を持ち、改善に向けて意見を出し合う、そういう時代に来てくれなければいけない指揮官だったと思う。
デュエルに代表される言葉の力、選手の体作りに対する問題定義、挑発的な記者とのやり取り、これまでとは明らかに違う本大会までのチームの作り方。
何から何まで、これまでの日本代表とは違うものを披露してくれた。
これを日本のサッカーに合わないのではとか、ましてや誰それの考えと会わないからと切り捨てては得るものが何もないのだ。
ここまで明らかに何かが違うならむしろ自分たちを疑わなければならない。
僕らに色々なことを疑うチャンスをくれる、真摯な指揮官だったと、評価したい。
そして選手たちは、不安や不満を抱えながらも強くなりたい、勝ちたいという想いを胸にハリルホジッチとともに戦っていた。
選手コメントを読み続ければそれは苦悩の足跡であることは容易にわかる。
苦悩しながらなお、新しいものを掴もうとしていた。
自らの哲学と違う哲学を取り込むという苦痛ともいえる作業の末に待っていたであろうなんらかの収穫
何が実るかを確かめる術は、たった一つの決断であっさりと失われた。
この大きな大きな挑戦がもたらすものは、永遠に失われたのだ。
失望しかない。
ハリルホジッチのチーム作りの何が有用で、何がどうにも合わなくて、といったことを取り込むこともできなくなった。
この3年間は無になった。
ハリルホジッチは解任されるべきではなかったのです。
彼との挑戦の日々を僕らは血肉にしなければならなかった。
なのにそれをいともたやすく棄却してしまう、そんなことはやるべきではない。
もう一つ言えば、ワールドカップの出場権を勝ち取ったのは彼が監督をしていたチームだ。
相手の分析をし、トレーニングやミーティングで選手に伝え、選手と苦楽を共にして勝ち取った出場権。
それを簡単に奪い取ったあげくが「英断」であるとは何事か。
他人の仕事をなんだと思っているのか。
この解任は悪質な略奪行為で、詐欺で、尊厳を踏みにじる行為だ。
だから断じて受け入れることはできないし、するつもりもない。
誰がこのように簡単に成果を奪われ、しかもそれを擁護することを不思議がられることもある社会で何かを成し遂げようとするだろうか。
もはやサッカー界だけの問題でないことを人々は知るべきだ。
ハリルホジッチ解任事件は、社会問題である。
会見、楽しみですね。