東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

週のはじめに考える 勤勉は美徳だけれど

 まもなくメーデーです。今年の「労働者の祭典」では長時間労働の削減もスローガンです。勤勉は美徳でしょう。でも、働き過ぎは見直したいものです。

 メーデーは一八八六年、米シカゴで多くの労働者が長かった労働を一日八時間にするよう要求したことが始まりといわれています。

 二千時間。

 パート労働者を除いた日本人一般労働者の今の年間労働時間です。欧米と比べ一~三割は長い。

◆江戸時代の農民から

 日本人は勤勉だし、働くことは美徳だと考えています。確かに、労働はやりがいを得られ社会に貢献できる営みです。汗をかいて懸命に働く意義を多くの日本人は感じています。

 勤勉さのルーツはどこにあるのでしょうか。興味深い指摘があります。経済史研究者の速水融(はやみあきら)氏は江戸時代の農民から日本社会の勤労観は広がったとみています。

 農産物の生産量を増やそうとしたとき、まず労働力としての家畜の利用を考えます。実際、欧州ではそうでした。ところが、江戸時代の日本では耕地の開拓はやり尽くされ耕地面積の拡大は限界にきていた。耕作に使う牛馬を飼育したり飼料の栽培をする土地が既になかった。

 そこで農民は、自ら働く時間を長くした。つまり資本(家畜)ではなく労働力(人力)を投入することで生産量を増やした。その間、生活水準は上がり寿命が延び人口も増えたそうです。この現象を速水氏は「勤勉革命」と呼んでいます。西洋の「産業革命」に対する言葉です。

 江戸時代に、商人の働く意義を説いた思想家、石田梅岩(ばいがん)の教えも勤労観を形作ることに一役買っているようです。後に「石門心学」と呼ばれる教えには、農民の精勤をたたえ勤勉を奨励しています。「一生懸命努力すれば、日常を安楽に過ごせる」と説きました。

 この勤労観は明治時代以降の工業化社会にも受け継がれ、現代に至ったようです。

 勤労を尊ぶ価値観はいいとしても、問題は長時間労働も美徳としてしまった点です。一九五〇年代以降の高度成長期に「午前さま」という言葉がありました。仕事やつきあいで帰宅が午前零時を回ることを指します。猛烈に働く人は「モーレツ社員」と呼ばれました。バブル期の八〇年代には「二十四時間戦えますか」というCMが流行、過重な働き方が当たり前で奨励されてきました。

◆残業をしない欧米人

 欧米の事情は違います。勤労観はキリスト教のプロテスタンティズムが下地にあります。勤勉は自分のためではなく、事業に励むことが神に奉仕することになると考えました。ビジネスが信仰につながるという思想で資本主義と結び付き、工業化社会を生みました。

 欧米でも勤勉さは大切にしていますが、日本とは労働への考え方が違います。

 米国のIT企業に勤める知人は「同僚たちは夕方には必ず帰り、家族と夕食を取ることが当たり前です。いつ帰るかは本人の自由です」と教えてくれました。仕事が残っていたら「夕食後に自宅で片付ける」のだそうです。

 欧州でも管理職や専門職など報酬の高い一部の職種では長時間労働もありますが、一般の労働者は残業はしません。

 日本総研の山田久主席研究員は「日本では仕事こそ大事、それが存在意義という意識が根強いですが、欧州では生活を仕事と同じくらい大切にしています。上司が残っていてもかまわず帰宅します。残業は特別な事情がなければしません」と説明します。

 「残業なし」で生活できる賃金を得られ、仕事の進め方を自ら決められる一定の裁量が労働者自身にあることも、欧州では長時間労働がはびこらない要因です。日本政府は「働き方改革」を叫んでいますが、こうした点をどう実現するのか、その議論は抜け落ちています。

 長時間労働の削減は経営者の問題でもあります。今、多くの企業では業務量は変えずに働く時間の削減を現場に求めています。やるべきは一時的に業績が落ちても業務量を減らすという経営判断のはずです。その気概がない限り難しいのではないでしょうか。

◆多忙は「時間の貧困」

 「貧困」というと「所得の貧困」が思い浮かびます。実は、仕事が多忙で家事、育児、介護のみならず地域活動や趣味などの時間が乏しいことを「時間の貧困」と言います。時間の多寡も生活水準を決める重要な要素だからです。

 働き過ぎは、心の貧困すら招いているのではないでしょうか。勤勉さは大切にしつつ「所得と時間の貧困」に陥らない働き方へ工夫をし、協力をし、古い価値観を変えてゆきたいものです。 

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】