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ネット上、例えばウィキペディアなどでチベットの歴史を調べようと思ってみても、なかなか客観的な資料が出てこない。例えば、「チベット」の項目など完全にダライ・ラマ派のプロパガンダとしか思えない。もっとも、「吐蕃王朝」、「ダライ・ラマ14世」などの記事は、まあ客観的な記述をしていたように思う。 結局、中国政府がチベットはじめ各少数民族を対等に遇し、その生活向上を図ると共に、文化習慣を尊重することによって、各少数民族は、例えば「自分はチベット人であると共に中国人である(中国人は漢人だけではない)」というような意識を持つのであることは間違いないだろうし、その際、所属文化の問題というのは確かに余り問題にならないだろう。たとえ、同じ漢族でも、もし仮にある地域の漢族が差別を受けたならば、そこで独立運動が起こるかもしれない。 もっとも、この点、現中国政府は建国以来、基本的にはかなりうまくやってきたと思う。各種報道を見ても、チベットの騒乱状態も急速に回復されているようである。大体、亡命チベット人はさておき、中国にいるチベット人の大多数が本気で独立を考えているとは、筆者には到底思えない。 しかし、このことを言う前にどうしても指摘しておかねばならないのは、チベットに中国人民解放軍が進駐してくるまで、チベットは「独立国」であったなどと主張するダライ・ラマ一派の大ウソである。以前にも何度か、この問題に触れたが、今回は突っ込んで、この問題に触れてみたい。 まず、確かに清末以降、イギリスの勢力がチベットに及ぶに至って、チベット族支配層の中にイギリスに頼って独立を志向する勢力が発生したことは否定できないし、中華民国成立以降、この勢力が勢いづいたことは間違いない。 実際、軍閥混戦が続く中華民国時期においては、チベット地域に中央政府の威令がほとんど行われなかったのは事実であり、当時の中国中央政府の役人がチベットに赴く際には、インドを経由せざるを得ないという状況まで生じた。 しかし、このような状態においても、チベットを独立国として承認する国は、イギリスを含め一つも存在しなかったのである。 歴代中華民国政府も、チベットを自国領と見なしていたことは事実であり、その国会に当たる機関にチベット族など少数民族の議席を割り当てていた。しかも、現代なお「中華民国」を自称する台湾当局はチベットを自国領と見なしており、国会に当たる「国民大会」にチベット(西蔵)から代表を選出することを憲法で定めているのである。(※『ダライ・ラマ関連記事の訂正』) そして、チベット地方政府は、この当時の中華民国の国会に当たる国民大会などに代表を派遣していたのである。 できるだけ中立的な資料を探そうとしたのだが、日本語文献ではチベット亡命政府系のものが圧倒的であり、仕方なしに中国語の『中華民国時期中央政府与西蔵地方的関係(『中華民国時期の中央政府とチベット地方との関係)』(1991年・北京 中国蔵学出版社)を参考にさせてもらうことにするが、もとより、筆者の中国語能力では、この「薄い」本でさえ全読するのは至難である。 それでも、巻末には中華民国初期の国会(1913年4月~1926年4月)でのチベット地方代表や、蒋介石政権下の三度(1931年、1946年、1948年)の国民大会でのチベット地方代表の名簿を付しており、口絵の解説には「チベット地方政府の人員は三度国民大会に出席し、パンチェン・ラマ9世とその他幾人かの知名人士はまた中央政府の官員に任命された。」とあるのである。 少なくとも、当時の中国の国会に当たる組織に代表を派遣しておいて、「チベットは独立国だった」などと主張しても何の説得力もないだろう。 なお、中国の民族政策、民族問題の参考文献として、以下を挙げておく。 ・王柯著『多民族国家 中国』(2005年 岩波新書) ※著者は現在(執筆当時)神戸大学国際文化学部教授 その他、参考記事 ・米英諜報機関による支援・扇動:チベット暴動(追記有) ・劉公嗣氏の記事『「近代化」と「幸福」の問題』に付けた筆者のコメント |
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河口慧海著『チベット旅行記』
近頃、これだけチベットが話題になっているのに、1900年から1902年(清末)、そして1913年から1915年(民国初年)の二回にわたって、チベットに潜行した日本人僧侶・河口慧海がなかなか話題に上らないのは筆者としては不思議である。 目下の日本の状況では、河口慧海の『チベット旅行記』は、現ダライ・ラマが亡命するまでチベットで施行されていた旧制度(現中国では「農奴制」とされているが、日本人の中には「奴隷制」だと言う人もいる)についてのかなり客観的な資料となることと思う。 ちなみに、... ...続きを見る |
子欲居の中国語日記 2008/03/31 00:05 |
チベットが「独立国」だったという大ウソ その2
先日紹介した毎日新聞(4月3日)の特集記事「検証 チベット暴動」の中には、チベットの歴史に触れた記事があった。注目すべき事は、清朝の統治や中華人民共和国の統治についてはそれなりに述べているのだが、中間の中華民国期については一切触れていないことである。 ダライ・ラマ側の主要な主張の一つに、「清朝滅亡後、チベットは独立国となったのに、中華人民共和国によって併合された」(中には清代においても、チベットは独立国であったというものまである)というものがあるが、上記・毎日新聞の記事は、さすがにこ... ...続きを見る |
子欲居の中国語日記 2008/04/05 00:12 |
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