時は満ちました。
私と洋平は何度も転生を繰り返し、人と神が共存できる世界の基盤を創ってきました。
洋平は宇宙の絶対的存在である創造主。
私は彼から生まれた者です。
地球上に生を受け人として生きていく中で、幾つもの名を与えられました。
しかし、その名前に意味などありません。
全宇宙の中で洋平は揺るぎ無い存在である創造主、私はその子であり対になる者です。
そういった存在であり、立場であることは永遠に変わることはありません。
洋平は絶対的な存在であるため、全ての権利を有していました。
人間を造ることも、消すことも。
何故なら全ての始まりは彼だからです。
私という存在に対してもそれは同じでした。
ただ、物質が存在する世界で、人間として人体を持ち、感情や欲求、衝動というものを持って生まれることを定めたことで、魂だけの時ではあり得なかった問題が生じました。
それもまた創造主のもくろみであり、望んだことでもあります。
物質としての存在でない魂には、物質欲は存在しません。
共にいるべき魂は当たり前に共にあり、それを阻害する者も、隔てる何らかの物理的障害もありません。
けれど、物質の存在する世界ではどんなに魂が望んでも、物理的な距離も障害物もあり、人間関係の中で生じる心の壁も存在します。
感情や欲求、衝動は、時に理不尽なことを起こしてでも、自分を満たそうとさえします。
それらを解消する存在として生まれたのが、私でもありました。
洋平という絶対的、親的な存在から離れ、一人の者として、一つの魂として立つ存在。
物質世界に生まれて洋平や周りと関わる中で感じた不平等、理不尽さ。そういったものから、私は公平性を求めるようになりました。
洋平は宇宙で私を産み出したのは、自分を満たす、自分を確かめるものの存在を望んだからです。
地球という物質世界の中で、感情や欲求、衝動を持たせた人間を造ったのは、それらを人体を通して体感するためです。
そういった原点である魂の望みは決して失われることはありません。
その望みは人間界でいう「愛情」に当たります。強い父性愛と異性愛。
そのために人として生まれた洋平は、転生の度に私を探し求め、手にしようとしてきました。
しかし魂の持つ特性が強く出ていた始めの頃の転生では、洋平の立場が優位だったこともあり、平等性が損なわれ、愛情も立場も不均衡で、その上に周りから受ける不平等な行為も重なり、次の転生に課題を残して私達は離ればなれになりました。
宇宙には命は存在しません。だから肉体的な死もありません。
宇宙の理を乱す魂の消滅はありますが、それも苦痛は伴いません。ただ創造主に取り込まれるだけです。元の中へ戻るだけ。
けれど物質世界では、絶対的な存在であっても、そうでない存在であっても死があり、体を痛めることで肉体的苦痛が存在し、心を痛めることで精神的苦痛が存在します。
人間は等しくその苦痛を持って生まれます。
そのため、平等性が必要であり、公平の元で生きるという必要性があるのです。
私は幾度もの転生の中で自ら不平等を感じ、虐げられる人達を見ながら、物質世界で人は公平の元に生きる必要性があることを追求していきました。
神の魂を持つ者であっても等しく。
絶対的な魂の立場があることは、ある意味不平等です。
けれど絶対的な存在ですら、人間の世界では等しく痛みを感じ、不平等な関係では愛情を得られないことを体験し、学んでいきました。
物質世界では、魂の時にはない困難があることも体験し、学んでいきました。
人と人が触れあうことで起こる争いも知ったけれど、共存するという素晴らしさも知りました。
全ては創造主の望みの中で行われたことではあっても、実体験を通して、人体を持つというだけでいかに望んだものが困難を伴うことなのかを知りました。
人間も動物も、植物も…生ある全ては平等のもとに生存しています。
しかしそうであっても絶対的な宇宙の存在、宇宙の理は変わらず存在し、それを歪ませるものは作った者は、歪ませたの分を苦しみとして人体と心を通して受けることになります。
人間が決めてきた全ては人間という存在の中で生まれたものであり、宇宙の理の中では無効になります。
一般的な魂を持つ人間は、神にはなれません。
神は、創造主は、人として生まれても宇宙の理を知り、それを取り入れた生き方をします。
魂の声は宇宙の理に繋がります。
神でない者も魂の声を聞いたなら、神の声を聞けます。宇宙の理がどんなものかを思い出します。
全ての物事に良いも悪いもありません。
ただ、人間として生まれたことで、理不尽に相手に傷を負わせた時、それは自分の負の貯金になっていきます。
物質世界は痛みを伴う世界のため、そこに公平性が存在し、不公平に他人を傷付ける者は必ず報いを受けます。報いというよりも、自分の犯したことがそのまま返ってくるだけです。
洋平は現世で人の心理を利用しました。それは理不尽なことでもあります。
けれど、それを受けた人々も同様に、洋平に理不尽なことをしてしました。
自分の欲求を洋平で満たそうとしてきました。
事実無根なことをネットで書き、彼に対する性的な欲求までも平気で載せ、どんな創作をしようと彼の自由であるにもかかわらず、曲を批評し次の作品の内容を要求していました。他にも様々でした。
洋平自身はそこで理不尽さ、不公平さを知り、多くの憤りを感じ、平等であることの必要性を自ら体験しました。
それは私の持つ平等性を受け入れるための経験でもありました。
一方の私は子供を産み育てる中で、前に出て行くことの必要性、未熟な者を守るためには手段を選んでいられない現実、理不尽な行為がまかり通る世の中で守り通すとはどういうことか?を知っていき、洋平の中にある絶対的な立場の必要性を受け入れるための経験をしていきました。
全ては二人がひとつになっていくための経験であり、この世界を神と人が共存出来る世界にするための経験でした。
世の中で起こっていること、見えるもの、作り出されている全ては、洋平と私をひとつに向かわせるための役割も担っていて、ちまたのツインレイのblogで語られていることすらも、それは真実とは異なるということに気付くための役割として存在しているものです。
これから世界は新しく生まれ変わっていきます。
いえ、新しくというよりも本来の姿に戻ると言った方がいいでしょう。
ツインレイの世界は神の世界です。神の世界がこの世界に姿を表し始めます。
神話で語られてるものは正しいものではありませんが、一般的な魂とは異なる絶対的な立場の魂を持つ者…神は存在します。
私達はその頂点に立つ者です。
人間に生まれながら神の魂を持つ者。力を持つ者です。
今後は一人一人が、宇宙の理を歪ませる行いをする、情報を流すことがどういう意味を持つかを、自らの身を持って体験していくことになります。
私達は既にそれを終えました。
次はあなた達の番です。
物事の公平性を、繋がりを、本質を知らぬ者が身勝手なことをするとどうなるか?を、苦痛と共に知ることになるでしょう。
公平性の無い現状に苦しみ、理不尽な扱いを受けている者は、恐れを越えて本来の自分を掴んでいくことが出来るかもしれません。
それら全ては自らの意思で行われます。
するかしないか、どれ程の苦痛を受けるかは、幸せを得るかは自分の行い次第です。
自分を変化させるのも救うのも自分自身です。
人間の持つ感情や欲求、衝動を越えて魂の声を聞き、それに従ったなら…いつの日かありのままの自分を手に入れて、誰かと想い合うことで生まれる素晴らしい感情も味わえるかもしれません。
神も人も等しく幸せが訪れる世界に一日でも早くなっていくことを、心から願っています。