これはメジャーな珍説ではありませんが、反共イデオロギーにどっぷり漬かった「抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか」という本の中で著者・謝幼田が言っている珍説です。
謝幼田かそれとも訳者の坂井臣之助によるものか定かではありませんが、とにかくよほど毛沢東や中国共産党が嫌いなようで、この本は都合のいい資料・事実のみのトリミングはもちろん、資料の解釈も曲解・捻じ曲げのオンパレードで、読んでてむしろ痛快さすら感じます。
この本からの珍説はいくつも取れそうですが、私の興味にしたがってひとつだけ挙げてみたのがこれです。
【珍説】
中共の指導する華南の遊撃隊なるものは、今日にいたるも日本の作戦記録には全く見当たらないのだが、葉はここで、この遊撃隊が日本軍の二二パーセントに抵抗・反撃したと言い張っている。
抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか―覆い隠された歴史の真実/謝 幼田
(P218)
【事実】
要は、華南遊撃隊なるものは存在しないし、戦果など挙げていない。中国共産党は何もしなかったくせに嘘をつくな、と言いたいのであろう。
しかし、華北の八路軍、華中の新四軍に比べれば小規模ながら、華南にはいくつかの中共系の遊撃隊が存在してました。
(華南遊撃隊の構成)
・瓊崖(海南島)抗日遊撃隊独立縦隊
第1~第4支隊、挺進支隊
・東江縦隊
江南指揮部、江北指揮部、粵北(広東省北部)指揮部、海陸恵五紫指揮部
・珠江縦隊
第1~第2支隊、独立大隊
・中区縦隊
第1~第6団
・韓江縦隊
第1~第3支隊
・南路縦隊
第1~第5団
日本側に記録がないかというと、そんなことはありません。もちろん、日本軍は中共軍を匪賊扱いすることが多かったので「中共の指導する華南の遊撃隊」などという表現はしていません。
大阪朝日新聞1940年2月14日の「宝庫海南島を視察(下)海南島にて 茂貫特派員」という記事中で、「島の中央に巣くってる匪賊も海岸線を取巻かれ、文字通りの袋の鼠と化しているので早晩殱滅され(略)」と、海南島占領から1年経っているにも関わらずなお抗日勢力が島内に残っていることを示しています。
では、それらが単なる匪賊で日本軍にはほとんど被害がなかったのかというと、それも否です。
当時海南島を占領警備していたのは日本海軍の陸戦隊ですが、そのうちの一つが佐世保鎮守府第8特別陸戦隊で討伐作戦で300人の犠牲者を出しています。
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佐世保市内にある「東山海軍墓地」には、海南島占領日本海軍の主力部隊のひとつであった佐世保鎮守府第8特別陸戦隊の死亡者の碑(「海南島忠魂碑」)があります。それは、1974年に建てられたもので、碑文には、「佐八特は……約六年有余炎熱と険しい“ジヤングル”をものともせず勇戦奮闘した。この間幾多の討伐作戦等に尊い戦没者出すに至った」と書かれています。その横に1983年に建てられた「佐世保鎮守府第八特別陸戦隊戦没者慰霊名碑」には、約300人の氏名(そのうち55人は台湾人)が書かれています。
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http://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/da871575fbe549a11069ab4d302abaf1
また、その討伐対象が共産ゲリラであったことも上記引用記事からわかります。
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黄循桂さん(1925年生)は、当時の望楼の絵を書きながら、
「日本軍は、わたしたちの家をこわし、そのレンガをつかい、他からもレンガを奪って運んできて、村人をむりに働かせて望楼をつくった。高さ25メートル、幅20メートルほどだった。日本兵はそのなかに住んでいた。
共産ゲリラだといって、日本軍は連行してきた人たちをたくさん殺した。場所は、すぐ近くの、いま東坡小学校が建っているところだ」
と話しました。
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http://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/da871575fbe549a11069ab4d302abaf1
証言によると、日本軍は、瓊崖抗日遊撃隊独立縦隊討伐を目的として、怪しい者を手当たり次第殺していたようですね。
謝幼田の記述は、海南島での日本軍による犠牲者に対する裏切りとも言えます。
scopedog
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