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zoom RSS チベットと中国文明の関係について・最終版?

<<   作成日時 : 2008/03/18 23:11   >>

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「チベット」と「中国文明」の関係(2)」について
 まず、トラックバックが遅くなって申し訳ありません。おそらく、私の方に関しては劉公嗣さんに対する最後のトラックバックになることと思います?
 まず、チベットが太古から、といってもチベット族が歴史に現れる吐蕃の昔から、唐などの中国中央王朝に服属していたかというと、確かにそうとは言えないと思います。中央王朝に服属し、そのまま現在に至った時期は、ご指摘の通り、18世紀半ば、清代においてであると思います。
 チベット独立派の中には、清滅亡後の中華民国時期、チベットは独立していたのだと主張する人がいるようですが、確かに民国の混乱の中、中央政府の威令が行われなくなったとは言え、チベットを独立国として承認する国もなく、これは事実とは言えないと思います。当時のダライ・ラマ集団なども、当時中国各地で、実質上割拠した軍閥の一つだと考えられないこともないと思います。

 もっとも、あくまで中央王朝に服属していなかっただけで、唐や宋などは各時代の中国の中央王朝と言えても、これら中央王朝がすなわち「中国」であるとは言えないのではないかと考えます。これは、元や清などの、いわゆる「征服王朝」にしても同じで、私は以前、遼・宋・金が対峙し、最終的に元に統一された歴史を一種の「三国志(遼・宋・金の)」と考えてもいいのではないかという見解を本ブログで発表したことがあります。

 ただここで手前味噌かもしれませんが、私は持論の「東アジア世界史論」を提起し、チベット族は、形成以来、基本的に東アジア世界に所属してきたと主張します。
 もちろん、この場合、問題になるのは「東アジア世界」の定義付けですが、私はこれを「中国漢字文明の影響交流圏」と定義します。(参照:『東アジア世界史論・はじめに』)

 ただ、繰り返しになりますが、私の言う「東アジア世界」とは中国中央王朝の境域に入っていたかどうかはもちろん、その冊封体制下に置かれていたかをも問題にするものではありません。例えば、ビルマなどは清朝に冊封されはしましたが、ビルマは私の考えでは、基本的に南アジア=インド文明圏に属するもので、「東アジア世界」には属さないと思います。もちろん、前にも上げた比較言語学上、ビルマ語がシナ(漢)・チベット語族に属したり、その民族の来源から考えて、もし私が将来、全面的に「東アジア世界史論」を叙述できたとすれば、当然言及しないわけには行かないと思いますが。

 私の言う「東アジア世界」とは、何度も言うように基本的には「中国=漢字文明の影響交流圏」のことであり、江戸時代の日本などのように中国王朝の冊封体制下に入らなくても、やはり当時の日本も東アジア世界に所属していたというべきです。実際、幕藩体制下、各地の城下町では武士の間で漢学が隆盛し、日本人の漢文能力は最高潮に達したと思います。
 他にも、「中国文明の影響交流圏」ということは、必ずしも「中国文明に対する思慕の念」をも前提としません。中国文明に対する「反発」も、やはり影響の一つと考えます。「反発」するだけ、中国文明が近くにあるわけであり、その影響にさらされているのです。
 そして、案外、反発しながらも、巨大な中国文明の影響を受けざるを得ないのです。

 以上、長くなりましたがチベットと中国文明との関係についての私の見解を何とか述べささせていただきました。

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「チベット」と「中国文明」の関係(2)
 前回の記事にたいして、子欲居さんからトラックバックをいただきました。この記事はその返信ですが、このブログのこれまでの記事で主張したいことはおおむね述べてきましたので、今回は手短に私見を述べることにし、私のほうも、この問題についてはとりあえずこの記事で最後にするつもりです。 ...続きを見る
雑記帳
2008/03/19 00:03
初歩的なチベット前近代史
「チベットと中国文明の関係について・最終版?」について  劉公嗣さんの記事本文よりも、記事に付せられたコメントも含めてトラックバックを付けさせていただく結果となりますが、正直言って、私もそんなにチベット問題について勉強しているわけではありません。  ただ「後にチベット族を形成したであろう民族」ではなく、現在につながるチベット族が基本的に形成されたのは、唐初のソンツェン・ガンポ王がチベット高原を統一し、都をラサに定め、吐蕃王朝を開いてからでしょう。  面白いことに、「伝説では吐蕃王室は中... ...続きを見る
子欲居の中国語日記
2008/03/20 10:32
そもそも中国とは、いかなる存在なのか?
「チベットと中国文明の関係について・最終版?」について  ラサでの暴動事件については、本日毎日新聞朝刊に出ていた記事は、既に『<チベット暴動>国外グループが関与…全人代常務副委員長』ぐらいであった。  中国側の報道に疑問を感じる人もいるかもしれないが、筆者としては現在ラサ入りを求めている西側マスコミが客観的な報道をするとも思えない。  さらに言えば、これを積極的にデマ発言と決めつけなくても、ラサを実効統治していない(よって正確な情報をつかむ能力さえない)、いわゆるチベット亡命「政府」の... ...続きを見る
子欲居の中国語日記
2008/03/20 11:14
ダライ・ラマ関連記事の訂正
「ダライラマは既に「チベットは中国の一部」と承認」について  上記の記事で、筆者は田中宇氏の記事などを引用し、「ダライ・ラマは既にチベット独立要求を放棄しており、後、中国政府との対話再開のネックとなっているのは、台湾独立に反対するかどうかの問題だ」というような意味のことを書いた。 ...続きを見る
子欲居の中国語日記
2008/03/21 18:11

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
結局、チベットが独立するか中国の域内に留まるかは、現中国政府のチベット政策、しいては民族政策にかかっていると思う。私個人は、中国政府は基本的に民族政策をうまくやっていると思う。
 もし、歴史的な「必然性」があるとすれば、歴代中国王朝が案外うまく民族政策を行ってきた歴史があることであり(コソボ問題などを見ていると、現代の欧米よりうまくやってきたと言ってもいいと思う)、現中国政府はこの歴代王朝のいい点を継承していると思う。
子欲居
2008/03/19 21:29

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