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「「チベット」と「中国」について」について 死者数100人の根拠についてマスコミは「未確認情報」としており、本来マスコミで報道するような根拠を持った情報ではないと考えます。この問題ではっきり言えることは、事件が「非暴力」が「評価され」てノーベル「平和」賞を受賞したはずのダライラマ支持者による暴動以外の何ものでもないということであり、中国政府は催涙弾の使用と威嚇射撃を行ったことは認めたものの、暴徒に対する直接発砲は否定しており、死者10名も暴徒による放火などで巻き添えを食った市民としていますが、現在の所、これを覆すだけの根拠ある報道もなされてはいないと思います。 思うに、アメリカなど西側諸国が自制を呼びかける勢力は、暴動を起こしたダライラマ支持派であるべきでしょう。 さて、チベットと「中国」との関係についてですが、「中国」と「 」を付したのは、中国という存在を筆者もまだきっちり定義づけていないからです。 ご指摘のY染色体の分析において、華北や朝鮮半島では低頻度のハプログループD2が、日本列島では3~4割、「チベット」においては3割ていど認められるという点に関しては、これは、日本列島と「チベット」との近縁性を示しているというよりは、更新世から新石器時代にかけてハプログループD2が広く分布していたユーラシア東部において、おそらくは有史以降の人類集団の大規模な移動により、華北や朝鮮半島ではハプログループD2が減少してしまった、ということなのだと思います。というご意見については基本的に賛成です。 ただ、私はこのようなY染色体の分布状況というか、人種的状況がどうして形作られたかというと、古代中国(あるいは東アジア)の争乱の中で、華北地域への人口流入と共に、華北地域からの人口流出が起こった結果ではないかと思います。 結果として、東の日本と西のチベットにハプログループD2が多数のまま取り残されたとも考えられますし、あるいは元々少なかったチベット(人口自体かなり少なかった可能性もあります)や日本に華北地域などから流入して多数を占めるに到ったとも考えれるでしょう。 ハプログループD2の太古における分布状況が分からない以上、何とも言えないのですが、私はむしろ後者が正しいのではないかと考えます。 例えば、前回のトラックバックに引き続いて、宮崎市定『中国周辺史総論』から引用しますが、西蔵族は古代には広く陝西・甘粛・四川省にまで分布していたと言います。 そして、宮崎は西蔵(チベット)族は中国内地へも進入して中国社会の中に溶け込んでいるので、西蔵族はまた現今の中国人口の一源泉をなしているとするのですが、私はむしろ(他の多くの中国少数民族の祖先と同様)元々中国中心部にいたチベット族の先祖が陝西・甘粛・四川などを経てチベット高原に進出し(あるいは駆逐され)ていったのではないかと考えたのですが、劉公嗣さんからY染色体のお話を聞いて、ある意味、自論の方が正しいのではないかと考えた次第です。もちろん、中国中心部に残留して結果的に漢族に同化されたチベット族の祖先も少なくはないと思いますが。 どっちにしろ、チベット族と中国中心部との関係は、宮崎の指摘通り、かなり「因縁が深い」ものがあったのではないかと考えます。 それと、確かにチベット文字はインド由来ですが、あくまで宗教的用途が主であったことも忘れてはならないでしょう。ちなみに、宮崎市定は『歴史的地域と文字配列法』という論文の中で、蒙古文字は本来西アジア渡来で横書きであったのですが、中国(あるいは東アジア)文明の影響圏にある蒙古族の文字として採用されるに当たり、横書きから(漢字と同じ)縦書きで書かれるようになったというような持論を展開しています。 ただ、例外は宗教的文字で、その例として、今の新彊に入ったアラビア文字(イスラム教)と上のチベット文字とを上げています。だから、中国文明圏に入っても、横書きを保持したというのです。このように、宮崎はチベットなどが中国文明の影響圏であることを自明のこととして論を進めているのですが。 前近代において、「チベット人」には中国大陸文明にたいする思慕の念はとくになくというご意見ですが、「中国食品は絶対に食べない」という人も、現在の日本においては、「知らないうちに食べている」のと同じで、チベットへの「中国」文化、あるいは漢文化の影響は、前回上げた「数え年」はじめ一般の予想以上に大きいのではないかと考えます。もちろん、蒙古族のチベット仏教信仰はじめ、チベット文化の中国諸民族に与えた影響も否定できないと思いますが。 ※なお、筆者の東アジア諸民族形成論については、とりあえず本HPの『中国文化が日本文化を誕生させた』をご参照下さい。 |
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「チベット」と「中国文明」の関係
前回の記事にたいして、子欲居さんからトラックバックをいただきました。この記事は、その返信です。そもそもの発端・「暴動」の内容・中国政府の対応・死者数など、現在のラサの情勢には不明な点が多く、現時点での断言は避けておきます(以下、引用箇所は青字)。 ...続きを見る |
雑記帳 2008/03/16 16:03 |
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