熊猫さん(子欲居)の備忘録

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zoom RSS 清朝の位置づけと満漢関係

<<   作成日時 : 2008/03/21 00:04   >>

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 清は中国最後の王朝であり、1911年まで続きました。清の時代に、現代の中国の領域が基本的に定まり、中華民国を経て現在の中華人民共和国に継承されていると考えられます。
 清は満州族の征服王朝であり、漢族はモンゴル族やチベット族などと同じく、満州族に支配される側だったという見解がありますが、これは正確ではないと思います。

 実際、誤解している人がいるかもしれませんが、明を滅ぼしたのは清ではなく、明末の李自成率いる農民反乱軍です、この反乱軍が北京を攻略し、明朝最後の皇帝を自決に追い込みます。
 その報に接するや、それまで山海関で清軍を防いでいた明の将軍・呉三桂は清軍に寝返り、李自成の農民反乱軍を鎮圧するように要請します。
 清は、北京を攻略するや、明朝最後の皇帝の葬儀を盛大に執り行い、「明の皇帝の仇を取る」という名目で、その中国支配を正当化します。実際、李自成軍を破って北京に入城した清軍を漢族支配層は香を焚いて歓迎したと言います。
 言わば、清朝というのは当初から、農民反乱に恐れをなした漢族支配層と満州族支配層との連合政権的な性格があったと言えます。実際、そのような漢族支配層の協力なくして、人口で圧倒的に劣る清の中国支配は有り得なかったでしょう。
 
 特に漢族地主層に対する優遇は際だっていました。確かに、弁髪の強制や「文字の獄」など、漢族に対する抑圧は当初には厳しいものがあったことは否めません。しかし、漢族地主(知識人)は科挙によって高級官僚に多く登用されましたし、現在の日本の××省に当たる中央の六部(吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部)の大臣(尚書)は、それぞれ満人漢人各1名ずつ計2名が当てられました。
 清朝中期以降、皇帝に近侍して、国政の枢要に預かった軍機大臣も、満漢同数が原則だったと言い、これらの中央官庁の有り様は、中華料理の「満漢全席」にその名を残しています。

 さらに特筆すべきは、清朝は漢族に満州族の風俗である弁髪はじめ満州服などをおしつけたものの、文化的にはかなり漢族と融合してしまったことです。
 満州語は清朝治下においてすたれて行き、多くの満州族は満州語を話せなくなります。かの「ラストエンペラー」として名高い溥儀などは、幼少時満州語を習ったもののついに修得できなかったと言います。一方、清朝の名君とされた康煕帝、乾隆帝を代表として歴代皇帝は中国古典に深い素養を示しました。
 もっとも、満州語は漢語(漢族の言語、いわゆる中国語)にも影響を与えており、特に北京語などは、これを「満州なまりの中国語」と称する学者もおり、中国語を習ったことのある人ならお分かりになる「語尾のr化」などは、満州語の影響だと言います。
 現在、中国の標準語とされている「普通話」(プートンファ)は、北京語がベースになっているのですが、「中国標準語=北京語」と言うわけでなく、両者には、日本で言えば、「共通語と東京弁」のような違いがあるので注意が必要です。

 さらに皮肉なことに、かつては漢族におしつけられたものである満州服が、現在では中国(特に漢族)の伝統衣装と目されていたりします。有名なところで、いわゆるチャイナドレスは、原形からは大きく変化しているものの、元々は満州族の民族衣装であったチーパオから変化したものです。
 おそらく、このような問題は料理にも現れており、現在、中国人が大好きだという「しゃぶしゃぶ」は元々、満州族やモンゴル族の料理だった可能性があると思います。

 2000年の人口調査では、中国の満州族は約1000万人と言いますが、満州語の話者自体は絶滅に瀕しています。皮肉なことに、現在、満州語が絶滅に瀕している最大の原因は、満州族が清という王朝を打ち立て、漢族地区に「支配民族」として乗り込んで行ったことが原因でしょう。
 満州族は中国全土に散在していると言いますが、かつて支配層に属した満州族の大学進学率や文盲率の低さは中国56民族中第一位であり、全国平均はおろか、漢族よりも遙かに高いと言います。(1990年の調査)

 民族問題で言えば、現在の中国の各省は清代の制度を基本的に継承しており、また「藩部」と呼ばれた少数民族地区は、新彊、西蔵(チベット)、内蒙古など、それぞれ民族自治区になっています。
 清朝は皇帝による専制政治という枠組みの中であっても、少数民族の上層部をよく懐柔し、民族問題を比較的うまく処理し、その版図を維持したと考えられます。

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満州族による清朝樹立の皮肉な結果
「清朝の位置づけと満漢関係」について  現在、中国にはチベット族自治区や新彊ウイグル族自治区、内モンゴル自治区、広西壮族自治区など、比較的人口の多い民族はそれぞれ自治区を有しているが、満族(満州族の現代中国での呼称)自治区というものはない。  それは、満州族が故地「満州」(現中国東北地方)を離れ、大挙して中国全土の支配に乗り出したからであり、結果として、中国東北地方と漢族居住地は一体化してしまった。  最初、清朝は「満州」を「自分たちの故地」として漢族の移住を禁止したようだが、北方ロシ... ...続きを見る
子欲居の中国語日記
2008/03/22 01:29

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