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2018年4月20日(金)

走れ!ギモン調査部 奈良で県庁移転騒動 なぜ?

先月23日、奈良県議会で驚きの動きが。

奈良市にある県庁を市外へ移転する案が可決されたのです。

奈良市といえば…

 

【堀田アナウンサー】

「観光客の方多いですね。賑わっていますね、さすが観光都市です」

人口約35万人、県内最大の都市で「古都」としても知られ、

我が物顔で闊歩する鹿は外国人観光客に大人気。

大阪、京都にアクセスが良く、ベッドタウンとしての一面も。

 

県庁所在地としては申し分ないこの奈良市から、

県庁がなくなる日がやってくるのでしょうか?

 

【奈良市民】

「奈良で生まれ育って75年や。あ~知らない!」

「全然知らない!」

「奈良市を出る!?そんな話聞いた事ない!誰から聞いたの、それ!?」

 

県民も把握できていない中、なぜ今、県庁所在地を変える案が出ているのでしょうか? 

移転案を提出したという、川口議員にそのわけを聞いてみると…

 

【堀田アナウンサー】

「なんで県庁移転しようと思われたのですか?」

 

【川口正志奈良県議】

「これは奈良県の中部南部に住んでいる人達の、本能的な願い。

 奈良県の均衡ある発展、つまり北が高くて南が低いというような人口形成になっていますからね」

 

川口議員が指摘するのは奈良県内の人口の偏り。

南北に大きく広がる奈良県は、奈良市や生駒市を中心とする北部エリアに

人口の約80パーセントが集中していて、南部は年々過疎が進んでいるそうです。

そこで、少しでも南に県庁を移転することで、人の流れを中部・南部に動かし、

県全体を発展させることが狙いなのだそう。

 

ただ、実際に移転するためには、条例改正など、まだまだハードルがあるようです。

では奈良県中部・南部の人にとって県庁移転は必要なのか、現地に行ってみました。

 

県庁の移転先にあげられたのは、奈良県中部に位置する橿原市。

人口約12万人、奈良市に次ぐ第二の都市です。

中心地は近鉄大和八木駅付近で、大阪・京都へは電車で1本。

 

そして橿原市といえば…

 

【堀田アナウンサー】

「綺麗ですね、大きい。後ろの山の緑とあいますね」

 

ここ橿原神宮は、初代・神武天皇を祀ることから「日本建国の聖地」とされていて、

年間約350万人の参拝者が訪れる、橿原市の一大観光スポット。

ただ、奈良市と比べると、のどかな印象もありますが…

 

【堀田アナウンサー】

「北の方に集中していると感じますか?」

 

【橿原市民の男性】

「長年のいろんな歴史やなんやかんやあって、北の方に寄ってる。

(県庁が)来たらここ中心になるかもね」

 

(橿原名物・埴輪まんじゅうを食べる堀田アナウンサー)

【店長(橿原市民)】

「県庁の職員から全員大移動ってなると、やっぱり活性化にはものすごくなるんじゃないですか?」

 

【堀田アナウンサー】

「ここのお店も変わるんじゃないですか?」

 

【店長(橿原市民)】

「やっぱりそう思いますか?(笑)」

 

【橿原市民の女性】

「別に(県庁が来なくても)いいかな、“アルル”とかあるから」

 

【堀田アナウンサー】

「アルルって何ですか!?」

 

【橿原市民の女性】

「ショッピングモール!」(アルル=イオンモール橿原)

 

【堀田アナウンサー】

「今、十津川村に入りました!」

 

さらに南に下ること約2時間。奈良県の最南端・十津川村へ。

 

【堀田アナウンサー】

「十津川村に入って15分ぐらいですけど、人に会わない」

 

村の96パーセントは山で占められ、人口は約3200人。

電車は走っていません。

そんな十津川村の観光名所は…

 

【堀田アナウンサー】

「怖い!怖い!アカン!」

(谷瀬の吊り橋:長さ297.7メートル、高さ54メートル)

 

自然を満喫できるスリル満点の観光スポットでした。

 

【堀田アナウンサー】

「十津川村で一番にぎわっているというところに来たんですけど、非常に静かですね。

 穏やかな時間が流れています。奈良市や橿原市とずいぶん違いますね」

 

十津川村の中心部といわれている場所でも、お店が数軒ある程度。

【堀田アナウンサー】

「橿原に県庁がきたら、十津川村の辺りも変わりますか?」

 

【十津川村民】

「もちろん生活が便利になってくるでしょうし、中南部の発展にもつながると思うんでね。

 せやからもう、大賛成ですね」

「ありがたいですね、もしあれば真ん中にある方が。

 子供達もいなくなってきてる。この南部の方が多少でも変わればいいんですけども」

 

さらに十津川村や川上村などでは、

2045年には人口が今の半分以下になってしまうというデータもあるのです。

 

一方、県庁所在地ではなくなるかもしれない奈良市の人は…

 

【奈良市民】

「そらやっぱりね、県庁と言うと、古都・奈良」

「奈良県と言えば奈良市が県庁所在地っていうので教えてもらっているので、

 それは変わるとちょっとあれなのかな」

「奈良県発展させるためにそういうことも考えると、別に奈良市じゃなくてもいいんじゃないかな」

 

県庁移転に対する反応は、地域によって様々でした。

ではそもそも、なぜ奈良県庁は県の一番北の奈良市にあるのでしょうか?

歴史地理学を研究している、奈良大学の土平教授に伺うと…

 

【堀田アナウンサー】

「そもそも、なんでここに奈良県庁ができたんですか?」

 

【奈良大学 土平博教授】

「なかなか難しい問題ですけど…

(地図を広げて)明治41年につくられた地図です」

 

土平教授によると、県庁は、

当時の興福寺の境内に建てられたことがわかっているといいます。

 

【堀田アナウンサー】

「なぜ興福寺のところに建っているのですか?」

 

【奈良大学 土平教授】

「興福寺は元々、奈良の中では中世の頃まではすごく大きな力を持ったお寺だったんですね。

 ですから、そういう意味では、この辺り一帯は江戸時代からも奈良としての行政の中心でもありました。

 そして明治以降もこの場所は(県庁設置に)適切な場所として考えたのかもしれない、

 そういう歴史性は持っている事は間違いないと思います」

明治4年の廃藩置県の頃、かつての城下町や交通の要衝のように、

中心となっていた場所が県庁所在地とされ、今でも行政や経済の中心になっていることが多いというのです。

 

【奈良大学 土平教授】

「これだけ奈良という場所が、ずっと歴史的な都市として継続していますから、

 そういう意味では思い切りのいる、大きな気持ちの切り替えのいるといいますか

(県庁移転は)そういう性質を持っているんじゃないかと思います」

当たり前のように今の場所にある県庁所在地について見つめなおす事が、

地域の未来を考える事に繋がるのかもしれません。

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