ブログネタを探してjugem plusの検索ワード追跡をよく見るが、「アウトサイダーアート 金儲け」の2語でぐぐってこのブログにたどりついたお方がいるみたいで、なるほどねえ、そういう時代なんだなと思った。
「アウトサイダーアート」とは、いわゆる「障害者アート」のことである。知的障害者・精神障害者の人たちが、作業所やそのほかの施設で制作している作品群のことで、一般の造形とはちょっと区別されているらしい。
なんで「アウトサイダーアート」を「インサイダーアート」にしようとしないのか?とわたしなどは思う。アートそのものにアウトもインもあるもんか。作品として評価するには、技量が足りない、だけど障害者の人が作ったという点に意味や価値がある・・ということか。技量がない、というのは、本格的な訓練を受けたことがないから技量がないのである。研究所受験科や、美術大学でやっている本格的な訓練を、やる気があって筋がよさそうな障害者にやらせればよい。健常者ではなく障害者のための大型美術公募(○○賞)でもつくって、作品をネットでも画廊でも販売可にすれば細々とでもマーケットが出来る・・かもしれない。ま、大変ですが。
・・などと思っていたが、アウトサイダーアートに対する権威筋の評価というのは、上記のつぶやきとは別のところにあるらしい。いわく「美術学校を出た人は、そういう絵を描くようになるのだが、アウトサイダーアートの場合は、勝てる絵を描こうという気負いが無いぶん、純粋に絵に取り組んでいるのが見る側に伝わってくるのが魅力」で、このごろ脚光を浴びているらしい。
「アウトサイダーアートの作品のオーラは、美術学校で描いてきた人と違う。それは、何かを望まないことで生まれるものじゃないかな」(奈良美智:画家)
(鳴かず飛ばずでも絵を描いてるASの一人としては)褒められているような、けなされているような。障害者だから「無垢だ」とか「何かを望まない」とか、変な先入観持たれるのは迷惑じゃね?それはそれとして、アウトサイダーアートは無欲なアートとか決めつけるのはやはりおかしい。
「アウトサイダーアートには今、医療・福祉・美術などさまざまな人間が関わる。その関わり合いの中で評価軸をつくればいい。専門化して閉塞した美術への強烈なオルタナティブになると思う」(保坂健二郎:東京国立近代美術館)