私は基本的に楽観主義であります。この生まれ持った楽観主義に拍車がかかったのがカナダに住むようになってからかもしれません。前を向いて細かいことをグズグズ言わず、前進しながら問題点は走りながら修正していくという癖をつけたからでしょう。
もしも私が悲観主義であれば住宅事業の成功もなかったし、会社の買収も出来なかったし、今の数多くある事業も生まれていなかったでしょう。
私が経営者として考えることは何をしたいのか、であります。それをするのが第一義。それをするために起きるであろう様々な困難は乗り越えるという発想です。乗り越えられない問題はないのか、と言われればないわけではありませんが、乗り越える癖をつけてきたことが大きいと思います。つまり、障害物競走で例えるならハードルを乗り越える訓練をずっとしてきて大なり小なりの経験の積み上げが「これは越えられる」という楽観を生むのであります。
かつて何度となく危機に陥ったことはあります。その時にどうしたか、と言えば熟考します。どうやったらこの難局を乗り越えられるか、と。無い知恵も絞れば出てくるものです、あっという発想が。
住宅開発をしていた時、完成間際の25階建ての住宅の最上部から金曜日の夕方、作業員の人為的ミスによる水漏れを起こし、不幸にも月曜日まで報告されなかったという事故がありました。25階から1階まで水は流れ、工期は4か月遅延し、銀行からは事故による回復資金は貸してもらえません。保険金支払いは査定に時間がかかる中でどうやって一か月あたり2億円近いの業者向け支払いをするか、という局面を迎えます。
結論からすると銀行借入枠の予備費1億円を全部流用し、保険会社からは一時金を段階的に受領し、かつ、緊急資金として第三者から短期借り入れを2億円ほど行い、その上、業者への支払いをギリギリまで引き延ばしたのであります。買収後で一人でやっていた時代ですのでこれらの知恵を全部取りまとめるのはなかなか苦労しましたが、綱渡りの数か月をしのぐことが出来ました。
私が悲観主義なら絶対に乗り越えられない難局でした。答えは絶対にある、と信じていたからこそ、次々と対策案が浮かんできたのであります。
日本の新聞などの論調を見るとどちらかといえば悲観的見方が強いものが多くなっています。特にコラムや論評などは厳しいコメントが多く、「その見方、発想は甘い!」などという指摘が多いのは毎度のことであります。
しかし、多くの厳しいコメントは杞憂にすぎず、うまく物事は流れていくものです。何故かと言えば歯止めをかけるチカラを持っているのも人間の良さであるからです。
例えば2月から3月にかけて株価がアメリカを中心に大きくぶれました。最後にはIT業界の場外戦もあり、先行き暗い雨雲に覆われていました。私は比較的楽観的見方をしていたと思います。アメリカのトーンがやや変わったのが4月に入ってから「IT業界の醜聞より1-3月の決算発表が明るいものになると期待しよう!」という目線の切り替えでした。つまり、悲観主義とは特定の事象に囚われ、抜け出せなくなってしまうところに問題があり、そこからさっさと足を洗うという術を学ぶことが大切なのではないでしょうか?
私は多くの事業をしている中で当然ながら全部が順風満帆というわけではありません。ただ、順調な部門や問題を解決した部門を見ながら問題事業も「きっとよくなる!」と信じて改善の努力を怠らないようにしています。事業ですから案件によっては回復に何年もかかるものもあります。メディアでいうV字回復などというのは人材的にも資金的にもほとんど無理で一つひとつ丁寧に修繕していくしかないのであります。
となると楽観主義の基本は粘りとあきらめないチカラではないかと思います。
サラリーマンの方が仕事でドツボにはまっているケースはよくあります。ストレス貯めすぎて病気になったり退職したりするケースも見受けられます。それは「ドツボ」というツボにはまり込んでしまったからで、ツボの上の光明に可能性を見出すしかないのであります。気分転換も大事でそういうときこそ非日常を味わうのもいいでしょう。
楽観主義とは根拠のないノー天気さとは違い、現実を直視しながらも「解決できる」という信念がすべてであり、悲観主義を蹴散らす勇気が大事ではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
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また明日お会いしましょう。
もしも私が悲観主義であれば住宅事業の成功もなかったし、会社の買収も出来なかったし、今の数多くある事業も生まれていなかったでしょう。
私が経営者として考えることは何をしたいのか、であります。それをするのが第一義。それをするために起きるであろう様々な困難は乗り越えるという発想です。乗り越えられない問題はないのか、と言われればないわけではありませんが、乗り越える癖をつけてきたことが大きいと思います。つまり、障害物競走で例えるならハードルを乗り越える訓練をずっとしてきて大なり小なりの経験の積み上げが「これは越えられる」という楽観を生むのであります。
かつて何度となく危機に陥ったことはあります。その時にどうしたか、と言えば熟考します。どうやったらこの難局を乗り越えられるか、と。無い知恵も絞れば出てくるものです、あっという発想が。
住宅開発をしていた時、完成間際の25階建ての住宅の最上部から金曜日の夕方、作業員の人為的ミスによる水漏れを起こし、不幸にも月曜日まで報告されなかったという事故がありました。25階から1階まで水は流れ、工期は4か月遅延し、銀行からは事故による回復資金は貸してもらえません。保険金支払いは査定に時間がかかる中でどうやって一か月あたり2億円近いの業者向け支払いをするか、という局面を迎えます。
結論からすると銀行借入枠の予備費1億円を全部流用し、保険会社からは一時金を段階的に受領し、かつ、緊急資金として第三者から短期借り入れを2億円ほど行い、その上、業者への支払いをギリギリまで引き延ばしたのであります。買収後で一人でやっていた時代ですのでこれらの知恵を全部取りまとめるのはなかなか苦労しましたが、綱渡りの数か月をしのぐことが出来ました。
私が悲観主義なら絶対に乗り越えられない難局でした。答えは絶対にある、と信じていたからこそ、次々と対策案が浮かんできたのであります。
日本の新聞などの論調を見るとどちらかといえば悲観的見方が強いものが多くなっています。特にコラムや論評などは厳しいコメントが多く、「その見方、発想は甘い!」などという指摘が多いのは毎度のことであります。
しかし、多くの厳しいコメントは杞憂にすぎず、うまく物事は流れていくものです。何故かと言えば歯止めをかけるチカラを持っているのも人間の良さであるからです。
例えば2月から3月にかけて株価がアメリカを中心に大きくぶれました。最後にはIT業界の場外戦もあり、先行き暗い雨雲に覆われていました。私は比較的楽観的見方をしていたと思います。アメリカのトーンがやや変わったのが4月に入ってから「IT業界の醜聞より1-3月の決算発表が明るいものになると期待しよう!」という目線の切り替えでした。つまり、悲観主義とは特定の事象に囚われ、抜け出せなくなってしまうところに問題があり、そこからさっさと足を洗うという術を学ぶことが大切なのではないでしょうか?
私は多くの事業をしている中で当然ながら全部が順風満帆というわけではありません。ただ、順調な部門や問題を解決した部門を見ながら問題事業も「きっとよくなる!」と信じて改善の努力を怠らないようにしています。事業ですから案件によっては回復に何年もかかるものもあります。メディアでいうV字回復などというのは人材的にも資金的にもほとんど無理で一つひとつ丁寧に修繕していくしかないのであります。
となると楽観主義の基本は粘りとあきらめないチカラではないかと思います。
サラリーマンの方が仕事でドツボにはまっているケースはよくあります。ストレス貯めすぎて病気になったり退職したりするケースも見受けられます。それは「ドツボ」というツボにはまり込んでしまったからで、ツボの上の光明に可能性を見出すしかないのであります。気分転換も大事でそういうときこそ非日常を味わうのもいいでしょう。
楽観主義とは根拠のないノー天気さとは違い、現実を直視しながらも「解決できる」という信念がすべてであり、悲観主義を蹴散らす勇気が大事ではないでしょうか?
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私も同様に考えてます。
アメリカ人で悲観的な人に会ったことがないですが・・・新聞は基本的に悪い面を取り上げて、警告気味に論評します。
私はエレーナ・フォックス女子(オックスフォード大学の心理学教授)が「Rainy brain, Sunny brain」の中で、悲観主義と楽観主義を述べてますが、当然彼女はSunny brain(楽観主義)であるべきと述べてます。
脳科学の中野信子さんは、セロトニンは脳内物質ですが、これが増えると精神的な安定につながり、モチベーションが上がることを述べてます。それで日本人は世界の中で一番少ない、一度放出したセロトニンを取り込むトランスポーターがすくないとのことです。
日本人ほど不安を常に考え、楽観的になれない国民だそうです。
アメリカと日本は対照的で、アメリカ人の3割が悲観的であり、日本人の7割が悲観的であることがわかっているようです。
その分、日本人は慎重であり、「石橋を叩いても渡らない」こんな感じもします。しかし、動物は常に危険と隣り合わせにいるわけですから、根拠のないノーテンキでは生きてはいられないでしょうね。